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黒部ダム(くろべダム)は、富山県東部の中新川郡立山町を流れる黒部川水系の黒部川に建設された水力発電専用のダムである。1956年(昭和31年)着工、太田垣士郎指揮の下、171人の殉職者を出し7年の歳月をかけて、1961年1月に送電を開始。貯水量約2億㎥。
北アルプスの立山連峰と後立山連峰に挟まれた黒部峡谷にある黒部ダムは、黒部川下流域の海に面する黒部市から直線距離で約40キロメートル南東に位置し、長野県大町市から直線距離で約20キロメートル西に位置する(県境から約3キロメートル西に位置する)。標高は1,454m。
黒部ダムの水は平均水温4度。ダム右岸の取水口から、山中に掘られた導水路(専用トンネル)を通って、約10キロメートル下流の地下に建設された黒部川第四発電所(黒四)に送られて、ダムとの545.5メートルの落差で発電する。この発電所の名称から黒四ダム(くろよんダム)とも呼ばれる。
富山県は北陸電力送配電の送配電地域であるが、黒部ダムは関西電力が建設し、発電された電気は関西電力送配電の送配電地域に送電されている。
● 概要
日本を代表するダムの一つであり、富山県東部の長野県境近くの黒部川上流に関西電力が建設したコンバインダム。水力発電専用ダムで貯水量2億立方メートル(東京ドーム160杯分)、高さ(堤高)186メートル、幅(堤頂長)492メートルである。
前述のように「黒四ダム」の別称もあるが、関西電力は公式サイトなどでも「黒部ダム」としている。また、日本ダム協会によれば、「黒四ダム」の名は仮称として用いられ、後に正式名称が「黒部ダム」となった。しかし、国立公園内であることから国立公園行政当局および国立公園協会などは建設に反対した。1928年11月18日、黒部景観問題協議会が反対集会を実施。こうした状況は高度経済成長期を迎えた昭和30年代にも続き、工場で週2日、一般家庭では週3日、電力使用制限が行われていた。
1949年頃、日本発送電が黒部第四発電所建設計画を復活させ調査を再開した が、大町トンネル工事が破砕帯に直面して難工事となったこともあり立ち消えとなった。
1951年関西電力は日本発送電の黒部第四発電所建設計画を引き継ぎ、1951年9月から再調査が実施されたを経て、1963年6月5日に完成、同年8月28日には皇太子(現・上皇)夫婦がご探勝された。
2006年時点での土砂堆積率は14%であり、ダム本体の耐久性と併せて考えると、これからも約250年はダムとして機能すると見込まれている。
● 特徴
当初の計画では単純な円弧状のアーチダムであったが、1959年のマルパッセダム決壊事故を受け、両岸の基礎となる岩盤を調査したところ亀裂が見つかり。
ダムから川へ放水する際には霧状にしている。これは放水の勢いで川底が削れてしまうのを防ぐためである。
ダム建設時、関西電力に勤務していた電力土木技術者・技術士である一方日本美術家連盟会員や一水会会友でもあった熊沢傳三は自著 で、黒部ダムのダムの堤頂歩道の線形とハンドレールについて実際にデザインを任されたことを記述して残してある。事の経緯は堤頂歩道をどうするか、当時橋梁の手摺などの資料を中心に参考資料を収集していた上司から意見を求められ、自著に書いてある私見 をいくつか述べると、早速その日の夕方から実際に設計を任されたというもので、6時間ほどかけてその特徴を加味してデザインを仕上げたとしている。
2020年に土木学会選奨土木遺産に選ばれる。
● 観光と登山
前述のとおり発電量自体は25万kW時しかなく電力会社としては経営収支の貢献度はそれほど高く無いが黒部ダムは日本を代表するダムの一つであり、周辺は中部山岳国立公園でもあることから、立山黒部アルペンルートのハイライトの一つとして多くの観光客が訪れる。黒部ダムに到達するには、自家用車で到達できる最奥の場所からでは富山県側は立山駅でケーブルカー乗車→美女平駅でハイブリッドバス乗車→室堂駅でトロリーバス乗車→大観峰駅でロープウェー乗車→黒部平駅でケーブルカー乗車と4回の乗り換えが必要である。一方長野県側は扇沢駅から発車する電気バスのみで辿り着ける。
1996年からは欅平から黒部ダムに至る輸送設備黒部ルートの公募見学会が関西電力により開催されており、その「欅平出発コース」では黒部峡谷鉄道 欅平駅を出発し、黒部ダムに到着する。ただし逆向きの「黒部ダム出発コース」を使った往復はできないため、帰りは別の経路でなければならない。
なお、2024年からはこの見学ルートが一般開放されることになった。(以上、「立山黒部アルペンルート」「黒部ルート」のいずれも登山装備で徒歩でアクセスする場合を除く)
ダムの各観光施設は関電アメニックスくろよん観光事業部が運営している。6月下旬から10月中旬頃までダム湖の水を放流する「観光放水」が行われ、ダム展望台、放水観覧ステージ、新展望広場の各所から見学することができる。新展望広場特設会場内では石原裕次郎記念館から移設された映画「黒部の太陽」のトンネルセットのレプリカを展示しており、ダム建設に関する映像やパネルを見ることができる。
レストハウスのレストランではダム湖をモチーフにした名物の「黒部ダムカレー」を食べることができる。また、黒部ダム左岸側から上流側に数分歩いた地点には遊覧船ガルベの乗り場があり、黒部湖を乗船時間30分ほどで周遊することができる。厳冬期における湖面凍結による損傷を避けるため、晩秋・初冬になるとガルベは湖面から引き揚げられ、翌年初夏に運航を再開する。遊覧船は2024年度シーズンを最後に終了する予定である。
遊覧船乗り場からさらに上流側には湖畔遊歩道が続き、山小屋のロッジくろよんで折り返して往復1時間ほどで散策できるが、ロッジくろよんより先は登山装備を要する。
登山客の間では、室堂駅に向かう立山黒部アルペンルートの中継地点という位置づけのほかに、アルペンルートを利用せずとも一ノ越を経由して立山に登れる直登ルート、上流側の黒部湖沿いを歩いて至る赤牛岳の読売新道方面ルート、下流側の下ノ廊下沿いを歩く日電歩道ルートの起点の観光地としても親しまれている。直登ルートの道中からは黒部湖を俯瞰することができ、黒部ダム左岸側から立山の雄山山頂までの所要時間は徒歩6時間45分。読売新道方面ルートは、ロッジくろよんのさらに上流側の平の小屋の渡し場から1日4 - 5往復の無料の渡し船で黒部湖を横断して、崖や梯子が連続する道を抜け、奥黒部ヒュッテとその先の赤牛岳に至る。一般的に奥黒部ヒュッテまではダムから往復徒歩1泊、赤牛岳までは往復徒歩2泊は必要である。
2007年に文化庁が世界遺産候補地を公募した際、「立山・黒部~防災大国日本のモデル-信仰・砂防・発電-~」として名乗りを上げたが、山岳信仰・産業施設・自然環境を一体的に捉えることに無理があるとして選考に漏れた経緯がある。
● 映像化
建設時におけるスケールの大きさから日本中の注目を集めていた黒部ダムは、高度成長期の映像・中継機器の発達に伴い、様々な形で映像化されてきた。
◎ 記録映画
まず、建設主体の関西電力が映像化に踏み切った。実際は関西電力の委託で日本映画新社による四部作として記録されたものである。
第1作は1957年制作『黒部峡谷 - 黒部川第四水力発電所建設記録第1部』である。立山連峰を超えるためにブルドーザーを分解して運ぶなど、秘境で造られる黒部ダムの工事開始までの様々な問題点・困難さが記録された。第2作は1958年制作『地底の凱歌 - 黒部川第四水力発電所建設記録第2部』で、秘境での輸送路・発電所設備などを地下化すべく、厳冬下の工事、破砕帯突破など困難を極めた工事の模様が記録された。第3作、1961年制作の『大いなる黒部 - 黒部川第四水力発電所建設記録第3部』はシネマスコープによる制作である。第1 - 2作を含め、黒部第四発電所へ通水、試験運転開始までを描いている。そして、完全竣工後の1963年、『くろよん - 黒部川第四発電所建設記録』を作成し、建設開始から完全竣工まで全ての映像が記録された。
◎ NHK総合テレビジョンの生中継
完成直後の1963年、日本放送協会(NHK)の技術者が放送用機材と中継用機器をダムまで持ち込み、ヘリコプターによる空中撮影も交え、鈴木健二の司会によりNHK総合テレビジョンで生中継放送を行った。当時まだ貧弱な放送技術の限界に挑んだ中継は見事に成功し、視聴者に黒部ダムのスケールの大きさと、技術者の偉業を知らせることに一役買った。
◎ 映画『黒部の太陽』
1968年、三船プロ、石原プロ製作で熊井啓の監督による映画『黒部の太陽』(主演:三船敏郎、石原裕次郎)で、黒部ダム建設の物語が描かれた。原作は木本正次『黒部の太陽』(毎日新聞社、1964年)。
○ テレビドラマ版『黒部の太陽』
2度テレビドラマ化されている。1969年8月3日 - 10月12日(日曜 21:30 - 22:26)に日本テレビ系列で放送された、全11回の連続ドラマ。また、2009年3月21日・22日にはフジテレビ系列で、「フジテレビ開局50周年記念ドラマ特別企画」として放送されている。
◎ 『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』
2000年6月27日放送のNHK総合テレビジョンのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』 第14回『厳冬黒四ダムに挑む 断崖絶壁の輸送作戦』にて黒部ダム建設の模様が放送された。2004年9月12日、同番組はNHK-BS2で「黒四ダム 断崖絶壁の難工事」として再放送された。さらに、2021年5月18日には4Kリストア版として放送され、2024年4月27日にもNHK総合でアンコール放送された。
2002年末の第53回NHK紅白歌合戦では、中島みゆきが同番組のテーマ曲「地上の星」を黒部ダム堤体内部ではなく関西電力黒部専用鉄道「黒部川第四発電所前駅」構内のトンネル内で歌った。そのCMは、大杉漣がトンネル工事の現場監督役。
◎ 鉄人28号 (2004年)
昭和30年代を時代背景とした『鉄人28号(2004年版)』の最終エピソード(21 - 26話)では、「人間の手による黒部ダム建設が困難だったため、工事に人型巨大ロボットが導入された」という設定で物語が展開。工事用ロボットの採用コンペティションをめぐる陰謀や、導入された量産型ブラックオックスの暴走によるダム破壊の危機が描かれた。最終的にダムは鉄人28号によって死守され日本に高度経済成長期をもたらしたものの、それと引き換えに鉄人は溶鉄を浴びて溶融。「その鉄の塊と化した残骸は平成と呼ばれる時代もなお湖底に眠っている」という形で幕引きとなった。
「黒部ダム」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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