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和倉温泉(わくらおんせん)は、石川県七尾市和倉町に位置する温泉である。
● 温泉街
能登半島東側の七尾湾南岸に温泉旅館・ホテルが並び、温泉街を形成している。
2024年1月1日の能登半島地震発生時点では宿泊施設22軒(和倉温泉旅館協同組合加盟は21軒)と総湯などがあり、宿泊客が帰途についた後は全館が休業したが、同年3月26日には総湯が利用できるようになった。同年5月3日には旅館「花ごよみ」が、復旧要員以外の観光客受け入れを地震後の和倉温泉では最初に再開した、6月の第二週末には能登よさこい祭りなど各種イベントが開催される。
能登観光の玄関口でもある。東にやや離れて七尾の中心市街地や能登島と結ぶ能登島大橋がある。
◎ 宿泊施設
【和倉温泉旅館協同組合加入旅館】
◎和倉温泉5号8号10号13号源泉使用
・ 加賀屋
・ 加賀屋別邸 松乃碧
・ 茶寮の宿 あえの風(加賀屋グループ)
・ 虹と海(同上。ナトリウム・カルシウム塩化物泉。弱アルカリ性(泉源によっては中性)高張性高温泉。無色透明だが塩分は非常に強く、よく温まる。神経痛や関節痛、腰痛などに効能が高い。
湧出量は、約2,618 t/日(約1,600 L/分)。泉温89.1度。
● 歴史
平安時代に遡る開湯伝説がある。地名の和倉とは「湧く浦」、つまり湯の湧く浦(入り江)であり、海の中から発見された。そのため、潮が退いている時でないと湯を利用することができなかったが、近世には七尾城主の畠山氏、加賀藩の前田氏によって温泉が整備され、共同浴場が置かれた。
温泉地として本格的に開発されたのは明治時代になってからであり、第二次世界大戦後になって交通アクセスの向上に伴い、温泉街も大規模化した。
◎ 沿革
・ 大同年間(806年 - 809年):薬師嶽の西にある円山の湯の谷で温泉が湧出。その後、源泉が海中へ移動。
・ 永承年間(1046年 - 1052年):漁師夫婦が、湯気の立つ海上で身を癒す白鷺を見て、「湯の湧き出づる浦」すなわち「湧浦」(わくら)を発見。
・ 1611年(慶長16年):加賀藩第3代藩主前田利長が、腫物治療のため「湧浦の湯」を取り寄せる。
・ 1641年(寛永18年):第3代藩主前田利常の命により、湯口を整備して周辺を埋め立て、橋を架けて「湯島」とする工事が始まる。半農半漁の7軒があるのみだった一帯が以後、温泉街となるきっかけとなる。
・ 1654年(承応3年):湯治客相手の宿方稼が認められる。幕末には上方(京と大坂)にも知られるようになる。
・ 1674年(延宝2年):藩命により「和倉」へ改名。
・ 1871年(明治4年):廃藩置県で七尾は金沢県、次いで七尾県となる。和倉温泉は村の共有地となる。
・ 1880年(明治13年):前年からの湯島周辺の埋め立てにより、本土と陸続きになる。ドイツで開かれた万国鉱泉博覧会で三等賞受賞。
・ 2007年:3月25日に発生した平成19年能登半島地震により被災。ほとんどの旅館が休業するが、4月1日までに営業を再開。
・ 2024年
・1月1日:令和6年能登半島地震により被災。
・3月26日:総湯が営業再開。
・5月3日:観光客の宿泊が「花ごよみ」で再開。
● 交通アクセス
◇ 鉄道
: 和倉温泉駅(JR七尾線・のと鉄道七尾線)下車、車で5分・徒歩で25分。
◇ バス
: 北鉄能登バス・能登島交通「和倉温泉バスターミナル」下車、徒歩5分。
: 新高岡駅・高岡駅より加越能バスわくライナー「和倉温泉観光会館開かれた
: 大阪駅・京都駅・金沢駅より西日本JRバス北陸道グラン昼特急号「和倉温泉」下車。
◇ 車
: 能越自動車道 和倉ICから石川県道47号七尾能登島公園線経由で5分。
● 周辺施設
・ 和倉温泉湯っ足りパーク(足湯「妻恋舟の湯」など)
・ 辻口博啓美術館
・ 和倉温泉お祭り会館
・ 和倉昭和博物館とおもちゃ館
・ イソライト珪藻土記念館
「和倉温泉」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年10月4日20時(日本時間)現在での最新版を取得
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