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日本ライン(にほんライン)は、岐阜県美濃加茂市から愛知県犬山市にかけての木曽川沿岸の峡谷の別称。
● 概要
風景がヨーロッパ中部を流れるライン川に似ていることから、1913年(大正2年)に志賀重昂によって命名された。
かつては、和船を用いて全長13kmにわたって渓流の美しさを味わいながら約1時間半の川下り遊覧ができる「日本ライン下り」が運行されていたが、営業休止となり、現在はラフティングが楽しめる。
犬山市には犬山城をはじめ遊園地や野猿公園などの観光施設があり、周辺一帯がライン下りとともに観光地を形成している。日本モンキーパークはかつて「犬山ラインパーク」という名称で運営されていた。
● 日本ライン下り
日本ライン付近での遊覧船事業は、犬山鵜飼を1899年(明治32年)に再興させた鵜飼鎌三郎が、1914年(大正3年)に「犬山通船」を設立し、現在の可児市土田までの遊覧船事業「ライン上り」を開始したことに始まる。犬山通船による事業は土田までの交通の便が悪く短期間で廃業となり、その後1922年(大正11年)に高山本線古井駅の開業に合わせ「古井遊船」が設立され青柳橋から犬山城下までの運航を開始し「日本ライン下り」の端緒となった。また1924年(大正13年)には名古屋の実業家・山田才吉が土田にライン遊園の整備と料理旅館「北陽館」を開業。協業する形で三宅徳三郎が土田の大脇湊から犬山城下までの運航を開始。また1927年(昭和2年)に太田遊船組合が設立されライン下り観光が本格化し、1929年(昭和4年)には取組遊覧組合が坂祝町の行幸巌から土田までの運航を開始。
2002年(平成14年)度までは駅からのバス運行や美濃太田のレストハウス日本ラインシュロスをふくめて運営していたが、利用者数が低迷し、さらに名古屋鉄道の鉄道以外の事業の不採算が拡大し、2003年(平成15年)3月期の中間決算が上場以来初の無配となる事態が発生したことにより、2002年(平成14年)12月に運休した。2003年(平成15年)1月に発表された名古屋鉄道の経営合理化策で日本ライン観光は整理対象となり、同年中に清算された。
2006年(平成18年)まではJR高山本線 / JR太多線 / 長良川鉄道・越美南線 美濃太田駅から美濃太田乗船場を経由して名鉄広見線 日本ライン今渡駅や可児駅(新可児駅)へ向かう東濃鉄道バスの路線バスが運行されていた。
◎ 木曽川観光
日本ライン観光清算後、地元資本による「木曽川観光」が事業を継承し、2003年(平成15年)7月に遊覧船の運行を再開。旧日本ラインシュロスの施設は美濃加茂市の公社が2003年(平成15年)に購入し、同駐車場はゴミ回収場として使用されたが2009年(平成21年)に解体された。
しかし利用者数の減少に歯止めがかからず、また2011年(平成23年)8月17日に発生した天竜川川下り船転覆死亡事故の影響もあって利用者数の回復も望めないことから、2012年(平成24年)12月18日に木曽川観光は2013年(平成25年)度の運休を決定した。
またかつて使われていた和船は引き続き木曽川観光が保有し、犬山市の犬山橋付近と桃太郎港の間で11月に運航される「桃太郎紅葉船」や、犬山城港を発着し犬山城周辺などを遊覧する「犬山城遊覧船」に用い犬山市と犬山市観光協会の主催で運航されたがその後2021年(令和3年)度からは木曽川観光が直接運航を引き受けている。
◎ ラフティング
その後は2019年(令和元年)時点で、ほぼ同ルートの美濃加茂市太田橋付近から犬山市桃太郎神社付近にて、犬山国際ユースホステルが運営するYHAラフティングによる「木曽川ラフティング」と2018年に参入したEAT&LIVEが運営するリバーポートパーク美濃加茂による「木曽川アドベンチャー」の2社によるラフティングツアーの営業が行われている。
● 参考文献
・ 「天下之絶勝 日本ライン名所図絵」吉田初三郎著(大正名所図絵社、1923年)
・ 「日本ラインの犬山」可児桝太郎著(犬山町保勝会、1936年)
・ 「日本ラインの姿~犬山市観光要覧」水谷賢三著(水谷賢三、1956年)
・ 「日本ラインと犬山」犬山町保勝会編(犬山町保勝会)
・ 「日本ライン」北原白秋著(青空文庫)
「日本ライン」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年10月4日20時(日本時間)現在での最新版を取得
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