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最上川(もがみがわ)は、山形県を流れる一級河川最上川水系の本川。流路延長229 kmは、一つの都府県のみを流域とする河川としては日本一である。流域面積は7,040 km2で、日本三大急流の一つである。上流部では松川ともよばれる。日本海に流れる。
● 地理
山形県米沢市の福島県との境にある吾妻山付近に源を発し、山形県中央部を北に流れる。新庄市付近で西に向きを変え酒田市で日本海に注ぐ。一つの県(山形県)で源流から河口まで流れる。
かつては河川舟運の道として利用され、内陸部の紅花や米が、酒田港を経て主に上方(関西地方)に運ばれた。また上方から運ばれたと見られる雛人形が流域の旧家に多く残されている。なお、最上川舟運の難所(碁点、隼、三ヶの瀬)は、村山市にある。これを「最上川三難所」と呼ばれている。
● 流域の自治体
◇ 山形県
: 米沢市、東置賜郡高畠町、川西町、南陽市、長井市、西置賜郡白鷹町、西村山郡朝日町、大江町、寒河江市、東村山郡中山町、天童市、西村山郡河北町、東根市、村山市、北村山郡大石田町、尾花沢市、最上郡舟形町、大蔵村、新庄市、最上郡戸沢村、東田川郡庄内町、酒田市
● 語源
最上川の名前の由来については多くの説がある。『和名類聚抄』には「毛賀美」と書かれていて、「珍しい岩石の多いところ」という意味をもつと見なされる。アイヌ語の「モー・カムイ」(静かなる神)に由来する説もある。また、庄内平野から最上峡を経て、内陸部に至ると広い盆地が開けていることから、この一帯を「モモカミ」(崖の上)といい、ここから流れてくる川も「モモカミ」と言った説もある。
● 最上川開発史
◎ 古代から中世
出羽国最大の河川である最上川は、流域に有数の穀倉地帯を抱える。上流の米沢盆地、中流の山形盆地、下流の庄内平野何れも屈指の穀倉地帯であり、古くより農業が盛んであった。その中心は稲作であり、既に奈良時代の和銅年間には水稲農耕が行われていたと伝えられている。従って、最上川水系の河川開発は灌漑を中心とした利水整備が当初の中心であった。
鎌倉時代に入り、本格的な灌漑用水整備が始まった。それ以前は河川からの直接的な取水、または湖沼からの引水で対処していたが局所的な効果しか無く、広範囲の農地灌漑を行う為には井堰による用水整備が必要となった。建久年間(1190年頃)に寒河江川に建設された二ノ堰が最上川水系における最初の河川施設である事が山形県総合学術調査会によって明らかになっている。その後、次第に堰が各河川に建設されていった。
◎ 近世
○ 庄内地方の灌漑・治水事業
庄内地方は1583年の大宝寺義氏滅亡後、領主の変遷を経て、上杉景勝の領有となった。景勝の重臣で東禅寺城代の甘粕景継は1591年(天正19年)、最上川の支流である相澤川と田澤川の合流点下流に平田揚を設け、大町までの溝渠を開鑿した。この溝渠は大町溝と呼ばれ、後の「最上川疏水」の原型ともなった。
1600年の関ヶ原の戦いの後、庄内地方は最上義光の山形藩が領有した。義光は庄内地方の灌漑整備を進め、義光配下で狩川城主の北楯利長は1612年(慶長17年)に北楯大堰を開鑿した。北楯大堰は、最上川が庄内平野に出る付近で合流する立谷沢川より取水し、山麓に沿って盛土処理である堰台を建設して低地である庄内平野に導水して流下させる用水路である。この北楯大堰によって庄内地方の農地は急速に拡大し、集落も次第に形成されていった。
1622年の最上騒動で最上氏が改易された後の庄内地方は酒井忠勝に始まる庄内藩が領有し、灌漑整備は幕末まで庄内藩の下で進められた。江戸時代初期は、河道が南北に蛇行していたため、1650年(慶安3年)から3年をかけて落野目から大宮まで幅30間(約54m)、長さ50間(約90m)の新流路が開削された。その後、米沢藩は徐々に財政が好転するかに見えたが、米沢藩第三代藩主・上杉綱勝の急死により室町時代以来の名家は御家断絶の危機に陥った。吉良義央の子を末期養子とする事で一件は落着。第四代藩主・上杉綱憲が就封したが、その代償として米沢藩は陸奥国伊達郡・信夫郡を没収され石高は15万石に半減した。
これに輪を掛けて綱憲の浪費などが祟り米沢藩は莫大な負債を抱える様になり、第八代藩主・上杉重定は江戸幕府への領地返上を一度は決意した程に藩は困窮してしまった。重定は養子として日向国高鍋藩主・秋月種美の二男を迎え、第九代藩主とした。この養子こそ上杉治憲、号して上杉鷹山である。細井平洲を招聘して質素倹約と減税、殖産興業の推進を図り、内には保守的な重臣を粛清して藩政の大改革を実施した。
治憲が最も重要視したのは新田開発による収入の増加であり、これを補完する為の用水路整備を実施した。この灌漑整備で活躍したのが治憲によって登用された米沢藩勘定頭・黒井半四郎である。半四郎は1794年(寛政6年)より「黒井堰」の建設に着手、上堰と下堰の二方向に分水を行って農業用水の導水を行った。上堰は総延長約5里(約20.0 km)、下堰は総延長約4里(約16.0 km)の用水路であり、6年の歳月を掛けて1800年(寛政12年)に完成した。更に飯豊山地の豊富な雪解け水を利用する為、荒川の支流である玉川から置賜白川へ導水する為の「飯豊山穴堰」が1798年(寛政10年)より建設に着手され、20年の歳月を掛け1818年(文政元年)に完成した。こうした灌漑設備の整備によって米沢藩は次第に財政が回復、治憲は「中興の英主」として後世に称えられた。
○ 河道整備
最上川は内陸の重要な交通路としても利用された。舟運の発達によって最上川の河道整備も必要となったが、最上川は中流部~下流部に掛けて難所が多く、水運発達の最大の懸念となっていた。河口部の酒田は戦国時代には堺や博多と同様の自治港湾都市として、奥羽随一の商業都市に発展していた。関ヶ原の戦いの後に酒田を統治する事となった最上義光は酒田と山形を水運で結ぶ為に、最上川の河道整備を行った。最上川中流部、通称「最上川の三難所」と言われた碁点・三ヶ瀬・隼の瀬(現在の村山市)の三地点を開鑿して川幅の拡張と川底の掘削を実施。舟運の円滑化を図った。これにより水運は発達し各所に船着場が建設された。
その後、流通経済の拡大によって更なる舟運整備が求められた。1659年(万治2年)には幕領米の輸送を請け負った江戸の商人正木半左衛門らが酒田から江戸を結ぶ西廻り航路を開通させ、酒田は更に重要な経済都市として発展していった。
1693年(元禄6年)、第四代米沢藩主・上杉綱憲の時に米沢藩御用商人であった西村久左衛門は、酒田と米沢盆地を結ぶため、1万7千両の巨費を投じて最上川上流部の難所であった五百川峡・黒滝地点を開鑿し、長崎(のちの中山町)から荒砥(白鷹町)の通船工事を完成させた。米沢藩領内にある最上川の荒砥よりも上流は「松川通り」と呼ばれ、糠の目(高畠町)、宮(長井市)、菖蒲(白鷹町)の河岸には藩の陣屋が設置された。
最上川は『奥の細道』でも詠まれるなど古くから全国的に有名な河川の一つであり、最上峡の川下りを始め多くの観光客が訪れる。このため河川開発についても環境保全と景観保護が重要視され、堤防建設においても「桜堤」を各所に設け春にはサクラと最上川の美しい景色を創る事を国土交通省は『最上川水系河川整備計画』に盛り込んでいる。大淀分水路にしても、付近一帯が景勝地である事から環境改変を最小限に抑える事を大前提とした事業計画となっている。今後はより環境に配慮した河川開発が推進されるものと見られている。
● 災害史
・ 1967年(昭和42年)8月 - 前線と低気圧の影響で上流部を中心に洪水が発生(羽越豪雨)。死者8名、負傷者137名、全壊流失167戸、半壊床上浸水10,818戸、床下浸水11,066戸、農地浸水10,849ha、宅地等浸水2,330haの被害(激甚災害に指定)。
・ 2022年(令和4年)8月 - 記録的な大雨の影響で最上川5ヶ所で氾濫が発生。支流でも6ヶ所が氾濫。
・ 2024年(令和6年)7月 - 梅雨前線や低気圧の影響で氾濫が発生。
● 最上川水系の主要河川
・ 羽黒川-刈安川
・ 鬼面川-大樽川・太田川・綱木川
・ 吉野川:南陽市
・ 置賜白川
・ 置賜野川:長井市
・ 朝日川
・ 月布川
・ 須川-馬見ヶ崎川・立谷川:上山市、山形市、東村山郡山辺町、中山町、天童市、寒河江市
・ 寒河江川:西村山郡西川町、寒河江市、西村山郡河北町
・ 乱川:東根市、天童市、河北町
・ 村山野川
・ 丹生川:北村山郡大石田町、尾花沢市
・ 最上小国川:最上郡最上町、最上郡舟形町
・ 銅山川:最上郡大蔵村
・ 鮭川-真室川-金山川:最上郡真室川町、最上郡鮭川村、最上郡戸沢村、新庄市
・ 角川:最上郡戸沢村
・ 立谷沢川
・ 相沢川-田沢川
・ 京田川
● 最上川水系の河川施設
最上川水系では治水・利水の為の多くの河川施設が整備されているが、初見は寒河江川にある固定堰、二ノ堰と言われている。
戦後、置賜野川に管野ダムが1953年(昭和28年)に建設されたのを皮切りに多目的ダムが最上川水系に次々建設された。1967年(昭和42年)の羽越豪雨を機に建設省(現・国土交通省)によって白川ダム(置賜白川)・寒河江ダム(寒河江川)・長井ダム(置賜野川)の特定多目的ダムが建設された。一方、山形県によって補助多目的ダムである綱木川ダム(綱木川)と留山川ダム(留山川)、治水ダムである最上小国川ダム(最上小国川)が建設された。
農業用としては蛭沢ダム(蛭沢川)が1944年(昭和19年)に建設され、戦後、農林省(農林水産省)の「国営農業水利事業」によって多くの農林水産省直轄ダムが建設されている。この中では新鶴子ダム(丹生川)が最も規模が大きい。「農業水利事業」によるダムは現在建設されていない。水力発電用は小規模なものが多いが、上郷ダムは最上川本川に建設された唯一のダムである。
特色としては日本屈指のラバーダムである最上川さみだれ大堰、都道府県営ダムとしては珍しい中空重力式コンクリートダムが2基建設されている事である。なお、最上川最大の河川施設は寒河江ダムである。
一次
支川
(本川)
二次
支川
三次
支川
ダム名
堤高
(m)
総貯水
容量
(千m3)
型式
事業者
備考
最上川
-
-
淞郷堰頭首工
-
align=right -
可動堰
土地改良区
最上川
-
-
上郷ダム
23.5
align=right 7,660
重力式
東北電力
最上川
-
-
大久保遊水池
-
-
遊水池
国土交通省
最上川
-
-
大淀分水路
-
-
放水路
国土交通省
建設中
最上川
-
-
最上川さみだれ大堰
-
-
可動堰
国土交通省
ラバーダム
羽黒川
刈安川
-
水窪ダム
62.0
align=right 31,000
ロックフィル
農林水産省
管理委託
(土地改良区)
鬼面川
-
-
鬼面川頭首工
-
align=right -
可動堰
土地改良区
鬼面川
太田川
-
鬼面川ダム
22.5
align=right 460
アース
鬼面川堰用水組合
鬼面川
大樽川
綱木川
綱木川ダム
74.0
align=right 9,550
ロックフィル
山形県
吉野川
屋代川
蛭沢川
蛭沢ダム
24.0
align=right 2,200
アース
山形県
置賜白川
-
-
白川ダム
66.0
align=right 50,000
ロックフィル
国土交通省
置賜野川
-
-
木地山ダム
46.0
align=right 8,200
中空重力式
山形県
置賜野川
-
-
管野ダム
44.5
align=right 4,470
重力式
山形県
長井ダムに水没
置賜野川
-
-
長井ダム
125.5
align=right 51,000
重力式
国土交通省
朝日川
-
-
木川ダム
31.5
align=right 840
重力式
山形県
須川
生居川
-
生居川ダム
47.8
align=right 2,650
ロックフィル
山形県
須川
菖蒲川
-
菖蒲ダム
31.1
align=right 545
複合式
山形県
須川
馬見ヶ崎川
-
蔵王ダム
66.0
align=right 7,300
中空重力式
山形県
須川
前川
(河道外)
前川ダム
50.0
align=right 4,400
ロックフィル
山形県
本沢川
-
-
本沢ダム
17.5
align=right 157
アース
山形県
寒河江川
-
-
寒河江ダム
112.0
align=right 109,000
ロックフィル
国土交通省
寒河江川
-
-
水ヶ瀞ダム
34.0
align=right 1,936
重力式
東北電力
白水川
-
-
白水川ダム
54.5
align=right 4,600
重力式
山形県
丹生川
-
-
新鶴子ダム
96.0
align=right 31,500
ロックフィル
農林水産省
丹生川
銀山川
-
銀山川ダム
21.3
align=right 263
重力式
山形県
乱川
押切川
留山川
留山川ダム
46.0
align=right 1,120
重力式
山形県
建設中
最上小国川
-
-
最上小国川ダム
41.0
align=right 2,300
重力式
山形県
鮭川
-
-
高坂ダム
57.0
align=right 19,050
重力式
山形県
鮭川
金山川
-
神室ダム
60.6
align=right 6,400
重力式
山形県
鮭川
金山川
桝沢川
桝沢ダム
65.8
align=right 6,751
重力式
農林水産省
管理委託
(土地改良区)
立谷沢川
-
-
立谷沢川第一ダム
18.5
align=right 93
重力式
東北電力
立谷沢川
-
-
北楯頭首工
-
-
固定堰
農林水産省
相沢川
田沢川
-
田沢川ダム
81.0
align=right 9,100
重力式
山形県
京田川
-
-
三又ダム
24.0
align=right 142
アース
山形県
(注)黄色欄は建設中・計画中のダム、赤色欄は既に水没、または水没が予定されているダム(2011年時点)。
● 河口部
最上川の河口付近には、海岸砂丘や砂嘴などの特徴的な地形が形成されているほか、ヨシやオギなどの水生植物群落や飛砂防止を目的としたクロマツ植林地(防砂林)、庄内平野の水田地帯が広がっている。これらの自然条件から、最上川河口部はガン・カモ類やハクチョウ類の渡来地として重要な地域である。その他、クロツラヘラサギやヘラシギなどの水鳥、オジロワシやオオワシ、オオタカなどの猛禽類の生息も確認されている。これらのことから、最上川河口部及びその周辺域は、2005年(平成17年)11月1日に国指定最上川河口鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されている(面積1,537ha)。また、環境省が選定した日本の重要湿地500、日本の音風景100選にも選定されている。
● 並行する交通
◎ 鉄道
・ JR東日本奥羽本線/山形新幹線
・ JR東日本左沢線
・ JR東日本陸羽西線(愛称「奥の細道最上川ライン」)
: 1974年まで、山形交通三山線が寒河江川中流部で並行していた。
◎ 道路
・ 国道13号
・ 国道47号
・ 国道112号 - 寒河江川に並行。
・ 国道287号
・ 国道345号
・ 国道347号
・ 東北中央自動車道
◎ 空港
・ 山形空港
◎ 橋梁
・ 海老ヶ沢大橋(米沢市)
・ 芳泉大橋(米沢市)
・ 新大橋(米沢市)
・ 米坂線最上川橋梁
・ 万里橋(山形県道232号板谷米沢停車場線)
・ 相生橋(国道121号)
・ 住之江橋(米沢市)
・ 松川橋(米沢市)
・ 花沢大橋(山形県道1号米沢高畠線)
・ 米沢大橋(国道13号)
・ 新米沢大橋(東北中央自動車道)
・ 新田橋(山形県道101号米沢浅川高畠線)
・ 置賜橋(山形県道237号広幡窪田線)
・ 吉島橋(東北中央自動車道)
・ 糠野目橋(国道13号)
・ 平柳橋(高畠町平柳)
・ 夏目橋(山形県道7号高畠川西線、高畠町福沢)
・ 下田橋(山形県道3号米沢南陽白鷹線)
・ 幸来橋(国道113号)
・ 松川橋梁(南陽市梨郷・山形鉄道フラワー長井線)
・ 松川橋(山形県道248号梨郷宮内線)
・ さくら大橋(山形県道166号久保桜線)
・ 長井橋(国道287号)
・ 睦橋(山形県道254号高玉広野線)
・ 長井線最上川橋梁(山形鉄道フラワー長井線)
・ 白鷹大橋(山形県道11号長井白鷹線)
・ 黒滝橋(山形県道164号深山下山線)
・ 大平橋(山形県道9号長井大江線)
・ 大舟木橋(山形県道9号長井大江線)
・ 暖日橋(朝日町)
・ 新五百川橋(山形県道113号宮宿浮島線)
・ 五百川橋(朝日町)
・ 八天橋(朝日町)
・ 旧明鏡橋(朝日町)
・ 明鏡橋(国道287号)
・ 用橋(大江町)
・ 大江大橋(大江町)
・ 柏陵橋(国道287号)
・ 最上橋(国道458号)
・ 旧最上橋(寒河江市、大江町)
・ 簗瀬橋(国道287号)
・ 此の木橋(山形県道143号中山三郷寒河江線)
・ 平塩橋(寒河江市)
・ 高瀬大橋(山形県道24号天童寒河江線)
・ 左沢線最上川橋梁(左沢線)
・ 長崎大橋(国道112号)
・ 最上川橋(山形自動車道)
・ 村山橋(山形県道23号天童大江線)
・ 谷地橋(国道287号)
・ 河北橋(山形県道25号寒河江村山線)
・ 碁点橋(山形県道294号大久保村山停車場線)
・ 竜神の吊り橋(村山市河島地内(吊り橋))
・ 共栄橋(村山市名取地内)
・ 三ケ瀬橋(国道347号)
・ 長島橋(国道347号)
・ 隼橋(山形県道36号新庄次年子村山線)
・ 虹の大橋(国道347号)
・ 大石田大橋(山形県道121号尾花沢大石田線)
・ 黒瀧橋(大石田町横山地内)
・ 亀井田橋(山形県道30号大石田畑線)
・ 大浦橋(山形県道123号荻袋大浦線)
・ 舟戸大橋(尾花沢市名木沢地内)
・ 猿羽根大橋(山形県道187号芦沢停車場実栗屋線)
・ 堀内橋(山形県道36号新庄次年子村山線)
・ 烏川大橋(山形県道330号福寿野熊高線)
・ 大蔵橋(国道458号)
・ 本合海大橋(国道47号)
・ 第一最上川橋梁(陸羽西線)
・ 古口大橋(山形県道34号新庄戸沢線)
・ 清川橋(山形県道361号大沼新田清川停車場線)
・ 最上川橋(国道345号)
・ 庄内橋(山形県道117号余目松山線)
・ 庄内大橋(山形県道360号砂越余目線)
・ 第二最上川橋梁(羽越本線)
・ 庄内中央大橋(余目酒田道路)
・ 最上川白鳥大橋(日本海東北自動車道)
・ 新両羽橋(国道7号)
・ 出羽大橋(国道112号)
● 名称にまつわる話
◇ 軍艦
: 旧海軍の重巡洋艦に、この川から名を取った「最上」がある。またかつては海上自衛隊の護衛艦にも「もがみ」と言う艦名の小型護衛艦があった。さらに、2022年には海上自衛隊として二代目となる「もがみ」がもがみ型護衛艦の一番艦として就役予定である。
◇ タンカー
: 川崎汽船のVLCC(Very large Crude Carrier)「最上川」。川崎汽船のタンカーは川に由来する船名を付ける事が多く「最上川」の名称が付けられた。今治造船建造、2001年竣工、300,000DWT。2007年1月にホルムズ海峡を航行中、アメリカ海軍の原子力潜水艦ニューポート・ニューズと衝突した。
◇ 鉄道
: 国鉄のディーゼル急行にも「もがみ」を名乗ったものがあった。
◇ 防災ヘリ
: 現在の山形県消防防災航空隊防災ヘリコプターも「もがみ」という名称である。
● 最上川を題材にした作品
◎ 和歌
最上河 上れば下る 稲舟の 否にはあらず この月ばかり
『古今和歌集』巻20 東歌(詠み人知らず)
最上河 つな手引くとも 稲舟の 暫しがほどは いかり下ろさむ
『夫木和歌集』所載 崇徳院
強く引く 綱手と見せよ 最上川 その稲舟の いかりをさめて
『山家集』西行
広き野を ながれゆけども 最上川 うみに入るまで にごらざりけり
昭和天皇が皇太子時代の1925年に山形県を訪れ、最上川を情景に詠まれた和歌に1930年、島崎赤太郎によって曲が付けられ、広く県民に歌われる様になった。詳細は「最上川 (曲)」を参照。
最上川逆白波のたつまでに ふぶくゆうべとなりにけるかも
歌集『白き山』斎藤茂吉
◎ 俳句
五月雨を あつめて早し 最上川
『おくのほそ道』松尾芭蕉(大石田にて)
暑き日を 海にいれたり 最上川
『おくのほそ道』松尾芭蕉(酒田にて)
◎ 舟歌
・ 『最上川舟唄』 — 編詞:渡辺国俊、編曲:後藤岩太郎
◎ 版画
・ 『六十余州名所図会』(歌川広重)1854年(安政元年)~1856年(安政3年) — 「最上川 月山遠望」
「最上川」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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