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田沢湖(たざわこ)は、秋田県仙北市にある淡水湖。一級河川雄物川水系に属する。日本で最も深い湖であり、日本で19番目に広い湖沼でもある。その全域が田沢湖抱返り県立自然公園に指定されており、日本百景にも選ばれている景勝地である。1956年(昭和31年)から2005年(平成17年)まで存在した自治体である田沢湖町の名の由来であり、現在も旧田沢湖町の区域の地名冠称として使われている。
● 地理
秋田県の中東部に位置する。円形で直径は約6km、最大深度は423.4mで日本第1位(第二位は支笏湖、第三位は十和田湖)、世界では17番目に深い湖である。世界で最も深い湖であるバイカル湖になぞらえて「日本のバイカル湖」とも呼ばれる。
湖面標高は249mであるため、最深部の湖底は海面下174.4mということになる。真冬でも湖面が凍り付くことはない。
流入河川は小規模な沢しかなく、豊富な水量は湖底の湧水が支えているものと考えられている。流出河川は西部の潟尻川で、桧木内川・玉川を経て雄物川に合流する。人工の水路としては、北部に玉川から田沢湖発電所を経由する流入路、北東部に先達川(玉川支流)からの流入路、南東部に生保内発電所を経由して玉川への流出路が存在する。
● 成因
過去には隕石クレーター説なども検討されたことがあるが、調査の結果、180万年前から140万年前の爆発的噴火によるカルデラとの説が有力である。しかし田沢湖の容積分の噴出物がどこに行ったのかが未解決の問題として残されており、田沢湖をカルデラと呼ぶかどうかは専門家の間でも意見が分かれるところである。なお、湖底には辰子堆(比高100-300 m)と振興堆(比高250 m)の2つの溶岩ドームがあることが分かっている。
● 人間史
古くから漁業が行われ、1715年(正徳5年)には固有種であるクニマスに関する最古の記述が出ており、久保田藩主の佐竹氏および分家の佐竹北家(角館佐竹家)の献上品として利用されてきた。明治期末から田沢湖でクニマスの孵化放流事業も試みられ、1935年(昭和10年)には約8万8千匹の漁獲高があったという。
戦時体制下の1940年(昭和15年)、食糧増産と電源開発計画のために湖水を発電用水・農業用水として利用しようと、近くを流れる玉川からpH1.1という国内屈指の強酸性の源泉を含んだ水を湖に導入する水路が作られた。魚の絶滅を心配する声は当時もあったが、住民が国策に反対できる時代ではなく、約70人いた漁師はわずかな補償金と引き換えに漁業の職を失い、ほとんどの魚類が数年で姿を消した。
その後酸性化が進み、玉川下流の農業用水の被害も深刻になったため、県は玉川温泉の水を中和する施設の設置を国に要望し、1989年10月に中和施設が完成した。これによって湖面の水質は中性化していったが、今なお湖全体の水質回復には至っていない。
◎ 水深測定
田沢湖が深い湖である事は昔から知られていたが、初めて測定されたのは1909年(明治42年)、湖沼学者の田中阿歌麿が麻縄に重りをつけ沈めて、397mを記録した時だった。翌年、秋田県水産試験場が同様に413m、1926年(大正15年)には田中舘愛橘がワイヤーロープで425mを記録した。1937年(昭和12年)から3年間行われた吉村信吉の調査では大まかな地形が明らかになった。湖底には2つの小火山丘があり、湖底平坦部の北西寄りに位置する直径約1kmのものを振興堆、南岸近くの直径約300mのものを辰子堆と命名した。また大沢地区の近くに傾斜50°・深さ300mの断崖があることも発見した。
● 水質
かつては火山性・ミネラル分の高い水質と流入河川の少なさのため、1931年(昭和6年)の調査では摩周湖に迫る31mの透明度があり、水産生物も豊富であった。しかし、発電所の建設と農業振興(玉川河水統制計画)のために1940年(昭和15年)1月20日から導入した玉川の水は、源流のひとつである玉川温泉が源泉時点でpH1.1、流入時点で pH3.3〜3.5程度)、導入から約7年後の田沢湖は pH 5.0~5.5、約8年後には pH 4.3~5.3 へと酸性化が進行した。
酸性水を導入した結果、水力発電所施設の劣化も促進されたほか、農業用水も酸性化し稲作に適さなくなったため、農業用水(田沢疎水)の取水位置の変更や取水用水の中性化も行われた。
1972年(昭和47年)から石灰石を使った本格的な中和処理が始まり、1991年(平成3年)には抜本的な解決を目指して玉川酸性水中和処理施設が本運転を開始。湖水表層部は徐々に中性に近づいてきているが、2000年(平成12年)の調査では深度200メートルでpH5.14 - 5.58、400メートルでpH4.91と、湖全体の水質回復には至っていない。
2015年(平成27年)10月6日から8日にかけて、海上技術安全研究所の水中カメラ付きロボットにより、田沢湖の3か所(湖底最深部の湖心付近、「振興堆」、「辰子堆」)で湖底調査が行われた。その結果、水深70メートルまで日光が入り込むほど透明度が高いこと、湖底が白い沈殿物で覆われていること(現時点では成分は不明)、湖底の生物、人工物、温泉などは確認できなかったことなどが明らかにされた。
◎ 生物相の変化
1940年以前に生息していたとされる主な魚類は、クニマス、ヒメマス(十和田湖より移入)、ウグイ、アメマス、ギギ、イワナ、コイ、ナマズ、ウナギ。
1940年の玉川悪水導入は魚類だけでなく、動物性プランクトンの分布相にも変化を与えているやコイは確認されなくなった。一方、残存したウグイは優占種となったことで大型化した。
1948年の調査では、ウグイ、アメマス、ギギの生息が報告されている。生息が確認できなくなった魚類(サケ科魚類、コイ、ウナギ)の中には田沢湖の固有種であったクニマスも含まれており、開発によって絶滅したと長年にわたって扱われてきた。1995年から1998年にかけて、当時の田沢湖町の観光協会が「深湖魚国鱒を探しています」というキャンペーンを多額の懸賞金を懸けて実施したが、クニマスは発見されなかった。しかし2010年(平成22年)になって、山梨県の西湖で過去に試験的に卵が放流されており現在も生存していることが確認され、「クニマス再発見」の一大ニュースとなった。クニマスの里帰りも計画されているが、前述の水質悪化が改善されておらず実現していない。
2017年7月1日、西湖を所管する山梨県から借り受けたクニマスやヒメマスを展示する「田沢湖クニマス未来館」が湖畔に開館した。
中和対策実施後の生息魚類は、ウグイ、コイ、ギンブナ。
● 伝承
◎ 名称
田沢湖という名称は、明治時代に入ってから定着したと考えられている。それまでの資料では、田沢の潟、辰子潟などと記録されていた。それぞれの古名の由来は「田沢村の潟」という意味、アイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味するタㇷ゚コㇷ゚が変化した説などが考えられている。
いわゆる「辰子姫」(「辰子伝説」の節を参照)も以前は「鶴子」などとされており名称には変遷があったと考えられている。それらの変遷や由来は明らかではないが、「鶴子」は熊野神社信仰との関係性、今日広く知られている「辰子」は、田沢湖の古名である辰子潟から転じたとする説がある。
◎ 辰子伝説
田沢湖周辺には、(イワナを食い。
田沢湖のほとり神成村に辰子(タッ子、または金鶴(カナヅ)子ともいわれる。ヒートアイランドの影響も少なく、熱帯夜もほとんど発生しないなど日本有数の避暑地の一つとされているが、全国的に記録的な暑さが続いた2023年(令和5年)8月のように数日に渡り熱帯夜が続いた例もある。一方、1月の平均気温は概ねマイナス3℃前後、最低気温は概ねマイナス6℃前後と限りなく極寒に近い寒冷地でもある。
● 観光
湖畔には民間伝承に基づき舟越保武作のたつこ像が建てられ、辰子が竜になるきっかけとなった水を飲んだ場所と言われる湖の北岸には御座石神社が建てられている。湖畔を周回する秋田県道が3路線(秋田県道38号田沢湖西木線・秋田県道60号田沢湖畔線・秋田県道247号相内潟潟野線)整備され、周辺にはみやげ店、温泉旅館、ホテルなどが数多く営業している。
羽後交通の関連会社である羽後交通興業が4月から11月まで遊覧船を運航しており、レストハウスの営業を行っている。足こぎボートなどの貸出も行われているほか、湖畔の一部箇所では湖水浴場として認められており、海水浴場と同様な利用が可能となっている。
● 姉妹湖
・ 澄清湖
「田沢湖」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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