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伊根の舟屋


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伊根の舟屋(いねのふなや)は、京都府与謝郡伊根町の伊根湾(伊根浦)沿いの海面すれすれに立ち並ぶ船倉兼民家で、1階に船の収納庫、上階に住居を備えた、この地区独特の伝統的建造物である。この景観に人口2千人ほどの町に年間30万人超の観光客が訪れている。 伊根の舟屋が建つ地区は、重要伝統的建造物群保存地区として選定されているため、伊根町伊根浦伝統的建造物群保存地区についても詳述する。

● 伊根の地理・歴史
伊根は伊根町字亀島、字平田、字日出からなり、古くは伊禰の浦、現在では伊根浦ともよばれている。伊根浦は、東、西、北側の三方を丹後半島の山々に囲まれているため、日本海側からの季節風がさえぎられる地形である。また伊根湾は日本海側からの荒波が入りにくい南向きに開口し、また湾口の真中には、大小二つの島からなる面積計約5 haの青島があり、湾の入り口を二分し伊根湾にとって防波堤の役割となっている。そのため伊根湾内の波は穏やかである。また三方を囲んでいる山は硬い岩山で傾斜が急なまま海低にまで続き、水深が急激に深くなり、波を起こしにくい地形を形成している。捕鯨は天文年間の頃から始められたとされ、当初は、亀島村、平田村に捕鯨権があったが、明暦2年(1656年)以降は亀島村が権利を独占することになった。『捕永代帳』に、明暦2年(1656年)から1913年(大正2年)までの258年分に及ぶ捕鯨記録が残るやカンコとよばれる小型漁船が使われていた。 1901年(明治34年)に旧・漁業法が公布されると漁業組合を結成し鰤大敷網を共同購入したことで、1905年(明治38年)以降に莫大な利益が出始めた。このことで寛文から連綿と続いてきた「海山田地共」(百姓株)の株保有者が大いに潤うこととなった。しかし、この頃には無株者の数が増えていたこともあり有株者に平等性を訴え、かつての124株から138株に増やされたが、対立は続き1926年(大正15年)に漁業組合が、有株者の権利を買収することで不平等を解消し、共同の漁場での共同漁撈、利益の共同分配をする大改革が行われている。 明治、大正、昭和において、伊根浦の漁獲高は京都府沿岸における水揚げ高の三分の一を占め、京都でも有数の漁村であった。1909年(明治42年)の『京都府漁連誌』に、亀山、日出、平田の総戸数は330戸で、人口が2016人で、その内で漁業従業者数は615人、漁船数は552隻と記録されている。

● 舟屋
舟屋は、捕鯨、鰤漁などに使用した小型漁船のトモブト(艫太)やカンコを収納するための船倉として建てられているが、舟屋がいつごろ、どのように出現したかなどの歴史的背景は不明であるが、当初は草葺の平屋で、江戸時代後期に半2階になり、1893年(明治26年)、1894年(明治27年)の台風の被害があって以後に瓦葺き屋根が出現し、大正期、昭和初期の大火や、1931年(昭和6年)からの村内を通る道路拡幅工事により、多くの舟屋が建て替えられてきた。 本来の舟屋は、漁船、漁具を収納するための船倉であって、人が住める構造ではなかった。元の舟屋は、藁葺、茅葺などの草葺の平屋で、建築材は背後の山でとれる材料が使われ、梁には松の原木、栗を使用し、土台や柱は海水に強い椎が用いられ、周囲には古い船板を張ったり、縄むしろを吊り下げた粗末な囲いであった。その中には、小型漁船のトモブト(艫太)やカンコを収納し、その大きさは、間口の広さによって二艘引き、三艘引きの舟屋とよばれていた。 現在の舟屋は、瓦葺きで切妻造である。舟屋の多くは、間口4 m、奥行き10 m程度の2階建てで、湾に接した妻側の1階の間口全体に間口が開放され、船を引き上げるために内部の床面が石敷で海に向かって傾斜しており、満潮時に水面が1階床面の半分程度にまで上がってくるため、舟屋が海に浮いたような光景となる。また風通しのため壁のない舟屋も多かったが、時代の流れとともに、漁具、漁法や生活様式も変化し、舟屋の使用法も変化する。例えば、魚網が麻網から化繊網に変わったことで、化繊網は麻網のように干さなくて良いため、網を干すための部屋が不要となった。このようなことから、次第に2階部分の倉庫としての役割が減り、改築が進み人が住むようになる。古い舟屋は基礎が御影石の二段積や3段積であったが、現在は基礎がコンクリート造りとなり、また海側の開口部に石垣を造り海水が侵入するのを防ぐなどの改造をしている建物もある。舟屋の2階が住居として利用されるようになったことで増えてきたのが、窓などの開口部の増設である。またベランダが設けられている舟屋も増加している。また、外観は舟屋だが、民宿など他の用途に改造されている舟屋も増加している。

● 保存地区の町並
保存地区は、南北に約1700 m、東西に約2650 m、面積は約310.2 haの範囲で。現在の集落を通る道路は府道伊根港線であるが、これは、1931年(昭和6年)から1940年(昭和15年)までの約10年の歳月を費やし拡張工事を行ったものである。総延長約5 kmにわたり幅員約4 mの道路を通しているが、主屋と舟屋との間の路地を拡幅したため、海を埋め立て主屋と近接して建っていた舟屋や土蔵が海側へと移設し、そのさいに多くの舟屋が二階建に変わっていった。また1880年(明治13年)より1950年(昭和25年)まで続くブリによる好景気によっても、草葺から瓦葺への改築、また2階建てへの建て替えが進んだ一因とされる。
・ 伊根浦の交通 :: 先述したように道路は昭和に拡幅が行われているが、一部の狭い部分においては車のすれ違いが難しく、特に路上駐車があった場合、緊急車両の通行に支障を来すことも考えられる。そのため当地区に居住する各世帯の車両駐車場所についての配慮が必要である。また、観光客の車両についての対策も必要であるや床板を剛にするなどの耐震補強の必要がある。
・ 空き家 :: 後継者のいない世帯が多くなっており、すでに空き家の場合もある。また高齢世帯では建造物の管理ができない状況もあり、日常的な管理が行われない場合、建造物の傷みが早くなり、より重度の傷みが生じる。そのため空き家や建造物の管理ができない場合の対策を講ずる必要がある。

● その他

・ 日本の森・滝・渚全国協議会による日本の渚100選に伊根湾舟屋群として選出されている。
・ 伊根の舟屋の景観は、映画やドラマのロケ地としても使われ『男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋』、『釣りバカ日誌5』、『連続テレビ小説 ええにょぼ』などの撮影が行われている。また、家屋の構造が2017年アヌシー国際アニメーション映画祭グランプリを受賞したアニメ映画『夜明け告げるルーのうた』で主人公が住む家のモデルになっている。
・ 舟屋を時間貸しで貸し出したり、そこからの漁業が見学・体験ができるツアー、舟屋の内部見学や歴史解説などを含んだサイクリングツアーなども行われている。
・ 1971年(昭和46年)に京都府が企画し、京都在住の日本画家12名に府内の名勝を描かせた「京の百景」にも選出され、橋田二朗によって描かれ1973年(昭和48年)京都市内で開催された展覧会に出品された。

「伊根の舟屋」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月20日13時(日本時間)現在での最新版を取得

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