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鳥海山


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鳥海山(ちょうかいさん、ちょうかいざん・日本百景の一つ。2007年(平成19年)に日本の地質百選に選定された。2009年(平成21年)に国史跡「鳥海山」として指定された。読みは、秋田県側で「ちょうかいさん」、山形県側で「ちょうかいざん」となっている。またかつて秋田県ではちょうげと称されていた。

● 概要
山体は山形県の飽海郡遊佐町・酒田市と秋田県の由利本荘市・にかほ市の4市町に跨がるが、山頂は飽海郡遊佐町に位置し、山形県の最高峰である。(山頂が飽海郡となった理由は 人間史 を参照のこと) 東北地方では燧ヶ岳(標高: 2,356 m)に次いで2番目に標高が高く、中腹には秋田県の最高地点(標高: 1,775 m)がある。山頂からは、北方に白神山地や岩手山、南方に佐渡島、東方に太平洋を臨むことができる。空気が澄み切れば約300km先の北アルプスの後立山連峰も見る事が出来る。 鳥海山の残雪の雪形は自然暦として用いられてきた(酒田市側から春先に見える「種まきじいさん」など)。山の南側には夏、「心」の字の形に雪が残る「心字雪渓」がある。山頂付近には夏場も融けない万年雪(小氷河と表現されることがある)が存在することや、氷河の痕跡として特徴的なカール地形が存在することから、かつて氷河が形成されていたという説がある。このため、山麓の市町村では「氷河」を冠した特産品が見受けられる。 鳥海山の固有種としてはチョウカイアザミやチョウカイフスマがある。 鳥海山は日本海に裾野を浸した秀麗な山容を持ち、多くの噴火によって畏れられ古くから山岳信仰の対象となった。豊富な湧水は山麓に農耕の恵みをもたらした。中世後期以来、徐々に修験道の修行場となり、鳥海山大権現、本地は薬師如来として崇拝された。南面からは蕨岡より登拝道をたどって山頂を目指した。江戸時代中期には登拝講が山麓に成立し、夏には多くの道者が登拝した。根拠地であった蕨岡は三十三坊を擁し龍頭寺を学頭とした。鳥海修験の山岳信仰の根底には、山を水分(みくまり)とする水への信仰があり、流れ出す川は月光川と日向川と名付けられて神聖視された。鳥海山へは、南は蕨岡と吹浦、北は矢島、滝澤、小瀧、院内などから登拝道が開けていた。江戸時代以降、蕨岡と矢島は当山派の醍醐三宝院末に帰入し、真言系の修験となった。山形県側は、明治以後、修験道の廃止に伴い、神仏分離の激動を経て、大物忌神社は、山麓に二つの口の宮、吹浦(山形県遊佐町)、蕨岡(山形県遊佐町)、山頂に本社を祀る形式をとることになった。大物忌神社は、出羽国一宮として崇められてきた。日本海に浮かぶ酒田市の飛島には、鳥海山の山頂部が吹き飛んできて出来た、あるいは鳥海に住む鬼が神罰を受けた際に飛んだ首によって出来たという伝承があり、それが島の名前の由来になっているという考え方もある。また、飛島に祀られた小物忌神社は鳥海山の大物忌神社と対をなしているという説もある。

● 鳥海山の峰々
東鳥海
・ 中央火口丘
 ・ 新山(しんざん) 2,236 m - 最高峰、別名:享和岳、溶岩ドーム
 ・ 荒神ヶ岳(こうじんがたけ) 2,170 m
・ 外輪山
 ・ 七高山(しちこうさん) 2,229 m
 ・ 行者岳(ぎょうじゃだけ) 2,159 m
 ・ 伏拝岳(ふしおがみだけ) 2,130 m
 ・ 文珠岳(もんじゅだけ) 2,005 m 西鳥海
・ 中央火口丘
 ・ 扇子森(せんすもり) 1,759 m
 ・ 鍋森(なべもり) 1,652 m
・ 外輪山
 ・ 月山森(がっさんもり) 1,650 m
 ・ 笙ガ岳(しょうがだけ) 1,635 m

● 火山として
鳥海火山の全体としては玄武岩ないし安山岩(SiO2 51 - 62%)の溶岩からなる富士山型の成層火山であるが、火砕流・降下軽石・火山灰などの噴出は少なく、主に溶岩流により形成された山である。北側から西側にかけては側火山や火口、さらには河川による侵食で、複雑な山容を示している。新旧2つの二重式火山が複合したもので、侵食の進んだ「西鳥海」と新しい溶岩地形をもつ「東鳥海」とからなり、それぞれに中央火口丘と外輪山がある。 鳥海山は約60万年前の火山活動により形成された。なお、酒田市沖の飛島は鳥海山の山頂部が噴火で吹き飛んで島になったという伝説があるが、飛島が形成されたのは1000万年以上前の海底噴火によってであり科学的根拠に基づくものではないには大規模な山体崩壊を起こし、岩石や土砂が現在のにかほ市に堆積して象潟の原型を形成している。象潟付近の九十九島は紀元前466年の噴火で形成された流れ山で、形成当時は海中の小島であったが 1804年象潟地震により隆起し特徴的な地形となった。1801年の噴火では死者8名の記録があり、生じた溶岩ドームは東鳥海山の新山として現在も残っている。1974年3月から5月にかけては水蒸気噴火し、新山の東側火口および荒神ヶ岳の割れ目から噴煙を噴出した。

◎ 有史以降の主な火山活動

・ 紀元前466年 大規模な山体崩壊を起こす(この山体崩壊によって埋没した樹木の年輪測定から、山体崩壊の発生した年代が判明した)。
・ 810年 - 824年に噴火の記録あり。
・ 840年 噴火の記録あり。
・ 871年 噴火および溶岩流?、火山爆発指数:VEI2
・ 939年 噴火の記録あり。
・ 1560年 噴火の記録あり。
・ 1659年 - 1663年 噴火の記録あり。
・ 1740年 - 1741年 噴火の記録あり。
・ 1800年 - 1801年 マグマ水蒸気爆発、溶岩流出、新山(溶岩ドーム)形成。8名死亡。
・ 1821年 噴火の記録あり。
・ 1834年 噴火の記録あり。
・ 1971年 噴火の記録あり。
・ 1974年 水蒸気噴火、小規模な泥流は少なくとも6回。3月1日に羽田発秋田行きの全日空機上から噴煙が発見され、断続的に5月頭まで活動が続いた。火山爆発指数:VEI1

◎ 山体崩壊
山体には数多くの崩壊痕跡が残る。その中でも紀元前466年に北麓で生じた崩壊は、26億立方メートルから27億立方メートル程度と推定される崩壊を生じ、痕跡地形は東鳥海馬蹄形カルデラと呼ばれる。

● 人間史
『鳥海山史』によれば、由利郡小瀧(鳥海山修験の拠点の一つ)の旧記に敏達天皇7年(578年)1月16日噴火したことが、由利郡直根村旧記に推古天皇御代の噴火と元明天皇の和銅年間(708年 - 715年)に噴火したことが、由利郡矢島(鳥海山修験の拠点の一つ)においては元正天皇の養老元年(717年)6月8日噴火したことが伝えられている。同書では、いずれも正史の記事ではないので安易に信ずることはできないが、真実であれば鳥海山は578年から717年の約140年間ほど活動期だったのではないかと考察している。 この山は正史へ大物忌神の名で登場し、度々神階の陞叙を受けているが、正史に現れた最初の授位の記事は『続日本後紀』承和5年(838年)5月11日の条における記述である。(神階陞叙の詳細については 鳥海山大物忌神社 を参照のこと。) 大物忌神という神について『山形郷土研究叢書第7巻 名勝鳥海山』では、物忌とは斎戒にして不吉不浄を忌むということであり、夷乱凶変を忌み嫌って予め山の爆発を発生させる神であると大和朝廷は考えたのではないか、と考察している。『日本の神々 -神社と聖地- 12 東北・北海道』においても国事兵乱との関係で畏敬尊崇の対象となっていたと述べ、も同様の考察をしている。しかし、秋田県の郷土史家田牧久穂は、大物忌神は大和朝廷による蝦夷征服の歴史を反映し、蝦夷の怨霊を鎮める意味の神名だと述べている。 『続日本後紀』承和7年(840年)7月26日の条では大物忌神を従四位下勳五等へ陞叙しているが、同記事では陞叙の理由を、大物忌神が雲の上にて十日間に渡り鬨の声をあげた後、石の兵器を降らし、遠く南海で海賊に襲われていた遣唐使船に加護を与えて敵の撃退に神威を表したからだとしている。この記事により、大物忌神が出羽国の火山らしいことが初めてわかるが、山の姿をより詳細に記述し、大物忌神が現在の鳥海山であると推定できるのは、『日本三代実録』貞観13年(871年)5月16日の条にある、下記の出羽国司の報告である。 《出羽国司の報告。従三位勳五等の大物忌神社は飽海郡の山上にある。巖石が壁立し、人が到ることは稀である。夏も冬も雪を戴き、草木は禿て無い。去る4月8日に噴火があり、土石を焼き、雷鳴のような声を上げた。山中より流れ出る河は青黒く色付いて泥水が溢れ、耐え難いほどの臭気が充満している。死んだ魚で河は塞がり、長さ10丈(約30 m)の大蛇2匹が相連なって海へ流れていった。それに伴う小蛇は数知れずである。河の緑の苗は流れ損ずるものが多く、中には濁った水に浮いているものもある。古老に尋ねたところ、未曾有の異変であるが、弘仁年間(810年 - 824年)に噴火した際は幾ばくもせず戦乱があった、とのことであった。そこで報告を受けた朝廷が陰陽寮にて占いを行ったところ、結果は全て、出羽の名神に祈祷したが後の報祭を怠り、また冢墓の骸骨が山水を汚しているため怒りを発して山が焼け、この様な災異が起こったのだ。もし鎮謝報祭を行わなければ戦乱が起こる、と言うものであった。そこで奉賽を行うと共に神田を汚している冢墓骸骨を除去せよと国守に命じた。》 以上の記事から『山形県史 通史編第1巻 原始・古代・中世編』では、四時雪を戴いて草木も生えず、登山困難な高山で、しかも4月8日に噴火したとあり、出羽国飽海郡にそのような山は一つしかないので鳥海山と推定される、と述べている。また、『日本の神々 -神社と聖地- 12 東北・北海道』によれば山頂の大物忌神社が中腹に造営した「中の宮」へ遷座している。 1934年(昭和9年)から日本石油が鳥海山麓の湯の台一帯で油田探査を実施。17本におよぶ試掘が行われた。1941年(昭和16年)5月3日、標高500m付近で試掘した1本が自噴する油層に届いた記録が残る。

● 採石問題
1980年代後半から、鳥海山の南麓にある吉出山で業者による採石が始まっていたが、近年、大規模な掘削が行われるようになり、山の景観が大きく損なわれ、水資源の汚染も懸念されたため、遊佐町の町民等が事業の中止を求める事態となった。 現在、採石を行っているのは川越工業(秋田県にかほ市)一社のみであり、同社が所有する臂曲(ひじまがり)地区で行われている採石が問題視されている。同社は臂曲地区の約9 haの土地で採石を続ける意向を示し、標高320 m以上で安山岩約33万トンを採石したいとした。 2013年12月3日、山形県は、川越工業の採石事業について、計画どおり、2016年12月2日までの継続を認可した9月7日、山形県は、山形地裁判決について、控訴を断念した。

● 登山


◎ 登山口までのアクセス

○ 公共交通機関

・ JR東日本・羽越本線「象潟駅」下車。象潟合同タクシーバス「鳥海ブルーライナー」で終点鉾立下車(運行日注意)。
・ JR東日本・羽越本線「酒田駅」か「吹浦駅」下車。庄内交通バス「快速 鉾立行き」で終点下車。(2014 (平成26)年より廃止)
○ 道路

・ 秋田県側から:国道7号、秋田県道58号象潟矢島線、秋田県道131号鳥海公園小滝線(鳥海ブルーライン)経由。
・ 山形県側から:国道7号(鳥海ブルーライン入口交差点)もしくは国道345号(十六羅漢交差点)、山形県道210号鳥海公園吹浦線(鳥海ブルーライン)経由。

◎ モデルコース

・ 鉾立バス停→賽の河原→御浜小屋→頂上御室(大物忌神社・泊)→鳥海山(新山)→河原宿小屋→八丁坂→滝の小屋車道終点 他に矢島口・吹浦口・百宅口コース等多数。 ※現在百宅口へ山形県側からアクセスすることは不可能。(女郎沢川にかかる橋が崩落しているため。管理者からその旨の通知は無い)

● 鳥海山にちなんだ名称
この山から名前をとった艦船に、大日本帝国海軍の砲艦「鳥海」、重巡洋艦「鳥海」及び海上自衛隊の護衛艦「ちょうかい」がある。 列車の愛称名としても歴史は古く、最初は上野発東北本線・奥羽本線経由で秋田行きの急行の愛称として登場し(この列車が後の「津軽」)、その後は上野発上越線・羽越本線経由で秋田行きの急行の愛称として長く親しまれた(臨時列車には酒田発着もあった)。東北・上越新幹線開業後は上野発上越線・羽越本線・奥羽本線経由で青森行きの特急の愛称(昼行の時と夜行の時があった。夜行は現在の「あけぼの」)となったが、この特急時代の「鳥海」は地味かつ不遇であった。

● 参考画像

「鳥海山」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月17日1時(日本時間)現在での最新版を取得

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