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将棋(しょうぎ)は、二人で行うボードゲーム(盤上遊戯)の一種である。一般的に「将棋」という場合には、本項で述べるを指す。
チェスなどと同じく、古代インドのチャトランガが起源であると考えられている。本項では、主に本将棋について解説する(古将棋および将棋に関連する遊戯については、将棋類の一覧を参照)。
● 総説
チェスやシャンチーなどと区別するためともいい、特に日本の「本将棋」には「持ち駒」の観念が古くからあることが特徴とされている。これは、諸外国のチェス類似の伝統的ゲームに例のない独特のルールである。持ち駒を利用したチェス派生のゲームが考案されたのは後年のことである。
ゲーム理論の分類では、一般的には二人零和有限確定完全情報ゲームであるとされる。ただしステイルメイトや後述する千日手に関してルールの不備や曖昧さがあり、厳密には二人零和有限確定完全情報ゲームとは言えない。
現代の日本では特に本項で述べるいわゆる本将棋(81マスの将棋盤と40枚の将棋駒を使用)が普及している。また、はさみ将棋やまわり将棋など、本将棋のほかにも将棋の盤と駒を利用して別のルールで遊んだりする遊戯があり、変則将棋と総称される。
歴史的には「大将棋」(225マスの将棋盤と130枚の将棋駒を使用)、「中将棋」(144マスの将棋盤と92枚の将棋駒を使用)、「小将棋」(81マスの将棋盤と42枚の将棋駒を使用)などが指されていたこともあり、これらの将棋は現代の将棋に対比して「古将棋」と総称される。また、現代でも中将棋などにはわずかではあるが愛好家が存在する。ほかに小将棋から派生したと推定される朝倉将棋が福井県を中心として残されており、おもに福井県内のイベントなどで朝倉将棋の大会が開かれている。
● ルール
将棋は2人の競技者(対局者)によって行われる。ここでは便宜的に自分と相手と呼ぶことにする。
◎ 将棋盤と駒
玉将(ぎょくしょう)
- 玉(ぎょく)
王将(おうしょう)
- 王(おう)
【英語圏表記: K(King)】
○ ○ ○
○ 玉 ○
○ ○ ○
全方向に1マス動ける。 なし
飛車(ひしゃ)
飛(ひ)
《車(しゃ)》
【英語圏表記:R(Rook)】
|
― 飛 ―
|
縦横に何マスでも動ける。
駒を飛び越えてはいけない。
龍王・竜王(りゅうおう)
龍・竜(りゅう)
《王(おう)》
【 +R(Promoted Rook)/ D(Dragon)】
○ | ○
― 龍 ―
○ | ○
飛車と同じ動きに加えて斜めにも1マスだけ動ける。
角行(かくぎょう)
角(かく)
【英語圏表記: B(Bishop)】
\ /
角
/ \
斜めに何マスでも動ける。
駒を飛び越えてはいけない。
龍馬・竜馬(りゅうめ、りゅうま)
馬(うま)
【 +B(Promoted Bishop)/ H(Horse)】
\ ○ /
○ 馬 ○
/ ○ \
角行と同じ動きに加えて縦横にも1マスだけ動ける。
金将(きんしょう)
金(きん)
【英語圏表記:G(Gold)】
○ ○ ○
○ 金 ○
○
斜め後ろ以外に1マス動ける。 なし
銀将(ぎんしょう)
銀(ぎん)
【英語圏表記:S(Silver)】
○ ○ ○
銀
○ ○
前と斜めに1マス動ける。 成銀(なりぎん)
(代替表記の例:全)
【 +S(Promoted Silver)】
○ ○ ○
○ 全 ○
○
金将と同じ。
桂馬(けいま)
桂(けい)
【英語圏表記: N(Knight)】
☆ ☆
桂
前へ2、横へ1の位置に移動できる。別の駒が隣接している場合でも、飛び越えて移動できる。
※敵陣1-2段目への打ち桂は不可。
成桂(なりけい)
(代替表記の例:圭、今)
【 +N(Promoted Knight)】
○ ○ ○
○ 圭 ○
○
金将と同じ。
香車(きょうしゃ、きょうす)
香(きょう)
【英語圏表記:L(Lance)】
|
香
前に何マスでも動ける。
駒を飛び越えてはいけない。
※敵陣1段目への打ち香は不可。
成香(なりきょう)
(代替表記の例:杏、仝)
【 +L(Promoted Lance)】
○ ○ ○
○ 杏 ○
○
金将と同じ。
歩兵(ふひょう)
歩(ふ)
《兵(ひょう)》
【英語圏表記: P(Pawn)】
○
歩
前に1マス動ける。
※敵陣1段目への打ち歩は不可。
※二歩・打ち歩詰めの反則あり。
と金(ときん)
と(と)
(代替表記の例:个)
【 +P(Promoted Pawn)/ T(Tokin)】
○ ○ ○
○ と ○
○
金将と同じ。
表中の駒の一文字による略称については、《》はかつて用いられたが、現在ではほとんど用いられない呼び方である。
上の表では便宜的に成銀を「全」、成桂を「圭」、成香を「杏」と表示している。この表記は、将棋駒の活字がない環境で(特に詰将棋で)しばしば用いられる。成銀を「全」、成桂を「今」、成香を「仝」、と金を「个」で表す流儀もある。実際の駒では成銀、成桂、成香、と金はすべて「金」と表記されているのが実際で、くずし方を変えることで成る前の駒がわかるようにしている。王将と玉将では役割が同一であっても、先手が玉将を持つことで後手と区別している働きが存在する。
◎ 対局の進行
将棋は対局者が相互に自らの駒を動かすことによってゲームが進められる。
・ 対局において先に駒を動かし始める側の対局者を先手、そうでない側の対局者を後手という。
・将棋では一局を通じて先手と後手が交互に手番が巡り、自分の手番においては、盤上にある自分の駒のいずれか1つを一度動かす、あるいは、持ち駒(相手から取って自分の駒となった駒。後述)を1つ盤上に置く。自分の手番が終わると相手の手番となり、これを終局まで繰り返す。
・この手順における一回の動作(盤上の駒を動かす、または持ち駒を盤上に置く)を「一手」と呼び、動詞としては盤上の駒を動かす場合には「指す」、持ち駒を盤上に置く場合には「打つ」という。一局を通して「指す」「打つ」といった対局者の駒の動き全般を「指し手」と呼ぶ。
・囲碁との混用で「将棋を打つ」という表現が使われることがある。チェスなどの将棋類も日本語では「指す」と表現する。また、先手は(Unicode文字参照U+2617)、後手は(U+2616)で示すのが一般的だが、コンピューターではJIS2004やUnicode登場前からの伝統的手法として先手は▲・後手は△で示すことも多い。
先手・後手は振り駒により決定する(プロのリーグ戦など事前に先手・後手が決定している場合もある)。
配置の順番は以下のように行われる。
上座に座る人が駒箱または駒袋から駒を盤上に出す(このときは、一つ一つ取るのではなく逆さにして出すが、あまり散らばらないようにする)。
上座の人が王将を所定の位置に置く。下座の人がこれに対して玉将を置く。たまに、双玉(どちらも玉将のこと)の駒も存在する。このときは上位者が書体が入った方をもち、下位者が作者の銘が入ったほうを持つ。伊藤流を採用している棋士は、鈴木大介、窪田義行など。また独自の並べ方を採用する棋士としては熊坂学などが挙げられる。
○ 手番における動作
自分の番(手番)が来たら、必ず盤上の自分の駒のいずれか1つを1回動かすか、持ち駒を1つだけ盤上に打たなければならない。二手続けて指したり(二手指し)、パスしたりすること(自分の駒をまったく移動せず、持ち駒も打たないこと)はできない。
※ 盤上の駒の移動
盤上にある自分の駒は、その駒の種類に応じて駒の動きに書かれている範囲内に存在するマスであれば、どこにでも移動させることができる。ただし、以下のような制限がある。
・ 盤上に存在しないマスには移動できない。それぞれの駒の利きも盤上にあるマスの範囲に限られる。
・ すでに自分の他のコマが存在するマスには移動できない。相手のコマが存在するマスに移動する場合、相手のコマは必ず自分の「持ち駒」として捕獲することになる。
・ 桂馬以外の駒は、自分と相手どちらの他の駒も飛び越して移動することができない。
・飛、角、香などの走り駒は、他のコマの奥にあるマスに移動することもできない。すなわち走り駒の移動範囲と駒の利きは、盤の端のマス・相手の駒があるマス・自分のほかの駒から一つ手前…の中で最も近いマスが限界となる。
・ 桂馬は周囲マスの駒に関わらず、あくまで移動先となるマス(先述の駒の動きを参照)に、自分の他のコマが存在していない状態であれば移動できる。
・玉将と相手の走り駒などとの位置関係により、自分の駒を移動させることによって自玉を相手駒の利きにさらすことになる場合には、後述する禁じ手に該当することとなり移動できない。
※ 駒の成・不成の選択
前述のように盤上の相手側3段を敵陣と呼ぶが、玉(王)と金以外の駒(飛、角、銀、桂、香、歩)は移動前後のマスが敵陣内だった場合、「成る」か否かの選択によって成駒へと変化することができる。
・成駒は元の駒を裏返して配置することで表示される。
・銀、桂、香の駒の裏面には「金」の字が崩して書いてある(歩の裏面の「と」も、本来は「金」あるいは同音の「今」の字を崩したもの)が、もともとの駒の種類が分からなくならないように各駒の種類に応じて裏面の「金」の字体は異なる。
・成駒は移動可能な範囲が異なる。
・飛は竜王(竜)、角は竜馬(馬)となり、それぞれ飛・角のもともとの駒の動きに加えて、全方向1マスの範囲にも動けるようになる。
・銀は成銀、桂は成桂、香は成香、歩はと金となり、それらはすべて金と同様に扱われる。
・と金と歩は区別される。すなわち、同じ縦の列に歩と成った歩(と金)が並んでも二歩(後述)にはならない。
・成りは強制ではなく、成らないこと(「不成(ならず・ふなり)」と称する)を選択することもできる。
・不成を選択した場合、それ以後は、敵陣に入るときだけでなく、敵陣の中で動くとき、敵陣から出るときそれぞれで、その都度、成るか成らないかを選択することができる。
・ただし、不成では駒がそれ以上動けなくなってしまう場合(歩兵や香車を敵陣の一番奥の段に移動させる場合、桂馬を相手側2段目以内に動かす場合)は、成りが強制される。
・成駒は相手に取られて相手の持ち駒となった時点で、成る前の状態に戻る。
・持ち駒を成った状態で打つこと(持ち駒を打つと同時に成ること)はできない。
・一度成駒にした駒は、盤上にある限り自分で元に戻すことはできない。
上述のように、成りは強制ではなく、成るか成らないかを選択することができる。特に銀、桂、香は、成ることによって移動できなくなるマスがあるため、不都合を生じることがある(例えば、銀が成ると斜め後ろに動かせなくなる)。そのため、これらの駒で成るか成らないかについて慎重な検討を要することもある。これに対して飛、角、歩は、成ると移動できるマスが単純に増加するのみの(駒の性能が上がる)ため、成りが選択されることがほとんどである。
ただし、ごくまれに、反則である打ち歩詰め(後述)になる局面を回避する、または逆に成ることによって自玉に詰みが生じる局面(大抵は、成ってしまうと自玉の打ち歩詰めが解消されてしまう局面)を回避するなどの理由で、あえて駒を成らない場合もある。
※ 持ち駒の使用
持ち駒(自分の駒が移動した際に捕獲して得た駒)は一般的に盤の脇の駒台に置かれる。
持ち駒は自分の手番において盤上の駒を指す代わりに、合法手である(何らかの禁じ手や反則行為に該当しない)限りで任意の空きマスに打つことができる。
ただし、敵陣に持ち駒を打つ場合、成る前(将棋駒の表側)の状態で打たなければならない(持ち駒を打った手番のまま成ることはできない)。
○ 持ち時間
プロの公式戦では持ち時間を定め、ストップウオッチまたは対局時計(チェスクロック)を用い、時間切れによる勝敗を厳正に定める。
公式戦では、名人戦では9時間、NHK杯では10分というように棋戦ごとに対局者それぞれの累計時間が決められており、その分を使い果たして以降は1手当たりの制限時間(30秒から1分)が課される「秒読み」が主である。プロの公式戦以外では持ち時間なしで最初から1手当たり○秒以内で指す対局も存在する他、一般的な対局では持ち時間がなくなった瞬間に負け(切れ負け)となる「指し切り」も普及している。
○ 手合割
対局者の棋力の差によってはハンデキャップ付きの対局も行われる。棋力の差が非常に大きい場合、上位者が駒の一部を取り除いて(駒落ち)対局する。右図は「二枚落ち」と呼ばれる駒落ちの場合である。
駒落ち戦の場合には「先手」や「後手」ではなく、駒を欠いた上位者を上手(うわて)、そのままにした方を下手(したて)といい、上手を先攻として指し始める。
駒落ちにおいては棋力の差により、1枚ないし2枚の駒を落とすものから、飛車・角行に加え、金将・銀将・桂馬・香車まで落とす十枚落ちまでの手合割がある。特殊・あるいは極端なものとしては、上手が玉将1枚だけになる「裸玉」(19枚落ち)、上手が19枚落ち+持駒に歩3枚を持つだけの「歩三兵」や、金落ち・銀落ちといった特殊な駒落ちが指されることもあるが、あまり一般的ではない。
◎ 勝敗の決め方
原則として互いに自らの駒で相手の玉将(王将)を捕獲することを目指す。しかし将棋は伝統的に「実際に王を取る」ことは忌避されたため、最も遅い場合でも一方の玉将(王将)が相手の駒に捕獲されてしまうことが不可避な状態(詰み)となった時点で勝敗が決まる他、どちらか一方が逆転不可能と判断した時点で投降することにより対局を終了する習慣になっている(投了)。
投了のタイミングは、ルール上は自分の手番であればいつ行ってもよいが、実際に投了する局面としては、自玉が詰まされることが確定的となったとき(自玉が即詰みになることが判明した場合、自玉に必至がかかり敵玉が詰まないとき)がまず挙げられ、相手の攻めを受け切れず、自玉が一手一手の寄り筋となった場合、攻め合いで相手より早く玉を詰ますことができない場合も該当すると考えられる。このほか、自玉に具体的な詰み筋・寄り筋は見えなくても、到底勝ち目がないと判断して戦意喪失した場合、すなわち相手の受けが強くて一連の攻めが続かなくなった場合(指し切り)や、攻防に必要な駒を相手にほとんど取られてしまった場合、一方的に入玉されて敵玉が寄る見込みのない形になってしまったなどの場合に投了することもある。特にプロの公式戦では完全に詰むまで指すことはきわめて稀である。
原則的には詰みまたは投了によって勝敗が確定するが、勝敗の決し方には以下のようなものがある。
・ どちらかの対局者が以下の状態になった場合には、その対局者の負けとなり、もう一方の対局者の勝ちとなる。
・ 詰み(自玉に王手がかかり、かつ王手放置が確定しており合法な指し手が存在しない)
・ 投了(勝利不可能と判断して負けを認めた)
・ 時間切れ(持ち時間中に手を指せなかった)
・ 反則行為(反則を行ったことを指摘された)
・ ルール違反(基本ルールに反する動作を行った)
・ 禁じ手(ルールで禁止された手を指した)
・ 連続王手の千日手(相手玉への王手の連続によって千日手が成立した)
・ 相入玉の点数不足(相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で基準点数に満たない場合。「24点法」の場合は24点未満)
・ 被入玉宣言(条件を満たした状態で対戦相手が入玉を宣言した)
・ 以下の状態になった場合には、引き分けとなる。
・ 連続王手以外の千日手(連続王手以外で同一局面が4回現れた場合)
・ 持将棋(相入玉に対局者同士が合意し、点数計算で両者ともに基準点数を満たす場合。「24点法」の場合は両者ともに24点以上)
○ 千日手
同一局面が4回現れた場合千日手となる。同一局面とは、「盤面・両者の持駒・手番」がすべて同一の場合のことをいう。千日手は原則として無勝負・指し直しだが、一方が王手の連続で千日手となった場合は、王手をかけていた側の負けである。これは、千日手が成立した手番に関係ないため、自身が指した手で千日手が成立して負けが決まることもあれば、相手が指した手で千日手が成立して負けが決まることもある。
通常の禁手のように、自分が指した手で負けが決まるとは限らないため、ルールでは「禁じられた手」ではなく「禁じられた局面」と表記している。連続王手の千日手は通常の禁手とは異なる特殊な規定のため、双方連続王手の千日手や最後の審判(詰将棋作品)といった状況においてルールの不備が指摘されている。
○ 持将棋
先後両者の玉(王)が互いに入玉し、互いの玉を詰ますことが困難になった場合、両者の合意の上で判定により勝敗を決める場合がある。この判定法により引き分けとなる場合を持将棋という。プロの公式戦においては「24点法」が用いられる。この場合、大駒1枚につき5点、小駒1枚につき1点として、互いに24点以上であれば引き分けとなる。アマチュアの大会の場合はそれぞれの規定による。一般に採用されることが多い「27点法」では、「24点法」と同様の点数計算を行ない、点数が多い方が勝ち、同点の場合は後手勝ちとしている。
○ 反則行為
次に挙げる行為は反則と決められており、着手した場合ただちに負けとなる。対局中であれば、反則行為が行われた時点ではそれに気付かずに手が進められても、終局前に反則が指摘された場合、反則した時点に戻して反則した側の負けとなる。対局中の助言は一切禁止されるが、反則行為が行われた場合に限り第三者がそれを指摘してもよい。
終局後に反則が判明した場合も、原則として反則をした側の負けとなる。たとえば、対局者が反則に気づかずに手を進め、反則された側が投了したとしても、反則を行った対局者の負けとして勝負結果が変更されることになる(棋戦の運営による例外の対応もあり。以前は投了優先であったが、2019年6月10日および同年10月1日に将棋連盟対局規定の一部変更が行われている)。
・ ルール違反
・ 以下の例を含む、基本ルールに反する行為。
・ 駒の初期配置を間違えたまま対局開始(角と飛を左右逆配置、駒を裏返したまま成り駒で配置等)
・2手続けて指す(二手指し)、後手が誤って初手を指す
・ルール上移動できない位置に駒を移動する(特に、角(馬)を遠い位置に移動させるときに間違えやすい)
・駒を成れない状況で成ってしまう、玉や金を成ってしまう、成り駒を盤上で裏返し元の駒に戻す、成り駒を打つ(持ち駒を裏返して打つ)
・持ち駒を駒台に乗せず手に隠し持つあるいは将棋盤や駒台の陰に置く(隠し駒)など。
・いったん着手した手を元に戻し、変える行為(待った)も基本的には即負けである。駒から手を離した時点で着手が完了となるため、いったん駒を動かしても手を離さなければ、その時点では元に戻して別の手を指してかまわない。
仲間同士の気楽な対局や駒落ちなど指導を目的とする対局の場合は、例外的に「待った」は許可される場合もあるが、多くの人は「待った」をマナー違反とみなすため、注意が必要である。
・ 禁じ手
・ 基本ルールには反していないが、特別に禁止されている手のこと。
・ 連続王手の千日手
・ 連続王手での千日手は王手している側が指し手を変更しなければならないが、これを行わずに千日手が成立してしまった場合。千日手が成立した時点で反則になるため、対戦相手が指した手によって反則が確定する場合もある。
・ 二歩
・ 成っていない歩兵を2枚以上同じ縦の列に配置することはできない。
・ 行き所のない駒の禁止
・ 盤上の駒を行き先のない(動けない)状態にしてはいけない。味方の駒に進路を塞がれて一時的に動けない場合はこれにあたらない。
・ 打つ場合、不成で進む場合ともに敵陣1、2段目の桂馬、1段目の香車・歩兵は配置してはいけない。したがって盤上の桂馬・香車・歩兵がその場所に進む場合は強制的に成らなければならない。
・ 打ち歩詰め
・ 持ち駒の歩を打つことで、直接、相手の王を詰ませてはいけない。
・ただし、歩による王手が詰め手順の最終手でなければ、歩を打つことによる王手そのものは反則ではない。したがって、歩を打って王手をかけたのちの連続王手で最終的に「詰み」が成立することは問題がない。
・最後に盤上の歩を突いて玉を詰ます突き歩詰めは反則ではない。
・ 自玉を相手駒の利きにさらす手(王手放置)
・ 自らの着手の後、自らの王が王手のかかった状態にあってはいけない。すなわち、
・ 相手に王手された場合は、次の手番で直ちに王手を回避しなければならない。
・ 王を相手の駒の利きに移動してはならない。
・ 王以外の駒を移動させた結果、王が相手の駒(香車、飛車(龍王)、角行(龍馬))の利きにさらされるようにしてはならない。
・(ただし自らの着手が相手の王をとってしまう場合には、それでゲームは終了となるので、盤面で自らの王が王手のかかった状態になっても構わない)
プロの棋戦で発生した反則は、記録に残っているもので回数が多い順に下記のとおり(2018年10月20日現在)。プロの棋戦において、打ち歩詰め・行き所のない駒によって反則負けになった例は現時点では1例もない。
1位
二歩 86回
2位
二手指し 28回
3位
ルール違反の手を指す 25回
4位
王手放置、自らの王を相手の駒の利きにさらす 14回 {{small (2018年10月20日時点)。
・ 自分が取った駒を相手の駒台に乗せた。
・ 盤上から駒台に移ってしまった香車を持ち駒として使用した(服の袖が当たったことが原因である。参考)。
・ 相手の駒を取ったあと、別の場所に駒を動かした(8八の王将で7八の相手の馬を取ろうとして、馬を駒台に移したあと王将を8七に移動させた。棋譜上は馬を取らずに王を8七へ指した王手放置となっている。参考)。
・ いったん不成で敵陣に置いたように見えた駒を持ち直し、成りに変えた。対局はそのまま継続されたが、テレビ放送後の視聴者の抗議を受け、「待った」であるとされた。
・ 後手番が自身は先手と思い込み初手を指したことで、開始直後に反則負けとなった。
なお、「王手をするときには『王手』と言わなければいけない」と誤認する者も多いが、そのようなルールは存在しない。これは、本来「自分で気づかなければいけない」とされているためである。そのような王手の発声は、指導対局や縁台将棋、初心者同士の対局などで慣習的に行われる場合があるに過ぎず、プロの公式戦などで行われることは皆無である。
○ 公式戦ルールの不備
打ち歩によって、連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態を作った場合、打ち歩詰めに該当するのか否かが不明である。連続王手の千日手でしか王手を解除できない状態は詰みとみなすのかどうかに依存し、現行ルールではどちらの解釈も可能である。公式戦での前例は存在しないとされるが、「最後の審判」という詰将棋の問題において、発生する可能性が指摘されている。
この他に、歩を打った後の局面が「ステイルメイト」状態(次に動かせる駒が反則手以外にない局面)になった場合に、「打ち歩詰めの反則規定」に該当するのかについて、「一方が玉以外に盤上の駒や持ち駒がない」などの極端な勢力差にならない限り局面が出現せず、プロの実戦上は相当前の段階で投了による決着となるため、特に正式な見解は出されていない。また、両者が連続王手で千日手となった場合については定義されていないが、いまだ局面や手順として再現できておらず、公式戦でも前例が存在しないがゆえ、特に問題視されていない。
公式戦ルールの不備が改正された例としては、1983年に千日手の規定が「同一手順を3回繰り返した場合」から「同一局面が4回現れた場合」に変更された例がある。旧規定では、千日手になることなく無限に指し続ける手順の存在が数学を用いて簡単に証明でき、実際に千日手模様の無限ではないが、かなり長手数の対局が見られたことから改正された。また、相入玉の将棋で、一方が持将棋の合意や投了を拒否した場合、詰みによる決着の見込みがないまま延々と指し続けることになりかねないため、入玉宣言法や500手指了ルールが暫定導入されている。
● 場面ごとの戦い方
将棋の対局は、大きく以下の3つの場面に分けて考えることができる。
◇ 序盤
: 初手から、駒組みが完成して駒がぶつかり合うまで
◇ 中盤
: 駒組みが完成して駒がぶつかり合ってから、どちらかの玉の囲いが崩れ始めるまで
◇ 終盤
: どちらかの玉の囲いが崩れ始めてから、終局まで
::※ただし、序盤・中盤・終盤の境目というのは突き詰めて言えばあいまいであり、ここに記載した線引き法はあくまで目安である。
ひとつの対局を序盤・中盤・終盤の三場面に分けると、各場面ごとに目標とすべきことや思案すべきことや決断すべきことがある。以下、各場面ごとの指し方を解説する。
◎ 序盤戦
序盤戦は、攻撃・守備に適した駒組みを目指す段階である。将棋では長年の研究により効果的な駒組みのパターン(戦法)が数多く考案されており、それぞれの戦法について効果的な駒組みの手順(や分岐した手順)が研究され定跡が整備されている。序盤戦では戦法ごとの定跡をベースに、相手の駒組みを見ながらときには独自の工夫を加えて作戦勝ちを目指すことになる。
基本のセオリーは、盤面を左・右に分け、どちらかで攻撃の陣形を構築し、反対側で守備の陣形を構築する。居飛車はおもに右側を攻撃に使い左側を守備に使う戦法、振り飛車はおもに左側を攻撃に使い右側を守備に使う戦法になる。守備面では、通常は、玉を飛車の位置とは反対側に移動させ、2枚の金および銀桂香歩など(の一部)を用いて玉の周囲を守る囲いを築く。攻撃面では、通常は、強力な駒である飛角を中心に、そこに囲いに使わなかった駒(銀桂香歩など)も絡め、敵陣突破を図る体制を築く。もっとも、これはあくまで基本のセオリーであり、このセオリーをあえて外す戦法も数多くある。
将棋の初手は30通りあり、各初手について「ウィキブックス/将棋/定跡書」のページおよびそのリンク先に詳しい解説がある。
プロ棋戦における初手は、角道を開ける▲7六歩が最も多く、飛車先の歩を突く▲2六歩がそれに次ぎ、ほとんどの対局はこのどちらかで開始される。近年3番目に採用率の多い初手は、先手ゴキゲン中飛車などで用いられる▲5六歩である。プロ棋士全体では(一年の)総対局数が約2300局あり、そのおよそ7割約1600局は初手▲7六歩と指している将棋で最も指されている初手となる。次いで約2割が▲2六歩、そして▲5六歩と続く。『イメージと読みの将棋観』(日本将棋連盟、2008)では2007年度統計で初手▲7六歩の出現率が78.5パーセントで先手勝率は5割2分7厘であるという。▲2六歩の出現率は17.3パーセントで勝率は5割4分6厘。初手▲5六歩の出現率は4.0パーセントで、勝率は5割3分2厘であるという。初手については見解も棋士ではさまざまで、羽生善治や佐藤康光、谷川浩司、渡辺明、森内俊之らは初手は▲7六歩か▲2六歩で、いずれも居飛車党なので、7六歩は矢倉もしくは角換わりでたまに振り飛車志向、2六歩は相掛かり志向としている。佐藤はゲン担ぎもあり、どちらかで負けたら違うほうにしているなどとしている。森内はその2手の他、▲3六歩や、▲1六歩と▲9六歩も1回ずつ指しており、いずれも勝利している。
現在では初手7八飛戦法や4八飛、5八飛といった先に振り飛車を明示する指し方も多い。初手▲5八飛は森内が小学生時代に羽生相手に指し、すると羽生は△5二飛と指したことが知られている。また基本的に嬉野流は初手▲6八銀、英春流は初手▲4八銀である。
羽生や谷川は両者とも先崎学に初手3六歩を試みられている。渡辺も初手▲3六歩を指したことがある他、藤井猛が初手▲6六歩を6局指しており、1勝4敗1戦千日手の戦績を残している。藤井によれば6六歩を指す意味は、相手が飛車先を伸ばさない居飛車戦法の場合▲7六歩の一手を省略でき、先手もその分他の手を先に指すことができるからだとしている。つまり早く△8六歩を突いて形を決めさせる意味があるという。
また中原誠が1983年の十段戦で加藤一二三に対し初手▲7八金を指している。この意味は先手居飛車党が振り飛車党相手に3手目に4八銀や6八玉として居飛車にしてこいというのと同様、後手に振り飛車にすると有利ですよと打診・挑発している意味もある。実戦では加藤は△8四歩とし、以下は普通の相掛かり戦となった。
なお初手の最悪手については、羽生は初手の▲8六歩としており、加藤一二三は1八香を初手の最悪手としている。1八香は振り飛車であれば、飛車を振った後に穴熊を目指すことができるが居飛車党からすれば意味のない1手パスにしかならないとしている。ただし渡辺は初手はどの手を指してもそこまで悪くない、先手なので1手パスして後手になると思って指せばさほど影響はないとしている。
◎ 中盤戦
駒組みが完成して駒がぶつかりあい始めるのが中盤戦の始まりである。中盤戦の攻撃面では相手の駒を取ったり、敵陣に切り込んでいくことを考え、終盤戦へ向けて持ち駒を増やして攻撃力を増すために相手の駒をとったり、敵陣を崩し敵陣内部に攻めの拠点を作ったりすることが目標となる。当然相手のほうも同様のことを考え目標としているので、防御面では相手に駒を取らせない、相手に自陣への侵入を許さないということも重要である。攻防どちらに主眼を置くかによって個人の棋風が現れる部分である。駒のやりとりが生じるので、駒の損得の計算も重要になる(これについては駒の損得(戦力差)の節で説明する)。中盤戦で役に立つことが多い駒、次に終盤戦に入った段階で役に立つ駒はどれか、ということも考慮しつつ駒のやりとりをする。
なお、駒組みが未完成のままいきなり互いの玉に迫る激しい展開となることもあり、この場合は中盤戦がなく、序盤戦から急に終盤戦に入ったと評価される。
また、特にプロやアマ高段者などの対局では、時として中盤で形勢に大差がついた為に、一方が攻防共に見込みがないと判断して投了することもあり、この場合は終盤戦がなく、中盤戦で終局となったと評価される。
◎ 終盤戦
どちらかの守りの陣が崩れ、玉の囲いも崩れ始めたころから終盤戦になる。
終盤戦は、勝利条件である詰みを目指して相手の玉に迫っていく。
終盤戦では、以下のような概念が使われる。
・ 王手:Bが受けなければ次のターンでAがBの玉を取れる状態。ルール上、Bは何らかの方法で受けなければ負けとなる。
・ 逆王手:Aにかかっている王手を受けると同時に、Bに王手をかけること。
・ 詰むや詰まざるや:終盤は持ち時間も足りなくなるので、自玉や敵玉が自分も相手もすぐに詰みとわかる状態以外は、実際に王手を進めてみないと分からない状態。
・ 一手前の受け:次に王手や詰めろ、必死を掛けられる前に一手先に防御の手を指しておく。
・ 玉の早逃げ:詰まされる前、詰めろを掛けられる前に先に玉を逃がしておく。
・ 顔面受け:玉将自身を直接相手の攻撃に対しての受け駒として使うこと。
・ 粘り:終盤詰めろや、隙きを突いて攻めてくる相手に対し、とにかく受けの手を指して相手のミスを誘ってチャンスをうかがうこと。
・ 一手隙き:攻められてもあと一手余裕がある状態。この間に相手を詰ませれば勝ちになる。
・ 攻防の一手:一手前の受けや早逃げなど防御用の手であるとともに、攻撃の手にもなっている。飛車や角打ちなどで生じることが多い。
・ 詰み:Bがどのように受けても次のターンでAがBの玉を取れる状態。ルール上、Bは投了しなければならない。
・ 即詰み:Bがどのように受けても王手の連続で詰みまで到達できる状態。この状態になれば、Aが間違えない限り詰みと同様となる。
・ 詰めろ:Bが受けなければ次のターンで即詰みになる状態。Bは何らかの方法で受けるか、この瞬間にAの玉を即詰みにしなければ負けてしまう。
・ 詰めろ逃れの詰めろ:Aにかかっている詰めろを受けると同時に、Bに詰めろをかけること。
・ 必至:Bがどのように受けても次のターンで即詰みになる状態。Bはこの瞬間にAの玉を即詰みにしない限り負けてしまう。
・ 一手一手の寄り:Bがどのように受けても王手または詰めろの連続で必至まで到達できる状態。この状態になれば、Aが間違えない限り必至と同様となる。
・ ゼット:Aが持ち駒を何枚持っていたとしても絶対にBの玉が即詰みにならない状態。
これらの概念を使って自玉と敵玉の状態を把握し、受けるべきか攻めるべきかなどを判断していくことになる。
最後の詰みに至る手順を寄せという。(中盤戦では駒のやりとりの損得計算が重要だったが)寄せの段階では駒の損得計算はさほど重要ではなくなり、それよりも「詰むか詰まないか」が最重要となり、正確な読みの力が重要となる。相手の玉を詰むことができるかできないかを見極めることも重要であるし、また自玉が詰むか詰まないかを見極めることも重要である。(なお、寄せの読みの力は普段から詰将棋のトレーニングをすることで養うことができる。また詰将棋問題を自作することで「詰むか詰まないか」の感覚を一層磨くことができる)。
王手には強制力があり、王手をかけた側は一応は一種の「先手」となり、王手をかけ続ける限りは(逆王手を除けば)自らが攻め続けることができる。だが実戦での寄せは、将棋の格言で「王手するより縛りと必至」「玉は包むように寄せよ」「王手は追う手」というように、敵玉が即詰みでない場合の安易な王手は、かえって敵玉を安全地帯に逃がして勝ちを逃してしまう結果を生むことのほうが多いので、むしろ相手の玉にじわじわと縛りをかけ、つまり相手玉の周囲のマス目に自分の駒を効かせて相手玉の動ける方向を制限してゆき必至を狙う方が勝利につながることが多いとされている。
中盤戦で形勢に大きな差がつき片方だけが敵陣を切り崩しなおかつ持ち駒の種類も多い状態で終盤戦に入ったような場合は、終盤戦でもその勢いのまま優勢側が一方的に寄せてゆき、劣勢側は防戦で最善をつくしても防戦むなしく勝負がつくという展開が多い。
ただしそういう状況に陥ってしまったと劣勢側が気づいた場合は、そうはさせまじと、「一発逆転」を狙って、「狙うは相手玉のみ」とばかりに、持ち駒も守備に使うことは諦め攻撃のみに使う覚悟で、なりふりかまわずともかく相手玉とその周辺だけに集中して一気に攻撃をしかける場合もある。「一発逆転」などということは簡単にできるものではないが、それでも、そのまま生真面目に防戦ばかりしていては勝つ可能性は限りなくゼロに近いことが分かっているので、たとえ博打のような選択であるにしても、相手が「うっかりミス」などをしてくれて自分が勝てる可能性を残したほうがまだマシだ、という計算をしたうえでの作戦である。
時には、互いに詰めろを掛けては受ける攻防を繰り返し、最終的にAがBの玉に必至をかけ、その瞬間にBがAの玉を即詰みにする手順を見つければBの勝ち、見つけられなければAの勝ちになる、といったきわどいゲーム展開になることもある。
お互いに玉に迫りあっている場合では、相手への詰めろを1手外すと逆に自玉にかけ返されてしまうことが多々ある。また詰めろや必至で敵玉に迫っていったとしても、そのときに自玉に詰めろがかかっていることを見落としていたり、あるいは相手が王手をかけてきたところで正しく対応していれば詰まなかったところを対応を誤ったりで、自玉が即詰みの筋に入ってしまってからではそれに気づいても手遅れである(このようなケースを「頓死」という)。このように終盤戦は、1手のミスで勝敗がひっくり返ってしまうことも多い重要な局面である。
この他に、一方的に攻められている場合などでは、相手陣に玉が侵入する入玉を目指す方法もある。
● 先読みと形勢判断
将棋の形勢とは、駒の損得や囲いや駒の働きなどを総合した有利不利の差のこと。形勢を指す語は次のように数多く存在しており、同程度の形勢を表す語であってもニュアンスが異なる。形勢の悪いほうから、
・ 「必敗/投了級」
・ 「敗勢/ほぼ負け/非常に苦しい」
・ 「劣勢/不調/厳しい」
・ 「不利/苦戦/悪い」
・ 「不満/指しにくい/つまらない/やや悪い」
・ 「互角/五分/難解/これから」
・ 「有望/指しやすい/指せる/持ちたい/不満なし/やや良し」
・ 「有利/十分/満足/良し」
・ 「優勢/好調/大成功」
・ 「勝勢/あと一歩」
・ 「必勝」
となる。この他に「形勢不明」というのもある。
コンピュータ将棋では、形勢判断は評価値(形勢値)と呼ばれる数値で表す。それには得点方式とパーセンテージ方式があり、概ね次のような目安となる。
形勢
得点方式 パーセンテージ方式
完全に互角
0点 50%
ほぼ互角
絶対値300点以内 45-55%
指しやすい(指しにくい)
絶対値300-500点 55-60%(45-40%)
有利(不利)
絶対値500-1000点 60-75%(40-25%)
優勢(劣勢)
絶対値1000-2000点 75-90%(25-10%)
勝勢(敗勢)
絶対値2000点以上 90%以上(10%以下)
事実上勝敗が決している状態
・絶対値が表現できる最大値(例えば「9999」「50000」「99999」など)
・「Mate:XX」(XXは完全に詰むまでの手数)
・即詰み「99999」、必至等「50000」 99%(1%)
その他特殊な場合
・「-1」(千日手が最善と判断した場合。一部ソフトでの例)
・絶対値「31111」(やねうら王における優等局面)
序盤・中盤・終盤を問わず、指し手を決める際の基本は先読みと形勢判断である。まず、自分がこの手を指せば相手がどのように応じるか、それに対し自分はどのように応じるか、といった具合に先を読み、最終的に自分が有利になっているかどうか形勢を判断して、その手を指すかどうかを決めるのである。
形勢判断の要素としては、一般的に
・ 駒の損得(戦力差)
・ 駒の効率(駒の働き)
・ 玉形(玉の安全度)
・ 手番(主導権)
の4つが挙げられる。
◎ 駒の損得(戦力差)
将棋の駒は動けるマスに違いがあることから、それぞれ価値が異なる。玉将(王将)はゲームの勝利条件となる最終目標の駒であるから、当然最高の価値を持つ。その他の駒の価値は局面によって変わってくるが、おおむね価値のある順に飛角金銀桂香歩となる。このうち、特に価値の高い飛車と角行を大駒と呼び、大駒と比べて価値の低い金将・銀将・桂馬・香車・歩兵を小駒と呼ぶ。
無条件で相手の駒を手に入れたり、自分の価値の低い駒と相手の価値の高い駒を交換したりすれば、局面を有利にできることが多い。このようにして、駒のやりとりで自分の戦力を上げたり相手の戦力を下げたりすることを駒得(こまどく)という。反対に相手に駒得をされることを駒損(こまぞん)という。駒得・駒損は形勢が有利か不利かを判断する上で、もっとも基本的な要素となる。特に相手の玉将を詰めるという目標がまだ見えていない序盤から中盤は、基本的に駒得を目指していくことになる。
自分の大駒1枚と相手の小駒2枚(または大駒と小駒1枚ずつ)の交換を行うことを、二枚替えという。駒得を図ったり、受け駒を一気に剥がしたりするための基本的な戦略の一つとなっている。例えば、角行1枚を相手に渡すかわりに金将と銀将を手に入れた場合、金銀2枚を得たメリットが角行を失ったデメリットを上回る。一方で飛車1枚の場合は、角行+銀将の2枚との交換で有利とされる。もっとも、終盤では相手に渡した大駒で詰まされる可能性があり、必ずしも二枚替えが有利となるわけではない。
駒得・駒損の目安として、各駒の価値を点数化した表を用いて点数計算をする方法がある(なお、ここでいう点数計算は持将棋となった場合の判定のための点数計算とは無関係であるため注意)。コンピュータ将棋のソフトウェア(ソフト)では、各駒の点数を内部で計算したものを局面評価のためのベースとすることがある。また、駒の点数計算による駒得・駒損の評価は、もっとも基本的な価値判断の方法としてプロ棋士が執筆した将棋の入門書などでも解説されることが多い。ここでは、代表的なコンピュータ将棋ソフトとして世界コンピュータ将棋選手権で複数回の優勝経験があるPonanzaとBonanza、代表的な棋士として永世名人の資格保持者である羽生善治と谷川浩司の4者がつけた評価値のうち、それぞれ最新のものを掲載する。
駒
Ponanza Bonanza 羽生善治 谷川浩司
歩兵
0.9 1.2 1 1
香車
3.2 3.2 3 3
桂馬
4.1 3.6 4 4
銀将
5.2 5.1 5 5
金将
5.5 6.2 6 6
角行
9.3 7.9 9 8
飛車
10.6 8.9 10 10
と金
5.9 7.4 8 7
成香
5.5 6.8 6 6
成桂
5.6 7.1 6 6
成銀
5.7 6.9 6 6
竜馬
10.8 11.5 13 10
竜王
15.2 13.2 15 12
羽生方式や谷川方式に沿って計算する場合、自分の飛車を相手の金将・銀将の2枚と交換(二枚替え)すると、自分は6点+5点-10点=1点、相手は10点-(6点+5点)=-1点で、差し引き2点自分が得したことになる。また、自分の成香(香車の成り駒)と相手の金将を交換すると、自分は6点-6点=0点、相手は3点-6点=-3点で、差し引き3点だけ自分が得したことになる。
なお、上記における駒の価値はあくまでも目安であり、状況に応じて常に変化する。昇格(成り)に関しても、全ての駒において形式的な点数が上がってはいるが、局面によっては実質的に生駒の価値のほうが大きいとされる場合もある。特に利きの変化においてデメリットを伴う銀将(→成銀)・桂馬(→成桂)・香車(→成香)に関しては、昇格の判断が難しいとされる。
◎ 駒の効率(駒の働き)
盤上の駒がその価値を発揮できるかどうかは、局面やその駒の位置によって大きく変わってくる。そこで、自分の駒がどの程度働いているかの判断基準を「駒の効率」と呼んで、形勢判断の一要素としている。
例えば序盤において、左の香車と右の香車は先程の点数計算では同じ3点(羽生式や谷川式の場合)となる。しかし、もし玉将を左側に囲った場合、左の香車は玉将の守備を行う役割があることから、一般的に右の香車よりも価値が上がるとされる。また、例えば角交換となったあとで一方が盤上に角行を打ち込んだ場合、盤上に打たれた生駒状態の角行と未だに持ち駒状態の角行とでは、後者のほうが一般に価値が高い。なぜならば、後者の角行は隙あらば相手陣に打ち込んで竜馬にするチャンスもあり、相手側に対して打ち込みの隙を作ってはならないという制約を課す効果があるからである。
この他に、持ち駒の歩兵が0枚から1枚に増えた場合と、1枚から2枚に増えた場合とを比べた場合、形式的な計算ではどちらも1点であるが、実質的には前者のほうが価値が大きいとされることが多い。これは、歩切れ(持ち駒の歩兵がない状態)は、何かと入り用になる歩兵を好きなタイミングで使うことができずに不利とされているためである。
◎ 玉形(玉の安全度)
玉形とは、玉将(王将)の位置とその周りの駒の配置のことである。遠さ・堅さ・広さなどの要素で判断される。
◇ 遠さ
: 基本的に、玉は戦場から遠いほど良いとされる。たとえば対抗型ならば、互いの飛車のいる側が戦場となるため、玉は反対側に行けば行くほど安泰になる。また、玉が端に寄れば、端にある桂馬や香車などを守りに使いやすくなるという効果もある。ただし、端にいることで逃げる場所が少なくなるという短所もあるため、一概に端にいれば安全というわけではない。
◇ 堅さ
: 玉の周りを金や銀などで覆った守りの陣形を囲い(かこい)と呼ぶ。囲いは、駒の枚数が多いほど堅くなる。また、駒の位置関係によっても変わってくる。たとえば金銀が連結(相互に利きを及ぼしている状態)していると、相手に取られても自身の駒で取り返すことができるため、崩されにくい囲いとなる。
◇ 広さ
: 広さは玉の逃げ場所の多さである。囲いが突破されたとしても、逃げ場所が多ければ詰むまでの間に時間稼ぎをしたり、相手に駒をたくさん使わせたりすることができる。そのため、自玉が詰まされる前に相手玉を詰ませることができる場合がある。
玉形が良いか悪いは勝敗に大きく関わってくる。駒の損得で勝っている場合は穏やかな局面にすると良いのに対し、玉形で上回っている場合は激しい展開が望ましいとされる。駒損でも玉形の評価が良いとき、こちらは玉形を生かして激しく攻めまくり、相手は必死に耐えて反撃を狙ったりする。
なお、玉形の良し悪しは相手の攻めの形に大きく影響される。たとえば、矢倉囲いは上からの攻めに強い囲いであるため、互いに居飛車ならば堅いと評価されるが、相手が振り飛車ならば玉形の評価は悪くなる。
◎ 手番(主導権)
一方的に攻め続けている状態のことを「手番を持つ」又は「先手をとる」と呼ぶ。極終盤では寄せる速度が勝負を分けるため、主導権を得ることが重要となる。攻防に必要な駒さえあれば、全体的な駒の損得はほとんど形勢に影響しない。大駒を捨てるということも行われる。これを表す格言として「終盤は駒の損得より速度」がある。
また、戦略・戦術以前の問題として、そもそも対局において先手番が有利か否かという点が話題となることがある(ある局面での手番を意味する「先手」「後手」ではなく、一つの対局の最初の手を指す側か否かの「先手」「後手」)。
● 歴史
◎ 古将棋
○ 日本への伝来
将棋の起源は、古代インドのチャトランガ(シャトランガ)であるとみられているが、吉備真備が唐に渡来したときに将棋を伝えたなどといわれているが、江戸時代初めに将棋の権威づけのために創作された説であると考えられている。
チャトランガ系のゲームがいつごろ日本に伝わったのかは明らかになっていない。囲碁の碁盤が正倉院の宝物殿に納められており、囲碁の伝来が奈良時代前後とほぼ確定づけられるのとは対照的である。日本への伝来はいくつかの説があるが、木村義徳の6世紀~7世紀と、増川宏一の10~11世紀が激しく対立している。
系統も不明である。東南アジア系のゲームの伝来説では、マークルックとの類似性が19世紀末以降から一部指摘されており、その後、増川と大内延介がこれを広めた。また東南アジア説でも直接伝来は考えにくいため、最終的に増川は中国南岸において文字駒化したものが伝わったという説を提唱した。
いずれにしても当時の日本将棋に関する文献は皆無で、出土品も少なく、各説は想像の域を出ない。
○ 平安将棋
将棋の存在を知る文献資料として最古のものに、南北朝時代に著された『麒麟抄』があり、この第7巻には駒の字の書き方が記されているが、この記述は後世に付け足されたものであるという考え方が主流である。藤原明衡(ふじわらのあきひら)の著とされる『新猿楽記』(1058年 - 1064年)にも将棋に関する記述があり、こちらが最古の文献資料と見なされている。
考古資料としての発掘は1980年代から相次いだ、同時に天喜6年(1058年)と書かれた木簡が出土したことから、その時代のものであると考えられている。この当時の駒は、木簡を切って作られ、直接その上に文字を書いたとみられる簡素なものであるが、すでに現在の駒と同じ五角形をしていた。また、前述の『新猿楽記』の記述と同時期のものであり、文献上でも裏づけが取られている。
三善為康によって作られたとされる『掌中歴』『懐中歴』をもとに、1210年 - 1221年に編纂されたと推定される習俗事典『二中歴』に、大小2種類の将棋が取り上げられている。後世の将棋類と混同しないよう、これらは現在では平安将棋(または平安小将棋)および平安大将棋と呼ばれている。平安将棋は現在の将棋の原型となるものであるが、相手を玉将1枚にしても勝ちになると記述されており、この当時の将棋には持ち駒の概念がなかったことがうかがえる。ただし平安将棋は持ち駒使用になっていたとする木村義徳の説もある。
最古期の駒が発掘されるのは寺院に多く、僧が関わっていたとみられるが、一方で正倉院に囲碁・双六はあっても将棋は無いことから貴族への普及はその後と推測され、日記に登場するのは平安後期である。
古将棋においては桂馬の動きは、チャトランガ(インド)、シャンチー(中国象棋)、チェスと同様に八方桂であったのではないかという説がある。持ち駒のルールが採用されたときに、ほかの駒とのバランスをとるために八方桂から二方桂に動きが制限されたといわれている。
○ 将棋の発展(種類)
これは世界の将棋類で同様の傾向が見られるようだが、時代が進むにつれて必勝手順が見つかるようになり、駒の利きを増やしたり駒の種類を増やしたりして、ルールを改めることが行われるようになった。日本将棋も例外ではない。
13世紀ごろには平安大将棋に駒数を増やした大将棋が遊ばれるようになり、大将棋の飛車・角行・醉象を平安将棋に取り入れた小将棋も考案された。15世紀ごろには複雑になりすぎた大将棋のルールを簡略化した中将棋が考案され、現在に至っている。15~16世紀ごろ(室町時代)には小将棋から醉象が除かれて本将棋になったと考えられる。このころに「将棋を指す」という表現が定着したとされる。室町末の厩図屏風には、将棋に興ずる人々が描かれている。
16世紀後半の戦国時代のものとされる一乗谷朝倉氏遺跡から、174枚もの駒が出土している。その大半は歩兵の駒であるが、1枚だけ醉象の駒が見られ、この時期は醉象(象)を含む将棋と含まない将棋とが混在していたと推定されている。1707年出版の赤県敦庵著作編集の将棋書「象戯網目」に「象(醉象)」の入った詰め将棋が掲載されている。ほかのルールは現在の将棋とまったく同一である。
江戸時代に入り、さらに駒数を増やした将棋類が考案されるようになった。天竺大将棋・大大将棋・摩訶大大将棋・泰将棋(大将棋とも。混同を避けるために「泰」が用いられた)・大局将棋などである。ただし、前提として江戸時代には本将棋が普及しており、これらの将棋類はごく一部を除いて実際に指されることはなかったと考えられている。江戸人の遊び心がこうした多様な将棋を考案した基盤には、江戸時代に将棋が庶民のゲームとして広く普及、愛好されていた事実がある。
将棋を素材とした川柳の多さなど多くの史料が物語っており、現在よりも日常への密着度は高かった。このことが明治以後の将棋の発展につながっていく。
○ 持ち駒の利用
将棋の発展のうち特筆すべきものとして、「相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再利用できるルール」、すなわち「持ち駒」の使用制度が考案されたことが挙げられる。もっとも、このルールがいつごろできたものかのかは分かっていない。現在、提唱されている説としてはおもに以下の3つがある。
・ 15~16世紀ごろとする説…15~16世紀に本将棋が成立した際の駒の数が持ち駒ルールに関連すると考える説である。将棋の駒の数は上述したように徐々に減って現代の本将棋になった。この説では、駒の減少は互いに駒が足りなくなって相手玉を詰められなくなるなどのゲーム性の低下を伴うことから、これを補うために持ち駒制度が考案されたのだと説明する。これを前提に、駒の数が現代と同じになった16世紀頃が持ち駒制度の考案時期であるとする。
・ 13世紀以前とする説…1300年ごろに書かれた『普通唱導集』に、将棋指しへの追悼文として「桂馬を飛ばして銀に替ふ」との文句があることを根拠とする説である。これは持ち駒ルールを前提にした駒の交換を言っているものであると理解し、この時期には持ち駒の概念があったものと考えるものである。
・ 11世紀以前とする説…銀の裏面の「全」に似た字や歩の裏面の「と」に似た字などは「金」の崩し字であると考えられているが、これらがそれぞれ異なる崩し字を使う理由を持ち駒制度と関連づける説である。これらが単に「金」ではなく、あえて区別できるように書かれている理由を、取って持ち駒とした場合に元の銀や歩に戻ることが分かるようにするためだと理解すれば、成駒が区別可能か否かで持ち駒ルールの有無が分かるということになる。そのうえで、上記奈良県で出土した最古の駒について、成駒の文字が区別可能であるからこの時期には持ち駒ルールがあったとする。
持ち駒ルールが生まれた理由もよく分かっていない。上述した駒の数の減少に伴うゲーム性低下を補うため、将棋の駒に色分けが無いためという説明が一般的になされる。また、や、金・銀・桂(馬)・香はいずれも資産または貿易品を表していることから、将棋は戦争という殺し合いをテーマにしたゲームではなく、資産を取り合う貿易や商売をテーマにしたゲームという側面があり、相手から奪った資産は消滅するのではなく自分のものになるのが自然であるため、持ち駒使用ルールが生まれたのだとする考察もある。
◎ 本将棋
本将棋は上述の通り15~16世紀(室町時代)ごろに小将棋から醉象を除き持ち駒の再使用ルールを加える形で成立していたとされる。
○ 御城将棋と家元
17世紀初頭、1612年(慶長17年)ごろ、幕府は将棋と囲碁の達人であった大橋宗桂(大橋姓は没後)・加納算砂(本因坊算砂)らに俸禄(宗桂は50石5人扶持を賜わっている)を支給することを決定し、将棋(なお、初期の将棋指したちは中将棋も得意としていた)は、囲碁とともに、江戸時代の公認となった。宗桂と算砂は将棋でも囲碁でも達人であったが、やがてそれぞれの得意分野(宗桂は将棋、算砂は囲碁)に特化していき、彼らの後継者は、それぞれ将棋所・碁所を名乗るようになった。
宗桂の後継者である大橋家・大橋分家・伊藤家の3家は、将棋の家元となり、そのうち最強の者が名人を称した。現在でも名人の称号は「名人戦」というタイトルに残されている。名人の地位は世襲のものであったが、その権威を保つためには高い棋力が求められた(たとえば、家元の地位に不満を持つ在野の強豪からの挑戦をたびたび受け、尽く退けている)ため、門下生の中で棋力の高い者を養子にして家を継がせ、名人にすることも多かった。
寛永年間(1630年ごろ)には家元3家の将棋指しが将軍御前で対局する「御城将棋」が行われるようになった。八代将軍徳川吉宗のころには、年に1度、11月17日に御城将棋を行うことを制度化し、現在ではこの日付(11月17日)が「将棋の日」となっている。
江戸時代中期までの将棋指しは、指し将棋だけでなく、詰将棋の能力も競い合った。特に伊藤家の伊藤看寿の作品である『将棋図巧』は現在でも最高峰の作品として知られている(なお、伊藤看寿は早逝したため存命中に名人とならなかったが、没後に名人位を贈られた)。名人襲位の際には、江戸幕府に詰将棋の作品集を献上するのが慣例であった。
江戸時代後期には、近代将棋の父と呼ばれる大橋宗英が名人となり、現代につながるさまざまな戦法を開発した。さらに、大橋家の門下生であった天野宗歩は、当時並ぶ者のいない最強の棋士として知られ、「実力十三段」と恐れられ、のちに「棋聖」と呼ばれるようになった。名人位が期待されたものの素行不良のために大橋家の養子となれなかった宗歩は、家元3家とは独立して活動するようになり、関西で多数の弟子を育成した。
現在のプロ棋士はほぼ全員が江戸時代の将棋家元の弟子筋にあたり、将棋家元は現代将棋界の基礎となっている。なお、現在では伊藤家に連なる一門が多数であるが、関西を中心に天野宗歩の系譜に属する棋士も多い。江戸時代の棋譜は「日本将棋大系」にまとめられている。
○ 新聞将棋・将棋連盟の結成
江戸幕府が崩壊すると、将棋三家に俸禄が支給されなくなり、将棋の家元制も力を失っていった。将棋を専業とする者たち(なお、そのほとんどは関東では家元三家の門下、関西では天野宗歩の門下で修行した者たちである)は、家元に対して自由に活動するようになり、名人位は彼らの協議によって決定する推挙制に移行した。
アマチュアの将棋人気は明治に入っても継続しており、日本各地で将棋会などが催され、風呂屋や理髪店などの人の集まる場所での縁台将棋も盛んに行われていたが、19世紀末には一握りの高段者を除いて、専業プロとして将棋で生活していくことはできなかったといわれている。
1899年(明治32年)ごろから、萬朝報が新聞として初めて紙面に将棋欄を開設し、他社も追随したため、新聞に将棋の実戦棋譜が掲載されるようになり、高段者が新聞への掲載を目的に合同するようになった。1909年(明治42年)に将棋同盟社が結成される。
大正時代のころの将棋界は有力棋士たちがそれぞれ連盟(派閥)をつくり、特定の新聞社と契約をして一門の経済状況を安定させていた。例えば大崎熊雄が師の井上義雄死去後に主宰した東京将棋研究会は当時の有力誌である国民新聞や地方紙と契約し隆盛していた。一方で土居市太郎は東京将棋同盟社、関根金次郎は東京将棋倶楽部を主宰していた。明治時代以降から棋士有力者が各派に分かれていくなかで、基本的に他流試合は行わないのがこのころの原則となっていた。しかし外部の有力者・支援者らはこれでは将棋界全体として発展しないと指摘、こうして大崎が中心となって各派の首領を説き伏せる形で、前述三派合同の棋戦が報知新聞社主催で行われた。
これを縁として、1924年(大正13年)には関根金次郎十三世名人のもとにこれらの将棋三派が合同して東京将棋連盟が結成された。これが現在の日本将棋連盟の前身で、連盟はこの年を創立の年としている。
1935年に東京日日新聞および大阪毎日新聞主催の名人戦が始まり、戦争を挟みつつも将棋人気は拡大していった。
○ 将棋禁止の危機
第二次世界大戦後、日本将棋連盟に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)より呼び出しがかかった。
◎ 現代棋界の動向
現代の将棋は定跡が整備され、高度に精密化された。将棋自身も賭博の対象から純粋なマインドスポーツへと変化している。
各年度の将棋界の詳細は各項目に譲るが、1935年の名人戦を皮切りに8つのタイトル戦を含む10以上の棋戦が開催されている(2018年現在)。
女性のプロ(女流棋士)も誕生し、1974年には最初の女流棋戦である女流名人位戦(現・女流名人戦)が開始された。2018年現在、6つのタイトル戦と1つの公式棋戦が行われている。
プロの発展とともに、将棋のアマチュア棋戦も整備され、日本全国からアマチュアの強豪選手が集まる大会が年間に数回開催されている。公式棋戦においてアマチュアトップや奨励会員とプロの実力下位者の対局が年間複数回指され、前者が後者を破ることも珍しくない。
○ コンピュータ将棋
コンピュータプログラムを利用した将棋の研究、特にコンピュータに着手を計算させる研究は、世界的に見るとチェスのそれの後を追うようにして始まった。1960年代の詰将棋プログラムを先駆けとし、1980年代にはゲームソフトが発売されるようになったが、複雑性ゆえ当時のハードウェアの性能では強さには限界があり、1989年のゲームボーイ用の将棋ソフトでは、AIのレベルによっては電池残量との戦いになるほどの長考が行われた。
その後ハードウェアの性能向上にあわせて着実に強くなり、21世紀にはアマトップやプロと平手での本格対局が実施されるに至った。2008年5月には、この年に開催された第18回世界コンピュータ将棋選手権での優勝・準優勝将棋ソフトがそれぞれトップクラスのアマチュア棋士に完勝。2013年以降は将棋電王戦においてプログラムが現役A級棋士を含む上位棋士を次々に破っており、2017年にponanzaが当時の名人である佐藤天彦との対局に勝利し、コンピュータ将棋ソフトが名人超えをしたことが証明された。
○ インターネット将棋
インターネットの普及を通じて盤駒を利用しなくとも対局ができるネット将棋が普及。それによって将棋センターは次々閉鎖されていったが、取って代わるように1996年ごろからJava将棋やザ・グレート将棋、将棋倶楽部24、近代将棋道場、Yahooゲームの将棋などのサイトが次々と登場した。2010年代には英語が公用語の国際サイト81Dojo、twitterと連動できるshogitter、カジュアルな作りで人気を伸ばした将棋ウォーズなどが登場した。
○ 将棋と放送
将棋がテレビなどで一般的に話題になった代表的なものでは、内藤國雄「おゆき」大ヒット(1976年)、谷川浩司史上最年少名人(1983年)、羽生世代の活躍(1980年代~平成初期)、中高年の星米長邦雄名人獲得(1993年)、羽生善治の七冠達成(1996年)、将棋を題材としたNHK朝の連続テレビ小説『ふたりっ子』の放送(1996年)、中原誠と林葉直子の不倫報道、村山聖の早逝(1998年)、瀬川晶司のプロ編入試験(2005年)、名人戦の移管問題(2006年)、コンピューター将棋ソフトBonanzaの躍進(2006年)、羽生善治の最年少で1000勝(2007年)、将棋電王戦によるプロとコンピューターの対決の配信(2012年)、今泉健司のプロ編入試験(2014年)、将棋もの作品の流行(平成末期)、将棋ソフト不正使用疑惑(2016年)、藤井聡太の史上最年少デビューと無敗のままでの歴代連勝記録更新(2016年 - 2017年)、羽生善治の永世七冠達成(2017年)と国民栄誉賞授与(2018年)などがある。
将棋の対局放送は長丁場であることもあり一般的ではなく、長年NHK杯やNHK BSの特別番組、CS放送の専門チャンネルなどに限られていた。地上波民放で数少ない例としてテレビ東京主催の『早指し将棋選手権』があったが2003年に終了している。1995年頃の羽生フィーバーでは観戦するファン(観る将)の萌芽があったが、当時のインターネット環境では活かすことができなかった。2010年代になってから無料インターネット動画サイトを通じた配信が定着したことで、2017年からの藤井フィーバーに繋がった。
○ 将棋人口
『レジャー白書』(財団法人社会経済生産性本部)による、1年に1回以上将棋を指すいわゆる「将棋人口」。調査時期は発表年の前年。
2009年の急増は調査方法切り替えによる。なおデータは16歳から79歳までのため実際はより多いと考えられている
2005年 710
2012年 850
2015年 530
◎ 日本国外への普及
国際将棋フォーラムなど、日本国外への普及も試みられている。ただし将棋は日本で独自の発展を遂げた遊戯で世界的にはチェスが普及しており、漢字が読める漢字圏でも既にシャンチー系のゲームが普及しているため、日本経由からも伝わった囲碁や、日本で商品化されたオセロが、白黒の石でゲームを行うこと、チャトランガ系ゲームとは異なり類似のものが無いなどの理由で、世界的に普及が進んでいるのとは対照的に小規模である(ガラパゴス化)。
将棋の存在そのものは海外でも比較的早く知られていた。中国では早く明代に倭寇対策として日本文化が研究され、1592年の侯継高『日本風土記』で将棋のルールがかなり詳細に記載されている。またアメリカ合衆国では1860年に万延元年遣米使節によって将棋のゲームが披露されている。1881年のリンデ(オランダ語版)『チェス史の典拠研究』では将棋と中将棋が紹介されている。1966年トレバー・レゲット(英語版)は詳細な将棋の専門書『Shogi: Japan’s Game of Strategy』を出版した。1975年にイギリスのホッジス (George F. Hodges) は将棋協会 (The Shogi Association, TSA) というクラブを作り、将棋専門誌『Shogi』を発行した。また西洋式の将棋駒を販売したり、将棋セットを日本から輸入販売したりした。ホッジスはまた中将棋のマニュアルも書いた。1985年にはヨーロッパ将棋協会連盟(FESA)が創立され、毎年ヨーロッパ将棋選手権および世界オープン将棋選手権を開催している。
2010年には英語が公用語の対局サイトである81Dojoが開設された。
非漢字圏や漢字が読めない子供向けの普及のためにいくつかの駒の形が考案された。ホッジスのもの(通常の形の将棋の駒に英語の頭文字と動きが記されている)、GNU Shogiのもの、ChessVariantsのもの、Hidetchi国際駒(81Dojo)、おおきな森のどうぶつしょうぎなどがある。
海外向け(日本在住者を除く)のアマ免状では、名人の署名もなく簡素な日本語で表記されており、間違いがないように名前は自分で記入ができる。
○ 英語圏の棋譜表記
英語圏の棋譜表記は何種類かあるが、上記ホッジスによるものがもっとも標準的に使われており、公式戦の棋譜中継で用いられる Kifu for Flash でも言語を日本語以外にするとこの表記になる。この表記は日本での表記とチェスの表記を折衷したような形になっていて、駒の種類、動かし方、位置、成・不成を組み合わせる。あいまいな場合は、駒の種類の後に移動前の位置を記す。
駒の種類は K(King、玉)R(Rook、飛)B(Bishop、角)G(Gold、金)S(Silver、銀)N(Knight、桂)L(Lance、香)P(Pawn、歩)のいずれかである。成り駒は + を前置することで表し、英語名称はPromoted Rook(+R、竜)、Promoted Silver(+S、成銀)のように頭にPromotedを付けて表すのが一般的である。位置は横の筋を将棋と同様右から左に1…9で、縦の段を上から下にa…iで表す。したがって「7六歩」は「P-7f」、「5五馬」は「+B-5e」となる。動かし方は通常「-」であるが、駒を取るときは「x」、打つときは「
・」と書く。「成」は「+」、「不成」は「=」と記す。先手・後手の区別が必要な場合、先手をb (black)、後手をw (white) とする。
駒の英語名称のうち、King・Rook・Bishop・Knight・Pawnは近い性能のチェスの駒の名称を借りたもの、Gold・Silverは金・銀の名称をそのまま訳したもの、香車のLanceは槍を意味する。
棋譜法にはいくつかの変種がある。イギリスの Shogi Foundation の出版物では、駒の位置を縦横とも数字で示している(「7六歩」は「P76」になる)。また、成り駒について、竜をD(Dragon)、馬をH(Horse)、と金をT(Tokin)で表す流儀もある。
● 将棋のゲームとしての特質
盤面の状態の総数は1071程度と見積もられる。これは、囲碁の10170程度よりは小さいものの、チェッカーの1020程度と比べて大きい値である。
また、ゲーム木の複雑性は、10226と見積もられる、チェスの10123程度。
「将棋」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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