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高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年〈大正13年〉3月27日 - 2010年〈平成22年〉12月28日)は、日本の女優・歌手・エッセイスト。本名:松山 秀子(まつやま ひでこ)、旧姓:平山(ひらやま)。愛称は「デコちゃん」。 子役から大人の女優へ成長、戦前・戦後を通じて半世紀にわたり日本映画界で活躍した女優の1人。1929年(昭和4年)に松竹蒲田撮影所で子役デビューし、天才子役スターとして活躍。ハリウッドの名子役シャーリー・テンプルとも比較されるほどの天才子役ぶりで名を馳せた。その後東宝、新東宝を経てフリーとなる。木下惠介、成瀬巳喜男監督作品に常連出演したほか、小津安二郎、豊田四郎、稲垣浩、五所平之助など日本映画界を彩る巨匠監督の名作に数多く出演した。1979年(昭和54年)に女優を引退し、その後はエッセイストとして活動。主な出演作品に『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』『浮雲』など。著書に自伝『わたしの渡世日記』など。夫は映画監督の松山善三。

● 経歴
1924年(大正13年)3月27日(木曜日)、北海道函館市に父・平山錦司、母・イソの長女として生まれる。生家は祖父の力松が経営していた「マルヒラ砂場」という蕎麦屋料亭で、力松は他にも「マルヒラ劇場」「マルヒラカフェ」などを経営する土地の実力者だった。兄に實、政二、隆三、弟に孝市郎がいる。 4歳の時に母が結核で亡くなり、かねてから秀子を養女にと望み、名付け親にもなった父の妹・志げの養女となって東京に移り住む。その日は、野村芳亭監督の『母』の子役オーディションの日で、秀子は養父におされてオーディションの列の最後尾に並ばされて飛び入り参加することになったが、野村監督に思いがけなくも選び出され、ヒロインの川田芳子演じる母親の娘役で出演することとなった。1931年(昭和6年)、蒲田の尋常小学校に入学するが、徹夜の撮影も多かったためほとんど学校には通えなかった。1932年(昭和7年)4月、明治座の新派公演『松風村雨』に借りられ、花柳章太郎・岡田嘉子と共演。この公演の『満州国』にも溥儀の幼年時代を演じ、すでにうたわれていた天才子役の名を一層高めた。一方、志げは無給で女中がわりに働かされるという扱いを受け、それに耐えかねた秀子は志げを促し東海林家を出て、大森のアパートに引っ越した。実生活では、函館大火で破産した祖父の力松一家が秀子を頼って上京し、千駄ヶ谷に家を借りて住まわせ、秀子の肩に9人の生活がかかることになった。しかし、翌1937年(昭和12年)早々にはP.C.L.企画課に務めていた藤本真澄から引き抜き交渉を受ける。引き抜きの条件は月給100円と撮影所近くの家の提供、女学校へ進学させるというもので、それに承諾した秀子は同年1月に松竹を退社してP.C.L.に移籍した。1938年(昭和13年)には山本監督の『綴方教室』で主演する。これは当時のベストセラーとなった豊田正子の綴方集の映画化で、貧乏の中でもも明るく強く生きる少女を演じて最初期の代表作とした。その一方、仕事の忙しさから文化学院への登校は月に2、3日程度となり、担任教師の河崎なつから「このさい、学校をとるか、仕事をとるかはっきり決めてほしい」と言われ、入学1年半にして退学を余儀なくされた。 東宝ではますます売れっ子となり、1939年(昭和14年)は9本の作品に出演。アイドルとしての人気も高まり、秀子の名前を冠した映画も作られた。『秀子の応援団長』では主題歌「青春グラウンド」を歌いレコードも発売されたが、B面の灰田勝彦が歌う挿入歌「燦めく星座」の方が人気となり、40万枚の大ヒットを記録した。『秀子の車掌さん』は後にコンビを組む成瀬巳喜男監督との初顔合わせ作品である。1940年(昭和15年)、豊田四郎監督の『小島の春』でハンセン病患者を演じた杉村春子の演技にショックを受け、今まで仕方なしにやっていた役者の仕事に本気で取り組もうと決意した。また、声楽家の奥田良三と長門美保に師事して発声を学び。特攻隊員を扱った『アメリカようそろ』の製作は中止となっている。

◎ 新東宝時代
1946年(昭和21年)、占領軍に接収されたアーニー・パイル劇場(元東京宝塚劇場)で、占領軍相手の慰問公演に出演するが、衣装がなくて困っていたところ、入江たか子が手持ちのコートをほどいて衣装に仕立ててくれたというもの売上げを記録して大ヒットした。1950年(昭和25年)には阿部監督の『細雪』で花井蘭子、轟夕起子、山根寿子に続く末娘役を演じ、原作者の谷崎潤一郎とは家族を交えた形で、谷崎が亡くなるまで交流を続けた。同年には小津監督の『宗方姉妹』に田中絹代の妹役で出演している。同年11月、当時結婚を想定して交際していた会社の重役が後援会費を使い込み、他の女性と交際していた事が発覚したことから新東宝を退社した。

◎ フリー俳優時代
1951年(昭和26年)、日本初の総天然色映画『カルメン故郷に帰る』に主演。この作品で初めて木下惠介監督とコンビを組んだ。同年6月、カンヌ国際映画祭への出席の話から転じて留学生としてフランスに渡り、6ヶ月間パリに滞在する。悪化していた志げとの関係や、フリーになってからの不安などから逃避でき、映画のことを忘れて自由を満喫できる好機であった秀子は、1953年(昭和28年)に映画会社が締結した五社協定に拘束されず、各社の作品に出演した(もっとも、東映と日活には結局一度も出演していない)。それにより名匠の作品にも数多く出演することが出来た。特に成瀬巳喜男と木下惠介の両監督のほとんどの作品に出演。成瀬作品には計17本出演しており、『稲妻』では、母親は同じだが父親が異なる4人兄妹の末娘を好演し、演技派女優としての力量を高めた。成瀬の代表作でもあり、秀子の代表作でもある『浮雲』では森雅之演じる不実な男に振り回されながらも離れられない女、『女が階段を上る時』では生活のために銀座のバーで雇われマダムをする女、『放浪記』では若き日の林芙美子を演じ、成瀬作品で次々と主役を飾った。 木下作品には計12本出演。『二十四の瞳』は『浮雲』と並ぶ秀子の代表作で、小豆島の分教場に赴任する新人教師を演じ、当時の女優賞を独占。『喜びも悲しみも幾歳月』では佐田啓二と灯台守夫婦を演じ、主題歌とともに大ヒット。『風前の灯』ではこれまでのイメージとは正反対のダメ夫婦を佐田と演じた。戦乱に巻き込まれて過酷な運命に見舞われる農婦を演じた『笛吹川』では、18歳から85歳の老け役までを演じ、『永遠の人』でも20歳から49歳までを演じ分けた。『二人で歩いた幾春秋』でも佐田と道路工夫夫婦の半生を演じ、木下作品のヒロインとして活躍を続けた。 成瀬、木下監督以外の作品では、五所平之助監督の『煙突の見える場所』、豊田四郎監督の『雁』、野村芳太郎監督の『張込み』、稲垣浩監督の『無法松の一生』、小林正樹監督の『人間の條件 第5・6部』などに出演した。 1955年(昭和30年)2月25日、当時木下の助監督をしており『二十四の瞳』の撮影で出会った松山善三との婚約を発表。仲人は川口松太郎・三益愛子夫妻と木下惠介の3名だった。めでたい話が漏れてゴシップ扱いにされるのを嫌った木下が自ら報道各社に「松竹の木下ですが、うちの松山君と高峰秀子を結婚させますので取材に来てください」と電話をして関係者一同による記者会見を行い、これが芸能人の結婚記者会見のさきがけ。1961年(昭和36年)、松山の監督デビュー作『名もなく貧しく美しく』に主演。小林桂樹と聾唖者の夫婦を演じ、全篇を手話で通すという難役を抜群の演技力で演じのけた。。

◎ 没後
2012年(平成24年)3月27日、東宝スタジオで高峰秀子を偲ぶ会が開かれ、八千草薫、香川京子、宝田明、司葉子、中村メイコ、戸田菜穂、篠田正浩、野上照代、長山藍子ら約400人の関係者が参列した。また、生前の秀子の遺志を継いで、映画界に貢献した裏方スタッフへの表彰を行う「一本のクギを讃える会」の発足も発表された。ちなみに、2000年(平成12年)に同誌が発表した「20世紀の映画スター」読者選出の日本女優部門でも第1位となっている。 2024年(令和6年)、高峰秀子生誕100周年を記念し「高峰秀子生誕100年プロジェクト」として東京タワーでは大特別展「逆境を乗り越えた大女優 高峰秀子の美学」を開催し、自筆の原稿やイラスト、愛蔵品の数々や出演作のポスターなどが展示された。また、国立映画アーカイブでは「生誕100年 高峰秀子」として22作品の特集上映がされた。そのほかにも様々な展覧会やトークショー、上映会などが行われている。

● 評価
「子役出身に大女優・名優なし」とのジンクス(このジンクスは、日本のみならず、シャーリー・テンプルほか外国でも同じ類例は多い)を破り、5歳から子役(現存するフィルムでは初出演の『母』や『七つの海』で、その子役像を観ることができる)となり、その後、娘役へと成長、さらに「女」を演じる大女優へと伸びていった。 役柄も非常に幅広く、娘時代には可憐な役柄が多かったが(『婦系図』『その前夜』ほか)、戦後は、時代の先端を生きる職業婦人(『朝の波紋』)、国民的人気を博した女教師(『二十四の瞳』)、男との破滅的恋愛関係に溺れる女(『浮雲』)、意に沿わぬ相手との結婚生活をする妻(『永遠の人』)、聾唖者として社会の底辺に居ながらも強く生きる女性(『名もなく貧しく美しく』)、生活のためやむを得ず銀座のバーに勤めるママ(『女が階段を上る時』)、お妾さん(『妻として女として』)など、とても、一人の女優が演じたとは思えないほど、様々な役を演じ、そのあらゆる役において見事な演技であった。 役者によっては個人の個性が前面に出てしまい、「何を演じても、誰それ自身」というタイプの俳優も少なくないが(たとえば、笠智衆は、演技というよりは自身の個性そのものが魅力となっていた俳優であると、山田洋次もNHKの「山田洋次監督が選ぶ日本の名作100本」のなかで指摘している)、高峰秀子の場合、その対極であり、まさに百変化とも言うべき、多様な役を、その役の性根をつかんで演じきった日本映画史上、稀有の名女優であった。斎藤明美による多くの関連出版がある。

◎ 画家、絵画モデル、美術収集家として
新東宝時代の1949年(昭和24年)、銀座で開かれた絵の愛好会・チャーチル会に参加し、翌1950年(昭和25年)の日本橋三越での名士余技絵画展に十号の『緑衣』を出品、4700円の売値がつけられ、会の顧問をしていた画壇の巨匠梅原龍三郎の知遇を受けた。1987年(昭和62年)に梅原との思い出を綴ったエッセイ『私の梅原龍三郎』(潮出版社)を刊行した。 2005年(平成17年)11月、梅原の絵画作品7点、宮本三郎作の1点、森田元子作の1点、堂本印象作の2点、計11点の肖像画を秀子本人が世田谷区に寄贈し、世田谷美術館に所蔵されている。

◎ 私生活

・1955年(昭和30年)に松山善三と結婚し、麻布十番近くの瀟洒だが、大女優と呼ばれる人物の邸宅としては質素な家に住んでいた。当初は、西洋の教会建築を模した建物であったようだが、平成以降、老後に備えて建物を小じんまりしたものに改装し、晩年は殆ど外部との接触を絶ち、早寝早起きの生活で余生を楽しんでいたと言われる。この時期、自宅にあった映画関係の資料やトロフィーなどの多くも記念館に寄贈している。また軽井沢に別荘を所有していたが、同じく老後に備えて、収集していた骨董などとともに平成期に売却している。
・ 1965年(昭和40年)、市川崑に撮影が依頼された映画『東京オリンピック』が、完成前の試写会で河野一郎(オリンピック担当国務大臣)が内容に疑問を投げるコメントを発したことをきっかけに大論争が巻き起こった際、「とってもキレイで楽しい映画だった。(文句をつけた河野は)頼んでおいてからひどい話じゃありませんか」「市川作品はオリンピックの汚点だなどと乱暴なことばをはくなんて、少なくとも国務相と名の付く人物のすることではない」と擁護コメントを雑誌や新聞に寄せた。
高峰は直接河野に面会を求め、その席で高峰は市川と映画のすばらしさを訴えるとともに、河野が市川と面談するように依頼した。河野は談笑を交えて、「実は映画のことは少しもわからんのだ」と高峰に答えた。海外版の編集権などは市川に戻った。市川は後年の対談でもこの件を深く感謝している。
・ 1967年(昭和42年)4月に行われた東京都知事選挙では美濃部亮吉の推薦人に名を連ねた。
・1971年(昭和46年)2月10日、衆議院逓信委員会「放送に関する小委員会」に(本名の松山秀子として)参考人として招かれ、テレビ番組の低俗化問題や、当時問題となっていた視聴者参加番組の賞品の高騰に関する所見を語った。前年にフジテレビの『クイズ・キングにまかせろ』の賞品として設けられた1,000万円のマンションの所有権が独占禁止法に違反しているという告発があった問題など(クイズ番組視聴者参加型全盛期とクイズ番組の賞金上限の制限参照)を受け、高峰は「暴力だとかエロだとか、そういうことが低俗になるかもしれませんけれども(略)クイズ番組をやっていて、何だかいろんな物をもらったり外国に行ったりする。あれが低俗の中の最も卑しい部類に入るのじゃないかと思う」と述べた。公正取引委員会と日本民間放送連盟は同年9月にすべてのクイズ番組の賞金・賞品の上限を100万円までと申し合わせる規制ルールを設けた。
・ 1972年(昭和47年)以前、国交のなかった中華人民共和国からの映画使節団が訪日した際、外務省からの依頼により夫妻でホスト役を担っていた。戦前の中国の大スターだった趙丹が江青の俳優時代を知っているという理由だけで江青に投獄された際には、ことある都度に知己を通じ「趙丹は元気にしているか」と呼び掛け続けて文化大革命による処刑を阻んだ。この経緯は『わたしの渡世日記』『いっぴきの虫』に詳しい。

◎ その他

・映画では佐田啓二をはじめ、田村高廣、仲代達矢、若山富三郎、天本英世、宝田明らなど年少の男優と夫婦役を演じることが多かった。この傾向は木下惠介作品に著しい。『永遠の人』で高峰扮するヒロインを陵辱して夫となり憎みあう夫婦を演じた仲代は、多数の名監督と日本映画史上に作品を残してきた俳優だが、瀬戸内寂聴との対談で、監督以外では唯一高峰の名を挙げ「厳しい人で、たくさんのことを教えられた」と述懐している。
・市川崑は助監督時代に高峰の家に下宿していた仲(それ以前に高峰が京都に短期滞在した際、市川の隣室に下宿して食事などを共にしており、その縁で東宝京都撮影所閉鎖後に東京勤務となった市川が高峰家に1年あまり住んでいた)であり、デビュー作から2本に主演。その後市川が大監督となってからの出演はないものの、エッセイでは「戦友」「崑ちゃんと呼ばせて欲しい」と記し、前述の東京オリンピック映画騒動の際には率先して擁護に当たるなど、変わらぬ友情を示した。
・街を歩いていてもファンに追いかけられるという人気であったが、ある日逃げ込んだ銀座の骨董品屋で骨董品の魅力に取り付かれる。以後骨董品集めが趣味となり、造詣が深い。「いい仕事してますね」のセリフで有名な中島誠之助も「姐さん」と呼ぶ長年の知己であり、一緒に骨董屋を開いていたこともある。この経緯は自伝『にんげん蚤の市』に詳しい。
・『馬』の長期ロケで山形県最上町に滞在した際に、高峰に一目惚れした少年がのちのケーシー高峰で、芸名も初恋の人たる彼女に由来する。

● 受賞・受章歴

・毎日映画コンクール
 ・1954年:女優主演賞『二十四の瞳』『女の園』『この広い空のどこかに』『悪の愉しさ』
 ・1955年:女優主演賞『浮雲』
 ・1957年:女優主演賞『喜びも悲しみも幾歳月』『あらくれ』
 ・1961年:女優主演賞『永遠の人』『名もなく貧しく美しく』
 ・2010年:特別賞(没後)
・1954年:ブルーリボン賞 主演女優賞『二十四の瞳』『女の園』『この広い空のどこかに』
・1955年:第29回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞『浮雲』
・1956年:第3回東南アジア映画祭 最優秀女優賞『浮雲』
・1961年:第5回サンフランシスコ国際映画祭 主演女優賞『名もなく貧しく美しく』
・1962年:第12回芸術選奨『名もなく貧しく美しく』『永遠の人』
・1965年:第17回ロカルノ国際映画祭 最優秀女優賞『乱れる』
・1975年:第21回映団連永年勤続功労賞
・1975年:紺綬褒章
・1976年:第24回日本エッセイスト・クラブ賞『わたしの渡世日記』
・日本アカデミー賞
 ・1979年:優秀主演女優賞『衝動殺人 息子よ』
 ・1996年:会長功労賞
 ・2011年:会長特別賞(没後)
・1994年:第4回日本映画批評家大賞 ゴールデン・グローリー賞
・2011年:第56回「映画の日」特別功労章(没後)
・2011年:おおさかシネマフェスティバル2011 特別賞(没後)
・2011年:第29回ゴールデングロス賞 特別功労賞(没後)

● 出演作品


◎ 映画
太字の題名はキネマ旬報ベスト・テンにランクインした作品
・母(1929年、松竹キネマ) - 春子  単行本「高峰秀子解体新書」付録DVDにて見れる。
・レヴューの姉妹(1930年、松竹キネマ) - 肇
・大東京の一角(1930年、松竹キネマ) - 一郎
・麗人(1930年、松竹キネマ) - 少年岩夫
・父(1930年、松竹キネマ) - お綱
・姉妹篇 母(1930年、松竹キネマ) - ゆき子
・私のパパさんママが好き(1931年、松竹キネマ) - みつ子
・美わしき愛(1931年、松竹キネマ) - お糸の実の娘
・愛よ人類と共にあれ(1931年、松竹キネマ) - 息子泰夫
・暴風雨の薔薇(1931年、松竹キネマ) - 晃一
・女はいつの世にも(1931年、松竹キネマ) - 太郎
・姉妹 前後篇(1931年、松竹キネマ) - 類子
・一太郎やあい(1931年、松竹キネマ) - きぬ
・東京の合唱(1931年、松竹キネマ) - 長女
・麗人の微笑(1931年、松竹キネマ) - 洋一
・情熱(1932年、松竹キネマ) - 光子の娘
・七つの海 前後編(1932年、松竹キネマ) - 曽根百代
・陽気なお嬢さん(1932年、松竹キネマ) - 道子
・天国に結ぶ恋(1932年、松竹キネマ)
・不如帰(1932年、松竹キネマ) - 道子
・鼠小僧次郎吉 解決篇(1932年、松竹キネマ) - 太郎吉
・頬を寄すれば(1933年、松竹キネマ) - 美也子
・与太者と海水浴(1933年、松竹キネマ) - 敏行
・東洋の母(1934年、松竹キネマ) - 静子の子供時代
・ぬき足さし足(1934年、松竹キネマ) - とし坊
・その夜の女(1934年、松竹キネマ) - 重子
・母の愛(1935年、松竹キネマ) - 春江
・永久の愛(1935年、松竹キネマ) - 秀子
・新道 前篇朱実の巻、新道 後篇良太の巻(1936年、松竹キネマ) - 京子
・花嫁かるた(1937年、松竹キネマ) - 菊江
・花籠の歌(1937年、松竹キネマ) - 浜子
・良人の貞操(1937年、P.C.L.) - 睦子
・江戸っ子健ちゃん(1937年、P.C.L.) - ミーちゃん
・見世物王国(1937年、P.C.L.) - 秀ちゃん
・白薔薇は咲けど(1937年、P.C.L.) - 花屋の娘
・お嬢さん(1937年、P.C.L.) - 失業した先生の娘
・綴方教室(1938年、東宝映画) - 正子
・藤十郎の恋(1938年、東宝映画) - 上村竹之亟
・虹立つ丘(1938年、東宝映画) - 逸子
・チョコレートと兵隊(1938年、東宝映画) - 茂子
・美はしき出発(1939年、東宝映画) - 奈津子
・娘の願ひは唯一つ(1939年、東宝映画) - ひで子
・ロッパの頬白先生(1939年、東宝映画) - 秀代
・忠臣蔵(1939年、東宝映画) - 一力仲居あぐり
・樋口一葉(1939年、東宝映画) - 大黒屋みどり
・われ等が教官(1939年、東宝映画) - 秀子
・その前夜(1939年、東宝映画) - おつう
・花つみ日記(1939年、東宝映画) - 篠原栄子
・新篇丹下左膳 隻眼の巻(1939年、東宝映画) - お春
・秀子の應援團長(1940年、南旺映画)
・そよ風父と共に(1940年、東宝映画) - 秀子
・釣鐘草(1940年、東宝映画) - 弓子
・エノケンの孫悟空(1940年、東宝映画) - お姫様
・昨日消えた男(1941年、東宝映画) - お京
・馬(1941年、東宝映画) - 小野田いね
・阿波の踊子(1941年、東宝映画) - お光
・女学生記(1941年、東京発声) - 鎌田佐智子
・秀子の車掌さん(1941年、南旺映画) - おこまさん
・武蔵坊弁慶(1942年、東宝映画) - 牛若丸
・希望の青空(1942年、東宝映画) - 秀子
・待って居た男(1942年、東宝映画) - お雪
・婦系図(1942年、東宝映画) - 妙子
・阿片戦争(1943年、東宝映画) - 麗蘭
・愛の世界 山猫とみの話(1943年、東宝映画) - 小田切とみ
・ハナ子さん(1943年、東宝映画) - チヨコさん
・兵六夢物語(1943年、東宝映画) - 怪童女
・若き日の歓び(1943年、東宝映画) - 高村裕子
・おばあさん(1944年、松竹) - 丸子
・三尺左吾平(1944年、東宝) - お妙
・勝利の日まで(1945年、東宝)
・北の三人(1945年、東宝) - 松本よしえ
・陽気な女(1946年、東宝) - 新井陽子
・浦島太郎の後裔(1946年、東宝) - 龍田阿加子
・明日を創る人々(1946年、東宝) - 高峰
・或る夜の殿様(1946年、東宝) - 妙子
・東宝ショウボート(1946年、東宝) - 靴磨きの少年
・東宝千一夜(1947年、新東宝) - 高山秀子
・大江戸の鬼(1947年、新東宝) - 萩原遼
・愛よ星と共に(1947年、新東宝) - 白河はるえ
・幸福への招待(1947年、新東宝) - 椎名ヒサ
・愛情診断書(1948年、新東宝) - 秋枝
・花ひらく 真知子より(1948年、新東宝) - 曽根真知子
・三百六十五夜(1948年、新東宝) - 小牧蘭子
・虹を抱く処女(1948年、新東宝) - 北条あき子
・春の戯れ(1949年、映画芸術協会) - お花
・グッド・バイ(1949年、新東宝) - 永井きぬ子
・銀座カンカン娘(1949年、新東宝) - お秋
・処女宝(1950年、新東宝) - 真金
・細雪(1950年、新東宝) - 妙子
・宗方姉妹(1950年、新東宝) - 満里子
・戦火を越えて(1950年、太泉映画) - 朱燕
・佐々木小次郎(1950年、東宝) - 琉球娘奈美
・女の水鏡(1951年、松竹) - 苗子
・カルメン故郷に帰る(1951年、松竹) - おきん
・我が家は楽し(1951年、松竹) - 長女朋子
・朝の波紋(1952年、新東宝) - 瀧本篤子
・東京のえくぼ(1952年、新東宝) - 峯京子
・稲妻(1952年、大映) - 小森清子
・カルメン純情す(1952年、松竹) - カルメン
・女といふ城 マリの巻・夕子の巻(1953年、新東宝) - 築地マリ
・煙突の見える場所(1953年、新東宝) - 東仙子
・明日はどっちだ(1953年、新東宝) - 光奴
・雁(1953年、大映) - お玉
・第二の接吻(1954年、滝村プロ) - 山内倭文子
・女の園 (1954年、松竹) - 出石芳江
・二十四の瞳 (1954年、松竹) - 大石久子
・この広い空のどこかに(1954年、松竹) - 泰子
・浮雲(1955年、東宝) - 幸田ゆき子
・渡り鳥いつ帰る(1955年、東京映画) - 街子
・遠い雲(1955年、松竹) - 寺田冬子
・くちづけ 第3話「女同士」(1955年、東宝) - 金田朋子
・新・平家物語 義仲をめぐる三人の女(1956年、大映) - 冬姫
・子供の眼(1956年、松竹) - 喜世子
・妻の心(1956年、東宝) - 富田喜代子
・流れる(1956年、東宝) - 勝代
・雲の墓標より 空ゆかば(1957年、松竹) - さち
・あらくれ(1957年、東宝) - お島
・喜びも悲しみも幾歳月(1957年、松竹) - 有沢きよ子
・風前の灯(1957年、松竹) - 佐藤百合子
・張込み(1958年、松竹) - 横川さだ子
・無法松の一生(1958年、東宝) - 吉岡良子
・女が階段を上る時(1960年、東宝) - 矢代圭子
・娘・妻・母(1960年、東宝) - 坂西和子
・笛吹川(1960年、松竹) - おけい
・名もなく貧しく美しく(1961年、東宝) - 片山秋子
・人間の條件 第5・6部(1961年、にんじんくらぶ) - 避難民の女
・妻として女として(1961年、東宝) - 西垣三保
・永遠の人(1961年、松竹) - さだ子
・ 女の座(1962年、東宝) - 石川芳子
・ 山河あり (1962年、松竹) - 井上きしの
・ 二人で歩いた幾春秋(1962年、松竹) - 野中とら江
・ 放浪記(1962年、東宝) - 林ふみ子
・ ぶらりぶらぶら物語(1962年、東京映画) - 桑田駒子
・ 女の歴史(1963年、東宝) - 清水信子
・ 乱れる(1964年、東宝) - 森田礼子
・ われ一粒の麦なれど(1964年、東京映画) - 根本倫子
・ 六條ゆきやま紬(1965年、東京映画) - 六條いね
・ ひき逃げ(1966年、東宝) - 伴内国子
・ 続・名もなく貧しく美しく 父と子(1967年、東宝) - 片山秋子
・ 華岡青洲の妻(1967年、大映) - 於継
・ 鬼の棲む館(1969年、大映) - 楓
・ 恍惚の人(1973年、芸苑社) - 立花昭子
・ スリランカの愛と別れ(1976年、東宝) - ジャカランタ夫人
・ ふたりのイーダ(1976年、同製作プロ) - 須川菊枝
・ 泣きながら笑う日(1976年、同製作プロ) - 中井雪子
・ 衝動殺人 息子よ(1979年、松竹) - 川瀬雪枝

◎ テレビドラマ

・東芝日曜劇場(TBS)
 ・第578回「浮かれ猫」(1968年)
 ・第583回「簪マチ子」(1968年)
 ・第605回「君は今どこにいるの」(1968年)
 ・第632回「あさきゆめみし」(1969年)
 ・第674回「父と母の子」(1969年)
 ・第686回「海はあおいか」(1970年)
 ・第735回「一筆啓上致します」(1971年)
 ・第786回「ささやくなら愛を」(1972年)
 ・第863回「雨の日の恋」(1973年)
 ・第891回「春の別れ」(1974年)
 ・第948回「台所のおと」(1975年)
 ・第999回「母の待人」(1976年)
 ・第1099回「流れゆく日々」(1978年)
・おしくらまんじゅう(1968年、CX)
・ポーラ名作劇場 / 霰(1969年、NET)
・火曜劇場 / 微笑(1975年、NTV) - 近野由美
・落日燃ゆ(1976年、NET) - 広田静子
・木曜ゴールデンドラマ / 生きるなり(1980年、YTV)

◎ ニュース映画

・ 毎日世界ニュース 335 「週間話題 映画使節団ニューヨークへ」 - 1958年1月13日の夜、高峰秀子や南左斗子ら代表団がニューヨークで開催される日本映画見本市に出席するため羽田空港から出発した。

◎ テレビCM

・ タッパーウェア(1963年)
・ 田辺製薬
・ 味の素「ハイミー」(1980年)
・ キッコーマン「さしみしょうゆ」

◎ そのほかの番組

・小川宏ショー(CX) - 「高峰秀子対談」の司会
・第173回 NHKビッグショー(NHK総合)
・人に歴史あり(東京12チャンネル) - 689回「高峰秀子 女優生活五十年 その長き道のり」 ほか多数

◎ 広告

・映画情報1983年1月号裏表紙、太陽神戸銀行の広告(イラスト)

● 著書

・『巴里ひとりある記』、映画世界社、1953年 / 新潮社、2011年11月 ISBN 9784103316114
・『まいまいつぶろ』、映画世界社、1955年 / 新潮社、2011年11月 ISBN 9784103316121
・『私のインタヴュー』、中央公論社、1958年 / 新潮社、2012年6月 ISBN 9784103316138
・『瓶の中』、文化出版局、1972年 / 河出書房新社、2014年4月 ISBN 9784309022680
・『わたしの渡世日記 上下』、朝日新聞社、1976年 / 文春文庫、1998年3月 ISBN 9784167587024, ISBN 9784167587031 / 新潮文庫、2012年1月 ISBN 9784101369815, ISBN 9784101369822
・『いっぴきの虫』、潮出版社、1978年10月 / 文春文庫、2011年10月 ISBN 9784167587116
・『つづりかた巴里』、潮出版社、1979年7月 / 中公文庫、2014年10月 ISBN 9784122060302
・『いいもの見つけた』、潮出版社、1980年10月 / 集英社文庫、1986年2月 ISBN 4087490866
・『台所のオーケストラ』、潮出版社、1982年6月 / 新潮社、2012年7月 ISBN 9784101369846
・『コットンが好き』、潮出版社、1983年10月 / 文春文庫、2003年1月 ISBN 4167587076
・『人情話松太郎』、潮出版社、1985年2月 / 文春文庫、2004年1月 ISBN 4167587084
・『私の梅原龍三郎』、潮出版社、1987年2月 / 文春文庫、1997年10月 ISBN 4167587017
・『道をひらく女性達 丸田芳郎対談集』(著者:丸田芳郎 中根千枝 前橋汀子 今井通子 太田朋子 高峰秀子、編集:花王)(1987年12月1日、創知社)ISBN 9784915510489
・『おいしい人間』、潮出版社、1992年5月 / 文春文庫、2004年7月 ISBN 4167587092
・『忍ばずの女』、潮出版社、1994年10月 ISBN 4267013624 / 中公文庫、2012年5月 ISBN 9784122056381
・『にんげん蚤の市』、文藝春秋、1997年1月 ISBN 4163525807 / 新潮社、2013年1月 ISBN 9784101369587
・『にんげんのおへそ』、文藝春秋、1998年5月 ISBN 4163540504 / 新潮社、2012年1月 ISBN 9784101369839
・『にんげん住所録』、文藝春秋、2002年7月 ISBN 4163573305 / 文春文庫、2005年7月 ISBN 4167587106
・『旅日記 ヨーロッパ二人三脚』、新潮社、2013年3月 ISBN 4103316144 / ちくま文庫、2016年6月 ISBN 448043366X
◇下記は松山善三との共著
・『旅は道連れガンダーラ』、潮出版社、1979年5月 / 中公文庫、2012年1月 ISBN 9784122055919
・『旅は道連れツタンカーメン』、潮出版社、1980年6月 / 中公文庫、2012年3月 ISBN 9784122056213
・『旅は道連れアロハ・オエ』、潮出版社、1982年12月 / 中公文庫(改題『旅は道連れアロハ・ハワイ』)、2011年11月 ISBN 9784122055674
・『旅は道づれ雪月花』、文化出版局、1986年6月 / ハースト婦人画報社、2012年3月 ISBN 9784573022034
◇※没後に、斎藤明美編で多く新版再刊。

● ディスコグラフィ

・「煙草屋の娘」(1941年(昭和16年))作詞:清水みのる、作曲:米山正夫 ポリドールレコード
・「森の水車」(1942年(昭和17年))作詞:清水みのる、作曲:米山正夫 大東亜レコード
・「歌え山彦」(1943年(昭和18年))作詞:園ひさし、作曲:鈴木静一 大東亜レコード
・「銀座カンカン娘」(1949年(昭和24年)作詞:佐伯孝夫、作曲:服部良一 ビクターレコード
・「カルメン故郷に帰る」(1951年(昭和26年)作詞:木下忠司、作曲:黛敏郎 ビクターレコード

「高峰秀子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
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