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園井 恵子(そのい けいこ、1913年〈大正2年〉8月6日 - 1945年〈昭和20年〉8月21日)は、日本の女優。
岩手県出身、1930年に宝塚少女歌劇(宝塚歌劇団)入団。高い演技力をもつ名バイプレーヤーとして知られた。1942年に宝塚を退団、新劇の劇団「苦楽座」に籍を移し、翌年出演した映画『無法松の一生』における吉岡夫人役で名声を博す。1945年8月6日、所属していた移動劇団「桜隊」が当時活動の拠点としていた広島市で原子爆弾投下に遭い、同月21日に原爆症(放射線障害)のため32歳で死去した。本名:袴田 トミ(はかまだ トミ)。
● 経歴
◎ 生い立ち
1913年、岩手県岩手郡松尾村(現・八幡平市松尾)に、袴田清吉、カメ夫妻の長女として生まれる。出生名は袴田トミ。実家は菓子の製造販売業を営み、祖父・政緒は松尾村の初代村長を務めた人物であった。翌年、政緒の死去に伴い一家はそれぞれ菓子舗として独立、トミは両親と共に同郡川口村(現・同郡岩手町川口)に移った。以後しばらく同地で育つが、岩手女子師範附属小学校高等科への進学に伴い、盛岡市の叔父・袴田多助宅に身を寄せる。さらに叔父一家が北海道小樽市に移転すると、トミもこれに付き従い、1927年に小樽高等女学校に入学した。
なお、戸籍上の本名は「トミ」だが、幼少のころ、歌舞伎の演目『切られ与三』の「いやさ、お富」という台詞で散々からかわれたことに辟易し、「英子(ひでこ)」という通称を名乗り、宝塚在団中は専らこの通称の方が知られた。さらに後には「真代(まさよ)」を名乗っており、死去4日前に書かれた最後の手紙も「真代」という署名で締められている。
◎ 宝塚音楽歌劇学校へ
小学校3年生のとき少女雑誌により宝塚歌劇の存在を知り、小学校卒業のころにはすでに入団を志望していたが、当時は叶えることができなかった。その後、小樽ではじめて「宝塚少女歌劇の姉妹座とかいう劇団」による「少女歌劇らしいもの」を観劇し、古本屋で宝塚歌劇の機関誌『歌劇』を見つけては熟読していた。小樽高女は2年次1学期末の1928年7月をもって中退し、川口村の両親のもとへ戻ったが、のちに両親と親戚の反対を押し切って宝塚音楽歌劇学校受験のため単身大阪へ赴き入学を果たすへ編入された。姓の「袴田」から「ハカマ」という愛称で呼ばれ、寮で同室だった桜緋紗子や社敬子とは特に親しい間柄となった。予科時代は平凡な存在だったという評がある一方、当時本科生だった冨士野高嶺によれば、「しっかりしている」という評判のあった予科生の中で、神代錦(1948-1951年星組トップスター)、桜緋紗子らとともに、ひときわ目立つ存在だったともいう。
○ 新劇の道の伏線
ただ、宝塚が一直線な夢の成就であるような上述の説明とは異なり、本当の宿願は新劇を演じることだとも説明されている。これによれば、園井は高女時代に、築地小劇場が小樽を訪れた際に観劇しており、それ以来、新劇を演じることが願望となった。しかし、新劇の道は経済的な理由で選択することができなかったので、宝塚への入学を決めたという。宝塚では予科生の10円(あるいは15円)の給料の大部分を仕送りしていた。
◎ 宝塚歌劇団在籍時代
翌1930年、音楽学校本科生となり、劇団第19期生として花組に編入。当時の芸名は「笠縫清乃」であった。同年4月から上演されたレビュー『春のをどり』で初舞台を踏み、同年12月から芸名を「園井恵子」と改めた。抜擢したのはロッパ一座の劇作も行っていた菊田一夫で、園井が宝塚で1940年に出演した『赤十字旗は進む』(菊田作)での芝居を非常に気に入っていたことによるのような芝居をやりたいということですが、それも一案ですが、当分ロッパの舞台で続いてやられてはどうかと思う」との書簡を受け取っている。しかし結局、同年主演した『ピノチオ』(4~5月:宝塚大劇場、8~9月:東京宝塚劇場)を最後に、園井は宝塚を退団する。同作で脚本を担当した内海重典は、園井が主演に抜擢されたことに「驚いた」と述懐しているが、これはもともと春日野八千代に振られていた役で、園井の退団意志を知っていた春日野が劇団に掛け合い、役を譲ったのだとも伝えられている。内海重典の妻、内海明子(元宝塚歌劇団・加古まち子)によれば劇団は園井の退団に反対していたが、退職金を辞退しての強行退団であった。
◎ 『無法松の一生』への出演
1943年、園井は当時最大級のスターであった阪東妻三郎の相手役・「吉岡夫人」役として、映画『無法松の一生』に出演する。吉岡夫人役には当初水谷八重子、次いで入江たか子が候補として挙がっていたが。
撮影に入ると園井は顔合わせの頼りなさからは打って変わって真摯に役作りに取り組み。その最中に丸山が肋膜炎を発症したため。2014年の宝塚歌劇100周年時の100人、2016年の4人に続く、105番目の「殿堂入り」となった。
● 人物
◎ 芝居についての評価
宝塚歌劇では喜劇的な役どころが多く、「二枚目半として宝塚随一」、「三枚目の大御所」といった評があった。しかし『歌劇』編集長の丸尾長顕によれば、当時のタカラジェンヌは三枚目といわれることを嫌がり、園井も「自分の三枚目は二枚目に近いと言われる」と言っては得意がり、自分を慰めているふしがあったという。
演出家の久松一聲はその演技を評し、「宝塚の舞台に粉黛を装う若人幾百、芸達者、なんでも来いは数あるが、滋味で目立たぬほどの演出の中に、底力のこもった、しかし品位を失わぬ演技は、はなはだ少ない。その少ない中の一人に数えられるのが園井恵子である」と評した。また菊田一夫は『文芸朝日』の宝塚50周年特集において、園井以後その演技力を凌ぐ者はひとりも出ていないとした。園井が東京滞在時に世話を受けていた河崎なつは小樽高女の元教員で、志づの紹介により知遇を得、ひとかたならぬ影響を受けていたという。桜隊事務長だった槙村浩吉は、園井から宝塚時代の話は一度も聞かなかったが河崎の話を聞かない日はなく、一挙手一投足に至るまで河崎からの教訓を守っていた、と述懐している。また、東京滞在時には元議員で食の大家としても知られた木下謙次郎の世話も受け、養女にと望まれたほど気に入られていた。
園井に恋人がいたかどうかは定かではないが、北海道の牧場主との縁談があったされる。社敬子によれば、音楽歌劇学校時代には声楽を担当していた須藤五郎(後に日本共産党参議院議員)に憧れていたが、須藤が思想問題で検挙されてからは園井が話をすることはなくなったという。
◎ 信仰
同時代に谷口雅春が創始した右派宗教団体・生長の家の信者であった。桜緋紗子にも生長の家の典籍『生命の実相』を読むよう勧め、しばしば人生・人間論を語り、それはときに2時間以上に及ぶこともあったという。桜は芸能界から引退後に出家して小笠原日凰を称し、日蓮宗の門跡寺院・瑞龍寺の第十三世門跡となったが、「宗教的な縁のきっかけは、ハカマからだったかもしれない」と述べている。また、宗教的信仰とは異なるが、父・清吉から口伝された「極楽は地獄の底を突き破ったところにある」という言葉を座右の銘とし、清吉が病没してからは1日1回必ず口ずさんでいたといわれる。
● 逸話
◎ 宝塚時代の金銭的苦境
宝塚歌劇には裕福な家の子女が多かったが、袴田家にはそれほどの余裕がなく、宝塚時代初期の園井は金銭的に窮乏していたとされる。小林一三の随筆によれば、宝塚音楽歌劇学校に入る前、園井は「自分は親兄弟を養わなければならないが、歌劇に入ったら幾らもらえますか」と音楽歌劇学校の舎監に尋ねていたといい、予科生時代には、他の生徒が親からの仕送りを受けるなか、園井は劇団から毎月支給される15円をやりくりして生活していた。本科生となった1930年には父・清吉が倒産した薪炭会社の連帯保証人となっていたため破産、一家は園井を頼って宝塚に移り住み、園井は病弱の清吉に代わり、宝塚大劇場に職を得た妹と共に一家の生活を支えていかなければならなかった。1935年、その苦境を知った小林一三は、親孝行と努力を褒賞する手紙と共に100円を渡し、園井を激励した。
◎ 幻の映画出演
『無法松の一生』のあと、大映において松田定次監督で『乞食大将』の製作が決まった際、女主人公の配役が難航していた。たまたま大映企画部に顔を出した稲垣浩がこの話を聞いて「園井さんがいいんじゃない」と推薦し、片岡千恵蔵らもこれに同意。さっそく出演依頼のため園井を探したが、すでに桜隊の巡業に出た後で、巡業先も掴むことができず、結局主人公は中村芳子に回された。
また、山本嘉次郎も園井を主役に起用しようとしていた。『無法松の一生』での園井の芝居に感心した山本は、園井への当て書きの脚本を用意した上で出演交渉を図ったが、当時園井は東京にいたものの、桜隊所属だったことから住所を把握している者が少なく、居場所を突き止められないまま2か月が過ぎた。あきらめかけた山本は原節子に役を振り替えようとしたが、ちょうどそのころ園井が「空襲の激しいときに長い旅行(巡業)をするのは嫌だから、何か映画出演の口はないか」と東宝撮影所を訪れる。事務は「今は特にない」断ってから、山本に「園井恵子さんが見えてますが、何かご用はありませんか」と確認に来た。山本は「ありませんかどころじゃない」と大あわてで園井に会おうとしたが、すでに園井は撮影所を後にしており、結局掴まえることはできなかった。園井はその夜に再び桜隊の巡業に出、山本はやむなく原節子を起用することになったが、この映画『快男子』は撮影中に終戦を迎えたため破棄された。
戦後、山本は「たった5分の違いで、あたら天下の名優二人を殺してしまった」と妻・千枝子に事の顛末を語ったが、その出来事があった当時、千枝子は仕事の打ち合わせのため、園井が東京で寄宿していた河崎なつ宅を毎日のように訪れており、園井とも頻繁に顔を合わせていた。園井のファンだった千枝子は「ほんとうに惜しいともなんとも……なぜひとこと言ってくださんなかったんでしょうね」と恨み言を漏らしたといい、山本は「運、不運などというものをこのときぐらいつくづくと、恐ろしく思ったことはない」と述懐している。
◎ 手塚治虫への影響
手塚治虫の育った家は兵庫県宝塚市にあり、タカラジェンヌも何人かが住むため「歌劇長屋」とも称される家並びのうちにあった。手塚の記憶では園井はこの家並びのはずれに住んでいた。漫画『リボンの騎士』は、"完全な宝塚のノスタルジアです "と述懐しており、宝塚の『ピノチオ』(主演は園井)の熱烈なファンで、これが『鉄腕アトム』にも影響したと推察されている。
◎ 平成・地元岩手への波及
岩手県岩手町川口で毎年9月に開催される川口豊城稲荷神社「川口まつり」では、3台の南部風流山車が運行し、毎年様々な歴史上の人物や歌舞伎をテーマにした大人形を飾るが、そのうち境田・二ッ森・草桁地区が製作する「井組」では1999年より「原爆で散った未完の女優 園井恵子」と題し、園井に似せた人形に様々な着物を着せたり、太鼓を叩かせる・背景に巨大な鯉をあしらうなど、毎年趣向を変えつつ飾っている。
● 死後の顕彰
園井の没後40年にあたる1985年10月、郷里の岩手県に本社を置く民放・IBC岩手放送のラジオ番組「夏のレクイエム~女優・園井恵子と『桜隊』の記録」が放送され、後に「昭和60年度民間放送連盟賞教養番組部門最優秀賞を受賞。
1989年、岩手県松尾村は、同村創立百周年記念事業の一環として、園井の資料展や、映画『無法松の一生』、『さくら隊散る』の鑑賞会を開催。さらに、『園井恵子・資料集-原爆が奪った未完の大女優』を編纂した。
1991年8月5日、NHK『現代ジャーナル 原爆とは知らず 女優・園井恵子の戦争』放送(出演は、葦原邦子、池田生二、槙村浩吉、大沼ひろみ他)。
1994年5月18日、松尾村が園井関連も含む郷土の資料を収蔵する文化施設「ふれあい文化伝承館」を建設し、記念イベントを開催した。同年8月25日、同町内外から設立費用の協賛を得て、宝塚音楽歌劇学校当時の園井の姿を形取ったブロンズ像が同町川口12-10の「岩手町働く婦人の家」敷地内に完成し、園井の母校・岩手町立川口小学校の児童らの手で除幕されたされ、同年8月20日、岩手県民会館中ホールで、稔幸、森奈みはるら園井の宝塚歌劇団の後輩の元団員と広島の被爆体験者らが出演して追悼イベント「原爆に散った未完の大女優 園井 恵子—今、語り継ぐあの 瞬間(とき)」が開催。岩手町内でも、7月21日から8月22日まで、同町ゆはず交流館で、園井恵子資料展等が開催された。この模様が同年9月8日19時からIBC岩手放送のテレビ番組「今、語り継ぐあの瞬間〜原爆に散った未完の大女優・園井恵子」(55分)として放送された。
2013年7月22日、兵庫県宝塚市の「ソリオホール」で、新藤兼人監督の『さくら隊散る』と、1936年当時の園井の舞台映像を収めたフィルム『パリアッチ』が上映され、後援者だった中井美智子ほか関係者のトークが行われた。
前述の通り、2019年、古巣・宝塚歌劇団の「宝塚歌劇の殿堂」の選考で殿堂入り。殿堂入りしたタカラジェンヌの中で、園井は最年少の物故者、かつ唯一の戦災死した人物となった。
● 出演映画
・ 『軍國女學生』(1938年、宝塚映画)
・ 『山と少女』(1938年、宝塚映画)
・ 『雪割草』(原作/白井鐵造、1939年、宝塚映画)
・ 『南十字星』(1941年、宝塚映画)
・ 『無法松の一生』(1943年、大映)
● 関連作品
◇ 評伝・伝記・ノンフィクション
:
・江津萩枝『櫻隊全滅 - ある劇団の原爆殉難記』 未來社、1980年1月刊 - ノンフィクション
:
・千和裕之『流れる雲を友に 園井恵子の生涯』 パブフル、2020年7月刊 - 評伝、伝記、ノンフィクション
:
・千和裕之『園井恵子 原爆に散ったタカラジェンヌの夢』 国書刊行会、2023年4月刊 - 評伝、伝記、ノンフィクション
◇ 映画
:
・ 新藤兼人監督『さくら隊散る』 1988年制作 - 江津の上記著作をもとに制作。未來貴子が園井を演じた。
:
・ 大林宣彦監督『海辺の映画館―キネマの玉手箱』 2020年公開 - 常盤貴子が園井を演じた。
:
◇ 戯曲
:
・井上ひさし作『紙屋町さくらホテル』 1997年初演。新国立劇場開場記念公演 - 園井役は初演は三田和代。幾度か再演されており娘役だが宝塚OG森奈みはるも園井を演じた。
「園井恵子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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