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野口 寅次郎(のぐち とらじろう、本名:野口 陽一(のぐち よういち)、1950年3月7日 -)は、日本のお笑い芸人。東京都新宿区生まれ。
● 人物
NTTの関連会社勤務の傍ら、「5時から芸人」、「サラリーマン芸人」と称してものまね漫談を披露していた。現在は寅さんのものまねを中心に活動をしている。ボーイズバラエティ協会所属。元東京都ヘブンアーティスト。東京善意銀行会員(東京都社会福祉協議会)。血液型はAB型。別名義に「野口よういち」がある。
● 来歴
◎ 芸人デビュー
埼玉県立与野高等学校を卒業し、大学に入るために浪人するも2浪して諦め、フリーターを経てNTTグループ関連会社に就職する。芸人を目指した理由は、1979年4月に声帯模写の桜井長一郎が主催者であり、上野本牧亭で行われた第1回おおむの会のものまねコンテストでグランプリを獲得したことに始まる。1980年4月に上野鈴本演芸場で行われていた牧伸二漫談教室に入門した。
その後、テレビ朝日の「ザ・テレビ演芸」に出演し、テニスプレーヤーのジョン・マッケンローをもじった「マッケンジョー」の芸名でラケットを片手にものまねコントを披露することになったが、緊張のあまり酒を飲みネタを忘れ司会の横山やすしに激怒された。いまだに明石家さんまが、その時のことを話題にすることがある。その後は充電期間となり、その間に筑波サーキットの自動車レースにレースクィーンをプロモートしていた。1993年5月に「お笑いのぐち組」を結成し,1995年11月より同メンバーらと江東区の「つるの湯 銭湯寄席」を開始する。また、当時は柴又帝釈天の鳳翔会館で庚申の日(60日に一回の縁日)に行われる「柴又こうしん演芸」の創始者にもなっている。
◎ 車寅次郎のモノマネでブレイク
1997年2月、ゆうばり映画祭「寅さんなりきりコンテスト」で準優勝した。
1996年8月より週末(毎月第2・第4土曜日)に行っている「柴又寅さんガイド」では、「男はつらいよ」の寅さんになりきって柴又のボランティアガイドを今日まで続けている。
こうした活動に対して2002年故渥美清七回忌追悼献花式において山田洋次から、直々に感謝状を手渡された。
ボランティアガイドは、柴又帝釈天参道(神明会)の各店舗及び地元の方から信頼されている。
2002年、プロ芸人集団「ボーイズバラエティ協会」へ入会が許可され、浅草東洋館や新宿末広亭の寄席に出演を開始し、積極的に寅さんのものまねを通してメディアに出演している。
2007年から2008年にかけて、ANAスカイホリデーのツアー企画「寅さんを演じる感動案内人と行く柴又散策」で感動案内人として柴又の案内をする。
・ 2008年8月5日放送、TOKYO MX「TOKYO BOY」石原慎太郎知事(当時)、テリー伊藤と柴又ガイド。
・ 2008年10月11日放送、NHKラジオ第1「どよう楽市」にゲスト出演。
・ 2009年9月12日放送、朝日放送制作・テレビ朝日系「朝だ生です旅サラダ」柴又の紹介に登場。
・ 2011年2月14日放送、BS-TBS「吉田類の酒場放浪記」柴又「酒場春」
・ 2012年4月11日放送、テレビ東京「7スタLIVE」柴又ぶらり
・ 2014年6月17日放送、フジテレビ「バイキング」平成ノブシコブシとともに柴又参道の様子をリポート。
・ 2015年10月17日放送、NHKテレビ「NHK歌謡コンサート」柴又から都はるみ、佐藤蛾次郎と出演。
・ 2017年6月25日放送、フジテレビ「フルタチさん」人生の先輩に教えて欲しい「究極の2択・人生の教訓」大調査SP
・ 2018年5月19日放送、日本テレビ「天才志村どうぶつ園」
「野口陽一」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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