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曽我 町子(そが まちこ、1938年3月18日 - 2006年5月7日)は、日本の女優、声優、歌手。東京都八王子市出身。株式会社ステラ元代表取締役。
● 生涯
東京府八王子市明神町でタバコ屋の娘として生まれる。一男三女の三女である。八王子市立第四小学校、八王子市立第五中学校、東京都立南多摩高等学校を経て、1955年に東京声専音楽学校を卒業。
あがり症を克服するため、日本ジャズ学校に通い、1956年に桑の実劇団に入団。同年にNHKの児童番組『みんな一緒』でデビュー。本人曰く、このとき合格したオーディションは度胸試しで受けたものであったという。その後、1959年に伊藤道郎TV俳優養成所、1960年に東京アナウンスアカデミーアナウンス科及びCM科を卒業。
『チロリン村とくるみの木』のリップちゃん役で声優としてデビュー。声優としては『オバケのQ太郎』のQ太郎が著名な役の一つ。1961年、アメリカ映画『青い目の蝶々さん』が映画デビュー作となる。
所属事務所は東京俳優生活協同組合(1962年時点)、1963年の時点ではフリーランスで活動。エマノン事務所(1965年時点)、小日向事務所(1967年時点)、芸映プロ(1968年 - 1970年時点)、新和プロ(1971年 - 1973年時点)、富士企画(1979年時点)。
舞台、テレビドラマでも活躍。『レインボーマン』のゴッド・イグアナ役をはじめ、スーパー戦隊シリーズ(テレビ朝日系)では『電子戦隊デンジマン』『太陽戦隊サンバルカン』でヘドリアン女王、『恐竜戦隊ジュウレンジャー』で魔女バンドーラを演じた。その他『魔法戦隊マジレンジャー』など数々の特撮番組に出演、悪の女王・魔女役を数多く演じ、“この役柄で右に出る者はいない特撮俳優界の女王”と評される。
『ジュウレンジャー』は後にアメリカでも『パワーレンジャー』シリーズとして放送されて大ヒットとなった。主人公たちの変身前など素顔の出演者はアメリカ人が演じて撮影し直したが(変身後は日本で撮影した画像をそのまま使用)、曽我が演じたバンドーラ(アメリカ版ではリタ・レパルサ)は、アメリカ側のスタッフが曽我の演技を評価したことから、初期シリーズでは曽我の映像にバーバラ・グッドソンがアテレコする形でそのまま使用されていた。リタはアメリカの他、各国でも人気を博した。
一時「ステラ曽我」という芸名を名乗っていた時期がある。
1983年に俳優業の傍ら、東京・原宿に趣味の古美術品収集を生かしたアンティークショップ「ステラ」を開業。
・ 悪役を演じるにあたっては、悪の魅力を前面に押し出すことを意識していた。
・ 『オバQ音頭』のレコーディングの際、曽我は風邪をこじらせており、本来の声のコンディションではないことを理由に、日本コロムビアの製作サイドに一旦は「レコーディングの予定をずらしてほしい」と願い出たという。しかし、共演相手の石川進のスケジュールが空いていなかったほか、コロムビア社内がストライキの真っ只中であったことから、久々に現場に参加できるとあって大乗り気になっていたコロムビアの幹部たちの熱意に押されるような格好で渋々レコーディングに臨むことにしたという。結果、同レコードは累計で200万枚以上(公称)を売り上げるというアニメ番組・子供番組が出自の楽曲レコードとしては異例の大ヒットとなったのだが、曽我自身は「レコーディングをずらしてくれたら、もっと面白く歌えたはずなんだけど」とインタビューの中で話すなど、その出来映えには晩年まで満足してなかったようである。
・ 特撮作品の魔女役が十八番であるだけに、それに対しては格別の愛着を持ち、自分の店「ステラ」では、演じてきた各魔女役にインスピレーションを受けた香水を自ら調合し、その役にちなんだ商品名で客達に提供したりもしていた。
・ 『TVチャンピオン』にも自分の演じた役柄に関するクイズの出題者としてゲスト出演したことがある。 勝ち抜いた挑戦者のためにサイン色紙を用意する、敗退した挑戦者とも対面し言葉を交わすなど、演じた役もファンも大事にした。
・ 40代の頃までは深夜番組『11PM』内の定例企画「芸能界酒豪番付」で三役の常連として名を連ねるほどの酒豪として知られていた(一時は新宿などの都内の繁華街でバーやスナックも経営していた)が、50代半ばになってからは老後の健康が気になり断酒を決行。以後、亡くなるまでほとんど酒類を口にすることはなかったという。
・ 仕事に対する厳しさの反面生来明るい性格である曽我は、他の共演者達によく声を掛けて積極的にコミュニケーションを取っていたという。『ジュウレンジャー』で共演した千葉麗子は、曽我の訃報の翌日に自身のウェブサイトで「何も分からない新人の私にも話をして下さった」と哀悼の意を表すコメントを掲載していた。
・ 曽我が亡くなった日、テレビ等のメディアは「初代オバQの声優が亡くなった」等とこれを広く報じた。曽我が経営していた「ステラ」のウェブサイトにある掲示板にはファンからの何万件もの追悼のコメントが載せられ、ステラ側からは献花等を辞退する旨の声明が出されている。
・ テレビ朝日を除く民放各局が「初代オバQの声優が亡くなった」と広く知られた事例のみを以って紹介する一方、NHKの『つながるテレビ@ヒューマン』では、「特撮の女王」として番組コーナーで訃報を取り扱った(ヘドリアン女王等のスチール写真や『電子戦隊デンジマン』のBGMを流して紹介)。
・ 『時空戦士スピルバン』に女王パンドラ役で出演していた当時、『ビートたけしのスポーツ大将』の100m走に女王パンドラとして出演したことがある。この時は40mのハンデをもらったが、衣装の重さから見事に最下位となってしまい、劇中におけるパンドラのキャラクターそのままに悔しがっていた。
・ 『魔法戦隊マジレンジャー』で曽我が演じた「天空大聖者マジエル」の役は当初俳優の岡田眞澄が務める予定であったが、岡田が体調不良を理由に辞退したため竹本昇監督の推薦によりその代役として曽我に依頼されたものであったという。しかし、実際には曽我もこの時すでに病魔と闘いながらの撮影であった。なお、曽我の死去から約3週間後の5月29日に岡田も癌によってこの世を去っている。竹本は「曽我町子に演技指導する監督」としての立場に緊張の連続であったと後に述懐している。
・ マジエルの初登場編にあたる『マジレンジャー』の映画版『魔法戦隊マジレンジャー THE MOVIE インフェルシアの花嫁』で曽我演じるマジエルが、劇中の終盤にマジレンジャーの6人や地上界に住む人間達に向けて述べた「さて、地上界の者たちに素敵な魔法を送るとしよう。それぞれの者に勇気と力を与えよ。」という台詞は、曽我本人が映画館まで観にきてくれた観客に何か元気になれるメッセージになるような台詞を最後に入れて欲しい、と東映側のチーフプロデューサーを担当した塚田英明に提案して急遽挿入されたものであるという。
・ 『電子戦隊デンジマン』などで付き合いのあった小林義明監督については「とにかく変わり者」という人物評をしていた。
・ 曽我自身は役者を続けるつもりは無かったが、アメリカ映画『青い目の蝶々さん』に出演したことが転機となり役者を続けていくことを決めた
◎ 舞台
・ 夏期爆笑講座笑い方教えます(1972年、喜劇学校)
・ 三度目の二〇才・40カラット(1972年、一〇〇〇万シアター)
・ 踊るコマ(1973年、花登名作喜劇公演)
・ 新夫婦漫才(1973年、花登筺名作喜劇公演)
・ めでためでたや物語(1976年、劇団喜劇)
・ 駅長さん(1976年、唄啓劇団)
・ 親恋鴉旅日記(1976年、唄啓劇団)
・ 声(1978年、曽我町子プロデュース)
・ 蜜の味(1988年、五月舎)
◎ テレビアニメ
・ 宇宙パトロールホッパ(1965年、NET) - ジュン
・ 狼少年ケン(1965年、NET)
・ オバケのQ太郎(1965年 - 1967年、TBS) - Q太郎
・ ピュンピュン丸(1967年 - 1970年、NET) - ケメ子
・ サイボーグ009(1968年、NET) - 007
・ 怪物くん(1968年、TBS)
・ カバトット(1971年 - 1972年、CX) - トット
・ 珍豪ムチャ兵衛(1971年、TBS) - ボケ丸
・ ドボチョン一家の幽霊旅行(1972年、NET) - ニャンニャン
・ ミクロイドS(1973年、NET) - マメゾウ
◎ 劇場アニメ
・ サイボーグ009 劇場版(東映動画) - 007
・ サイボーグ009(1966年)
・ サイボーグ009 怪獣戦争(1967年)
・ ピノキオの宇宙大冒険(1968年、東映動画) - ピノキオ
・ 魔犬ライナー0011変身せよ(1972年、東映動画) - ジョーカー
◎ ゲーム
・ 天外魔境 第四の黙示録(1997年) - マダム・アペティ
・ 宇宙刑事魂(2006年) - 暗黒銀河女王 ※遺作
◎ 吹き替え
・ 刑事コロンボ ビデオテープの証言(フランシーン)
・ 走れチェス
・ ぼくはハッピー(ハッピー)
・ ミステリーゾーン(草野球の少年投手、12歳のトム)
・ 名馬フリッカ
◎ バラエティ
・ TVチャンピオン「悪役怪獣・怪人王選手権」(2000年2月10日 テレビ東京) - 「ステラ」にて自身に関する問題を2問出題。
◎ ラジオ
・ おしゃべりランチタイム(TBSラジオ)
◎ CM
・ ジョンソン(防臭剤「シャット」) ※CMソング、「ニューシャット」「スーパーシャット」を含め20年近くに亘って使用された。
◎ 人形劇
・ こどもにんぎょう劇場「小さい魔女」
● 音楽
・ オバケのQ太郎
・ オバQ音頭(1966年5月発売。『オバケのQ太郎』主題歌)
・ オバQかぞえうた
・ ぼくは正太だい
・ オバQマーチ
・ ジングルベル(企画盤『オバQクリスマス』)
・ 丸出だめ夫の歌(1965年9月、朝日ソノラマ M23 / 『丸出だめ夫 第1集』)
・ ブースカ節 / マンガ鼠小僧(1966年9月、コロムビア・レコード SAS-782)
・ 「ブースカ節」は作詞:石本美由起、作曲:市川昭介、「マンガ鼠小僧」は作詞:高橋まさみ、作曲:山下毅雄。
・ 謎の女B / しっぽ(1967年9月1日、クラウン・レコード CW-713 / A面・B面共に作詞・作曲:平岡精二)
・「謎の女B」は1969年に映画『華やかな女豹』(日活)の挿入歌となった。平岡精二によるセルフカバーをはじめ、EGO-WRAPPIN'やキノコホテル、渚ようこらにカバーされている。
・後年、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(TOKYO FM)の1コーナー「うさんくさいPOPS」でも取り上げられた。
・ サウンドコミック 曽我町ねえさんとピグモンの怪獣王国冒険(1971年8月25日)
・ 魔女はいじわる(『5年3組魔法組』エンディング主題歌)
・ Dolla 〜魔女バンドーラのテーマ〜(『恐竜戦隊ジュウレンジャー』挿入歌)
・ 暗黒銀河女王のブルース(『宇宙刑事魂』挿入歌)
・ ボールボーイの歌(『星雲仮面マシンマン』挿入歌)
・ バッテンロボ丸(『バッテンロボ丸』主題歌)
「曽我町子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2025年5月10日2時(日本時間)現在での最新版を取得












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