ランキング127位
獲得票なし
ランキング92位
獲得票なし
清水 キョウイチ郎(しみず きょういちろう、本名:清水 共一〈しみず きょういち〉、1965年3月6日 - 2006年11月4日)は、奈良県出身の吉本興業に所属していたお笑い芸人。元「ぴのっきを」のボケ担当。ピン芸人時代の旧芸名は、清水家 共一(しみずや きょういち)、清水 共一郎(しみず きょういちろう)。師匠はいかりや長介、山根伸介とされている。
● 芸歴
奈良芸術短期大学インテリア学科卒業後、1987年頃から東京へ上京し役者を目指す。いかりや長介に入門するが、後に破門され大阪へ戻る(あくまで清水本人による談であり、破門の理由にも複数の説がある他、清水の実弟もメッセンジャー黒田に「そんな話は聞いたことがない」と話すなど、真偽の程は不明である)。1988年3月うめだ花月の舞台進行役になり、フレッシュコーナーにおいてトップで合格。同年6月に新井正浩(タコ)と漫才コンビ「ぴのっきを」を結成、心斎橋筋2丁目劇場やうめだ花月などで活躍。だが、2000年に新井が実家の家業を継ぐために芸人を廃業し、コンビを解散。その後新喜劇に入団するが、処遇に困った吉本興業本社が新喜劇に入団させたという説もある。「ぴのっきを」(1995年から「ぴのっきお」、2000年から「きょーちゃん蛸ちゃん」)時代、本名を芸名として活動していたが、新喜劇入団後は短期間で改名を繰り返し、現在の芸名に落ち着いていた。
『ごきげんブランニュ』(ABCテレビ)ではパラ軍団の一員として活動し、三食すべてをそうめんで過ごす、賞品の金券を換金するなどその貧乏生活ぶりが暴露されている。同番組で鯖街道(福井県小浜市から京都市・出町柳までの約80km)を細い体に似合わず踏破した。尚、この番組では他に、月亭八光、藤井輝雄(しましまんず)、タンク(シンクタンク)、今別府直之、中立豊、岡友美(青空)が鯖街道に挑戦したが(八光、藤井、タンクは2回)、完走したのは最年長の清水のみ。スタッフが止めたにもかかわらず最後まで歩き続けた。
2006年11月4日、肺血栓のため大阪市内の自宅にて41歳で死去した。11月7日に新喜劇出演が控えていたが、4日になっても台本を取りに来ないため、不審に思ったマネージャーが翌5日清水の自宅を訪れたが、既に亡くなった状態で発見された、『ごきげんブランニュ』及び『やりすぎコージー』で緊急追悼番組(特集)が組まれた。やりすぎコージーの追悼スペシャル では、黒田が「全然いい人じゃなかったけど、面白い人やったんですよ」と評し、あいはらは「パラ軍団永久会員です」(清水は、タンクとの不和により2006年にパラ軍団を脱退していた)とコメントし、笑いに包まれた追悼番組となっていた。
2007年、『YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜』の企画として、清水の実話を題材にメッセンジャー黒田が監督した短編『潮どき〜芸人・清水キョウイチ郎〜』が制作・上映された。
● ギャグ・イジリ
特徴的な後頭部をよく内場勝則などにいじられていた。「部活動は?」、(清水)「後頭部や!」、「すいません、尖ってるのが不思議だったから」、「サル顔」、「キョロちゃん」、「叩きやすい頭」、「ウマズラビーム!」など。
「ぴのっきを」時代のネタをそのまま流用。歌でボケる。歌においてトーンが下がるところでワザと上げて、下がらな~、とつっこまれると、過度に下がり叩かれる。早い動きで西城秀樹やピンクレディーの振り付けを行うネタ(コロッケの野口五郎より激しいものだった)。こんにちは赤ちゃんのメロディーにのせて手品の真似をする。
● 出演
◇ コンビ時代
・ 爆笑オンエアバトル - 戦績1勝2敗 最高449KB
◇ ピン時代
・ やりすぎコージー・土曜婦人
「清水キョウイチ郎」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年9月15日18時(日本時間)現在での最新版を取得
好き嫌い決勝
好き嫌い準決勝
好き嫌い準々決勝
好き嫌い7位決定戦
好き嫌いTOP10圏内確定戦
タレントの無作為ピックアップ
Powered by