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若井 はんじ・けんじ(わかい はんじ・けんじ)は、日本の兄弟漫才コンビ。昭和時代の高度経済成長期に活動した。略称は「はんけん」。同世代の「柳柳」こと上方柳次・柳太としのぎを削った。
● メンバー
・ 若井 はんじ(わかい はんじ、1933年10月7日 -)
: 兄。本名:若井 輝雄(わかい てるお)、巡業先の愛知県半田市で初舞台。翌年、父親がメチルアルコールの多量摂取で死去したため、母子のコンビとなる。
: 短期間弟と漫才コンビを組んだのち、2代目大江美智子率いる名古屋市の女剣劇一座「大美劇団」に座長として入団。
: はんじ・けんじとして活動中の1975年に胃癌のため入院。一時快方に向かうが、同年12月に再入院し、翌年死去。癌であることは本人に知らされないままだった。
・ 若井 けんじ(わかい けんじ、1935年4月18日 -)
: 弟。本名:若井 修身(わかい おさみ)。
: 短期間兄と漫才コンビを組んだのち、はんじ・けんじ結成までは芸人を休業。
: はんじに先立たれたのち、同様に相方を病で失っていた上方柳次とコンビを結成するが、解散で選挙活動が思うように行なえず、また定数削減のあおりを受け35票差の次点で落選を起こし重体となり、翌日内臓破裂のため大阪市生野区の病院で死去した。
● コンビ略歴
1948年
・ 若井ぼん・はやと
・ 若井小づえ・みどり
・ 若井チック・ヤング
・ 若井けいじ・えいじ
◇ 孫弟子
・ ぼん・はやとのぼんの弟子
・ ミッサン
・ ぼん・はやとのはやとの弟子
・ ホープユタカ
・ 山田雅人
・ 森脇健児
・ 若井りき・ゆうき
・ 黒井博之
・ 宮崎げんき
・ 大阪キッズ
・ 若井やるき・たまる
・ 若井ひでと
・ 竹井輝彦(ビッグブラザーズ)
・ 小づえ・みどりの小づえの弟子
・ 若井のん・のこ
・ 小づえ・みどりのみどりの弟子
・ 若井気合・こころ
・豊間若葉
・けいじ・えいじのけいじの弟子
・若井めがね・かめら
・若井しもべ
● 芸風・ギャグ
テンポの早いやりとりで知られ、はんじの「頭の先までピーコピコ」や「ゴメ〜ンネ」といったギャグが流行語となった。
もともと「頭の先までピーコピコ」は、はんじの口癖であった。永六輔がこれに注目し、彼らのために自身初めての漫才台本を書いた際、つかみネタに入れた。これが舞台でウケたので、その後ギャグとして定着した。1970年代の大阪を舞台にした映画『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』(1996年)の作中、岡村隆史が演じる小鉄がこのギャグを言うシーンがある。
● 出演
◎ テレビ
◇ ドラマ
:
・ 水戸黄門 第8部 第21話「黄門さまも人の親 -高松-」(1977年12月5日、TBS / C.A.L) - 講釈師 ※けんじのみ
:
・ 日本名作怪談劇場 第10話「怪談 死神」(1979年、12ch)- 上州屋の番頭 ※けんじのみ
◇ その他
:
・ ダイビングクイズ(毎日放送)
◎ ラジオ
・ そらゆけ電話と歌謡曲 テレフォンクイズ(朝日放送ラジオ)
・ はんじ・けんじのニュース法廷(ラジオ大阪)
・ 東海ラジオショーナイター(東海ラジオ)
◎ 映画
・ スチャラカ社員(松竹、1966年)
・ とむらい師たち(大映、1968年)- 若いパパ(はんじ)、ダンプの運転手(けんじ)
・ 妖怪大戦争(大映、1968年)- 代官所門番 役
「若井はんじ・けんじ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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