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ザ・ぼんちは、日本の漫才コンビ。1980年代前半の「漫才ブーム」で人気を博したのち、長い活動休止をはさみ、2000年代に再始動。吉本興業所属。
● メンバー
ぼんち おさむ(1952年12月16日。松竹新喜劇俳優の曾我廼家明蝶の開設した俳優養成所「明蝶芸術学院」で喜劇役者を目指すが、タイヘイトリオの勧めで漫才に転向し浮世亭歌楽の指導を受ける。3か月ほど「やらかす一石・二蝶」というコンビを組んでいた。
:「ザ・ぼんち」の一時解散後、俳優としての活動を始め、『はぐれ刑事純情派』などのテレビドラマなどに出演。
その他おさむの詳細はぼんちおさむの項参照。
里見 まさと(さとみ まさと、1952年4月25日、母親は地元姫路の出身。そんなときに読んだ週刊誌で「西川きよしさんが『二十歳で家建てた』っていう記事を偶然読んで、こら漫才しかないなあが、テレビ番組で共演した亀山房代とともに1989年、「里見まさと・亀山房代」を結成、若手扱いから再出発し、1997年に第26回上方お笑い大賞金賞、1998年に上方漫才大賞を受賞するに至った。亀山の結婚・妊娠により、2001年末に「まさと・亀山」は円満解散した、とくに講談は3代目旭堂小南陵(後の4代目旭堂南陵)の勉強会に参加し10席ほど稽古を付けてもらっている。講談師としての芸名は「旭堂 南総里見八犬伝」。
● コンビ略歴
おさむとまさとは大阪の興國高校の同級生であった。ともにタイヘイトリオに師事(レツゴー三匹の弟弟子にあたる)。1972年11月。
そのかたわら、ぼんちは毎日放送『ヤングおーおー』の番組内ユニット「チンチラチン」のメンバーとして売り出し、同局の『モーレツしごき教室』にも出演して若手タレントの注目株と目された。
やがてザ・ぼんちは1978年10月8日の同会の東京公演「やりまっせ 大阪漫才 東京なぐりこみ爆笑大会」において、漫才作家の大池晶が「特にぼんちの漫才の受け方は異常でした」と回想するほどの爆笑を生み、この様子を観客として見ていた東阪企画の澤田隆治に、のちに漫才ブームのきっかけとなる様々な番組(後述)の企画を決意させるきっかけとなった、オリコンチャートでは最高位2位を記録する大ヒット曲となり、同年全国7か所縦断コンサートを開催。最終日の7月21日。
◎ 受賞歴
・ 里見まさとのおおきにサタデー(ラジオ大阪、まさとのみ)
シングル「エーメンからGo Go Go」
● 著書
・『ザ・ぼんちの王様の耳はロバの耳』(ワニブックス)1981
・『ザ・ぼんちの恋のタネあかし キミは恋の魔法使い』ワニブックス、1981.7
● 弟子
いずれもまさとの弟子
・ 長谷川宏(ティーアップ)
・ シンクタンク
・ 中丸あや(Vi☆Vi)
・ 武智晃洋
・ 亀山房代
「ザ・ぼんち」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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