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香島ラッキー・御園セブン
香島 ラッキー・御園 セブン(かしま ラッキー・みその セブン)は、日本の漫才コンビである。略称は「ラッキー・セブン」。戦前から戦後すぐにかけ、東京や上方を拠点に、東京(江戸)弁を話すしゃべくり漫才コンビの草分けとして、リーガル千太・万吉らとともに人気を博した。
● メンバー
・香島 ラッキー(かしま ラッキー、1909年4月12日 -)
: 本名:香島 慶一。島ひろしが1978年1月にで「セブンは3、4年前に亡くなり、ラッキーは観光会社にいるそうです。」と証言している。
・御園 セブン(みその セブン、1909年1月31日。吉本の5倍の給料を出す、という条件だったという。ラッキーは「総理大臣の年俸より、あたしの方が、25円も高かった」と回想している(このほかに新興に参加した東京の漫才師に、隆の家万竜、桜川ぴん助・美代鶴らがいた)。やがて、敵性語の使用禁止で「香島 楽貴・矢代 世文」と名乗らされる(他の改名候補に「ラッキョ・センブリ」があった)。
戦後は漫才作家の秋田實に誘われ、大阪を拠点に活動。1951年より宝塚新芸座に参加。しばらくしてコンビ解消(解消後も何度かコンビを組んだ)。
「香島ラッキー・御園セブン」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年10月11日16時(日本時間)現在での最新版を取得
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