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かしまし娘(かしましむすめ)は、元松竹芸能所属の姉妹音曲漫才トリオ。
道頓堀角座がホームグラウンドで、松竹芸能の看板芸人だった。グループの名付け親は当時北野劇場の支配人だった角倉節朗(後の関西テレビ編成局長)。最初はカタカナ表記のカシマシ娘だったが、北野劇場が間違えて看板をひらがなで書いてしまい、この方が語感が良いとそのままになった。
漫才トリオとしてのかしまし娘は1981年を最後に休止し、現在は各々ピン・タレント・女優として活動しているが、不定期に喜劇の舞台公演を行ったり、テレビ番組やCMなどで3人揃って出演することがあり、ユニットとしては2024年に歌江が亡くなるまで健在であった。
2018年には第21回上方演芸の殿堂入りが決まった。
● メンバー
元は四人姉妹。花江の2歳年下の四女・利子は生まれながらにして病気がちで足が不自由であったためにメンバー入りせず、芸人にもならなかった。父親が旅回り一座の座長だったため、出生地は全て異なる。また母親は四女・利子が生まれてから産後の肥立ちが悪く、肺と心臓の結核で入退院を繰り返し、1945年2月14日に亡くなった。三姉妹ともに大阪府吹田市在住。歩いて2分以内という近所にそれぞれ邸宅を構えていたが、歌江は晩年箕面市のマンションに移っていた。
◇正司歌江(しょうじ うたえ、1929年8月13日 -)
:(三味線)長女、北海道歌志内市生まれ。本名は平井歌江。
:若手の頃、大阪のことが右も左もわからなかった時期にミスワカナに食事に誘ってもらったり、一緒に銭湯に行ったりと世話になった。芸の素質を見込まれ弟子に誘われもしたが、親から貰った大事な正司歌江の名を捨てるのが嫌だったため辞退した。また、「ワカナ先生のところへ行くと先生以上にえらくなられへん」と言って断ったという。
: かしまし娘休止後は他のプロダクションに所属していたが、2007年に当時の所属事務所アクターズプロモーションが倒産し、同年6月に松竹社長との会談で21年ぶりに松竹芸能復帰。2007年に客演したWAHAHA本舗に、2009年5月1日より正式入団。息子は『欽ちゃんの仮装大賞』などを手がけるプロデューサーの平井秀和。2022年頃より体調を崩し療養していたが、2024年1月19日、老衰のため大阪府内の自宅で死去した。。
2024年1月19日、長女の歌江が老衰により94歳で死去
◎ 舞台
・ やかましい人々(2008年)
・ さくら色 オカンの嫁入り(2010年、2013年)(花江)
・ おかあちゃん 〜コシノアヤコ物語〜(2014年)(照枝)
・ 喜劇「極楽町一丁目 -嫁姑千年戦争-」(2016年、シアター1010 ほか) - 秀子 役 (花江)
・ ザ・デイサービス・ショウ It's Only Rock'n Roll(2016年10月 - 12月、志木市民会館パルシティ ほか) - 林田ヨネ(リンダ) 役(花江)
「かしまし娘」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年4月18日12時(日本時間)現在での最新版を取得
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