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吉川晃司


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{{ActorActress  芸名 = 吉川 晃司  ふりがな = きっかわ こうじ  生誕 = {1965 8 18}  活動期間 = 1984年 -  職業 = 歌手 俳優  身長 = 182 cm  主な作品 = 映画
『すかんぴんウォーク』
『チーム・バチスタの栄光』
『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』
『必死剣 鳥刺し』
『仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE』
『るろうに剣心』
『さらば あぶない刑事』


テレビドラマ
『天地人』
『素直になれなくて』
『八重の桜』
『下町ロケット』シリーズ
『精霊の守り人』  アカデミー賞 =  英国アカデミー賞 =  日本アカデミー賞 = 優秀助演男優賞
第34回『必死剣 鳥刺し』
新人俳優賞
第8回『すかんぴんウォーク』  ブルーリボン賞 =  その他の賞 = 受賞歴参照 }} 吉川 晃司(きっかわ こうじ、1965年〈昭和40年〉8月18日 -)は、日本の俳優、ロックミュージシャン・シンガーソングライターであり布袋寅泰と共に組んだCOMPLEXの元メンバーでボーカルを務めた。現在は自身が設立した株式会社アクセルミュージックエンターテイメントの代表取締役社長を務めている。

● 概要
広島県安芸郡府中町出身。水分峡は何百回も行ったという。身長182cm、血液型B型、既婚者で1児あり。一方、芸能活動面では、1984年、シングル「モニカ」で歌手デビュー。「LA VIE EN ROSE」、「KISSに撃たれて眠りたい」、「VENUS 〜迷い子の未来〜」や布袋寅泰とのユニット、COMPLEXでの「BE MY BABY」などのヒット曲で知られる。

● 略歴


◎ 生い立ち
実家は原爆投下まで、現在の広島市中心部、原爆ドームと元安川を挟んで真向かいにある当時、中国地方指折りの繁華街だった「中島地区」で料亭、吉川旅館を営んでいた。吉川の祖母が営んでいたが、戦況の悪化に伴いこれを船本家に売って旅館を譲り、原爆投下1か月前に疎開し難を逃れたが、投下直後に父親は入市したため「入市被爆」が認められ吉川自身も被爆二世に当たる。父は若いころ、京都太秦で大部屋俳優をしていて、家業を継ぐため俳優を諦め板前になったが、店が火事になり廃業し、その後喫茶店の経営やタクシー運転手(宇品タクシー。熊平製作所近くにあった。現在は廃業)・管理職などをした。 幼少期は千葉真一と倉田保昭の大ファンで、彼らの活躍に憧れを抱いていた。父はビートルズしか聴かない人で、ステレオの前に座らされて無理やりビートルズを聴かされた。府中町立府中小学校出身で宇梶剛士も2年まで在学で先輩、竹原慎二は後輩になる。水泳を始めたのは修道中学一年の夏。それまではサッカーをやっていたが、広島の夏が暑くて水にでも入れば涼しいかなと思っていたら、プールがきらきら輝いて見えた。誰もいないプールに海パンが落ちていて、そのまま履いて水に漬かっていたら、中高一貫校で、高校生の主将がちょうど来て、『お前、何しとんじゃ』『今日から水泳部』と強制的に競泳と一緒の水泳部に入れられた。中学校の時から水球の選手となり、修道高等学校時代には一年時に世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれ、最年少日本代表としてイタリア・エジプト遠征にも参加した。 広島県広島市では名の知られた進学校である修道中学校を受験した理由は、「制服の袖の部分に1本の白線があり、それがカッコよかったから」と述べている。合格したものの授業についていけず、いきなり落ちこぼれたとメディアでも語っている。しかも、いざ入学するとその1本の白線で修道中学校の生徒だと判ってしまい、悪いことができなかったため嫌いになってしまった。

◎ 渡辺プロ所属
音楽にも興味を持ち、高校入学前の春休みにカキの冷凍工場や新聞配達のアルバイトで得た金でエレキギターを買う。高校一年の秋に、バンド活動を始め、高校二年の10月、同じ水泳部だった酒井麿に誘われ、ロックバンド(EIGHT CITY'S FISH BAND(八つの街の魚) / 通称:はまちバンド)に加入。男女混合7人(男子5人、女子2人)のバンド形態で、担当はサイドギターとボーカル。オリジナル曲は4曲と少なかったが地元を中心に自主コンサートを行い、コンテストにも出場した。歌唱力、ルックス、パフォーマンスは求心力があり、郵便貯金ホールや広島見真講堂で行うライブはアマチュアバンドながらいつも大盛況であった。しかしメンバーの音楽の好みがバラバラで、みんな呆れてだんだんお客が集まらなくなった。高校2年生の時に佐野元春のコンサートを見てカルチャーショックを受け、大学進学を取り止めて音楽一本に絞って勝負する決意を固めた。「音楽の世界でビッグスターになる」とその後のサクセスストーリーを考えた吉川は「まずはスカウトされること」と考えたが、アマチュアバンドで有名になっていたとはいえ地方都市の一角(吉川曰く「田舎」)でのことであり、そうそうスカウトされる筈も無い。シビれを切らして自ら渡辺プロダクションに「広島にスゴい奴がいる、見に来ないと一生悔いを残す」と手紙を書いて送りつけた。なお、なぜナベプロかといえば「沢田研二、アン・ルイスなどが当時所属していたのがナベプロで、ここがいいな」と言い(吉川の回想)、他のプロダクションは知らなかった。 渡辺プロの関係者が、高松市の松本明子を見に行った帰りに、本当に会いに来て、その後の数度のオーディションを経て、プロダクションと正式に契約を交わした。しかし、教師、両親や周囲から芸能界入りを猛反対された。特に父親からは「芸能界ってのは猿まわしだ。お前は東京で猿になるのか」と言われたが、「いつか自分で動いてやる」と決意を表明して説き伏せた。大学進学を断念することを惜しむ声も多かった(世界ジュニア水球選手権大会の日本代表、2年連続全日本高校最優秀選手に選ばれた実績もあり、水球の推薦で慶應義塾大学に特待生として入学できる道が開かれていたため)。事務所側はデビューは高校を卒業してからと考えていたが、吉川本人が「今すぐにでも」と強い意志を示したため、1983年4月、高校3年に進級する直前に中退して上京することになった。修道中学校を経て修道高等学校2年時に中退。所属していたバンド・EIGHT CITYS FISH BANDは1983年4月3日に見真講堂で単独ラストコンサートを行い、東京に送り出している(DVD『LIVE archives 25』にその一コマが収録されている)。 勢い勇んで上京したものの、他にもスカウトを受けて事務所のある東京に呼ばれた若者が大勢おり、「寮にもう5年います」みたいなのが平気でいる腐ったリンゴの溜まり場みたいな世界。スクールメイツと歌やダンスを練習する日々が暫く続いたが、「コイツらと一緒にいたらダメだ」と悟り、寮には入らず、レッスンもシカトして毎晩ディスコに通い、踊りを覚えた。上京すればすぐに(1983年6月)ギターの弾き語りでソロデビュー出来るものと思っていたが叶わず、当時流行の顔でもないし、社員の一部には「アイツはダメだ」と烙印を押されていて、いつまでたってもデビューさせてくれないことに業を煮やし社長室に行き社長に直談判したところ、その勝気で怖いもの知らずな度胸を渡辺晋社長に気に入られ、デビューへの運びとなった。 実際、渡辺プロは「10年に1度の逸材」と高く評価しており、凋落していたナベプロの起死回生のため、社長自らが音頭をとってデビューのためのプロジェクト・チームを編成するほどの社運を賭けた力の入れようだった。当時の渡辺プロは育ててきた人気タレントや有能なスタッフたちが相次いで独立し、業績が急激に悪化し始めており、渡辺社長より「会社を立て直せるような男性タレントを発掘しろ」と指令が出た。軍司貞則著『ナベプロ帝国の興亡』(文藝春秋、1995年)によると、その当時渡辺プロの金庫に3億円の現金しかなく、渡辺晋は30人ほどのスタッフとの会議において、その金で売り出す方法を捻り出せ、と迫ったといわれる。映画と歌の同時デビューもナベプロの肝いりで実現。渡辺晋が手掛けた最後のタレントになった。吉川を映画で売り出そうとした映画の時代に育った渡辺社長のアイデアを若いスタッフはせせら笑った、渡辺社長が押し切ったといわれる。売り出しのプロジェクトのリーダーだった森本精人渡辺プロ元マネージャーは「吉川は身長が高いし、水球選手だったからスタイルもいい。社長と『映画で、白い煙の中から長い脚を蹴って飛び出してきたらカッコいいよね』と話していて、そのイメージでできたのがデビュー作の主演映画『すかんぴんウォーク』と、主題歌の『モニカ』です」と述べている。『すかんぴんウォーク』製作費1億円、コンサート費用1500万円、テレビスポット2000万円、有線放送スポット400万円、レコード宣伝費1000万円と宣伝費の投下額が莫大で、当時の芸能界でも話題を呼んだ。やっかみも手伝って、吉川のレコードはレコード会社やプロダクションが組織を動員して買い取りをしているのではないかという噂まで出た。渡辺社長のイレ込みはハンパではなく、スポーツ新聞の取材にも一緒に写真に収まるし、社長自らプロデューサーとして何が何でもスターにしようという意気込みがマスメディアにも伝わった。失敗は許されないという意識をナベプロの社員も強く持った。同じ事務所の大沢誉志幸が「渡辺プロは総力を挙げ吉川を売り出すからお前にかける金はない」とナベプロのスタッフから言われたという逸話も残る。 シングルレコード 「モニカ」と主演映画『すかんぴんウォーク』の両方で芸能界デビューするという手法が取られたが、映画の製作発表会見は1983年9月21日に渋谷のライブハウス「LIVE INN」で行われ、マスメディアにはこれがほぼ初お披露目だった。業界ではナベプロから凄い新人が出ると噂が先行していたため、女性ジャーナリストの間では、どんな美少年アイドルが出て来るのだろう、と期待していたら、何の説明もなくバックバンドを従えて出てきたのは、イメージとはまるで正反対のイモっぽく、広島からの産地直送のスポーツ少年で、キツネにつままれた気分となり「ヘエ~この子がそうなんだ」と肩透かしを喰わされた。吉見佑子はナベプロで紹介された吉川を見て「松田優作のNGみたいなお兄ちゃんね。こんな子デビューさせるの?」と言ったという。しかしながら吉見は吉川のファンクラブ担当になり、宣伝にも関与し、「裸がヴェルサーチ」とキャッチコピーを付けた。

◎ デビュー
1984年2月1日シングル「モニカ」でデビュー。本楽曲は、同年2月11日公開の主演映画『すかんぴんウォーク』の主題歌。 以降「サヨナラは八月のララバイ」、「ラ・ヴィアンローズ」、「You Gotta Chance 〜ダンスで夏を抱きしめて〜」(オリコン3週連続1位)、「にくまれそうなNEWフェイス」(オリコン1位)、「RAIN-DANCEがきこえる」(オリコン4位)、「キャンドルの瞳」(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリース、1984年の新宿音楽祭金賞、日本歌謡大賞優秀放送音楽新人賞、日本アカデミー賞新人賞など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。当時はバンドブーム前のアイドル全盛期。アイドルとロッカーの間的な立ち位置で、チェッカーズと並んで、若い男女に支持された。アルバムでも1984年10月5日リリースの2ndアルバム『LA VIE EN ROSE』以降、3作連続オリコンチャート1位を獲得し、1990年代にかけて5作品オリコンチャート1位を獲得した。 1985年の初め、デビュー1年目で史上2人目の日本武道館公演を行った。 その他、初期に行われた学園祭コンサートで、体育館にある緞帳(どんちょう)にぶら下がり破いたことがあり、その弁済金は1,000万円だったという。同年暮れにはNHK紅白歌合戦に初出場。 当時を振りかえり「あっという間にデビューできちゃったもんだから、そのあと実力で追いついていくのにやっぱり四苦八苦っていうのはあったんですけどね。どっちかっていうと、なんとなく水面下の水鳥のようにですね、すました顔して足だけ一生懸命こいでるみたいな、実際はそういう感じだった。ずっと、あがきっぱなしでしたよ」と述べている。 1987年3月発売シングル「MARILYNE」は、当時の恋人である女優の石原真理子との恋愛実体験を歌詞にした曲であることが判明。2006年に石原が暴露本『ふぞろいな秘密』を発売した際に、石原の過去の13人の交際相手として名前が出され、石原は吉川を玉置浩二以外に「結婚をしてもいいかな」と意識したと書いた。吉川は事務所を通じ「交際をしていたのは事実。「MARILYNE」のプロモーションビデオには彼女も出演しています」とコメントを出した。吉川が明石家さんまのラジオで石原のことを「憧れの人」と呼び「悲しいことや楽しいことも彼女とは憧れの形で実現出来る」と石原の存在は吉川の理想であることを語った。 ナベプロは芸能プロダクションであるため、歌番組だけでなくバラエティ番組にも出なければいけないが、当時はそれが嫌で、人前に出て笑うことは一切できなかった。そのため渡辺晋にいつも「独立させて下さい」と懇願していたという。渡辺晋から「インターナショナルで通用する映画を作りたいと思っている。その映画に出たら、独立させてやる」と言われ、1987年、日本・イタリア合作映画『シャタラー』に出演。しかし撮影途中に渡辺晋が亡くなり、映画の内容も企画も大幅に変更され、当初予定された物と全く違う惨憺たる作品になった。ガンの末期にあった渡辺晋の最期に近いころの言葉は「吉川は元気でやっているか、イタリアで?」であったという。その言葉は胸にズシッと響き、毎年何度も足を運ぶ渡辺の墓参りでは、渡辺から叱咤激励されているような気がするという。 1988年に一時活動を停止した後、渡辺プロダクションから子会社独立という形で22歳で独立、マネージャーの河村嚴生が代表取締役社長のセブンスエンタープライズに所属。レコード会社を東芝EMIに移籍。

◎ COMPLEXでの活動
1988年、元BOØWYの布袋寅泰とユニット「COMPLEX」を結成、翌1989年4月にシングル「BE MY BABY」(トヨタ・セラのCM曲)をリリース。COMPLEXは「BE MY BABY」を含め2枚のシングルと2枚のアルバムをリリース後(いずれもオリコンチャート1位を記録)1990年11月8日の東京ドームのライブを以て活動停止。布袋寅泰という当代随一のギタリストとのスリリングな切磋琢磨によって生み出されるまったく妥協のないサウンドは、一般ファンのみならず、コアなロック・ファンの心をも捉えた。しかしビジネスに全く興味がなく純粋にロックがやりたかった吉川と、音楽を活動コンセプトやサウンドアプローチからファッション面やビジネス面までトータルで捉える布袋との間に徐々に溝が生まれ最後は飲み屋でのつかみ合いの喧嘩に発展。活動停止に至った。布袋・吉川はそれぞれ当時の音楽雑誌のインタビューで「COMPLEXさえ組まなければ、少なくとも友人を失うことはなかった」とコメント。しかし、2011年7月30日・31日に東日本大震災復興支援ライブを東京ドーム2DAYSとして行い21年振りに復活。待ちかねたファン約10万人が詰め掛けた(後述)。

◎ 1990年代
1997年に東芝EMIから、元同社専務取締役の石坂敬一が代表取締役に就任したポリドール・レコードに移籍。だが、この時期の音楽業界に吹き荒れた外資の嵐と変革の混乱の中に巻き込まれ売上が低迷。2002年に徳間ジャパンコミュニケーションズへ移籍。 1998年、個人事務所「アクセルミュージックエンターテイメント」設立。前所属のセブンスエンタープライズで、会社スタッフによる会社資金の使い込みが発覚。事務所の空中分解という状況で、セブンスエンタープライズの音楽部門若手スタッフを引き連れ設立という経緯。吉川は「他所に世話になるなんて考えられなかったので。自分について来てくれる会社の若い連中もいたし、仕方なく自分で会社を立ち上げざるを得なかったが今では立ち上げて本当に良かったと思っている」。歴史書を読む面白さを知ったのもこのころ。(セブンスエンタープライズ俳優部門は金山一彦、つみきみほなどで新たに立ち上げている)会社設立の際に、若い社員の前で「利益が出るまでオレは家に帰らない」と大見得を切り、スタジオにソファを入れ暮らす。利益が出るのに7年、12年間をスタジオで暮らす。窓が無い地下室、湿気が多く、肺にカビが湧き、頭の皮が剥けるなどいろんな身体の箇所を病んだ。 1998年、自宅で知人と殴り合いになり、鼻骨および肋骨を骨折させる傷害容疑で、示談は成立していたが書類送検される。原因は酒に酔った知人が所有の尾崎豊の形見のギターを蹴ったこと。謝罪会見では、前所属事務所セブンスエンタープライズの会社スタッフによる資金使い込み騒動の真っ只中であり、真実をありのままに述べられない状況下での謝罪会見になった。この会見で記者から「何発殴ったのか?」との質問に、一方的に殴ったわけじゃなく殴り合いになり、相手もボクシングの経験があると前置きした上で「ワン、ツー、スリー?」と答える。この3発のパンチを打つ動作を客観的に再現しながら「こう、こう、こう、うん、3発殴った」「泥酔していたといわれているが違う。25%ぐらいの酒なら眞露2、3本くらいは大丈夫」「僕はちょっと人より力が強いみたいで」など発言したシーンがテレビで流れた。プロを相手に一発目から的確に拳を鼻に打ち込み鼻骨を折り、二発目で急所の一つといわれる脇の下の肋骨を骨折させたことから吉田豪らが吉川を“芸能界ケンカ最強”と推す切っ掛けとなった。

◎ 2000年代
2006年、映画『マスター・オブ・サンダー 決戦 封魔龍虎伝』の楽曲を担当。本作は千葉真一と倉田保昭が共演するアクション映画で、子供のころから千葉と倉田の大ファンである吉川が「何らかの形で参加したい」と熱望したことによる。シーンに合うオリジナルを10曲ほど作曲、自身の代表曲から4曲をアレンジして提供。 同年、DJ TASAKAとKAGAMIによるテクノ・ユニットDISCO TWINSのアルバム『TWINS DISCO』にて「Juicy Jungle」「Thunder Storm」の2曲にゲスト・ヴォーカルとして参加。また「Juicy Jungle」のMVに出演。このMVは「SPACE SHOWER Music Video Awards 07」でBEST IMPACT VIDEO賞を受賞。授賞式ではスペシャルゲストとして登場、DISCO TWINSと共にライブを行う。またDISCO TWINSとのユニット「DISCO K2 TWINS」を結成。シングル「Juicy Jungle」を発売。 2009年、NHK大河ドラマ『天地人』(主演:妻夫木聡)に織田信長役として出演。同年、徳間ジャパンコミュニケーションズからユニバーサルミュージックに移籍。また、『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010』に、主人公の師である鳴海荘吉(仮面ライダースカル)の役で出演。

◎ 2010年代
2011年5月31日、ファンクラブのページにて一般女性との結婚を発表。翌6月1日に、婚姻届を提出。既に第一子も誕生しており、未婚の父であったことも明かした。 2012年12月10日、ワーナーミュージック・ジャパンへの移籍および同社にプライベート・レーベル「SAMURAI ROCK」を設立。 2017年7月21日、左側声帯ポリープが見つかり除去手術を受けることを、日本武道館ライブアンコールで明らかにした。 2018年1月20日から2日間、武蔵野の森総合スポーツプラザ メインアリーナのコンサートなどの本格的な音楽イベントとしてのこけら落し公演を開催。前年のツアー終了後、治療に専念する予定であったが、ツアーの手ごたえを感じた吉川の「ツアーをもっとやりたい、まだ歌いたいという思いが夏からどんどんふくらんできて」という意向を受け行われた。

◎ 2020年代
2020年、『探偵・由利麟太郎』(フジテレビ系)で地上波の連続ドラマに初主演。 2021年2月16日、前年末の人間ドックで判明した「狭心症」の手術を受けたことを公式サイトで発表。オペチームは映画『チーム・バチスタの栄光』で手術指導をした医師らが担当した。 2023年11月、大塚製薬の男性向けスキンケアブランド「UL・OS(ウル・オス)」のプロジェクト発表会に登場し、改めて芸能生活を振り返り、「高校を辞めて1年ほどでデビューできたのは、恵まれていた。その後は挫折することが多かった。失敗は糧になります」(片手バック転など体を駆使するパフォーマンスで脱臼や骨折を重ね傷だらけながら)「続けてこられたのは"お客さんの愛"のおかげ。それ以上のものを持って帰ってもらうためにトレーニングに励む」などと話した。 2024年1月、外傷性白内障で両目に人工の水晶体を移植する手術を行った。ライブなどでの激しい運動は医師から禁止されているに「どんな音楽やりたいの?」と聞かれて「僕は原田真二さんとか、格好いいと思うんですけど」と答えたら、「ああいう日本語の崩し方というか、乗っけ方というのをできる人は少ないんだよ、吉川くんできる?」と言われて始めたのがきっかけと話している。吉川はデビュー直後1985年のインタビューで「佐野さんはやっぱり日本語の言葉の音が先鋭的でビシビシ切れてる、ああいうロックに乗せるの、すごく難しいと思うんだけど、佐野さんは上手くやってると思うよ」、「歌い方が佐野元春さんの真似とよく言われる」などと話していたが、2012年のインタビューでは、「この先駆者は佐野元春さんだといわれるんですけど、僕は原田真二さんだと思う」と話している。 デビュー時はアイドル扱いされることを嫌い、コンサートで「キャーキャー騒ぐ女の子は出てってくれ。オレはアイドルにならない」と言ったことがある。 水泳で鍛えた逆三角形の上半身と高身長の体型は、それまでのアイドルとは一線を画し、大きなセールスポイントとなった。1983年、「モニカ」での鮮烈デビューに於いて、機関銃ヴォーカル、大歌謡ロック・サウンド、キメキメのステージ・アクション、歌謡曲を鼻っから小馬鹿にした"ビッグ・マウス"ですでに「吉川イズム」の原型が出来つつあった。『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』、『NHK紅白歌合戦』など、当時の歌番組での数々のパフォーマンスも有名。『ザ・ベストテン』でのパフォーマンスで最も知られているのは出身校・修道高校のプールでのバク転飛込みだが(1984年4月5日)、毎回出演時には視聴者を驚かす演出を自ら考案し楽しませた。「ベストテンのセットを壊すことで自分の存在を確認してたとこがあった」と述べている。数年たってTBSに行ったら、当時ADだった人たちに凄いイヤな顔をされたという。また『夜のヒットスタジオDELUXE』1985年10月2日放送回での「六本木心中」で見せたアン・ルイスとの生放送仰天コラボレーションは、伝説として語り継がれている(六本木心中夜のヒットスタジオ、アン&吉川コラボ)。 日本でメイクアップをする男性アーティストの系譜に連なる人で、男の化粧を認知させた人物の一人である。沢田研二はテレビに出なくなった時期。『週刊平凡』1985年9月13日号の吉見佑子と中川勝彦の対談で、吉見「ふだんはメークしてないのね」 中川「ふだんしてもしようがないもの」 吉見「吉川晃司なんか少ししてるよ」 中川「うそっ。男性化粧品で?」 吉見「ううん。塗り絵だと思ってんでしょ、自分の顔も。ペンキ塗りの気分よ」という記事が見られる。『週刊明星』からは「不可解なメーク」とも言われたが、吉川は「失敗したなと思っても、どんどん上塗りして直そうとしてしまう」「派手なことは美しいと思っている」「カッコいいと思うと、下調べなしに取り入れてしまう直感的な感性のため」などと反論した。吉川デビュー時の衣装=肩パッドが入って(いるように見えたが実は自肩だった)、ノータイ・ピンク、紫、あるいは白スーツは街に“偽吉川”を溢れさせ、同時期に活躍したチェッカーズのタータンチェック共々よく流行った。アイドルでDCブランドのスーツを着てテレビに出る者はそれまで誰もいなかったし、スーツでテレビに出るロックミュージシャンもいなかった。スーツでロックするのがカッコいいという新しい価値観を持ち込んだのは吉川やBOØWYである。ファッションの歴史を綴った書籍では、吉川やとんねるず、北野武らがDCブランドを着用して盛んにテレビに露出した1985年をDCブームの頂点と記述されているという。2013年のNHK連続テレビ小説『あまちゃん』では、小泉今日子演じる天野春子が学生時代を過ごした部屋で、吉川の写真に向かって「肩幅〜」と叫ぶシーンがあった。「モニカ」がヒットして給料は6万円、「ラ・ヴィアンローズ」で給料10万円で、着るものが無いため、『夜のヒットスタジオ』の衣装そのまま飲みに行っていたという。 ファッションといえばサングラスである。現在はあまりサングラスをしないが、デビュー直後は常用していた。デビュー当時は「俺は歌謡曲の人種じゃねえ」という反撥心が凄く強く、「サングラスして黙りこくってたのは、俺はこいつらとは違うんだという意識を持ちたかったから。だから他のヤツとは全然口聞かなかった」「歌謡曲の世界ってハリボテ的でしょ。ロックの世界は歌謡曲とは違うって思ってたんだけど、実際入ってみたらそうでもなくてね。人のいいヤツは、上がって来れないのはどこの世界でも一緒だなと(笑)僕なんか、人のいい人間の中では成功してる方だと思いますよ。自分で言うのもナンですが(笑)」などと述べていた。 バク転以外のステージパフォーマンスとして、足を高く上げてドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ。いつから始めたか自身はよく覚えていないが、「肩を脱臼してバク転ができなかった時、代わりに何かやろうと思いついたのではないか」と思うと話している。「グラマラス・ライフ」のMVでシンバルを蹴るシーラ・Eが頭にあったという。初期は垂直に蹴り上げていたが、両足が肉離れを起こして縦に上がらなくなったため、横回転で勢いをつけて蹴るようになった。観客が「普通のシンバルキックは飽きたよ」「もっと高くできないの」などと言うから、意地で段々難度が上がってきたという。シンバルキックで過去3回骨折している。 小泉今日子らと共に"ニューアイドル登場"などと騒がれた。チェッカーズや吉川あたりから、男の子も女の子もみんなが好きになるアイドルが生まれたとも言われる。『週刊現代』は1985年4月13日号で小泉今日子と吉川を特集し「この連中の曲はやたら横文字がハンランしている。オジサンたちがついていけないのはそのためか。しかしそんなことを言ってはいられない。この連中がいまや風俗の最先端にいる。と言うことは、いずれ時代がそう動いていくということだ。彼らをどういう存在かをいま認識しておく努力を怠ると、たちまち時代から落伍してしまうぞ」と論じ、「大森三部作」で吉川を俳優デビューさせた大森一樹は「吉川を見ていると新人類の登場という印象を受ける。ボクや吉田拓郎とかは、カッコ悪さがカッコいいというところがある。それは守りの姿勢かも知れないけど、下手に出ていれば打たれることはないという日本の伝統を持っていた。ズッコケたら恥ずかしんだ、ボクらは。ところが吉川は、カッコ良さをドーンと押し出してきて、ズッコケない自信を持っている、これはもう新人類ですよ」、東宝宣伝部の奥田和之プロデューサーは「セックスはしません、なんてウソだと言ったりする。若いヤツがセックスしているなら、隠すべきじゃないって吉川はいう。スタントマンを使う、使わないでも、ウソはイヤだという拒否する。これがホンモノ志向の若者の象徴なんです」、田村充義ビクターディレクターは「今は"本人時代"なんですね。まわりがいくらガードしようたって本人が打ち合わせに出ちゃう。"本人対ディレクター"です。もちろん活字の場合も同じです」などと、昭和大学医学部神経科教授・中田輝夫は「ブリッ子スターを"体制順応型"とすれば、吉川晃司に象徴されるニューアイドルは"反逆児型"です。この二つが交代で登場するのが芸能界の流れで、順応型のスターが主流のときは、一般大衆は反体制なんです。逆に反逆児型がスターになるときは、政治が落ち着いている。石原裕次郎や小林旭が出たのと同じです」などと論じた。 交友関係が広い。ブラザー・コーン、藤井フミヤ、尾崎豊、とんねるず、大沢誉志幸、岡村靖幸、吉岡秀隆、本田恭章、氷室京介、布袋寅泰、森重樹一、世良公則、田原俊彦、布川敏和、本木雅弘、近藤真彦、小泉今日子、中森明菜、藤真利子、羽賀健二、風見慎吾、鈴木賢司らと交友を持った。 特に尾崎豊と岡村靖幸を交えた同級生3人の仲は親友として有名。六本木WAVE(1999年閉店)1階のカフェ「レイン・ツリー」で待ち合わせて、次の店をどこにするか、「じゃんけんをし、勝った者が行き先を決めることが出来る」という方法で行く先を決めた。吉川が勝つとひたすら飲む、尾崎が勝つと女を口説くことが出来るクラブ、お酒が苦手な岡村が勝つとディスコ(岡村は、ディスコであの独特の踊りをずっと踊っていたそうである)に行った。尾崎は飲むのが好きで酒も強く、尾崎が勝っても女の子のいる店にはいかず結局、男三人で飲み、泥酔していたという。「昔は3人で無茶なことばっかりやっていた」と述べている。よく行ったのは西麻布「レッドシューズ」や「トゥールーズバー」、六本木「AREA」六本木「AREA」「BooWho?Woo」、原宿カラオケ「港町十三番地」などという。「我々は下っ端の下っ端。話せないような先輩方のいろいろなイベントを目撃しました(笑)」「今日は『ベストテン』あがりだから10時過ぎになっちゃうけどって衣装のまんま行ったりしてたよ。でも身なりは派手でも懐はすきま風ピューピュー(笑)」「渡辺美里ちゃんの曲書いてたくさん印税が入ってた岡村はお金持ちでしたよ。途中で追いついたけど、僕も(笑)」 岡村「僕らって背が高いほうなのにハイヒール履いてるから身長190センチぐらいになっちゃってて。目にはバッチリ、アイライン入れてた、普段から(笑)」 吉川岡村「イギリスのニューロマンティックスを意識してました。デヴィッド・ボウイがお手本でした。心酔してたね。だから女性的な格好をしてみたりもしたし」 岡村「当時、海外アーティストがコンサートで東京に来ると、みんな夜の街に繰り出してくるから、わりと気軽に会えたんだよね」 吉川「プリンスにも会ったし、デュラン・デュランにも会ったし、飲み屋のマスターから『今、ロッド来てるけど?』『あ、行きます!』って。俺、ロバート・パーマーが大好きで、とある雑誌で対談させてもらったんだけど、酔ったロバート・パーマーが『酔拳』みたいな感じになってしまって全く対談にならないんだから(笑)。最高に楽しかったけど」 岡村「いまにして思えば、めちゃめちゃ貴重な体験ですよ。ロバート・パーマーと対談した人なんて日本にほとんどいないと思う」 吉川「80年代の東京は、良くも悪くも、もの凄くエネルギーが集中していたし、外から見れば、世界で一番魅力的な街だったとは思う。ただ文化的な側面で世界が一目置いていたかというと、そこは疑問があるよね。ジャパンマネーに圧倒されていただけかもしれない」などと述べている。岡村は「当時の僕の目には、尾崎と吉川はキラキラ輝いて見えた」と話している。岡村は「僕の中では、ボーイズ・ラブな感じがあった。二人に対して。とにかくあの頃の二人は本当にきれいだった。美しい二人。僕は会えばしょちゅうハグしてたと思うけど、抱きつきたくなるんです。とびっきり華のある二人だったし、一緒にいるのが心地よかった。ただ、当時はスマホなんてなかったから三人の写真は一枚も残ってないの」などと述べている。19歳という未熟な時期から三人ともそれぞれの道を歩み始め、三人で集まって遊ぶことは段々少なくなっていった。最後に三人で遊んだのは25歳くらいのとき、芝浦のクラブ「GOLD」で、ちょうどマドンナが「GOLD」に遊びに来ていた日で、VIPルームで三人で飲んでいたら、マドンナが突然現れて吉川だけが呼ばれた。何だろうと騒然となったが、数分後、吉川が戻ってきて「便所はどこかって聞かれた」と言った。吉川は「そこの角曲がったとこだ。一人で行け」とマドンナに言ったが「いいから連れて行け」と命令され、仕方なく便所までエスコートしたと話している。それからしばらくして尾崎が亡くなり、三人で遊ぶことはもう出来なくなった。尾崎が亡くなったとき、吉川は友人代表としてお悔みを述べ、岡村が不祥事を起こした際は、「自分のケツは自分で拭かないとね。でもきっと、スリムになって戻ってくるんじゃないかな?」と気遣うコメントを述べている。尾崎の死後は「彼は反論できないのでフェアじゃない」と言い、彼について深く語ることはない。 尾崎と泥酔した明け方、ゴミ置き場のダンボールが夏の暑い日で冷たくて気持ちが良く、二人でゴミ置き場に寝込み、そのまま朝になる。そこは六本木交差点近くのバス停の前で、通学の女子高生がずらりと並んでいて、女子高生の一人に「もう起きられた方がいいですよ」と声をかけられた。 晩年のアベフトシと川村カオリの活動を支援。 初期の頃の専属バックバンドは、PaPa。PaPaはテレビや映画、ライブなど「見える場所」では共演したが、レコーディングは参加しない。 「音楽を真面目にやっているミュージシャンも、テレビに出ないとだめだ」と言い続けていた。これは渡辺プロに在籍している以上、テレビに出る仕事は避けられなかったが、テレビに出演していくうちに、テレビの影響力を自ら肌で感じ、「上手い具合に出演すれば、ミュージシャン自身の向上にもつながる」と考えるようになったためである。そのため、吉川自身がテレビに出なくなるとファンから「自分がテレビに出ないとダメだと言っておいて、なぜテレビに出ない?」と非難されるため、本人もテレビに出るようにしている。COMPLEXとしての時期はテレビ出演をほとんどしなかったため「(テレビ出演を好まなかった)布袋に遠慮している」と非難されたことがある。 1986年と1987年の12月24日に日本テレビで放送された伝説的音楽番組『メリー・クリスマス・ショー (Merry X'mas Show)』の企画を言い出したのは吉川。「たくさんミュージシャンを集められるのは桑田さんしかいない」と呑みの席で桑田佳祐に「今の音楽シーンがつまらないのは、ある意味あなた方にも責任があるんじゃないの?」と暴言を吐き、「ガキのくせにこのボケ」とケンカになったが、朝まで話し込んで「よっしゃ考えてみる」という桑田の話で始まったもの。当初は2人を中心に運営したが、働かないのでほぼ桑田がやったという。ただ、BOØWYや若いバンドに声をかけた。 確固たる音楽のバックボーンがあったため、アイドル、歌謡曲、ロックという棲み分けをなくすかのように、いとも簡単にその壁を飛び越え、新たな価値観を築くことが出来た。それが吉川とチェッカーズが日本の音楽シーンに遺した最も大きな功績とも評価される。
○ NHK紅白歌合戦でのハプニング
現在唯一の出場である1985年12月31日の『第36回NHK紅白歌合戦』では、「にくまれそうなNEWフェイス」で白組のトップバッターで登場したが、その際に自ら様々なハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる。この件を振り返り「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延ばしている意識も全く無かった。ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、ジミ・ヘンドリックスをマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」などと述べている。また、それだけではなく「墓場まで持っていかなければいけない、言えないことがまだある」とも話している。 紅白の価値観を転倒させて、若者の紅白離れを起こし、紅白の視聴率がダメになっていく段階に於いて、蹴手繰りをカマしたその代表選手だった。マキタスポーツは「アイドル枠に閉じ込められたくない、と吉川さんがリスクをしょってやっていることが子ども心に見えて、『吉川、ヤレヤレ』とテレビの前で声援を送った」と述べている。スージー鈴木は「80年代は今までの芸能界のしきたりとかを壊す破〇者がいっぱい出てきた。芸能界の学級〇壊を起こした問題児たち、その代表といえます」と評している。 著作『晃司全てを語る』にて、この時嫌な芸能界を止めるつもりでいたが、楽に高収入を稼げるこの仕事やめるの惜しいな~俳優ももっとやりたいし~ずっと芸能界にいよう~と決意を語っている。 一説では、その後NHKに十数年間出入り禁止となり、ラジオでもしばらく曲がかからなかった(後年解除された)とされているが、これは都市伝説で誤りという話もある。これはあくまで紅白を盛り上げるためで、視聴者からの抗議も無く、ペナルティーも一切無かったとのことである。その後『ポップジャム』に何度か出演。2002年放送のドラマ『真夜中は別の顔』では主演に抜擢、2009年の大河ドラマ『天地人』に織田信長役で出演。1998年6月21日、コンサートツアーの一環としてNHKホールで公演を行い、以後も公演を続けている。

◎ 俳優関係
自身では歌だけをやりたかったが、「マルチでやれるようになれ」と最初に言われ、芝居の稽古をさせられた。当時は「俺はこんなことをやりたいわけじゃない」と反撥したが、「今となってはありがたいことだったと思うし、感謝している」と話している。俳優としての活動は、デビュー作の『すかんぴんウォーク』、『ユー・ガッタ・チャンス』、『テイク・イット・イージー』の通称「民川裕司3部作」、「吉川晃司主演3部作」が有名。音楽に専念するため役者は一時封印するが後年、再び映画に出演、唯一無二の存在感を見せつける。渡辺プロ時代の「シャタラー」以来十数年振りに三池崇史監督作品『漂流街』に出演。独特のオーラと存在感に高評価を得る。この作品において三池と意気投合。その後の三池作品、ミュージック・ビデオ、ライブ撮影と繋がっていく。三池は吉川について「存在感が凄すぎて気軽な役には使えない。特別な役にもってこいな人。吉川さんはスペシャルな血が流れてますね」と語っている。『るろうに剣心』の大友啓史監督は「あの体格とスタイルなので、動きの一つ一つが映像映えする。吉川さんがやると、剣での立ち回りも真剣勝負に見えるんです」などと評価する。『天国から来た男たち』『レディ・ジョーカー』など、ほぼ年一本のペースで映画にコンスタントに出演している。吉川は俳優業について「ボクサーがレスリングのリングに立っても、負けるわけにはいかない的な背水感があります。そんな気分になれるのも俳優をやるときの魅力です」と述べている。 2009年の大河ドラマ『天地人』の織田信長役で新境地を開く。NHKに女性視聴者から問合せが殺到した。 2008年4月(2013年9月)『SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-』でミュージカルに初挑戦、杉原千畝を演じる。 「吉川さんも体制に反発してきた人間ですよね」と口説かれ、断れなかったという、2015年3月3日に同所で、ウィリー走行などにトライしていた際に転倒事故を起こし。2023年現在もトレーニングは週6・水泳年300日を欠かさない。「これは私にとってはもう仕事の一環です。楽しくないですよ」と話した。 水球で鍛えた逆三角形の体型が男子トイレのマークに似ていたため、学生時代のあだ名は、「便所マーク」、短縮して「便所」だった。人が大勢いるところで、友人から「便所ー」と大声で呼ばれ、恥ずかしい思いをしたとデビュー当時の歌番組で話したことがある。 広島で活躍するローカルタレント・西田篤史は、来広ミュージシャンと多くの交遊を持ったことでも知られるが、駆け出しのころ、やはりプロデビュー前、広島時代に密着取材した。「はまちバンド」解散ライブ終了後、ナベプロのマネージャーに「お前は甘い」と殴られるのを横で見ていて、「何てことするんだ..」と思ったというが、「水球部だったんで別に普通。何とも思わない」と話した。 ナベプロが制作していた関係で『新春かくし芸大会』にも出演。演目は、1985年は日本刀を使った竹割りや、殺陣。リハーサルの際、上手く竹を割ることができず、日本刀が曲がってしまい、何本も壊した。1986年はバイクスタント。猛スピードのバイクに乗りジャンプ台まで疾走し、バイクとともにジャンプした後にダンボールの山に突っ込むという、体を張った芸を披露した。 2010年7月11日放送『TheサンデーNEXT』のインタビューでは公園で雲梯などを利用し筋トレしていること、ヒヤシンスの根のように東京では出稼ぎ感覚であると語った。 2009年の無人島サバイバルが話題を呼んだため、その続編が2011年4月15日『中居正広の金曜日のスマたちへ』で放送、アフリカの地でサバイバルを敢行した。ケニアマサイマラ国立保護区でツリー生活に挑んだ。現地に住むマサイ族から「野宿なんて気が狂ってる」と言われるような環境で野宿を行った。その辺は肉食獣よりアジア系の密猟者が多く「密猟者に間違われて撃ち殺されるぞ」と脅された。また群れをなすヌーが吉川を見て初めは逃げ出すが、うちの2〜3匹は急に方向転換をして吉川に走りかかるハプニングが発生。サバンナで人を殺すのはパニックに陥った草食動物が多いという。

◎ その他
「やっぱり広島に、広島の土に生えた自分としては、東京に根は生やしたくないな、という思いはいまだにあって」などと故郷広島に対する想いを度々口に出す。広島を離れて既に40年経つが、1983年春に上京してプロデビューした後もよく広島に帰り、JR広島駅北側の目の前にある銀色の仏舎利塔(二葉山平和塔)が鎮座する二葉山に登り、瀬戸内海をよく見ていたという。「水墨画のような、何ともいえない趣というか、味わいというか、やっぱり自分のその、こういう絵を見て育ったから、こういう自分になったんだろうなっていう気がする。価値観とか美意識とかもね。じゃけえ、そういう存在ですよ、広島って、自分にとってね」と話し、この40年、心の支えとなってきた、広島の風景という。また有名な母校修道のプールにも仕事の壁にぶちあたるたびに、こっそり訪れて夜中に海パン持参で忍び込んで泳ぎ、「芸能界で活動する中で幾多の壁に直面した。その度に修道のプールを訪れつらい思いを流すために泳いだ。僕にとって修道のプールは母の体のようなものであり、様々なことを学び、仲間と切磋琢磨したことが己の根幹、血肉となっている」「ここに来ると、つらい思いを水に流して、また仕事に戻ることができた。100回ぐらいは来ていると思う」などと話した。2017年4月に修道の新プール竣工祭に田口信教らとともに出席し、テープカットを行ったが、新プールが完成したことで、今後は忍び込めなくなることを残念がる吉川に、田原俊典校長は「吉川さん専用の入口を作ってお待ちしています」と“特別待遇”を約束した。 「駆け出しのころは歌手一本では食っていけなかったので、副業もこなせたらいいなと思って俳優業をしていた」とテレビ番組で後年、回想している。 上條淳士の漫画作品『TO-Y』(1985年 - 1987年)の主人公のライバル・哀川陽司のモデル。作者との対談(サンデーコミックス1巻収録)もしたことがあるが、その時まで自分では気づいていなかった。吉川をモデルにした理由として上條は、「当時の男性アイドルはまだキラキラした王子様みたいな人が多くて。それはトーイのライバルとしてはちょっと違うかなと思いました。吉川さんからは、男っぽさとかセクシーさとか、そういうものを感じたんです。例えば小学生の頃に好きだったジュリーと近い印象を持ったので、勝手にモデルにさせていただきました。これは今だから言える話ですけど、事務所や御本人の許可なしに出しちゃったんですよね(笑)、後に吉川さんと仕事を通じて知り合いになり、事後承諾頂きましたけど(笑)。現在では考えられない話です」などと述べている。上條は『TO-Y』の登場人物で特定のモデルがいるのはその哀川陽司だけで、「主人公トーイ、ニヤ、園子も特定のモデルはいない」と話している。 読書家。三国志をはじめとする中国史マニア(日本史の知識も少しある)。別冊文藝春秋2005年1月号では中国歴史小説家の宮城谷昌光と対談、中国史について並々ならぬ知識の片鱗をのぞかせている。中国ものを読み始めたきっかけは、歌詞を書く際のボキャブラリー不足を痛感して、とにかく文字に慣れよう、と考えたから。また、北方謙三とも交流があり、北方は対談した際の感想で「深く掘り下げた質問をしてくるし、細かいところまで良く知っているし、こいつは何で中国史をこんなに勉強しているんだ? 音楽やっているんじゃないのか?」と述べている。近年では古代中国関係の美術展にコメンテーターとして参加したり、中国のテレビドラマ『三国志 Three Kingdoms』では日本語版のナレーションを担当した。独特の語り口を活かして歴史や科学など教養番組でもナレーションや、歴史小説の解説なども務める。またCD BOOK『エンジェルチャイムが鳴る夜に』のなかで小説も執筆している。 所有車は、フェラーリ・512TR、アストンマーティン・V8。スープラ、コルベットと乗り継ぎ、現在に至る。 ウーパールーパーを飼っている。繁殖も経験しているという。 2010年8月28日放送の『スマステーション』で「大阪のたこ焼きってキャベツないっておかしくないですか」「これを大阪人に言うと、馬鹿にされるんですよ」と発言。これには広島出身の大下容子テレビ朝日アナウンサーも同意。2014年6月25日のニコニコ生放送「検証!吉川晃司、30の伝説」では、若いころ『Mステ』で、広島のお好み焼きにマヨネーズを入れると言った猿岩石を「広島のお好み焼きにマヨネーズは入れないだろ」と説教した。現在も「広島のお好み焼きにはマヨネーズを入れてはダメ」が持論である。 広島での番組やライブでは広島弁で話すが、同級生の奥田民生が「吉川はわざとらしい広島弁を喋っとる」と聞いて立腹した。同じ府中町出身のバイきんぐ西村瑞樹は「吉川さんの広島弁は心地よい。本来あるべき姿の広島弁だと、勉強してほしいくらいですよ!」などと吉川に代わって反論している。 2011年、「東日本大震災」発生直後の3月19日から5月2日まで3回にわたって、宮城県石巻市でボランティア活動をした。 同年7月に東京ドームで布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」復活ライブを開催、収益金の約6億5430万円を被災地に寄付をしている。 2012年4月17日、都内のサウナで偶然居合わせたTOKIOの松岡昌宏が脱水症状で倒れ、吉川が介抱した。 2013年朝のNHK連ドラ『あまちゃん』で、勝地涼が演じた“前髪クネ男”のキャラは吉川を参考にしたという。 バブル期を駆け抜け、今日まで日本の音楽シーンで一線で活躍するキャリアから、都市伝説の類いの数々の逸話を持つ。2014年6月25日、デビュー30周年を記念したシングル・コレクション『SINGLES+』のリリースに合わせて、30時間に及ぶ特番が「ニコニコ生放送」でオンエアされ、本人が生出演。「検証吉川晃司、30の伝説」というコーナーで、自身にまつわる伝説の真相を語った。酔って家の鍵を無くし、壁を伝ってベランダから窓を割って入って大騒ぎになって、警察沙汰になったことがあるのは本当で、これは3階のときだったが、7階のマンションの部屋に壁伝いによじ登ったこともあるという(警察沙汰にはならなかった)。様々な吉川伝説は概ね事実であることが判明したが、「酒に酔っ払って西麻布の街を電話ボックスを担いで歩いたコトがある」という都市伝説は事実ではない(このエピソードについてダウンタウンの松本人志が「携帯電話ですね」とコメントしたことがある)。 『ザ・ベストテン』の番組内で、戦国大名・毛利元就の次男・元春(後に吉川家の養子となり、吉川元春に)の子孫だと紹介されたことがあるが、史実では、吉川元春の血縁的系譜は吉川経永で絶えており間違いである。歴史の話になると吉川自ら「俺は吉川の方だからね」の発言が何度かある。ただし、吉川家は途絶えたわけではない。吉川を「きっかわ」と読む言い方は中国地方独特のもので、全国的にみると9割強が「よしかわ」と読む。 地元が広島出身ということもあり、広島東洋カープのファンである。しかしデビューしたてのころ、「広島出身だが、カープのファンか?」との質問に、「あんまり興味ない。子供のころはよく野球やってたけど、中学くらいからはサッカーのほうが面白かった」とインタビューで答えていたことがある。 2013年8月6日、MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島で始球式を行い、111km/hの速球を投げ込み球場を沸かせた。また、被爆二世であることもあり、5回裏終了時に、「イマジン」の和訳バージョンを独唱し、核兵器廃絶を訴えた。 2016年10月22日、マツダスタジアムにて行われた『SMBC日本シリーズ2016』広島東洋カープ対北海道日本ハムファイターズ 第1回戦にて国歌独唱を務めた。 2024年2月23日に行われたエディオンピースウイング広島での初めての公式戦で国歌を独唱した。

● 受賞歴

・ 第26回日本レコード大賞 新人賞『モニカ』
・ 第17回日本有線大賞 最優秀新人賞『モニカ』
・ 第8回日本アカデミー賞 新人俳優賞『すかんぴんウォーク』
・ 第27回ブルーリボン賞 新人賞『すかんぴんウォーク』
・ 第39回 毎日映画コンクール スポニチグランプリ新人賞『すかんぴんウォーク』
・ 第34回日本アカデミー賞 優秀助演男優賞『必死剣 鳥刺し』
・ 第87回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 助演男優賞『下町ロケット』
・2016 GQ Men of the Year
・第7回ジャパンアクションアワード ベストアクション男優優秀賞(『精霊の守り人 最終章』)

● ディスコグラフィー


◎ シングル

 1st     SMSレコード   7インチ  SM07-240  4位  パラシュートが落ちた夏
 2nd    SM07-243  6位   LA VIE EN ROSE
 3rd    SM07-246  4位
 4th    SM07-248    1位   オリジナル・アルバム未収録
 5th    SM07-250
 6th    SM07-256    2位
 7th    SM07-247   MODERN TIME
 8th    SM07-260  10位
 9th    SM07-265    4位  オリジナル・アルバム未収録
 10th    SM10-270   A-LA-BA・LA-M-BA
 11th    SM10-274  12位
  -    SM00-13   -  GLAMOROUS JUMP
 12th    SM07-280    5位  オリジナル・アルバム未収録
 13th     東芝EMI / EASTWORLD  8センチCD
CT  TODT-2642
TOST-2642  LUNATIC LION
 14th     8センチCD  TODT-2798  6位  オリジナル・アルバム未収録
 15th    TODT-2873  5位   Shyness Overdrive
 16th    TODT-2937  10位
 17th    TODT-2978  8位   Cloudy Heart
 18th    TODT-3140  3位
 19th    TODT-3210  6位
  -     -   -   -
 20th     8センチCD  TODT-3427  4位  FOREVER ROAD
 21st    TODT-3711  12位   BEAT∞SPEED
 22nd    TODT-3820  10位
 23rd    TODT-3886  34位
 24th     ポリドール  PODH-1375  14位   HEROIC Rendezvous
 25th    PODH-1385  19位
 26th    PODH-1400  18位
 27th    12センチCD  POCH-1760  42位   HOT ROD
 28st    8センチCD  PODH-1482  18位
 29th     キティMME   12センチCD  UMCM-5001  27位  オリジナル・アルバム未収録
  -    UMCK-5522   -   -
 30th     徳間ジャパン / JAPAN RECORDS   CD EXTRA  TKCA-72376  29位  PANDORA
 31st    TKCA-72552  20位  Jellyfish & Chips
 32nd    12センチCD  TKCA-72780  26位  オリジナル・アルバム未収録
 33rd    CD+DVD(初回限定盤)
CD(通常盤)  TKCA-73068/80  29位   TARZAN
 34th     12センチCD  TKCA-73102  22位
 35th    TKCA-73172  33位
 36th    TKCA-73314  27位  オリジナル・アルバム未収録
 37th    Far Eastern Tribe Records   CD+DVD(初回限定盤)
CD(通常盤)  UMCF-9512
UMCF-5038  14位  Double-edged sword
 38th     ワーナーミュージック・ジャパン / SAMURAI ROCK  WPZL-30500/1
WPCL-11281  12位  SAMURAI ROCK
 39th     12センチCD  WPCL-11994  16位  WILD LIPS
  -   (ライブ会場での限定販売)  WPDH-10471   -  OVER THE 9


○ リミックス・シングル

 1st  
(No No サーキュレーション)   SMSレコード   12インチ  SM15-5412  4位   SATISFACTION FAKE
 2nd    SM12-5420  5位
 3rd    SM12-5427  12位

○ コラボレーション・シングル

 1st    DISCO K2 TWINS  東芝EMI / EASTWORLD  12センチCD  TOCT-40057  48位  TARZAN
 2nd    鳴海荘吉  エイベックス・エンタテインメント   CD+DVD
CD  AVCA-29789/B
AVCA-29790  8位   SAMURAI ROCK
 3rd    DaiKichi 〜大吉〜  avex mode  AVCA-29882/B
AVCA-29883  9位

○ インターネット配信

 1st  2008年4月16日 NOW    (配信終了)  中島みゆき  中島みゆき   -   -  ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」主題歌
 2nd  2008年4月30日 光と影 〜SEMPO LIVE ver.〜  松井五郎   吉川晃司   -   -  ミュージカル「SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-」劇中歌
 3rd  2011年8月3日 あの夏を忘れない  吉川晃司
松井五郎
府中小の子どもたち   -  KEEP ON SINGIN'〜日本一心〜  広島県民会議主催の子供たちの夢を叶える「夢配達人プロジェクト」にて選ばれた広島県府中小学校の生徒の夢「被爆者に、原爆の様子を聞いて、それを元に、作曲家と一緒に歌を作って、歌いたい」を実現するため、同校OBの吉川晃司に作曲の依頼があったことから作成された曲。2010年、日本テレビの『24時間テレビ』で子供たちによって歌唱披露された。また、2011年にはフジテレビの『2011 FNS歌謡祭』で吉川晃司×AKB48のコラボレーションによって歌唱披露されている。リリースされた曲は中学生となった発案者達と府中小学校在校生の子供達約40人の合唱と、吉川晃司ボーカルによりレコーディングされたもの。
 4th  2013年7月31日 SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver.(アニメサイズ)   アクセルミュージックエンターテイメント、
ワーナーミュージック・ジャパン   吉川晃司
jam   菅原弘明   -  テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
 5th  2013年10月30日 The Sliders(アニメサイズ)   -  テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)2nd主題歌
 6th   2013年12月4日 SAMURAI ROCK 〜義風堂々!! ver.   -  テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
 10th  2016年8月6日 Over The Rainbow   吉川晃司
jam  吉川晃司、菅原弘明   OVER THE 9  水球日本代表Poseidon Japan公式応援ソング。2016年12月10日放送のフジテレビ『MUSIC FAIR』でテレビ初披露。また、同年12月14日放送のフジテレビ『2016 FNS歌謡祭 第2夜』でも披露。
 11th  2018年1月10日 The Last Letter   菅原弘明  劇場版アニメ『マジンガーZ / INFINITY』エンディングテーマ。2017年12月13日放送のフジテレビ『2017 FNS歌謡祭 第2夜』でテレビ初披露。
 12th  2020年2月7日 Lucky man  松井五郎  カルビー『かっぱえびせん』WEB限定CMソング。
 13th  2020年6月16日 Brave Arrow / 焚き火  (焚き火)松井五郎  (Brave Arrow)吉川晃司、菅原弘明
(焚き火)吉川晃司  テレビドラマ『探偵・由利麟太郎』メインテーマ / エンディングテーマ。メインテーマのBrave Arrowはインスツルメンタル。焚き火の歌詞は二行のみで全編がほぼスキャットで歌唱されている。
 14th  2020年10月29日 BLOODY BLACK  jam  吉川晃司  NHK BSプレミアム『フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿』オープニングテーマ。


◎ アルバム

○ オリジナル・アルバム

 1st     SMSレコード   LP
CT  SM28-5407
CM28-5407  4位
 2nd    SM28-5410
CM28-5410    1位
 3rd    SM28-5414
CM28-5414
 4th     LP
CD
CT  SM28-5424
MD32-5022
CM28-5424
 5th    SM28-5430
MD32-5106
CM28-5430  2位
 6th    SM28-5438
MD32-5438
CM28-5438  5位
 7th     東芝EMI / EASTWORLD  CD
CT  TOCT-6100
TOTT-6100  2位
 8th     CD  TOCT-6671    1位
 9th    TOCT-8300
 10th    TOCT-8965  5位
 11th    TOCT-9625  3位
 12th     ポリドール  POCH-1693  10位
 13th    POCH-1817  20位
 14th     徳間ジャパン / JAPAN RECORDS   CD+DVD(初回限定盤)
CD(通常盤)  TKCA-72388
TKCA-72399  32位
 15th    TKCA-72570
TKCA-72575  16位
 16th    TKCA-73160
TKCA-73165  12位
 17th    Far Eastern Tribe Records  UMCF-9515/7
UMCF-1023  10位
 18th     ワーナーミュージック・ジャパン / SAMURAI ROCK  WPZL-30609/10
WPCL-11389  6位
 19th    WPZL-31181/2
WPCL-12359    5位
   20th      2CD(初回生産限定盤)
CD(通常盤)  WPCL-13432/3/4
   LP(完全生産限定盤)  WPJL-10177

○ ミニ・アルバム

 1st    ポリドール  CD+DVD  POCH-9011  17位
 2nd     徳間ジャパン / JAPAN RECORDS  CD EXTRA  TKCA-72512  80位
 3rd    CD+DVD  TKCA-72626  72位

○ ライブ・アルバム

 1st     東芝EMI / EASTWORLD  LP(2枚組)
CD
CT  RT18-5250/1
CT36-5250
ZT36-5250    『Double-edged sword』初回限定盤に復刻盤として付属
 2nd       CD  TOCT-7007  2位  
 3rd  TOCT-7008  3位  
 4th    TOCT-9374  12位  
 5th    ポリドール  POCH-1768  34位  
 6th    キティMME  CD+DVD(初回限定盤)
CD(通常盤)  UMCK-9501
UMCK-4013  36位  
 7th    徳間ジャパン / JAPAN RECORDS   CD  TKCA-72710  13位  『Thank You』初回限定盤に付属
 8th    Far Eastern Tribe Records  UMCF-9516  10位  『Double-edged sword』初回限定盤に付属

○ コンピレーション・アルバム

 1st     SMSレコード  CD
CT  MD32-5031
CM28-5144   -  リミックス曲集
 2nd    LP
CD
CT  SM28-5439
MD35-5439
CM32-5439  3位  SMSレコード時代のシングル集+アルバム収録曲のベストアルバム
 3rd     東芝EMI / EASTWORLD  CD
CT  CT32-5365
ZT28-5365  53位  SMSレコード時代の吉川晃司制作曲のベストアルバム
 4th     CD  TOCT-6445  1位  吉川選曲のラブソング集
 5th    TOCT-9956  6位  東芝EMI時代のシングル集+アルバム収録曲のベストアルバム
 6th    ポリドール  POCH-1684  14位  SMSレコード・東芝EMI時代のシングル・ベストアルバム
 7th     USM JAPAN / ISLAND  UMCK-4056  20位  SMSレコード時代のベストアルバム
 8th  東芝EMI / EASTWORLD  TOCT-25589  21位  東芝EMI時代のベストアルバム
 9th  徳間ジャパン / JAPAN RECORDS  TKCA-72850  25位  東芝EMI・ポリドール・キティMME・徳間ジャパン時代のベストアルバム
 10th    東芝EMI / EAST WORLD  CD(初回限定盤2枚組)
CD(通常盤)  TOCT-26206/7
TOCT-26208  24位  リミックス曲集。初回限定盤は『SATISFACTION FAKE +』との2枚組
 11th     Far Eastern Tribe Records  CD+DVD(初回限定盤)
CD(通常盤)  UMCF-9572
UMCF-1055  19位  ファンによる選曲のベストアルバム
 12th    2CD+DVD(期間限定完全盤)
CD+DVD(初回限定盤)
CD(通常盤)  UMCF-9596/8
UMCF-1064/5
UMCF-9599  13位  
 13th     ワーナーミュージック・ジャパン  3CD  WPCL-11856/8  12位  30周年記念のコンプリート・シングル・コレクション
 14th    CD  WQCQ-586   -  アルバム未収録のシングル・カップリング曲のベストアルバム
ライブ会場・ファンクラブ通販限定

○ カバー・アルバム

 1st    徳間ジャパン / JAPAN RECORDS  CD(初回盤3枚組)
CD(通常盤2枚組)  TKCA-72710
TKCA-72715  13位  セルフカバー集

○ サウンドトラック

 1st     SMSレコード   LP
CD
CT  SM25-5413
MD32-5003
CM25-5413
 2nd    SM25-5425
MD32-5025
CM25-5425
 3rd    SM25-5432
MD30-5109
CM25-5432

○ その他アルバム

 1st     STARDUST KISS もしも僕が君ならば 見上げてごらん夜の星を Ever Blue  
 2nd     My Foolish Heart キャンドルの夜 エンジェルチャイムが鳴る夜に  書籍として発売。タイトル名の小説と同名称の曲を含む自作2曲と映画『大停電の夜に』テーマ曲のカバーを収録。


◎ 映像作品

 1st     SMSレコード   VHS
β
LD  H098-1001
B098-1001
MP-173-15WA   ライブ・ビデオ
 2nd    H098-1003
B098-1003
 3rd    H078-1007
B078-1007
SM058-3024
 4th    H088-1008
B088-1008
D068-1008
 5th     東芝EMI   VHS
LD  TT60-1290HI
LO60-1137
 6th    TOVF-1121
TOLF-1121  ミュージック・ビデオ
 7th    TOVF-1125
TOLF-1125  ライブ・ビデオ
 8th    TOVF-1159
TOLF-1159  ミュージック・ビデオ
 9th    TOVF-1162
TOLF-1162  ライブ・ビデオ
 10th    TOVF-1190
TOLF-1190  ミュージック・ビデオ
 11th    TOVF-1208
TOLF-1208   ライブ・ビデオ
 12th     ポリドール  POVH-1064
POLH-1064
 13th    POVH-1065
POLH-1065
 14th     マーキュリー・ミュージックエンターテイメント   VHS  PHVL-7002
 15th    PHVL-7003  ドキュメンタリー
 16th     -    ファンクラブ限定販売
 17th     徳間ジャパン / JAPAN RECORDS   VHS
DVD  AXLV-0005
TKBA-1033  ライブ・ビデオ
 18th     DVD  TKBU-1036  ミュージック・ビデオ
 19th    TKBA-1040   ライブ・ビデオ
 20th    2DVD+CD(初回限定版)
2DVD(通常版)  TKBA-1055
TKBA-1060
 21st    2DVD+CD-ROM(初回限定版)
2DVD(通常版)  TKBA-1075
TKBA-1071
 22nd    DVD  TKBA-1089
 23rd    DVD(初回限定版)
DVD(通常版)  TKBA-1100
TKBA-1105
 24th    DVD(3枚組)  TKBA-1113
 25th    DVD(初回限定版)
(通常版)  TKBA-1115
TKBA-1123
 26th    DVD  TKBA-1124
 27th     Far Eastern Tribe Records  DVD+USBメモリ(初回限定版)
DVD(通常版)  UMBF-9530
UMBF-1011〜2
 28th    2DVD+CD(初回限定版)
2DVD(通常版)  UMBF-9540
UMBF-1022〜3
 29th     ワーナーミュージック・ジャパン  Blu-ray+CD(初回限定版)
2DVD+CD(初回限定版)
Blu-ray(通常版)
DVD(通常版)  WPZL-90040/1
WPZL-90037/9
WPXL-90027
WPBL-90253/4
 30th    Blu-ray
DVD  WPXL-90094/6
WPLP-90317/9
 31st    Blu-ray
DVD  WPXL-90110
WPLP-90350
 32nd    DVD+CD(初回限定盤)
Blu-ray+CD(初回限定盤)
DVD(通常盤)
Blu-ray(通常盤)  WPZL-90128/9
WPZL-90130/1
WPBL-90405
WPXL-90137
 33rd    DVD+CD(完全生産限定盤)
Blu-ray+CD(完全生産限定盤)
DVD(通常盤)
Blu-ray(通常盤)  WPZL-90161/2
WPZL-90159/0
WPBL-90474
WPXL-90178
 34th    2DVD+CD(完全生産限定盤)
Blu-ray+CD(完全生産限定盤)
DVD(通常盤)
Blu-ray(通常盤)  WPZL-90194/5/6
WPZL-90192/3
WPBL-90537
WPXL-90222
 35th    DVD
Blu-ray  WPBL-90542
WPXL-90228
 36th    DVD+CD+フォトブック(完全生産限定盤)
Blu-ray+CD+フォトブック(完全生産限定盤)
DVD(通常盤)
Blu-ray(通常盤)  WPZL-90248/9
WPZL-90250/1
WPBL-90584
WPXL-90257
 37th    DVD+フォトブック+吉川晃司オリジナルVRグラス+VR視聴カード(完全生産限定スペシャルBOX盤)
Blu-ray+フォトブック+吉川晃司オリジナルVRグラス+VR視聴カード(完全生産限定スペシャルBOX盤)
DVD(通常盤)
Blu-ray(通常盤)  WPZL-90263/4
WPZL-90265/6
WPBL-90618
WPXL-90293


◎ ボックス・セット

 1st    東芝EMI / EASTWORLD  CD+DVD  TOCT-26125/9  東芝EMI時代のオリジナル・アルバム(CD5枚組、デジタルリマスター盤)+ミュージック・ビデオ集
 2nd    Far Eastern Tribe Records  DVD  UMBF-9501/14  DVD14枚組ライブ映像集。 ファンクラブ仕様は17枚組。
 3rd    ワーナーミュージック・ジャパン  SHM-CD/CD  WPCL-11901/25  オリジナル・アルバム(SHM-CD 全18枚)をデジタルリマスタリング・紙ジャケット仕様で収録。ミニ・アルバム・企画盤(CD 全4枚)と12inchシングル(CD 全3枚)をボーナス・ディスクとして収録。ライブ・ヒストリー・ブック付。


◎ ミュージック・ビデオ

     
     
      共演:石原真理子
   
   
     
     漆畑銑治  
 
 
 
 
      
   
   
      
   
   
      
   
      
   
     
     
     
       三池崇史  共演:福本清三、本山力
 
 小松壮一郎  
 三池崇史  共演:山口祥行、与座重理久、本山力
 2004年 20th Anniversary Ver.  小松壮一郎  
    川村ケンスケ  共演:高瀬媛子、TAMAYO
    
 
    小松壮一郎  
   共演:奏音
   大友啓史  共演:平山祐介、深水元基
   小松莊一良  
     
   丹修一  


◎ 参加作品

   山下久美子  Living Together  アルバム『BLONDE』  日本コロムビア  コーラス
   BOØWY  1994-LABEL OF COMPLEX-  アルバム『JUST A HERO』    東芝EMI / EASTWORLD  ヴォーカル(ツイン・ヴォーカル)
   松井常松  TONIGHT  アルバム『Bye Bye EXTREMER』  ギター
   山下久美子  こっちをお向きよソフィア  アルバム『THE HEARTS』  コーラス
   村上秀一  飾りじゃないのよ涙は  アルバム『MY PLEASURE 〜FEATURING GREATEST MUSICIANS〜』  ビクターエンタテインメント  ヴォーカル・ギター
   山下久美子  SOMEDAY feat.吉川晃司  アルバム『Duets』  東芝EMI / Virgin Music  ヴォーカル(デュエット)
     DISCO TWINS  Juicy Jungle feat. 吉川晃司   アルバム『TWINS DISCO』   キューンレコード   ヴォーカル
 Thunder Storm feat. 吉川晃司
    川村カオリ  LOVE REAL ACTION  アルバム『K』  MILESTONE CROWDS  ヴォーカル(デュエット)・コーラス・ギター・プログラミング
 松井常松  GOOD FEELING  アルバム『HORIZON 〜20TH ANNIVERSARY〜』  ハドソン・ミュージックエンタテインメント  コーラス
   奥田民生  ライジングサン   -  ラーメンカレーミュージックレコード  ヴォーカル
数多のミュージシャン参加。 配信限定曲。
   松岡充  罪と罰とアングラ   -    コーラス


◎ 楽曲提供

  原田知世  葡萄畑の走り方  アルバム『NEXT DOOR』   1986年  秋元康    吉川晃司   後藤次利  
 セレブレーション  アルバム『Soshite』  湯川れい子  
 金山一彦  Summer Timeを引きずって  アルバム『FISH』   1987年      
 小泉今日子  Hippies  アルバム『Hippies』  渡辺えり子  大村雅朗  
  小川美由希  Stand Up  アルバム『mew club』   小川美由希  渡辺格, 大平勉 & Haward Killy  
 Shiningdays  アルバム『BITTER SPICE』  1988年  渡辺格  
 KEN-JIN BAND  Hungry Man  シングル「Hungry Man」  2001年  横山雄二    サウンドプロデュースも担当。
後に「Fame & Money」としてセルフカバー
 DISCO TWINS  Juicy Jungle feat.吉川晃司  アルバム「TWINS DISCO」  2006年  吉川晃司, Jam  DISCO TWINS  ボーカルとしても参加
 川村カオリ  LOVE REAL ACTION feat.吉川晃司  アルバム『K』  2009年  川村カオリ   菅原弘明  デュエットでボーカルとしても参加
 松岡充  罪と罰とアングラ  風都探偵CD-BOX  2022年  松岡充  楽曲プロデュースおよびコーラスとしても参加
 朝焼け  黄桜『辛口一献「燗、極まる。」篇』コマーシャルソング
 音楽番組『JAPAN COUNTDOWN』(テレビ東京系列)3月度オープニングテーマ
 SAMURAI ROCK 〜義風堂々 ver.  テレビアニメ『義風堂々 兼続と慶次』(テレビ東京系列)1st主題歌
 2018年  The Last Letter  映画『劇場版 マジンガーZ / INFINITY』(東映)エンディングテーマ


● 公演
※2014年に発売されたCDボックス・セット『Complete Album Box』に、2013年までの30年間のライブ・ヒストリーのデータ・ベース化した「ライブ・ヒストリー・ブック」に記載があるが、誤植がいくつかあるので、ここでは訂正した内容で掲載する。現在まで、奈良県(本公演を含めれば、沖縄県も)では単独公演が開催されていない。また2023年現在、日本武道館での単独公演回数は36回(COMPLEX時代も含めると、39回)。

◎ 単独公演・フィルムコンサート

○ 1983年 - 1988年

 1983年4月3日  はまちバンド解散 & 吉川晃司旅立ちコンサート   1会場1公演 4月3日 広島市見真講堂 所属していたバンド「はまちバンド(別名 EIGHT CITY FISH BAND)」の解散と東京へ上京する吉川を激奨するために開催されたコンサート。800人収容のホールに立見が出るほど大盛況となった。このライブの一部がDVD『LIVE archives 25』に収録されている。
 1983年11月6日  デビューライブコンサート   1会場1公演 11月6日 新宿ルイード デビュー前に行われた、ファーストコンサート。
 1983年11月19日  ファン結成式   1会場1公演 11月19日 広島そごう 屋上 デビュー前に行われた、ファンの集い。デビュー前にもかかわらず、約500名が集まった。
 1983年12月5日  ライブハウスコンサート   7会場7公演
読売ホールでは、定員をはるかにオーバーする来場者があり、開演時には「入場お断り」に
3月29日 大阪バナナホール 初の全国ライブハウスツアー。
 1984年3月18日 - 3月30日  レコード店タイアップコンサート   16会場16公演
初の本格的な全国ツアー。沖縄公演は、この公演以降は現在まで行われていない。   参加者 《PaPa》
ギター:稲葉智
ベース:笠原敏幸
キーボード:山崎透
(サポートメンバー)
ドラム:小林誠
 1984年7月15日 - 8月23日  吉川晃司 Video Live   11会場14公演
デビュー前、読売ホール、バナナホールのライブ映像にて行われたフィルムコンサート。
 1984年9月12日 - 11月8日  FLYING PARACHUTE TOUR Ⅱ   13会場13公演
前回のツアーで公演を行わなかった都市を中心に開催されたツアー第2弾。
 1984年10月20日 - 11月9日  学園祭ライブ   3会場3公演 10月20日 梅村学園
10月28日 福岡歯科大学
11月9日 松阪女子高校
 1985年1月6日 - 1月17日  '85 吉川晃司 Live For Rockfeeling Kids 「晃司に触れたい」   2会場3公演 1月6日 大阪城ホール
1月11日 日本武道館
1月17日 日本武道館 (追加公演) 初のアリーナツアー。当時吉川は「デビュー1年以内に武道館をいっぱいにしたい」という目標があり、見事目標を実現させた。   参加者 《PaPa》
ギター:稲葉智
ベース:笠原敏幸
キーボード:山崎透
ドラム:椎野恭一
(サポートメンバー)
サクソフォーン:エリック笠原
シンセサイザープログラマー:松武秀樹
 1985年3月21日 - 7月4日  ’85 JAPAN TOUR   58会場64公演 山形公演では収容人数1500人のところ、イベンターが倍の数のチケットを販売したために責任者は逃げ出し、開演時間は1時間遅れ、立見の観客が会場の扉にまで溢れかえる事態となった(公演は無事に行われた)。
 1985年7月27日  '85 JAPAN TOUR FINAL   1会場1公演 9月30日 銀座山野楽器本館4F Jam Spot
銀座山野楽器から発送された12インチ・シングル発売告知のダイレクトメールをイベント当日持参すれば参加出来た「’85 JAPAN TOUR」ライブとドキュメンタリー映像による山野楽器独自企画のビデオ・コンサート。
 1985年12月14日 - 12月27日  仮説 吉川晃司 '86   1会場1公演 2月23日 銀座山野楽器本館4F Jam Spot
銀座山野楽器にてアルバム「MODERN TIME」を予約、または購入者から抽選で招待された山野楽器独自企画のビデオ・イベント。映画「テイク・イット・イージー」公開前に、前主演2作を含め紹介された。
 1986年4月27日 - 5月5日  K.KIKKAWA "休日のSATISFICTION=FAKE"   4会場4公演 4月27日 西武球場
4月29日 比叡山スキー場
5月3日 ポートメッセなごや
5月5日 小戸トワイライトゾーン ゴールデンウィーク中に行われた、野外ライブツアー。1984年に西武球場で行われた「オールナイトニッポン スーパーフェス ASAHI BEER LIVE」に前座で出演した際に「いつかは自分一人で球場を満杯にしたい」と思っていたそうである。
 1986年5月18日 - 8月21日  '86 DRASTIC MODERN TIME TOUR。
 1987年8月9日  87 BIG ONE NIGHT~The Best What-if~   1会場1公演 8月9日 国営昭和記念公園
 1987年12月11日 - 1988年4月21日  QUESTION ~Now thinking with pleasure~   55会場59公演
4月の郡山・長岡公演は、本人の体調不良により公演中止、5月に振替。
アリーナ席に飛び降りた為出入禁止となっていた日本武道館が晴れて解禁となり2年振りの開催となった。
 1988年5月6日、5月9日  武道館スペシャル "BACK TO ZERO"   2会場3公演 12月11日 日本武道館
12月12日 日本武道館
12月31日 大阪城ホール   参加者 ドラム:池畑潤二
ベース:吉田建
キーボード:山崎透
ギター:原田喧太
ギター:窪田晴男
マニピュレーター:桑島幻矢
 1992年9月25日 - 12月27日  Shyness Overdrive TOUR 1992   11会場22公演
初日の松戸公演は、FC限定ライブ。チケット購入者には公演記念の銀のメタルプレートが進呈された。また、7月29日の静岡公演では公演中に肋骨骨折、その影響で8月の札幌公演は10月に延期された。   参加者 ドラム:上領亘
ベース:浅田孟
キーボード:矢代恒彦
ギター:原田喧太
テナーサックス:YUKARIE
コンピュータプログラミング:桑島幻矢
 1996年10月25日 - 1997年2月8日  KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 1996-1997 "BEAT ∞ SPEED"   31会場40公演 1996年
10月25日 戸田市文化会館
10月28日 大宮ソニックシティ
10月30日 NHKホール
10月31日 NHKホール
11月8日 静岡市民文化会館
11月10日 群馬県民会館
11月12日 倉敷市民会館
11月13日 神戸国際会館こくさいホール
11月16日 新潟県民会館
11月18日 仙台サンプラザ
11月24日 千葉県文化会館
11月25日 府中の森芸術劇場
11月27日 茨城県立県民文化センター
11月28日 宇都宮市文化会館
11月30日 名古屋国際会議場 センチュリーホール
12月1日 名古屋国際会議場 センチュリーホール
12月3日 石川厚生年金会館
12月5日 京都会館
12月6日 長野県県民文化会館
12月15日 仙台サンプラザ
12月17日 郡山市民文化センター
12月18日 岩手県民会館
12月21日 北海道厚生年金会館
12月22日 北海道厚生年金会館 1997年
1月7日 神奈川県民ホール
1月9日 イイヅカコスモスコモン
1月10日 宮崎市民文化ホール
1月12日 鹿児島市民文化ホール
1月13日 熊本市民会館
1月16日 福岡サンパレス
1月17日 福岡サンパレス
1月19日 広島厚生年金会館
1月20日 広島厚生年金会館
1月28日 大阪厚生年金会館
1月29日 大阪厚生年金会館
2月1日 名古屋国際会議場 センチュリーホール MITSUBISHI MOTORS BEATNAVIGATION
《"BEAT ∞ SPEED" SPECIAL》
2月2日 赤坂BLITZ
《"BEAT ∞ SPEED" FINAL》
2月5日 日本武道館
2月7日 日本武道館
2月8日 日本武道館   参加者 ドラム:上領亘
ベース:小池ヒロミチ
キーボード:矢代恒彦
キーボード&マニピュレーター:吉村龍太
ギター:原田喧太
 1997年2月9日  K2@10TH ANNIVERSARY K2 MEMBERS ONLY LIVE   1会場1公演 2月9日 赤坂BLITZ オフィシャルファンクラブ10周年を記念した、FC限定ライブ。チケット購入者には公演記念の銀のメタルプレートが進呈された。
 1998年2月10日 - 2月14日  KOJI KIKKAWA "LIVE GOLDEN YEARS EXPANDED 0015"   4会場7公演   参加者 ギター:原田喧太
ベース:小池ヒロミチ
ドラム:酒井麿
キーボード:矢代恒彦

○ 2001年 - 2010年

 2001年2月25日 - 4月30日  KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 2001 "SOLID SOUL"   14会場18公演
 2001年12月22日 - 12月24日  KOJI KIKKAWA X'mas Carol Drive 2001   1会場3公演 12/22 Zepp Tokyo
12/23 Zepp Tokyo
12/24 Zepp Tokyo   参加者 ギター:稲葉智
ベース:小池ヒロミチ
ドラム:酒井麿
キーボード:矢代恒彦
 2002年7月7日、7月21日  吉川晃司 vs KOJI KIKKAWA ONE NIGHT SPECIAL LIVE Propaganda 2002   2会場2公演 7月7日 NHKホール
7月21日 なんばHatch (OSAKA EDITION)
 2002年8月16日 - 10月19日  KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 2002 "スマッシュ THE パンドーラ"   14会場16公演   参加者 ギター:原田喧太
ベース:小池ヒロミチ
ドラム:酒井麿
キーボード:矢代恒彦
 2002年12月01日  KOJI KIKKAWA produce
Date FM 20th Anniversary SPECIAL LIVE
Supported by LAOX   1会場1公演 12月1日 Zepp Sendai
 2002年12月13日 - 12月24日  X'mas Carol Drive 2002   4会場5公演 12月13日 なんばHatch
12月15日 名古屋OZON
12月21日 Zepp Tokyo
12月22日 Zepp Tokyo
12月24日 Zepp Fukuoka
 2003年8月15日 - 10月12日  KOJI KIKKAWA CONCERT TOUR 2003 "Love Jellyfish"   1会場3公演 12月29日 国立代々木競技場 第二体育館
12月30日 国立代々木競技場 第二体育館
12月31日 国立代々木競技場 第二体育館   参加者 ギター:弥吉淳二
ギター:菊地英昭
ギター:原田喧太
ギター:アベフトシ
ベース:小池ヒロミチ
ベース:JOE
ドラム:SATOKO
キーボード:ホッピ神山
 2009年8月18日  25th Anniversary プレミアムバースデーイベント   1会場1公演 8月18日 SHIBUYA-AX シングル「傷だらけのダイヤモンド」アルバム「Double-edged sword」各CD封入応募券送付による抽選招待
 2009年10月29日 - 2010年2月6日  KIKKAWA KOJI LIVE 2009-2010 25th Anniversary LIVE GOLDEN YEARS TOUR   15会場16公演
 2010年8月17日、8月18日  KIKKAWA KOJI LIVE 2010 Summer Groove ~club edition~   1会場2公演 8月17日 SHIBUYA-AX
8月18日 SHIBUYA-AX
 2010年8月19日  KIKKAWA KOJI BIRTHDAY LIVE With xxx 2010   1会場1公演 8月19日 SHIBUYA-AX (FC限定)
 2010年12月29日、12月30日  KIKKAWA KOJI LIVE 2010 Winter Groove   18会場18公演   参加者 ギター:菊地英昭
ギター:伊藤可久
ベース:小池ヒロミチ
キーボード:ホッピ神山
ドラム:青山英樹
 2014年8月16日  KIKKAWA KOJI Birthday Night "B-SIDE+"   1会場1公演 8月16日 日本武道館   参加者 Bass:後藤次利
Drums:山木秀夫
Guitar:野呂一生
Keyboards:矢代恒彦
Chorus:坪倉唯子
Chorus:山根麻以
スペシャルゲスト
Keyboards:小林武史
Vocal:綾小路翔
 2014年8月23日 - 10月5日  30th Anniversary Live "SINGLES+"   4会場8公演   参加者 Guitar:菊地英昭
Bass:小池ヒロミチ
Keyboards:ホッピー神山
Keyboards & Guitar:菅原弘明
Drums(前編):坂東慧
Drums(後編):青山英樹
 2015年2月28日 - 4月24日  KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live "SINGLES+ RETURNS"   7会場7公演
2000年に行われた『HOT ROD MAN "RETURNS" LIVE 2000』以来、約10年ぶりとなるライブハウスツアー。   参加者 Guitar:菊地英昭
Bass:小池ヒロミチ
Keyboards:ホッピー神山
Keyboards & Guitar:菅原弘明
Drums:菅沼孝三
 2015年8月18日  KIKKAWA KOJI 30th Anniversary Live“SINGLES+ RETURNS”LiveDVD/Blu-ray 特別先行上映会 トークショー   1会場1公演 8月18日 TOHOシネマズ新宿
 2016年6月11日 - 12月30日  KIKKAWA KOJI Live 2016 "WILD LIPS"   15会場17公演   参加者 Guitar:生形真一
Bass:ウエノコウジ
Keyboards:ホッピー神山
Drums:湊雅史
Keyboards & Guitar:菅原弘明
 2017年7月8日 - 9月12日  KIKKAWA KOJI LIVE 2017 "Live is Life"   10会場10公演   参加者 Guitar:菊地英昭
Guitar:生形真一
Bass:ウエノコウジ
Drums:湊雅史
Keyboards:ホッピー神山
 2018年1月20日、1月21日  KIKKAWA KOJI LIVE 2018 "Live is Life"   18会場19公演   参加者 Guitar:土屋昌己(2/1,2のみ)
Guitar:生形真一
Bass:ウエノコウジ
Drums:湊雅史
Keyboards:ホッピー神山
 2020年5月3日 - 9月5日  KIKKAWA KOJI LIVE 2020 BLOODY BLACK TOUR   17会場19公演
新型コロナウイルスの影響で全公演延期となった。尚、東京ガーデンシアターは、公演が行われていればこけら落とし公演となる予定であった。

○ 2021年 -

 2021年5月3日 - 9月26日  KIKKAWA KOJI LIVE TOUR 2021 BELLING CAT   11会場11公演 新型コロナウイルスの影響で全公演延期前年のツアーを、公演内容を変更、それに伴い新たなツアータイトルとなった。
東京、福岡、島根は延期公演も告知されたが、最終的に宮城公演を最後に、残り全公演中止となった。 その後、新型コロナウイルス感染症の感染者数の減少や医療提供体制の改善が見られ、9月30日をもって東京都の緊急事態宣言も解除されたことを受け、10月24日の東京ガーデンシアター公演を新規公演として発表し、開催された。   参加者 Guitar:菊地英昭
Guitar:生形真一
Bass:ウエノコウジ
Drums:湊雅史
Keyboards:ホッピー神山
 2022年4月28日 - 5月12日  KIKKAWA KOJI Premium Night ”Guys and Dolls” presented by WOWOW『INVITATION』   4会場5公演 4月28日 フェスティバルホール
5月1日 LINE CUBE SHIBUYA
5月2日 LINE CUBE SHIBUYA
5月5日 広島JMSアステールプラザ 大ホール
5月12日 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール   参加者 Guitar:今剛
Bass:後藤次利、小池ヒロミチ
Drums:山木秀夫
Keyboards:ホッピー神山、矢代恒彦
Backing Vocal:大黒摩季、福原みほ
 2022年11月20日 - 2023年2月19日  KIKKAWA KOJI LIVE 2022-2023 “OVER THE 9”   17会場19公演
仙台公演では、配券作業上の不備により、座席の重複、開演時刻遅延が発生した。   参加者 Guitar:菊地英昭
Guitar:INORAN
Bass:ウエノコウジ
Drums:湊雅史
Keyboards:ホッピー神山
 2023年8月4日 - 9月2日  KIKKAWA KOJI Premium Night ”Guys and Dolls”   4会場4公演 8月4日 広島上野学園ホール
8月16日 日本特殊陶業市民会館 フォレストホール
8月17日 フェスティバルホール
9月2日 日本武道館   参加者 Guitar:今剛
Bass:後藤次利、小池ヒロミチ
Drums:山木秀夫、湊雅史
Keyboards:ホッピー神山、菅原弘明
Backing Vocal:大黒摩季、クロエ・キブル


◎ ロックフェスティバル・ジョイントライブ

 1984年5月3日  代々木国際スポーツフェア   1会場1公演 国立代々木競技場
 1984年5月5日  ひろしまフラワーフェスティバル   1会場1公演 広島平和記念公園内 カーネーションステージ
 1984年7月15日  ロッテヤンスタNo.1フェスティバル   1会場1公演 東京厚生年金会館
共演:伊藤つかさ、嶋大輔
 1984年7月22日  オールナイトニッポン スーパーフェス ASAHI BEER LIVE   1会場1公演 西武球場
 1984年7月29日  サマーミュージックフェスティバル   1会場1公演 岡山ヒルゼン高原
共演:原田真二
 1984年8月5日  JUST NOW TOKYO ROCK FEELING TIME   1会場1公演 日比谷野外音楽堂
共演:小山卓治(出演予定だった尾崎豊は、骨折により出演キャンセル)
 1984年8月8日  NEW AGE FESTIVAL   1会場1公演 大阪城野外音楽堂
共演:P・J、中川勝彦
  1984年12月31日  オールナイトライブ「K.KIKKAWA VS Y.HONDA」   1会場1公演 横浜ピカデリー劇場
共演:本田恭章
 ねずみうしコンサート〜TOKYOに住む音楽常識人のための年末大音楽会〜   1会場1公演 渋谷LIVE INN
共演:小川美潮、他
 1985年6月9日  ANN CALL '85   1会場1公演 日比谷野外音楽堂
共演:アン・ルイス、山下久美子、太田裕美、早見優、石川秀美、三原じゅん子、ACTION、RATS&STAR、古舘伊知郎、CHAR、織田哲郎、西シンジ、原田真二、北島健二、大谷イレブン、人見元基 (VOW WOW)、山本恭司 (VOW WOW)、子供ばんど、BLACK CATS
 1985年9月21日  '85 東北音楽祭   1会場1公演 宮城県スポーツランドSUGO
 1985年9月23日  HIROSHIMA SPECIAL LIVE   1会場1公演 広島サンプラザ
 1985年12月31日  オールナイトライブ「HEADS」   1会場1公演 新宿ミラノ座
 1986年6月8日  ANN CALL '86   1会場1公演 日比谷野外音楽堂
共演:アン・ルイス、BOØWY、アースシェイカー、PINK、森山達也/THE MODS、荻野目洋子、シブがき隊、湯江健幸、古舘伊知郎、CHAR、織田哲郎、佐藤準、うじきつよし、近田春夫、サンプラザ中野、忌野清志郎
 1986年6月29日  SPECIAL LAST NIGHT   1会場1公演 黒澤フィルムスタジオ
 1986年8月4日  WATER ROCK FESTIVAL   1会場1公演 新宿都有3号地
共演:BOØWY、44MAGNUM、山下久美子、大沢誉志幸
 1986年12月22日  マハラジャホワイトクリスマスin大阪城ホール   1会場1公演 大阪城ホール
共演:米米クラブ
 1986年12月27日  VIPS COLLECTION '86~'87   1会場1公演 西武球場室内練習場
 1987年6月6日  ANN CALL '87   1会場1公演 日比谷野外音楽堂
共演:アン・ルイス、忌野清志郎、仲井戸麗市、ACTION、TV、金山一彦、木村一八、鈴木聖美、SHOW-YA、石川秀美、中森明菜、FENCE OF DIFENCE、原田真二、うじきつよし、鈴木賢司、マーシー(アースシェイカー)、工藤義弘(アースシェイカー)
 1987年8月2日  MIZUNO BEAT BLASH'87   1会場1公演 大阪城公園内運動場
 1987年12月31日  ROCK'N ROLL BAND-STAND   1会場1公演 月寒グリーンドーム
共演:RCサクセション、泉谷しげる、中村あゆみ、子供ばんど、TAX FREE、金山一彦
 1992年9月19日  APAN ROCK N.Y. LIVE FLASH '92   1会場1公演
共演:岡村靖幸 吉川の他一部のアーティストの公演日に、旅行主催者の目標としていた参加人数が集まらず、主催者側の意向により、吉川出演日も含め全公演中止。またフジテレビでの特番も決定していたが、公演中止に伴い放送中止。
 1996年8月22日  Riding Together LIVE 1996「Summer Extra」   1会場1公演 8/22 神戸ワールド記念ホール
共演:高橋克典、貴水博之
 1996年8月31日  Riding Together LIVE 1996「Summer Exit」   1会場1公演 8/31 東京テレポートタウン青海STATION SQUARE
共演:高橋克典、貴水博之
 1997年12月7日  ANN CALL '97   1会場1公演 赤坂BLITZ
共演:アン・ルイス、鈴木雅之、CHAR、大槻ケンヂ、荻野目洋子、久宝留理子、神田うの、THE KIX-S、シャーリー富岡、桑名晴子、佐藤寛之、SLY、ACTION
 1999年12月1日  Act Againist AIDS'99 LIVE IN OSAKA   1会場1公演 大阪城ホール
 2001年10月22日  YAMINABE LIVE~そうる透30th ANNIVERSARY~   1会場1公演 二子玉川アレーナホール
 2002年11月27日  大沢誉志幸 ライブ in CLUB CITTA'川崎   1会場1公演 CLUB CITTA'川崎
 2007年3月17日  SPACE SHOWER Music Video Awards 07   1会場1公演 03/17 日本武道館
 2007年8月25日  MONSTER baSH 2007   1会場1公演 08/25 国営讃岐まんのう公園内 芝生広場
 2009年5月5日  Kaori Kawamura 20th Anniversary Live 羽化 supported byDISK GARAGE 30th Anniversary   1会場1公演 05/05 C.C.Lemonホール
 2009年8月14日  RISING SUN ROCK FESTIVAL 2009 in EZO   1会場1公演 08/14 石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
 2009年8月15日、8月16日  NEW CLASSIC GIG in Japan '09   1会場2公演

 2009年9月13日  PATi PATi Thanks 25   1会場1公演 08/13 幕張メッセ イベントホール
 2009年9月22日  サンキューサンジューディスクガレージ~MUSIC PARTY~   1会場1公演 09/22 JCB HALL
 2010年8月7日  ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2010   1会場1公演 08/07 国営ひたち海浜公園
 2011年11月29日  極東ROCK'N'ROLL HIGH SCHOOL 「さよならは11月のララバイ」   1会場1公演 11/29 SHIBUYA-AX
 2012年7月15日、8月18日  ap bank fes '12 Fund for Japan   2会場2公演

 2012年12月20日  THE SOLAR BUDOKAN   1会場1公演 12/20 日本武道館
 2012年12月31日  COUNTDOWN JAPAN 12/13   1会場1公演 12/31 幕張メッセ
 2013年3月23日  ふくしま再興祭り2013   1会場1公演 03/23 ビッグパレットふくしま 多目的展示ホールA
 2013年6月11日  貴ちゃんナイト vol.5 ~30th Anniversary Edition~   1会場1公演 06/11 SHIBUYA O-EAST
 2003年11月20日  YOSHIYUKI OHSAWA 20th Anniversary Special Live   1会場1公演 11/20 Zepp Tokyo
 2014年9月15日  氣志團万博2014 ~房総大パニック!超激突!!~   1会場1公演 09/15 袖ケ浦海浜公園
 2015年7月24日  FUJI ROCK FESTIVAL '15   1会場1公演 07/24 苗場スキー場
 2015年9月27日  中津川 THE SOLAR BUDOKAN 2015   1会場1公演 09/27 中津川公園内特設ステージ
 2017年4月30日  ARABAKI ROCK FEST.17   1会場1公演 04/30 エコキャンプみちのく
 2017年9月23日  中津川 THE SOLAR BUDOKAN 2017   1会場1公演 09/23 中津川公園内特設ステージ
 2019年8月17日  RISING SUN ROCK FESTIVAL 2019 in EZO   1会場1公演 08/17 石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージ
      1会場1公演
新型コロナウイルスの影響で延期となった。


◎ トークイベント、舞台挨拶、その他

 1986年3月17日  映画「TAKE IT EASY」試写会 & 「サングラスをはずして」公開録音  読売ホール
主演映画「TAKE IT EASY」の試写会と、ニッポン放送で放送されたレギュラー番組「サングラスをはずして」の公開録音を兼ねたイベント。
 2000年7月29日  コーセーアンニュアージュトーク第115回  恵比寿ガーデンプレイス ザ・ガーデンルーム
共演:前田日明 トークテーマ:「ローンウルフのアキレス腱」
 2001年11月29日  コーセーアンニュアージュトーク大阪第2回  大阪オーバルホール
共演:前田日明 トークテーマ:「ローンウルフのアキレス腱再び編」
 2005年6月15日  コーセーアンニュアージュトーク第171回  恵比寿ガーデンプレイスザ・ガーデンホール
共演:筑紫哲也 トークテーマ:「悠久休暇」
 2005年12月2日  コーセーアンニュアージュトーク第174回  サッポロファクトリー
共演:源孝志「優しいわがまま」
 2005年12月3日  映画「大停電の夜に」舞台挨拶  丸の内ピカデリー2
 2005年12月21日  「エンジェルチャイムが鳴る夜に」出版記念イベント握手会  新宿有隣堂
 2006年1月25日  東京広島県人総会&新春懇親パーティー  赤坂プリンスホテル
共演:原田真二
 2006年7月28日  映画「劇場版 仮面ライダーカブト GOD SPEED LOVE」舞台挨拶  丸の内TOEI
 2007年4月22日  山野楽器トークイベント  銀座山野楽器本店
 2008年2月9日  映画「チーム・バチスタの栄光」舞台挨拶  広島宝塚
 2008年2月26日  ペルー展トークショー「ペルーを歩いて」  アーク森ビル
 2011年11月19日-11月20日  広島ガス「ガス展2011」  広島グリーンアリーナ


◎ 海外ツアー

 1991年9月4日-9月9日  KOJI KIKKAWA LUNATIC NIGHT in FIJI  フィジー島
 1993年3月19日-3月24日  KOJI KIKKAWA 10th ANNIVERSARY EVENT「A SHYNESS FANTASIA IN AUSTRALIA」  オーストラリア・ケアンズ
 2003年1月24日-1月28日  KOJI KIKKAWA FAN CLUB TOUR in SAIPAN「SAIPAN CIRCUS」  マリアナリゾート


◎ 舞台

 2008年4月4日-5月8日  SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-  4月4日 - 4月22日:新国立劇場 中劇場
4月26日 - 4月27日:名鉄ホール
5月2日 - 5月8日:新神戸オリエンタル劇場
 2013年9月19日-9月29日  9月19日 - 9月29日新国立劇場 中劇場
 2012年4月13日-5月27日  舞台「陽だまりの樹」  4月12日(プレビュー公演)、4月13日 - 4月22日 サンシャイン劇場
5月4日-20日 大阪新歌舞伎座
5月24日 - 27日 中日劇場
 2019年10月14日-10月20日  朗読劇「ラヴ・レターズ」  10月14日 - 10月16日 EXシアター六本木
10月20日 森ノ宮ピロティホール


◎ エキシビジョン

 1986年2月28日-4月6日  吉川晃司 「TAKE IT EASY」フェア  2月28日 - 3月6日 札幌パルコ
3月9日 - 15日 名古屋 名鉄セブン
3月21日 - 26日 静岡 西武百貨店
3月28日 - 4月3日 尼崎 つかしん
4月6日 - 12日 福岡(会場不明)
 1988年3月19日-3月27日  Koji Kikkawa Week「QUESTION」〜吉川晃司展〜  銀座山野楽器4皆ホール Jam Spot
 1994年6月10日-6月22日  吉川晃司アーティスト展「My Dear Cloudy Heart Exhibition」  津田沼PARCO+Let's6F 特設会場
 1995年6月15日-6月23日  吉川晃司展「FOREVER ROAD」  TOWER RECORDS渋谷店8Fイベントスペース
 2005年4月1日-4月7日  DAZEDxPARCOxK2「An alian in darkness展」  渋谷PARCOパルコミュージアム ウォールギャラリー
 2007年1月16日-2月23日  レプリカントK2展示  1/16-1/23 新星堂横浜ジョイナス店
1/26-1/29 TOWER RECORDS新宿店
1/30-2/12 TOWER RECORDS渋谷店
2/13-2/26 TOWER RECORDSアリオ亀有店
 2011年9月20日~9月26日  KEEP ON SINGIN'発売記念ステージ衣装展  タワーレコード渋谷店 2階
 2019年7月9日-9月16日  日中文化交流協定締結40周年記念特別展『三国志』  東京国立博物館
音声ガイドナビゲーターを担当。
 2019年10月28日-12月1日  吉川晃司 35th Anniversary Live TOUR Mini Photo Gallery  代官山 蔦屋書店 音楽フロア
 2020年1月29日-2月3日  吉川晃司 35th Anniversary Live TOUR Premium Exhibition  1/20-2/1 奈良 蔦屋書店
2/1-14 東京・代官山 蔦屋書店
2/6-14 広島 T-SITE
2/20-28 函館 蔦屋書店
2/20-28 名古屋みなと 蔦屋書店
3/6-14 江別 蔦屋書店
3/6-14 福岡・六本松 蔦屋書店
3/20-28 梅田 蔦屋書店

3月1日に発売された『STAND UP KIKKAWA KOJI FILMOGRAPHY by 14 PHOTOGRAPHERS』の発売を記念した写真展。また3月1日には、半田也寸志、ハービー山口、平野タカシ、細野晋司の4人のカメラマンによる、撮影当時の吉川晃司との撮影エピソードを語るオンライン・トークライブ『STAND UP KIKKAWA KOJI FILMOGRAPHY by 14 PHOTOGRAPHERS』無料オンライン・トークライブの開催された。


● 出演作品


◎ 映画

・ 民川裕司三部作 - 民川裕司 役
 ・ すかんぴんウォーク(1984年2月11日公開、東宝)
 ・ ユー・ガッタ・チャンス(1985年、東宝)
 ・ テイク・イット・イージー(1986年、東宝)
・ シャタラー(1987年、東宝) - 本田光一 役
・ 漂流街(2000年、東宝) - 伏見 役
・ 天国から来た男たち THE GUYS FROM PARADISE(2001年、日活) - 早坂幸平 役
・ OKITE(2003年、東映) - 川又和行 役
・ レディ・ジョーカー(2004年、東映) - 半田修平 役
・ 大停電の夜に(2005年、松竹) - 大鳥銀次 役
・ やじきた道中 てれすこ(2007年、松竹) - 沓脱清十郎 役
・ チーム・バチスタの栄光(2008年、東宝) - 桐生恭一 役
・ 仮面ライダーシリーズ(東映)
 ・ 仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦2010(2009年) - 鳴海荘吉 / 仮面ライダースカル 役
 ・ 仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE(2010年) - 鳴海荘吉 役
・ 必死剣 鳥刺し(2010年、東映) - 帯屋隼人正 役
・ ワラライフ(2011年、ファントム・フィルム) - 古川肇 役
・ るろうに剣心(2012年、ワーナー・ブラザース) - 鵜堂刃衛 役
・ ベトナムの風に吹かれて(2015年) - 本人 役
・ さらば あぶない刑事(2016年、東映) - キョウイチ・ガルシア 役
・ 秘密 THE TOP SECRET(2016年、松竹) - 貝沼清孝 役
・ ある町の高い煙突(2019年、エレファントハウス/Kムーブ) - 木原吉之助 役
・ キングダム 運命の炎(2023年、東宝 / SPE) - 龐煖 役
 ・ キングダム 大将軍の帰還(2024年公開予定、東宝)

◎ テレビドラマ

・ 真夜中は別の顔(2002年、NHK総合) - 倉田竜三 役
・ 大河ドラマ(NHK総合)
 ・ 天地人(2009年) - 織田信長 役
 ・ 八重の桜(2013年) - 西郷隆盛 役
・ 素直になれなくて(2010年、フジテレビ) - 中島亮介 役
・ 下町ロケット(2015年、2018年、TBS) - 財前道生 役
・ 放送90年 大河ファンタジー 「精霊の守り人」(2016年3月19日 - 4月9日 、NHK) - ジグロ 役
・ 都庁爆破(2018年、TBS) - ケイン高村 役
・ 連続ドラマW「黒書院の六兵衛」(2018年、WOWOW) - 主演・的矢六兵衛 役
・ 探偵・由利麟太郎(2020年6月16日 - 7月14日、カンテレ・フジテレビ系) - 主演・由利麟太郎 役
・ 連続テレビ小説 舞いあがれ(2022年10月3日 - 、NHK) - 大河内守 役
・ トリリオンゲーム(2023年7月14日 - 9月15日、TBS) - 祁答院一輝 役
・ ACMA:GAME アクマゲーム(2024年4月7日 - 、日本テレビ) - 織田清司 役

◎ 舞台

・ ミュージカル SEMPO -日本のシンドラー 杉原千畝物語-(2008年4月・2013年9月公演) - 杉原千畝 役
・ 陽だまりの樹(2012年4月公演) - 伊武谷万二郎 役(W主演)
・ ラヴ・レターズ(2019年10月14日 – 16日 EXシアター六本木、10月20日 森ノ宮ピロティホール)

◎ 劇場アニメ

・ 映画ドラえもん のび太の地球交響楽(2024年3月1日公開予定、東宝) - マエストロヴェントー 役

◎ Webドラマ

・ MAGI 天正遣欧少年使節(2019年1月17日配信、Amazonプライム・ビデオ) - 織田信長 役

◎ NHK紅白歌合戦出場歴

 1985年(昭和60年)/ 第36回  初  にくまれそうなNEWフェイス  01/20  石川秀美

◇注意点 :
・ 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

◎ 音楽番組

・ FNS歌謡祭(フジテレビ)
 ・ '87 FNS歌謡祭(1987年12月8日)
 ・ 2011 FNS歌謡祭(2011年12月7日)
 ・ 2016 FNS歌謡祭 第2夜(2016年12月14日)
 ・ 2017 FNS歌謡祭 第2夜(2017年12月13日)
・ MUSIC FAIR(フジテレビ)不定期出演
・ 夜のヒットスタジオ(フジテレビ)不定期出演
・ ミュージックステーション(テレビ朝日)不定期出演
・ ザ・ベストテン (TBS) 不定期出演
・ ザ・トップテン(日本テレビ)不定期出演
・ HEYHEYHEY MUSIC CHAMP(フジテレビ)不定期出演
・ うたばん (TBS) 不定期出演
・ 僕らの音楽(フジテレビ)不定期出演
・ Love music(フジテレビ)不定期出演

◎ ラジオ

・ 吉川晃司 ハートブレイクを抱きしめて(1984年10月13日 - 1985年4月6日、ニッポン放送)
・ 吉川晃司 オンザロードで恋をして(1985年4月13日 - 1985年10月5日、ニッポン放送)
・ 吉川晃司 サングラスをはずして(1985年10月12日 - 1987年10月3日、ニッポン放送)
・ クラシエ「いち髪」(2019年-)
 ・ COMPLEXの「BE MY BABY」がCM曲として使用。
・ カルビー「かっぱえびせん」『もっと、やめられない、とまらない』篇・『かっぱえびせん×吉川晃司 なんかありがとう』篇(2020年2月7日 -)※WEB限定
・ アサヒビール「樽ハイ倶楽部」『俺たち樽ハイ倶楽部』篇(2021年10月11日-)

◎ ナレーション

・ 三国志 Three Kingdoms(2011年、日本語版DVD)第22巻収録の前篇ダイジェストを担当
・ シリーズ平清盛(2011年、NHK総合)全4回
・ 峠 TOUGE(2012年 - 2015年、BS日テレ)
・ 義風堂々 兼続と慶次(2013年、テレビ東京系列)
・ NHKスペシャル
 ・ 「“流氷”大回転」(2014年5月18日)
 ・ 「新型コロナ病棟 いのちを見つめた900日」(2022年10月1日)
・ NNNドキュメント
 ・「拝啓 泣き虫かあさん 〜阪神・淡路大震災から22年〜」(2017年1月22日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
 ・ 「ただいま」と言えない... 〜原爆供養塔に眠る814人〜」(2018年8月5日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
・ ETV特集「誰が命を救うのか 医師たちの原発事故」(2019年5月18日、NHK Eテレ)
・ NNNドキュメント
 ・「シリーズ戦後75年 煉瓦の記憶 広島・被爆建物は語る」(2020年8月2日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
 ・ 「残してください 被爆ポンプです。」(2021年8月1日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
 ・ 「禎子さんの折り鶴 千羽になったら願いが叶うんよ」(2022年7月31日、制作:広島テレビ / 日本テレビ)
・ テレメンタリー2022「決断 老いと向き合う82歳」(2022年11月6日 制作:愛媛朝日テレビ / テレビ朝日)
・ NHK ドキュメント4「最後まで諦めない~高知東高校水泳部から」(2023年9月29日 NHK総合(四国地方))

◎ ドキュメンタリー

・ フランケンシュタインの誘惑 科学史 闇の事件簿(2015年 - 、NHK BSプレミアム)ナビゲーター
・ WATCH「4400人が暮らしていた町 〜吉川晃司がたどる平和公園〜」(2017年4月29日、広島テレビ放送)広島ローカル30分枠
 ・ NNNドキュメント'17「4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園〜」(2017年8月6日、日本テレビ系列)拡大55分枠
・ カンムリ(2018年11月16日・23日、RCCテレビ)日本シリーズ第6戦始球式完全密着
・ その男、職業 吉川晃司。(2019年 WOWOW)
・ 原子の力を解放せよ 〜戦争に翻弄された核物理学者たち〜(2020年8月16日、NHK BS1)
・ レギュラー番組への道 ハザードマップで旅してみた(2022年6月25日、NHK 総合)ナビゲーター

● 書籍


◎ 著書

・ ※長谷川誠共著

「吉川晃司」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月20日18時(日本時間)現在での最新版を取得

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