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河村 通夫(かわむら みちお、1948年〈昭和23年〉3月11日 - )は、日本のラジオパーソナリティ、ナチュラリスト、料理研究家、ミュージシャン。
身長173cm、血液型O型。滋賀県生まれ、京都府京都市左京区出身。1975年、深夜放送『アタックヤング』を担当することになる。『アタックヤング』には、のちに松山千春、田中義剛もパーソナリティを務めるなど、同局の若者向け看板番組であった。河村の曜日は、「起きてるかい、兄貴だよ」と始まり、リスナーの悩みや恋愛などの相談に乗り若者に支持され、深夜にもかかわらず、聴取率は10%を超える人気番組だった。
同局のラジオ番組で人気を博し、「河村通夫と20人衆」として、演奏活動をするようになる。大学の学園祭、高校の文化祭、成人式などに呼ばれる。1979年には渋谷公会堂(東京都渋谷区)でコンサートを開き、全国ツアーもした。1977年に「雪割りの下」(東芝EMI)、1980年に「十勝野」(CBSソニー)とアルバム2枚を発表。
1976年頃から体調がすぐれず、玄米や自然食を始める。農薬を使わず、堆肥などで土づくりをした野菜を作るため、広い畑が欲しくなり、1980年に岩見沢市栗沢町美流渡の山林約20ヘクタールを求める。1981年には全てのラジオ番組を降り、ススキノの店を後輩に譲り、本格的に家族で開墾を始める。明治期に北海道を開拓した方法を経験したいと、人力でオノ、ノコ、島田ぐわなどを使い、木を切り倒す事から始めた。「木を一本倒すと、パーッと光が入って空が見える。開墾は、空が広がるんだと思った。」と、後々、ラジオ番組で本人が語っている。一年目に畑を作り、二年目は、かつての開拓者が残していった馬小屋を修繕して寝泊まりできるようにし、三年目からは自力で家作りを始めた。北海道と北米の気候風土は共通点があると考え、アメリカの開拓期を描いたテレビドラマ「大草原の小さな家」の家が理想だと思い、ツー・バイ・フォー工法で、こつこつと建てて行った。1983年晩秋、雪が降る前に、家に屋根をかける事が出来、冬の間に内装工事をして、1984年春に家族で札幌から移住して念願の山暮らしを始める。
この開墾期には、札幌テレビ放送のテレビ番組『2時のワイドショー』にコメンテーター・料理コーナー担当として6年余りに亘って出演、河村の自宅の開墾の様子なども放送された。この『2時のワイドショー』が視聴率のトップをとるなど、好評を博した。
STVラジオより「ラジオの集大成の番組を作ろう」との話が持ちかけられ、家族で美流渡に移ったのと同時期、1984年4月から生ワイド帯番組『河村通夫の桃栗三年』(月曜〜金曜 午前10:00〜11:55)を始める。番組の中で、「白いご飯と空炒りした米ぬかを食べれば、玄米の栄養が摂れる」と紹介したところ、反響が大きく米ぬかブームが起こる。また「米ぬか健康法」「続・米ぬか健康法」(ともに小学館)が、ベストセラーとなり、ブームは全国に広がる。同番組は1987年12月まで放送された。同時期に開始した『ウイークエンドバラエティ 日高晤郎ショー』とともに高聴取率を獲得し、STVラジオの聴取率躍進の立役者の一人となった。日高晤郎とは対照的なキャラクターではあったが、共に関西出身で年齢が近く、同時期に看板番組を持ったこともあり、その後もよきライバル関係であったことを、2018年の日高逝去後に出版された日高の評伝本『日高晤郎フォーエバー』で明らかにしている。
1985年には神奈川県の食品メーカー・杉食(現・健康フーズ)の協力で、麹菌を植え付けて酸化しにくくした米ぬか「ぬか玄」を完成させる。農薬の心配のない米ぬかを使用し、これを食べれば、手軽に玄米の栄養が摂れるというもので、2018年現在で発売33年というロングセラーとなっている。
1991年10月には『河村通夫の桃栗金よう日』を、栗沢町美流渡の自宅二階に専用回線を引き生放送で開始。番組スタッフが毎週中継のために通ってくるのが大変だったことから、放送開始から2年ほどで河村が札幌のSTVラジオスタジオに足を運ぶ形になった。
『河村通夫の桃栗金よう日』では、「バケツでニシン漬け」など、失敗せず、手軽に漬けられる漬物を次々に考案し、STVテレビ「どさんこワイド」でも1996年10月~2006年3月に「暮らしの達人」として、ガーデニング、料理、漬物など、軽やかに実演紹介し、漬物ブームとなり、「漬物おじさん」と呼ばれる。番組と連動して中村食品産業から「河村さんちのキムチの素」「河村さんちの鉄粉ぬか床」「白菜漬けの具」「細切り昆布」などといった漬物用品を発売する。また、1996年にはSTVラジオ、中村食品産業の協力により秋の漬物シーズンに「河村通夫のつけものレシピ」を毎年10万部発行し、スーパーマーケットなどで無料配布している。漬物レシピや番組内で紹介する料理は、イラストレシピで、解りやすく、北海道の食文化に貢献した。
『河村通夫の桃栗金よう日』は、2001年4月に金曜日から日曜日に移動して『桃栗サンデー』と改題して放送。2016年度の1年は喜瀬ひろしとのコンビで日曜午後の番組『喜瀬と通夫の日曜楽楽生ワイド』のパーソナリティを務めた。2017年4月からは『桃栗サンデー』を再開した。
北海道で46年間、道外では『河村通夫の大自然まるかじりライフ』を1986年から開始し現在も全国ネットで35年間放送されているなど、ラジオ番組による発信を精力的に続けている。
◎ 江戸絵皿の研究
彦根藩の御典医をしていた河村家の先祖の古文書や古書は、滋賀医科大学附属図書館に寄贈され「河村文庫」として残されている。河村は先祖が井伊直弼の体調を細かく記した「殿様日記」が読めず、50歳を過ぎた頃から、古文書が読めるよう、江戸の文字を学び、また自然体の江戸の暮らしに興味も持ち始める。
1990年代後半から骨董市や古書店で江戸時代の絵皿や絵手本の古書の収集を始める。江戸時代の絵手本と絵皿を照合していき、絵解きの研究を行った。
ラジオ番組で、レシピ小冊子をリスナープレゼントしたところ、数千通の応募があった。レシピ冊子のデータは漬物レシピや園芸の冊子とともに桃栗サンデーのホームページでPDF形式で配信されている他、2023年には「毎日簡単イラストおかず グラタン皿一枚でできる手間いらずレシピ」として書籍化され、「桃栗サンデー」アシスタントの若杉佳子との共著で若杉のイラストによるレシピ解説を添えグラタン皿以外の道具を用いる物を含め110品のレシピが掲載され、米ぬか健康法に関する情報なども紹介された。
● 出演番組
・ 河村通夫のセッセセッセと(STVラジオ)
・ 河村通夫のアタックヤング(STVラジオ)
・ 河村通夫の桃栗三年(STVラジオ)
・ 河村通夫の桃栗金よう日(STVラジオ)
・ 河村通夫の桃栗サンデー(STVラジオ)
・ 喜瀬と通夫の日曜楽楽生ワイド(STVラジオ)
・ 河村通夫の大自然まるかじりライフ
● CM
・ 三井観光開発(北海道ローカル・1981年、CMソングも担当)
● ディスコグラフィ
◎ レコード
・ 雪割りの下(東芝EMI)
・ 河村通夫と20人衆『十勝野』(CBSソニー)
● 著書
・ 帰ってくるなサーモン ナチュラルライフのための67編 (ノーム・ミニコミセンター 1981年)
・ 米ぬか健康法 美しくやせる (小学館 1984年 ISBN 4093973512)
・ 続 米ぬか健康法 実践編 (小学館 1985年 ISBN 4093973520)
・ 自然塩健康法 (小学館 1985年 ISBN 4093973814)
・ 河村通夫の自然流3分料理 (小学館 1986年 ISBN 4093973822)
・ 河村通夫の玄米スープ健康法(小学館 1987年 ISBN 4093973539)
・ 江戸絵皿絵解き事典 絵手本でわかる皿絵の世界(講談社 2020年 ISBN 9784065213599)
・ 毎日簡単イラストおかず グラタン皿一枚でできる手間いらずレシピ(講談社 2023年 ISBN 9784065324271 若杉佳子との共著)
● 連載
・ 日経ヘルス「一生もんの定番料理」(2000年10月~2007年1月)
「河村通夫」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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