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大野 克夫(おおの かつお、1939年〈昭和14年〉9月12日 -)は、日本の作曲家、編曲家、キーボーディスト、音楽プロデューサー。京都府京都市出身。実父の尺八は呉服を扱いながらのアマチュアであったが、作曲家、箏曲家である宮城道雄とツアーを行った経験を持つ。姉はピアノを嗜み、兄はジャズが好きで、小学校入学前から兄が洋楽レコードを買いに行くのによく付いて行った。自宅にはピアノ、バイオリン、マンドリン、アコーディオン、尺八、三味線、琴など、いろいろな楽器、サーカスの玉乗りの道具まで置いてあり、それらの楽器を興味本位で触っているうちにどんな楽器も弾けるようになった。目立つ存在でありながら目立つことが大嫌いで「学級委員に選ばれることがいちばん恥ずかしい」と思う少年だった。
京都市立郁文中学校に入学。たまたま担任が数学教師であったことから数学部に入部。講堂の掃除当番の時はクラスメイトが掃除を行う中、BGMとしてピアノを弾く役目だったので掃除を免除された。
京都市立堀川高等学校に入学。高校へ進学する前に、斜め向かいの家から聞こえてきたハワイアンギターの音に魅せられてスチールギターを始める。
高校卒業が近くなり大学受験を決めて勉強に励んでいたが、これから開局する読売テレビの音楽プロデューサーにと誘われる。しかし、プレーヤーとして生きていきたいと考え、卒業後は高校2年生の夏休みからアルバイトとして参加していた「ゲイリー石黒&サンズ・オブ・ザ・ウエスト」のスチールギター奏者としてプロ入り。スチールギター奏者として最年少でありながら実力は抜群だった。
◎ PYG〜井上堯之バンド
1970年にザ・スパイダースが解散。1971年に井上堯之、沢田研二、萩原健一、岸部修三(岸部一徳)、大口広司と共にロックバンドPYGを結成し、1972年まで活動した。1971年から井上堯之バンドのメンバーとして活動し、テレビドラマ『太陽にほえろ』『寺内貫太郎一家』『傷だらけの天使』などの音楽を手掛けた。『太陽にほえろ』への参加は、萩原の推薦によるものであった。
同時期に沢田のバックバンド、作曲家、編曲家としても活動。1975年の「時の過ぎゆくままに」は約92万枚の売り上げを記録。1977年の「勝手にしやがれ」は第19回日本レコード大賞の大賞、第8回日本歌謡大賞の大賞、第10回日本有線大賞の大賞を受賞。1978年の「ダーリング」は第11回日本有線大賞の大賞を受賞。1978年の「LOVE (抱きしめたい)」は第20回日本レコード大賞の最優秀歌唱賞と金賞を受賞。1979年の「カサブランカ・ダンディ」は第21回日本レコード大賞の金賞を受賞。また、並行して多数の歌手に楽曲を提供した。
1978年3月1日に初めてのソロアルバム『FREE WAYS』を発売。同年、セルフカバーアルバム『Windward Hill』を発売し「サミー・ボウ/美しい旅人に出会うため」がシングルカットされた。アルバム名は1978年にグアム島に建てた自身のスタジオ「ウィンドワードヒルスタジオ」から取っている。
1973年に大瀧詠一の三ツ矢サイダーのCMソング「Cider‘73」のピアノ演奏を担当した。
◎ 大野克夫バンド以降
1980年に井上堯之バンドが解散。同年、大野克夫バンドを結成。1982年に「太陽にほえろ」のライブバージョンなどを収録したアルバム『Sound Traffic』を発売。同年、木の実ナナ(競演:五木ひろし)に提供した「居酒屋」はカラオケの定番デュエット曲となり、JASRACが発表した平成の著作権使用料分配額トップ100で2位にランクインした。1988年にかまやつひろしと共にタイガース・メモリアル・クラブ・バンドに参加。
作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして幅広い分野で活躍しており、1996年からテレビアニメ『名探偵コナン』の音楽を手掛けている。
業界内でも、発売されたレコードに引けをとらないほど完成度の高いデモテープを制作することで知られている(何度もコンビを組んだ作詞家の阿久悠曰く「大野克夫さんのデモテープは絶品で、このままレコードとして発売したいくらいだねと毎曲届けられる度に思っていた」)。2003年から2008年に、今までに制作した楽曲のデモテープを収録したアルバム『幻のメロディー』を発売。このアルバムは長らくプレミア価格で取引されていたが、2023年より各種音楽サブスクリプションサービスで全曲解禁された。
2023年12月7日、永年にわたり京都府京都市の文化の向上に多大な功労があったとして「京都市文化功労者」として表彰された。
● 人物・エピソード
・ 釣りが趣味であり、1986年にはハワイのトローリングの国際大会“ビルフィッシュトーナメント”に出場し、500ポンド(約230kg)のカジキマグロを釣った経験を持つ。6位に入賞し、地元紙に写真付きで掲載された。
・ 阿久悠の詞を元に、久世光彦が6人の作曲家による作曲コンペを行い選ばれた「時の過ぎゆくままに」では、詞を渡されて目を通した時点で、頭の中で曲が出来てしまった。そのため、久世と打ち合わせをしている時、ほとんど話半分で早く帰りたくなった(時間がもったいなくて家に帰って曲にしたいと思った)。打ち合わせが終わり、急いで帰って、翌日には曲を渡した。
・「ピアノでメロディーだけでいい」と依頼された曲もスタジオで熱中するうちに歌声まで入れ、フルオーケストラで全て作り上げる。そのたびに「またやってまったと自分であきれる」(本人談)。
・ザ・スパイダース時代から1970年代頃まで、雑誌などのプロフィールでは「昭和17年(1942年)年生まれ」と表記されていた
・ 名探偵コナン 時計じかけの摩天楼(1997年)
・ 名探偵コナン 14番目の標的(1998年)
・ 名探偵コナン 世紀末の魔術師(1999年)
・ 名探偵コナン 瞳の中の暗殺者(2000年)
・ 名探偵コナン 天国へのカウントダウン(2001年)
・ 名探偵コナン ベイカー街の亡霊(2002年)
・ 名探偵コナン 迷宮の十字路(2003年)
・ 名探偵コナン 銀翼の奇術師(2004年)
・ 名探偵コナン 水平線上の陰謀(2005年)
・ 名探偵コナン 探偵たちの鎮魂歌(2006年)
・ 名探偵コナン 紺碧の棺(2007年)
・ 名探偵コナン 戦慄の楽譜(2008年)
・ 名探偵コナン 漆黒の追跡者(2009年)
・ 名探偵コナン 天空の難破船(2010年)
・ 名探偵コナン 沈黙の15分(2011年)
・ 名探偵コナン 11人目のストライカー(2012年)
・ 名探偵コナン 絶海の探偵(2013年)
・ 名探偵コナン 異次元の狙撃手(2014年)
・ 名探偵コナン 業火の向日葵(2015年)
・ 名探偵コナン 純黒の悪夢(2016年)
・ 名探偵コナン から紅の恋歌(2017年)
・ 名探偵コナン ゼロの執行人(2018年)
・ 名探偵コナン 紺青の拳(2019年)
・ 名探偵コナン 緋色の弾丸 (2021年)
・ 名探偵コナン ハロウィンの花嫁(2022年)
・ 名探偵コナン 黒鉄の魚影(2023年)
・ ルパン三世VS名探偵コナン THE MOVIE(2013年)※大野雄二と連名
◎ アニメ
・名探偵コナン (読売テレビ、1996年 -)
・FAKE(OVA、1996年)
・ふたり暮らし (TBS、1998年)
● 出演
◎ 映画
・仲間たち(1964年、日活) - 本人 役(顔は映らないが演奏シーンに登場)
・高原のお嬢さん(1965年、日活) - 本人 役
・涙くんさよなら(1966年、日活) - 本人 役
・青春・ア・ゴーゴー(1966年、日活) - 本人 役
・君は恋人(1967年、日活) - 本人 役
・喜劇 駅前百年(1967年、東宝) - 本人 役
・夕陽が泣いている(1967年、日活) - 本人 役
・ザ・スパイダースのゴー・ゴー・向こう見ず作戦(1967年、日活) - 本人 役
・ザ・スパイダースの大進撃(1968年、日活) - 本人 役
・ザ・スパイダースの大騒動(1968年、日活) - 本人 役
・ザ・スパイダースのバリ島珍道中(1968年、日活) - 本人 役
・思い出の指輪(1968年、松竹) - 本人 役
・にっぽん親不孝時代(1968年、東京映画・東宝) - 一ノ瀬昭 役
・炎の肖像(1974年、日活) - バンドメンバー 役
◎ ドラマ
・太陽のあいつ 第12話(1967年、TBS) - 本人 役
● 受賞歴
1973年〈昭和48年〉
・ミュージック・ライフ 人気キーボード奏者 1位
2007年〈平成19年〉
・JASRAC賞 国際賞 名探偵コナン BGM(作曲)
2012年〈平成24年〉
・JASRAC賞 30回記念特別表彰 銀賞 居酒屋(作曲)
2017年〈平成29年〉
・JASRAC賞 銀賞 名探偵コナン BGM(作曲)
2023年〈令和5年〉
・京都市文化功労者
「大野克夫」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
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