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ニジェール共和国


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ニジェール共和国(ニジェールきょうわこく)、通称ニジェールは、西アフリカのサハラ砂漠南縁のサヘル地帯に位置する共和制国家。首都はニアメである。内陸国であり、北西から反時計回りでアルジェリア、マリ、ブルキナファソ、ベナン、ナイジェリア、チャド、リビアと隣接する。

● 国名
正式名称はフランス語で、(レピュブリク・デュ・ニジェール)。通称、。公式の英語表記は、(リパブリク・オヴ・ナイジャもしくはニージェア)。通称、。日本語の表記は、ニジェール共和国。通称、ニジェール。 国名の由来は、ニジェール国内を流れるニジェール川より。ニジェール川の語源は、遊牧民のトゥアレグ族によりこの川がニエジーレン(n'egiren)「川」、またはエジーレン(egiren)「川」と呼ばれていたことによる。これがフランス人に伝えられ、ラテン語で「黒」を意味するニジェール(niger)と転訛した。 ニジェール (Niger) とナイジェリア(Nigeria) の2か国は本来、同じ地域を指しているが旧宗主国を異にする両地域が別々に独立した際、現在のように別の国を指すこととなった。

● 歴史


◎ 植民地化以前
9世紀ごろ、ニジェール川流域に現在のマリ東部のガオを首都とするソンガイ帝国が興り、ニジェール川流域地方を支配した。ソンガイは早くから北アフリカとの交易があり、イスラム化が進んでいた。東部のチャド湖周辺はカネム王国が支配していた。ソンガイ帝国は14世紀にはマリ帝国の属国となったものの14世紀後半には再独立し、15世紀には最盛期を迎えた。このころにはソンガイの勢力圏は中部にまで及んでいたが、16世紀末には帝国がモロッコのサアド朝に敗れたためこの支配は崩壊した。東部はカネム王国が南遷したボルヌ帝国の支配下にあった。19世紀にはダマガラム(現ザンデール)に小王朝があり、その他いくつかの小勢力が割拠していたが、ニジェール全体を支配する勢力は存在しなかった。

◎ フランス植民地時代
19世紀末にはイギリスとフランスが進出し、1898年両国の協定によってフランスが20世紀までに全土を領有(フランス領西アフリカ)。フランスはを優遇し、最大民族のハウサ人などを支配させる政策を採った。1900年には:en:Sultanate of Agadez(1449年-1900年)も併合された。1916年、トゥアレグ族の貴族Kaocen Ag Mohammedがアガデスで蜂起した(:en:Kaocen Revolt)。翌年、反乱はフランス軍に鎮圧された。1922年にフランス領西アフリカの一部に再編された。1926年、ハウサ人が多数派のザンデールからジェルマ人が多いニアメに行政機能が移され、遷都した。

◎ 独立・ディオリ政権
1958年には自治国となり、自治政府首相にはニジェール進歩党党首のアマニ・ディオリが就任した。ディオリは1959年、政敵であるサワバ党のジボ・バカリを追放しサワバ党の活動を禁止した。1960年8月3日に共和国として独立し、初代大統領にはディオリが就いた。ディオリは建国後すぐに他党を禁止し一党制を敷くとともに親仏的立場を取りながらアフリカの有力政治家として外交で活躍したものの内政は停滞を続け、1970年代の大旱魃によって国内情勢は不安定化した。

◎ 軍政期(最高軍事評議会)
1974年4月、陸軍のセイニ・クンチェ参謀長がクーデターによって軍事政権である「最高軍事評議会」を樹立し同評議会の議長に就任した。憲法は停止され、議会・政党活動も中止された。クンチェ政権のもとでは北部のアーリットでウランの生産が開始され、また旱魃が収まったため1980年ごろまで経済は成長を続けたが、その後はまた旱魃が起き、ウラン価格の低迷もあって経済はふたたび停滞した。1987年11月にはクンチェ参謀長が死亡し、アリー・セブが後継者となった。

◎ セブ政権
そのセブは1989年に社会発展国民運動を結成して民政移管を目指し、同年9月の国民投票で新憲法が承認され、12月の選挙でアリー・セブが大統領に選出されて形式的に民政移管したものの、非民主的な体制はそのままだった。1990年、中央政府の資源独占に不満を持つトゥアレグ族との反政府勢力との間でが勃発した。

◎ ウスマン政権
1991年になると民主化運動が激しくなり、セブ政権は民主化にとりかかった。1992年12月に新憲法が国民投票で承認されて複数政党制が認められ、1993年2月の議会選で6党の連合体「変革勢力同盟」が、軍事政権時代の与党「社会発展国民運動(MNSD)」に勝利した。3月の大統領選挙では民主社会会議(CDS)のマハマヌ・ウスマン党首が当選。4月にマハマドゥ・イスフが首相に就任した。 1995年1月の総選挙では MNSD などの野党連合が勝利し、2月にMNSD書記長が首相就任。4月、自治を求めるトゥアレグ族および反政府勢力と和平合意。

◎ 軍政期(救国委員会)
1996年1月、軍のクーデターでイブライム・バレ・マイナサラ陸軍参謀長を議長とする「救国委員会」が軍事政権を樹立。

◎ マイナサラ政権
7月の大統領選挙でマイナサラ議長がウスマン前大統領をやぶり当選。12月マイナサラ大統領は救国委員会を解散、前経済相を首相に任命したが、1997年11月には野党との対立やストライキ問題を解決できないとして解任し、外相を新たな首相とした。

◎ 軍政期(国家和解評議会)
1999年4月、再び軍がクーデターを起こし、大統領警護隊がニアメの空港でマイナサラ大統領を銃殺した。そして警護隊隊長のダオダ・マラム・ワンケ少佐を議長とする軍事政権「国家和解評議会」が実権を掌握。議会を解散し、憲法を停止した。軍事政権による憲法草案の是非を問う国民投票が7月に行われ、約90 %の支持で承認された。新憲法は大統領と首相の権力分担を規定した。

◎ ママドゥ政権
10月の大統領選挙で軍の元幹部で MNSD党員のタンジャ・ママドゥが当選した。ママドゥ大統領は12月、MNSD書記長の元首相を首相に任命した。 2000年3月、マハマドゥ・イスフ元首相が率いるニジェール民主社会主義党(PNDS)を中心とした野党勢力が「民主勢力連合」(CFD) を結成。6月 MNSD など大統領支持勢力が議会多数派の「民主勢力同盟」(AFD) を結成した。2001年2月、大学への政府補助金50 %以上削減に抗議した学生が各地でデモ、警官隊と衝突。政府は(旧ニアメ大学)を閉鎖。4月、マイナサラ大統領銃殺事件の捜査を求める支持者ら数千人が首都でデモを行う。2002年7月、賃金や待遇に抗議した軍兵士が南東部のディファで反乱を起こし、ラジオ局を占拠。政府は同月のうちに、ディファに非常事態宣言を発令した。反乱は8月にはニアメにも拡大したが、政府軍が鎮圧。200人以上の兵士が逮捕された。 ニジェール川のの帰属問題をめぐり、ベナンと国境紛争を抱える。2000年5月、島に建設中のベナン政府施設をニジェール軍が破壊。6月に双方が会談したが決裂し、アフリカ統一機構(OAU、現アフリカ連合)などに仲裁を要請し2001年6月、両国は結論を国際司法裁判所(ICJ)の判断にゆだねることで合意した。 2004年末の大雨でサバクトビバッタが発生した結果(「(2003年 - 2005年)」、「2003-2005年の蝗害」)、マラディ、タウア、ティラベリ、ザンデールでが起こった(を参照)。2007年には が再燃した。 ママドゥ大統領は2009年8月4日に新憲法制定に関する国民投票を行うと表明した。憲法裁判所は違法な決定と判断したが、ママドゥは憲法裁判所を解散させ、投票を強行する構えを見せた(en)。この国民投票は予定通り実施され、新憲法は採択された。これにより、2012年の新憲法施行までの3年間、ママドゥが現行憲法のもとで引き続き政権を率いることになり、更に現行憲法に存在した3選禁止規定が新憲法では削除されたことで、2012年以降もママドゥが大統領職に留まり続ける可能性が出てきた。

◎ 軍政期(民主主義復興最高評議会)
2010年2月、ママドゥ大統領が3期目を目指し任期延長を強行しようとしたことから、国内の緊張が悪化。2月18日、再び軍がクーデターを起こし、軍が大統領と閣僚を拘束。国軍高官が「民主主義復興最高評議会(Supreme Council for the Restoration of Democracy、CSRD)」による軍事政権の樹立を宣言し、憲法の停止と政府の解散の宣言、国境の閉鎖、夜間外出の禁止を発令した。このクーデターに対し国際社会は批判を強めているが、一方で数千人の市民が軍の兵舎の周囲に集まり「軍万歳」などと叫びながら軍事政権への支持を示すなど国民はクーデターを歓迎。サル・ジボが暫定国家元首に就任した。その後、軍事政権が採択した新憲法案が2010年11月ので可決され、ママドゥの企図した大統領権限を強化する新憲法は葬り去られた。

◎ イスフ政権
2011年4月7日、選挙による新大統領にニジェール民主社会主義党のマハマドゥ・イスフが選ばれた。なお、イスフ大統領は2016年の選挙で再選された。

◎ バズム政権
イスフの任期満了に伴うが2020年12月27日に実施されるも、候補の中で過半数を獲得した者がいなかったため2021年2月21日にモハメド・バズムとマハマヌ・ウスマンの決選投票が実施された。結果はバズムが55パーセントの票を獲得し当選した。敗北したウスマン陣営は、選挙結果の不正を主張しデモ活動を実施した。3月31日には一部の軍人によるが起きた。背景には選挙への不信感や、3月21日にタウア州で発生したイスラム系過激派組織ISILによるといったテロへの不安が挙げられる。 2021年4月2日、バズム大統領の就任式が執り行われた。民主的な選挙で選出された文民同士の政権交代はニジェールの歴史上初めてとなる。バズム大統領は翌日に新たな首相を指名し、新政権が発足した。

◎ 2023年ニジェールクーデター
2023年7月26日にバズム大統領が大統領警護官により身柄を拘束され、大佐ら兵士が国営テレビにてバズム政権の崩壊を宣言した(2023年ニジェールクーデター)。外相は自身が大統領代行であると宣言し、「全ての国民に対し、この国に危険を及ぼす軍部を打ち負かすように」と訴えた。バズム大統領を拘束した大統領警護隊は「祖国防衛国民評議会」と名乗っている。暫定元首である祖国防衛国民評議会議長にアブドゥラハマネ・チアニが選出された。 チアニが組織した軍事政権は、アメリカとの軍事協定を破棄し、親ロシア路線を標榜。2024年4月にはロシア製の兵器とロシア人軍事教官がニジェールに入った。

● 政治
ニジェールは共和制・大統領制をとる立憲国家で、現行憲法は2010年11月25日に公布されたものである。ただし2023年クーデターを引き起こした軍事政権が2023年7月28日に憲法停止を宣言している。

◎ 元首
国家元首である大統領は国民の直接選挙により選出され、任期は5年。2010年憲法により3選は禁止されている
・在日ニジェール人数 - 25人(2022年12月現在)

● 国家安全保障
選抜徴兵制。兵役は2年。陸軍5,200人、空軍100人、憲兵隊1,400人、共和国警備隊2,500人、国家警察隊1,500人。2020年の国防予算は2.02億ドル。 フランスとの軍事協定を1977年から2020年にかけて5つ結んでおり、アルカーイダやISIL(イスラム国)と関連のある勢力に対抗するため1000~1500人規模のフランス軍部隊が駐留している。しかしクーデターを引き起こし政権を掌握した軍事政権が2023年8月3日に対仏軍事協定を破棄した。同年9月24日、フランスのエマニュエル・マクロン大統領は年内に駐留軍を撤退させると表明した。

● 地理
ニジェールの気候は北部に行くほど乾燥しており、北部・中部を中心に国土の5分の4をサハラ砂漠が占めている。南部は全域がサヘル地帯に属しており、ステップ気候 (BSh、砂漠気候からサバナ気候への移行部) を示す。サヘル北部は降水量が150 mmから300 mmほどであり、農耕は不可能だがわずかに育つ草を利用して遊牧が行われている。サヘル中部は降水量が300 mmから600 mmほどとなり、天水農業が主力となり牧畜も行われている。この気候帯は全国土の10 %ほどを占め、首都のニアメやザンデールなどの主要都市が点在し、ニジェールの人口の多くがこの地域に居住する。南下するほど降水量は増加していき、ベナン国境に近い国土の最南部は全国土の1 %ほどにすぎないが降水量が600 mmから750 mmほどとなって最も農業に適している。雨季は南に行くほど長くなるが、おおよそ6月〜9月が雨季に当たり多湿となる。2月にはサハラ砂漠から非常に乾燥した季節風ハルマッタンが吹き込むため気温が下がり、または砂塵がひどくなる。 地形は基本的に南に向かうほど標高が低くなるが、国土中央のアイル山地および北端のリビア国境の山地を除いてはおおむね平坦な地形である。最高地点はアイル山地のイドゥカル・ン・タジェ山 (別称バグザン山、標高2022 m) で、最低地点はニジェール川の標高200 mである。 ニジェールは乾燥地帯に位置し、年間を通じて流水があるのは国土南西部を流れるニジェール川のみである。なお、南東端はチャド湖に面していて、このほかにも雨季になると各所に湖沼や季節河川が出現し貴重な水資源となっている、(1人当たり610ドル、2022年)で、世界最貧国の1つでもある。周辺の8か国とともに西アフリカ諸国中央銀行を中央銀行としており、通貨はCFAフランである。

◎ 農牧業
第1次産業人口は56.9 %(2005年)を占めるが、農業は自給農業が中心で、南部に限られる。降雨量は少ないが灌漑も発達しておらず、水源も乏しいため、ほとんどは天水農業である。そのため、降雨量に収量は大きく左右されるがサヘル地域は雨量が不安定であり降水量の年較差が激しいため、しばしば旱魃が起こる。 ニジェールのおもな作物は雨量の多いサヘル南部ではモロコシ、より乾燥したサヘル中部ではトウジンビエ(パールミレット)が栽培される。1980年代以降、特にモロコシにおいて単収の減少が目立ち、1980年の1ヘクタール当たり479㎏から、2001年には1ヘクタール当たり255㎏と、ほぼ半減している。これは人口増加により旧来の土地休閑が不可能になり、土地が酷使されるようになったためである。これに対し総生産量は増加しているが、これは耕作面積が3倍近く増加しているため、単収の減少を耕地の増加で補っているためである。トウジンビエにおいては旧来の土地休閑が可能であったため、単収減少は起こっていない。モロコシ・トウジンビエは平年は自給が可能であるが、旱魃が起こった場合供給が不足する。このほか、南部のニジェール川流域において米の栽培が行われており、とくにティラベリ州において集約的に栽培されるが、国内需要が大きく伸びているため自給ができず、多くを輸入に頼る状況となっている。 輸出用作物としては植民地時代に落花生の栽培が奨励され、1960年代初期には総輸出額の80 %が落花生およびピーナッツオイルによって占められていたが、1970年代にはすでに割合はかなり小さくなっており、それ以降は輸出額はごくわずかなものにとどまっている。農作物のなかで輸出額が多いのはタマネギやササゲであるが、いずれも総輸出額に占める割合は非常に少ない、タマネギの輸出先も近隣諸国がほとんどである。 牧畜は農業よりは盛んであり、ウシやヒツジ、ヤギ、ラクダが主に飼育される。南部のフラニ人はウシを主に飼育し、北部のトゥアレグ人はラクダやヤギを中心に飼育を行っている。

◎ 鉱業
独立時は上記のわずかな農牧業に頼っていたが、1971年に北部のアーリットでウラン鉱の生産が開始され、以後ウランの輸出が経済の柱となった。ウランは確認できるだけで世界第3位の埋蔵量を誇っている。ニジェールのウラン鉱山はアーリット鉱山とアクータ鉱山の2つの鉱山からなり、アーリット鉱山はフランス原子力庁(のちにアレヴァ社)とニジェール政府が、アクータ鉱山はニジェール政府・フランス原子力庁(のちにアレヴァ社)・日本の海外ウラン資源開発社・スペインの資本がそれぞれ出資しているが、あまりにウランの経済に占める割合が高いため、ウランの市場価格の上下がそのまま経済に直撃する構造となっており、経済成長率はウラン価格の動静に左右されている。 一方、東部では油田が発見され、2014年には石油製品が総輸出額の25.9 %を占めて第2位の輸出品となった。

◎ その他
ニジェールは、1997年の旱魃で国民の4分の1が飢餓の危機に陥った。さらにウラン価格の低下、度重なる政情不安による海外援助の途絶により、1999年末には国家経済が事実上の破産状態に陥った。しかし、2000年12月に国際通貨基金 (IMF) などは貧困削減対策としてニジェール政府が背負う8億9,000万ドルの債務免除を発表し、7,600万ドルの融資を決定するなど明るい兆しも見えてきている。

● 交通
ニジェールの交通の主力は道路交通であるが、それほど整備が進んでいるわけではない。最も重要な道路は首都のニアメから国土の南端ガヤへ向かう道路で、ここからベナンに入りベナン中部のパラクーから鉄道でコトヌー港へと向かうのがニジェールの主な輸出ルートである。またマリ国境のからニアメ、ドッソ、マラディ、ザンデール、ディファといった主要都市を通ってチャド湖沿岸のンギグミまで、ニジェールの人口稠密地帯を結ぶ全線舗装の。このほか、ザンデールからアガデス・アーリットを通ってアルジェリア国境のアッサマッカへと向かうサハラ縦断道路が存在するが、舗装はザンデールからアーリット間のみにとどまっている。 ニジェール国内に鉄道は存在しない。植民地時代にはコートジボワールのアビジャンからオートボルタの首都ワガドゥグーを通ってニアメまでの鉄道が計画されていたものの、1954年にワガドゥグーに到達したところで工事は中断し、やがて独立とともに計画は立ち消えとなってアビジャン・ニジェール鉄道の名にその痕跡を残すのみとなっている。これに代わってダオメー(現ベナン)経由の鉄道計画が浮上し、1959年にはベナン・ニジェール鉄道輸送共同体が設立されてダオメー国内の鉄道にニジェールが参画することとなった。1970年代にはパラクーからニアメへの鉄道延伸が決定されたが、資金不足で工事は中止された。

● 国民
2016年の人口は2067万2987人。国連による統計では2015年〜2020年の人口増加率は3.81と世界3位。世界銀行によると、ニジェールの出生率は2016年には7.2となり世界一となっていることから人口爆発を引き起こし、2020年に2332万人、2050年に6120万人、2070年に1億0122万人、2100年には1億2403万人にまで増加すると予測されている。

◎ 民族
ニジェールの最大民族はハウサ族であり、2001年には人口の55.4 %を占めていた。ただし飛び級制度および落第制度がありため、入学者に比べ卒業者は少なくなっている。識字率は19.1 %(2015年)にすぎない。

◎ 保健
同国は慢性的な資源不足と人口に比べて医療提供者が少数である現状に苦しんでおり、今も事態が解決へ向かっていない。

● 治安
イスラム過激派組織によるテロ・誘拐事件が多発しており、外国人も被害に遭っていることが報告されている。

◎ 人権


● マスコミ
日本の大学の講師である大山教授はニジェールにて緑化プロジェクトを2021/04/28に開始する。餓えと争いをなくすため、砂漠をゴミで緑化する活動を開始してプロジェクトを成功させる。 「アフリカの人道危機を解決する実践平和学」 アジア・アフリカ地域研究研究科 教授

● 文化


◎ 食文化
主食にはキビ、米、キャッサバ、ソルガム、トウモロコシ、豆などを用いている。 料理に様々なスパイスが使用されることが特徴でもある。

◎ 文学


◎ 音楽


◎ 世界遺産
ニジェール国内には、文化遺産が1件(アガデス歴史地区)及び自然遺産が2件(アイル・テネレ自然保護区、W国立公園)の3つの世界遺産が存在する。アガデスはサハラ交易で栄えたオアシス都市であり、その古い町並みが世界遺産に指定された。アイル・テネレ自然保護区は国土中央部の山地及び砂漠地帯である。W国立公園は国土の南端に位置し、ニジェール、ブルキナファソ、ベナンにまたがるニジェール川の流域で自然がよく残され、多くの動物が生息している。

◎ 祝祭日

 1月1日  元日  Jour de l'An  
 4月24日  コンコードの日    
 5月1日  メーデー    
 8月3日  独立記念日  Fête de l'Indépendance  
 12月18日  共和国の日  Jour de la République  
 12月25日  クリスマス  Noël  


◎ スポーツ
ニジェール国内でも、他のアフリカ諸国同様にサッカーが圧倒的に1番人気のスポーツとなっている。1966年にサッカーリーグのが創設された。によって構成されるサッカーニジェール代表は、FIFAワールドカップには未出場である。アフリカネイションズカップには、2012年大会で初出場し続く2013年大会にも出場したものの、両大会ともグループリーグ敗退に終わった。

「ニジェール」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月20日9時(日本時間)現在での最新版を取得

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