好きな国
ランキング20位
獲得票なし
嫌いな国
ランキング13位
獲得票なし
トンガ王国


  • 50%


  • 50%
なぜ好きなの?
なぜ嫌いなの?

トンガ王国(トンガおうこく)、通称トンガは、南太平洋のポリネシアに位置する立憲君主制国家。トンガ領の島々は南北に約800 kmにわたり広がっている。北西にフィジーとフランス領ウォリス・フツナ、北東にサモア、西にフランス領ニューカレドニアとバヌアツ、東にニウエ(最も近い外国領)、南西にニュージーランド領ケルマディック諸島に囲まれた国である。トンガはニュージーランド本土の北島から約1,800 km離れている。 約2,500年前にラピタ族が最初に居住し、ポリネシア系住民が徐々にトンガ人としての明確で強力な民族的アイデンティティ、言語、文化を発展させた。彼らはいち早く南太平洋に強力な足場を築き、このトンガの拡張主義と植民地化の時代はトゥイ・トンガ帝国として知られた。トンガの初代国王であるアホエイトゥ(ʻAhoʻeitu)の統治により、トンガは地域の大国へと成長した。西はソロモン諸島の一部、ニューカレドニアとフィジー全域、東はサモアとニウエ、さらには現代のフランス領ポリネシアの一部まで、南太平洋の国家としては未曽有の広さを征服、支配したタラソクラシーであった。トゥイ・トンガは太平洋における経済的、民族的、文化的覇権で有名になり、それは13世紀のサモア革命や1616年のヨーロッパ人による島々の外部発見後も強力なままであった。 1900年から1970年まで、トンガはイギリスの保護国であった。イギリスは友好条約に基づきトンガの外交を担当したが、トンガはいかなる外国勢力にも国家主権を放棄しなかった。立法改革が最初の部分的代表選挙への道を開いた後の2010年、トンガは伝統的な絶対王政から脱却し完全な立憲君主制へと移行するための決定的な一歩を踏み出した。

● 国名
正式国名である Puleʻanga Fakatuʻi ʻo Tonga は、トンガ語で「南」の意味。 公式の英語表記は Kingdom of Tonga、通称 Tonga。 日本語表記はトンガ王国、通称トンガ。 漢字表記は「湯加」。

● 歴史
考古学的な証拠から、トンガへの最初の植民者はサンタクルーズ諸島から船で来たことが分かっている。紀元前4000年ごろから、元々東南アジアにいたオーストロネシア語を話す人々の祖先(ラピタ人)がポリネシアへ移住してきたが、トンガへの植民はこの動きの一部である。トンガは考古学的な年代推定から、紀元前800 - 750年前の独特のラピタ式土器が出土しているため、ポリネシアで一番古い遺跡として認められている。ラピタ人たちは、1000年にわたって、現在はトンガ、サモア、フィジーとして知られている島々で生活し、航海し、戦争や異なった種族間の結婚を行なっていた。その後、より多くの探検者たちが東へ出発してマルキーズ諸島やタヒチ、最終的には南太平洋の他の島々を発見した。このことにより、人類学者たちはトンガ、サモアとフィジーをポリネシアの文化と文明の発祥地と評する。 12世紀までに、トンガ人とトンガの大酋長、すなわちTu'i Tonga(神聖王)はニウエからティコピア島まで、南太平洋各島に知れ渡っていた。このことから、ただちにトンガ帝国と言及する歴史家もいる。もっと良い言い方としては、相互にやりとりを行う、航海者、首長、冒険者のネットワークというのが妥当であろう。15世紀と17世紀には、内戦が勃発した。オランダ人の探検家(Willem Schouten)とヤコブ・ルメール(Jacob Le Maire)が1616年にヨーロッパ人として初めてトンガに到着したのは、このような時期であった。他のヨーロッパ人の来航としては、最も重要なイギリス海軍のジェームズ・クックの到来(1773年、1774年、1777年)、また最初のイギリス政府使節の来訪(1797年)、キリスト教メソジストのWalter Lawreyの来訪(1822年)が挙げられる。ジェームズ・クックの来航は、トンガがイギリス帝国(大英帝国)の一部に組み入れられる過程への決定的な第一歩となった。 トンガは、若き戦士、戦略家、雄弁家であり「トゥイ・カノクポル(Tu'i Kanokupolu)」という「首長」の称号を持つ家系の子孫であるタウファアハウ(Taufa'ahau)により、ポリネシア人の王国として1845年に統一された。彼は、首長の称号の Tu'i Kanokupolu(トゥイ・カノクポル)を持っていたが、伝統的な信仰を捨て、「ジョージ王(King George)」との洗礼名でプロテスタントの洗礼を受け、キリスト教へ改宗した。一方で、トンガでは島にポリネシア人が入植した遥か昔から連綿と続いてきた神聖王(トゥイ・トンガ)の家系が伝統的な権威として存続していた。その末裔であるラウフィリトンガ (Laufilitonga)は39代目のトゥイ・トンガであり、最後のトゥイ・トンガであった。ラフィリトンガはカトリックへ改宗し、カトリック勢力から銃器の供給を受け、最初はジョージ王に対して優勢に戦いを進めた。しかし、ジョージ王はプロテスタント勢力(メソジスト)からラフィリトンガを遥かに上回る量の銃器を入手し、血みどろの戦闘の末にラウフィリトンガを破った。この結果、有名無実と化していた神聖王(トゥイ・トンガ)は滅亡し、ジョージ王(トゥポア1世。 1875年に、使節のシャーリー・ベーカー(Shirley Baker)の助けで、ベーカーは法典を整備しトンガを立憲君主国として宣言した。その時にはベーカーは奴隷を解放し、また法典、土地保有、出版の自由を大事なものとして扱い、そして首長(国王)の権力を制限した。1900年にトンガは、友好条約の下でイギリスの保護領となった。その時、ヨーロッパ人の植民者とライバルのトンガの首長は2代目の王を追放しようとしていた。友好条約と保護領の地位は、3代目の君主のサローテ・トゥポウ3世(サローテ女王)が亡くなる前に結ばれた条約の下で、1970年に終わりを迎えた。トンガは1970年にイギリス連邦(英連邦)に参加し、1999年には国際連合に加盟した。植民地化の力にさらされたにもかかわらず、トンガは決して現地人による統治を失うことが無かった。このことは、多くが欧米諸国や日本の領土にされた歴史を持つ南太平洋の島嶼国家では珍しいことであり、トンガ国民の誇りとなっている。

◎ 近年の動き

・ 1984年:外貨獲得のためトンガのパスポート販売を合法化する国籍法が承認(88年に違憲判決)。以後、政府関係者が売買利益で私腹を肥やしていると批判が高まる。
・ 1985年:所得税率均一化と消費税導入案を政府が発表、同時期に政府に批判的なアキリシ・ポヒヴァ大学講師解雇事件が重なり、アキリシが新聞を創刊して民主化運動の嚆矢となる。
・ 1991年:日本の無償資金協力によって建設中だったファアモツ国際空港のターミナルビルが完成。同年、王子(タウファアハウ・トゥポウ4世の弟)が首相辞任(1965年就任)。前年の総選挙で当選したらの民主派が1984年国籍法の改正を図るも否決、反発した民主派議員の呼びかけで大規模デモ発生。
・ 1998年11月2日:中華人民共和国との国交を樹立。
 ・9月:タウファアハウ・トゥポウ4世が89歳で死去。第1王子のツポウトア皇太子が王位を継承(ジョージ・トゥポウ5世)。
 ・11月16日:改革案が閣議で可決されるもデモ隊の一部が暴徒と化し暴動に発展し、7名が死亡(ヌクアロファ事件)。
 ・11月17日:ジョージ・トゥポウ5世が戒厳令を発令。鎮圧の為にオーストラリアとニュージーランドに軍の派遣を要請する。
・ 2007年
 ・1月:ヌクアロファ事件の扇動罪でポヒヴァやエドワーズを含む5名の民選議員が逮捕、起訴される。
・ 4月:戒厳令一部解除、首都では継続される。
・ 2008年8月:動乱により延期されていたジョージ・トゥポウ5世の戴冠式を挙行。
・ 2009年5月:ヌクアロファ事件の扇動罪で起訴されていた民選議員が無罪となる(エドワーズ議員のみ裁判が延期され2010年取下げ)。
・ 2010年12月:民選派は政府に融和的になったポヒヴァへの反発で結束が緩み、トゥイヴァカノ貴族議員が国会で選出された初めての首相に就任。国内では通信が遮断された他、降灰による水の汚染が発生した。その後3日後より犠牲者を確認している。
・ 2023年
 ・5月18日:世界銀行から、他の五つの太平洋島嶼国とともに、過剰債務のリスクが高いとの認識が示された。2019年以降、新型コロナ禍対策や災害などで政府支出を拡大したことなどが背景。

● 政治
元首は国王。立憲君主制で一院制の立法議会(閣僚および貴族議員9名、民選議員17名により構成)があるが、国王に多くの権限がある。 国民は王族、貴族、平民の3つの身分からなる。身分の変更は基本的に認められない。1980年に王子が平民の娘と結婚したために王族の称号を剥奪され、平民になった事例以外、公式な記録がない。身分制度が存在するが、全ての法律は全ての身分に平等に適用されることが憲法に明記されている。憲法が制定されたのは1875年で。

● 交通
国内の島嶼間の交通は、フェリーなどの船舶が主である。なお、ヌクアロファ郊外にあるファアモツ国際空港とヴァヴァウ国際空港に、トンガ航空やヴァージン・オーストラリア、エア・パシフィック航空 などの国内外の多くの航空会社が就航している。自動車の通行区分は日本や宗主国のイギリスなどと同じ左側通行である。

● 経済
トンガの産業は農業、漁業と観光で、経済は出稼ぎ労働者の送金や国外からの援助に頼る部分も大きい、貿易赤字も大きい。日本に対してはかつては大幅な貿易黒字(2002年時点で対日輸出14億6千万円に対して対日輸入2億1500万円)であったが、2021年時点は対日貿易も大幅な赤字。

◎ カボチャ
トンガでは元来、カボチャを食べる習慣はなかったが、気候がカボチャ栽培に適している上に、冬至にカボチャを食べる習慣などで日本でカボチャ需要の多い12月に収穫シーズンとなるため、1980年代後半に日本の商社がカボチャ栽培を持ち込んだ。現在ではカボチャはトンガ経済の柱となっており、対日輸出のほとんどをカボチャが占め、近年では韓国、中国、ニュージーランドなどへも輸出されている。一方でカボチャ栽培が成功しすぎたためモノカルチャー経済化が懸念されており、トンガ政府は新しい輸出作物の開発を進めている。

◎ 情報・通信
トンガの主要放送局は、とがあり、TBCはテレビチャンネルのも放送している。インターネットにおいてはTonga Network Information Centerというプロバイダが主流である。新聞は、売店などでの販売が主流となっている。

● 国際関係
イギリスのほか、同じく南太平洋にある英連邦加盟国でオーストラリア、ニュージーランドとのつながりが深い。 中国が南太平洋への進出を強めており、これに対抗する狙いもあって、アメリカ合衆国は2023年5月9日、トンガに大使館を開設した。 太平洋諸島フォーラムに加盟するなど、中部・南太平洋の他の島嶼国との協力も重視している。、

◎ 対日関係

・ 在トンガ日本国大使館
・ 駐日トンガ大使館

● 国家安全保障

・ 主に治安維持や海難救助を主任務とした常設の国防軍を保有する。
・ 徴兵制はなく、志願制。
・ 国防費は国家予算の4.5 %である。
・ 兵力
 ・ 陸軍歩兵部隊:108人
 ・ 王室近衛部隊:50人
 ・ 海軍:50人
 ・ 警察隊:310人
 ・ 合計518人
・ 2004年6月からアメリカ軍の後方支援のため、44名の兵士をイラクに派遣している。
・ 2006年11月の暴動で6人が戦死。兵力不足で治安が維持できなくなり、ニュージーランド軍とオーストラリア軍に派兵を依頼し、暴動を鎮圧した。両国軍は2006年の年末には帰国した。
・ 2011年、イギリスの後方支援のためにアフガニスタンに55名を派遣。

● 国民
住民は長身でがっしりした体格のポリネシア人が98 %であり、また少数のミクロネシア人もいる。 公用語はトンガ語と英語である。日常生活ではトンガ語が使われるが、英語も広く通用する。 宗教はキリスト教がほとんどである。

● 文化
トンガの人々は全体的に大柄で、トゥポウ4世は1976年のギネスブックで「世界で最も重い国王(209.5 kg)」として登録されていた。トンガの女性の平均身長は170 cmで、婦人靴の最小サイズは26 cm。男性の平均身長は177 cmで、足のサイズが30 cm以上ある人も少なくない。肥満率も、70 %前後と非常に高い。

◎ 音楽


◎ 祝祭日

  1月1日
ʻAho 1 ʻo Sanuali   元日   New Year's Day
ʻUluaki ʻAho ʻo e Taʻu Foʻou  
  イースター前の金曜日   聖金曜日   Good Friday
Falaite Lelei   4月になることが多い。
  イースターの次の日   イースター・マンデー   Easter Monday
Monite Toetuʻu   4月になることが多い。
  4月25日
ʻAho 25 ʻo ʻEpeleli   ANZACの日   ANZAC Day
ʻAho Fakamanatu ʻo ʻe ANZAC  
  5月4日
ʻAho 4 ʻo Me   皇太子トゥポウトアの誕生日   HRH Crown Prince Tupoutoʻa's birthday
ʻAho ʻAloʻi ʻo e Pilinisi Kalauni  
  6月4日
ʻAho 4 ʻo Sune   解放記念日   Emancipation Day
ʻAho Fakamanatu e Tauʻataina  
  7月4日
ʻAho 4 ʻo Siulai   国王タウファアハウ・トゥポウ4世の誕生日   HM King Taufaʻahau Tupou IV's birthday
ʻAho ʻAloʻi ʻo ʻEne ʻAfio  
  11月4日
ʻAho 4 ʻo Novema   憲法記念日   Constitution Day
ʻAho ʻo e Konisitutone  
  12月4日
ʻAho 4 ʻo Tisema   国王シアオシ・トゥポウ1世の記念日   King Siaosi Tupou I Commemoration Day
ʻAho Fakamanatu ʻo Tupou I  
  12月25日
ʻAho 25 ʻo Tisema   クリスマス   Christmas
ʻAho Kilisimasi  
  12月26日
ʻAho 26 ʻo Tisema   ボクシング・デー   Boxing Day
ʻAho hoko ʻi he ʻaho Kilisimasi  


● スポーツ
トンガは国土が南太平洋の熱帯地域に位置することから、雪が降らない上に氷点下になることもないが、夏季オリンピックだけでなく冬季オリンピックの出場経験もある。中でもピタ・タウファトファはトンガ代表として唯一、夏冬両方のオリンピック出場を果たしている。 日本の大相撲では南乃島などのトンガ出身の力士が存在する。他方で、キング・ハクやシオネ・ヴァイラヒなど大相撲からプロレスに転向して成功を収めた者もいる。さらにラグビー出身のバッドラック・ファレや、キング・ハクの養子でもあるタマ・トンガと言ったレスラーも輩出している。

◎ ラグビー
トンガはラグビーが盛んな事で有名である。ラグビートンガ代表はラグビーワールドカップには9大会中8回出場しているが、ベスト8進出経験は未だにない。日本で有名なトンガ出身選手には、ワールドカップの第1回大会(1987年)から第3回大会(1995年)までラグビー日本代表となったラトゥウィリアム志南利や、中島イシレリ、ヴァルアサエリ愛、ヘルウヴェ、アマナキ・レレィ・マフィ、アタアタ・モエアキオラなどが存在する。

◎ サッカー
サッカーはラグビーの次に人気のスポーツとなっており、1969年にサッカーリーグのトンガ・メジャーリーグが創設されている。によって構成されるサッカートンガ代表は、FIFAワールドカップやOFCネイションズカップには未出場である。パシフィックゲームズには5度出場しているが、いずれもグループリーグ敗退に終わっている。

● 著名な出身者

「トンガ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年3月29日6時(日本時間)現在での最新版を取得

好き嫌い決勝

好きな国は どっち?

1位 vs 2位


VS

好きな国を お選びください。

嫌いな国は どっち?

1位 vs 2位


VS

嫌いな国を お選びください。

好き嫌い準決勝

好きな国は どっち?

3位 vs 4位


VS

好きな国を お選びください。

嫌いな国は どっち?

3位 vs 4位


VS

嫌いな国を お選びください。

好き嫌い準々決勝

好きな国は どっち?

5位 vs 6位


VS

好きな国を お選びください。

嫌いな国は どっち?

5位 vs 6位


VS

嫌いな国を お選びください。

好き嫌い7位決定戦

好きな国は どっち?

7位 vs 8位


VS

好きな国を お選びください。

嫌いな国は どっち?

7位 vs 8位


VS

嫌いな国を お選びください。

好き嫌いTOP10圏内確定戦

好きな国は どっち?

9位 vs 10位


VS

好きな国を お選びください。

嫌いな国は どっち?

9位 vs 10位


VS

嫌いな国を お選びください。

国の無作為ピックアップ

好きな国は どっち?

投票すると国ランキングが閲覧できます!


VS

好きな国を お選びください。

現在 36回の投票があります!

嫌いな国は どっち?

投票すると国ランキングが閲覧できます!


VS

嫌いな国を お選びください。

現在 24回の投票があります!


Powered by イーオンラインサービス   楽天ウェブサービスセンター