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この記事では美・美しい(び・うつくしい、 カロン、)について解説する。同義として 【麗しい/▽美しい】 (うるわしい)という用語ある。
● 概説
◎ 辞書的定義
広辞苑では次のように定義されている。
・美しいこと。美しさ。りま。
・よいこと。りっぱなこと。そして、続いて次の注意点を指摘している。
・ 対象にみられる均衡・充実・輝きによって惹起される(タイプの美もある)。
◇美しいものの具体例
人が例えば何を美しいと言うかというと、自分の祖国や故郷を美しいと言うことがあり、風景を見て美しいということがあり、はたまた美術作品などを見て美しいということもあり、男性は形の整った女性を美しいと言うことがあり、そして女性は形の整った男性を美しいと言うことがあり、数学者は方程式のある種の解法を美しいと述べることがある。
またモーツァルトやフォーレの音楽は、「繊細な美しさを持つ」と言われることがある。
ヘルマン・ヘッセは、作品に『青春は美し』という題をつけた。その意味で、青春も美しいとされることのあるもののひとつと言えよう(ただし、青春は人それぞれで、実に様々な形容詞がつけられている。)
◇美と芸術の相違
「美」と「芸術」は異なる。『岩波哲学講座 (6)芸術』の「はしがき」を書いた人によると、美しいものは必ずしも芸術ではない」。美しいものすべてが芸術というわけではない。また、逆に芸術作品すべてが美しいというわけでもない。
◇美と存在論
プラトンは《超越美》(=「精神美」)は実在し、個々の美しいものは、この超越美の分有である、と述べた。
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ヘーシオドスによるパンドーラーの神話では、この女性の容姿は女神のように美しく、心は犬のように陋劣で、そのために世に災悪(kakia)が満ちあふれた(『仕事と日々』)。すなわち、美が感覚的に快である程度ならば、善(agathon)にでなく罪悪、災悪に結びつく可能性があると考えられるので、最初は美は徳から遠いものとしていわばカロカカキアが一般に認められていた 。しかし容姿でなく徳の美、精神の美を認める場合がある(「汚れも咎もなく死ぬことこそ美しい」(アイスキュロス『テーバイ攻めの七将』1011))。仮にこの、徳(arete)としての美をプラトンのように根拠づけ得るならば、美(kalon)と善(agathon)とはひとつになり、カロカガティア(kalokagathia)なる理念が成立すると考えられたのである。ただし、この語は、クセノポーンに由来し
頭部に美麗な飾りを付けた人間を正面から描いた文字が「美」であるのに対し、同じ頭部に美麗な飾りを付けた人間を横から描いた文字が「𡵉」である。この後者の文字は後に「女」や「攵」が加えられた字体(「媺」など)で「美」の代わりに使われることがある。
「美」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/)
2024年4月26日3時(日本時間)現在での最新版を取得
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