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少林寺拳法


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少林寺拳法(しょうりんじけんぽう)は、1947年に日本で創始された新興武道である。創始者は宗道臣(本名:中野理男)で、宗は嵩山少林寺の門派の1つである北少林義和門拳の第21代正統継承者であり、少林寺拳法は少林拳を参考に再編された。誤解されがちであるが中国嵩山少林寺の少林拳と日本の少林寺拳法は別物である。 少林寺拳法グループは、宗教法人金剛禅総本山少林寺、一般財団法人少林寺拳法連盟、少林寺拳法世界連合など。

● 概要
幼少期の宗道臣は、満州鉄道調査部に身を置く高名な武道家であった祖父(宗重遠)から武道の指導を受けた。17歳で再び満州に渡った道臣は、特殊工作員としての教育を受けるため、北少林白蓮拳の師父陳良老師に身柄を預けられる。これは、少林寺拳法の聖句の「己こそ己の寄るべ」と同義である。 時には法衣と呼ばれる仏門の服装をまとい、おもに二人一組で行われる演武は、飛燕と呼ばれる突きと蹴りの攻防、そして鋭い気合の応酬、床にたたきつけるがごとくの投げ技と関節技、そして圧法と呼ばれる技法も併用される(圧法は5段位に昇格した後に習得)。静と動を同時に行う禅の拳法と称された。創始当時には他武道の有段者が多く転向してあり、当時としては魅力ある技術体系であったと想像される。 少林寺拳法は戦後に創始された新興武道であるが、日本九大武道(日本武道館認定)の一つと認定された。また少林寺拳法の1つの側面たる金剛禅運動は、創始70年を経過した今も存続している。しかし、1984年時点で100万人(2600支部)を擁するとされたが、現在はおよそ16万人程度に減少している。

● 現代嵩山少林寺との関係
中野理男(宗道臣)は、満洲勤務時代に嵩山少林寺を文太宗老師(北少林義和門拳第20代)と訪れ、北少林義和門拳の法門継承式を当寺にて行い、北少林義和門拳第21代正統継承者となっている。またその際に、白衣殿北壁の羅漢練拳図に描かれた相対演練を見て深く感銘を受け、さらに祖師(達磨)が「禅」と「易筋行」を嵩山少林寺に伝えたといわれることを偲ぶ意味から後日「少林寺拳法」と名称をつけた経緯がある。現在の中国共産党管轄下の現代少林拳は、凡そ文化大革命後に隆盛を経て成立した経緯を見れば、系譜上現在の嵩山少林寺の少林拳と、少林寺拳法とは関係ないともいえる。中野が大陸滞在時に拳(義和団事件後に嵩山少林寺から流出したと言われる)の達人たちより指導を受けた各種の技法を採り入れ、また幼少時より祖父(宗重遠)から教わった日本の古武道、各種の戦闘技術を研究し集大成した拳法が少林寺拳法でもある。

● 沿革


◎ 創始に至る経緯
明治44年生まれの中野理男(宗道臣)は、昭和初期に「日本民族発展の捨石になろう」という志を基に、祖父や大アジア主義者たちの人脈を頼って大陸に渡る。その後、関東軍の特務工作員の仕事(土肥原機関)をしながら、任務に必要な教育を受ける為に宗教専門学校に連れて行かれ、陳良という一人の老師に身柄を預けられて、そのまま弟子となる。これが中野が北派少林拳との最初の縁合である。陳良老師は、明治33年前後に興った義和団事件の生き残りの拳法の達人で宗教的秘密結社の幇員でもあったとされている。中野は中国文化に溶け込むための所作や地理や中国国内の諸外国や中国軍閥の動向など情報収集など特務機関の仕事の傍ら老師に少しずつ技を学んでいったとされる。しかしながら満州に居を構えた祖父、本土にいた妹らが相次いで死去したため帰国することとなる。帰国後は飛行兵として訓練をうけるも、心臓弁膜症と診断され除隊、身寄りもなく、再び特務機関員として中国にわたり、陳良老師とともに任務も兼ねて満洲を大旅行する事になるが、その際に陳良老師の人脈のつてや縁で義和団事件の生き残りの拳法家達に絶滅間際の拳技を少しずつ学んでいく。その中の一人が、陳良老師の師匠であり、北少林義和門拳20代師父の文太宗老師である。文老師の下で修行を積んだ中野は、その技の全てを習得して、昭和11年に文老師と共に祖師達磨大師のゆかりの地・嵩山少林寺にて北少林義和門拳の法脈継承の儀式を行い、21代正統継承者となった。 そして、大日本帝国敗戦の年の昭和20年8月9日、満州国の綏陽にて突如としてソビエト連邦軍の侵略に遭遇する。中野は、ソビエト連邦軍機械化部隊の綏陽侵入を確認した後、撤退を敢行することになるが、それからの約1年間をソビエト連邦軍政下の満洲にて生活をする事になる。その中で地獄絵図を経験した中野は、国家やイデオロギー、または法律や政治とは、その立場に立つ人の「質」によって大きな差が出る事を発見する。「人、人、人、全ては人の質にある」という少林寺拳法の格言はこの経験が基である。このソビエト連邦軍政下の経験にて中野は、もし生きて日本に帰る事が出来たならば、私学校を開いて、正義感に基づいた生きる自信と勇気と行動力と慈悲心に満ち溢れた若者を、多く育てたいと念願するようになったという。 しかし、中野が内地へ帰還してみると、GHQによる占領の実態だけでなく、三国人による暴虐や物資難の混乱による修羅場が現出し、日本人が奴隷の様な現実に直面をして痛哭する。それは、中野が帰還を切望していた祖国日本は、道義も秩序も無い弱肉強食の修羅場に変わり果て、特に次代を担う青少年の荒廃は目を覆うばかりだったという。「これではいけない、これからの半生を骨のある青少年の育成に捧げよう」と決心し、四国の香川県仲多度郡多度津町にて主として釈尊の正統仏教の教えを説きながら、人作りの重要性を訴えたが、中々人々はついてきてくれなかった。肝心の若者達も同じで、ほとんどは長続きはしなかったという。そんな状態で思い悩んでいた時に、歴史上の人物で、中国・河南省・嵩山少林寺に座禅行と易筋行を伝えたとされる菩提達磨の夢を見て、そこからはっと閃くものがあった。「そうか、はるばるインドから中国に正統仏教を伝える為に渡った達磨が、この行を弟子達に学ばせたその故事に倣って、今こそその達磨の行動を日本に再現させよう」と思い立ち、人を魅了し引き込んで集める手段として、少林寺拳法を開創する事を思い立ったという。これを長期間に渡って教えながら、道を説けば、必ず日本国の次代を担う青少年に不屈の精神力と、金剛の肉体とを合わせ持ち、その上で自信と勇気と行動力を与える事が出来ると確信したという。 こうして、釈尊の自己確立・自他共楽の教えを「拳禅一如・力愛不二」の法門として編成し、大陸で学んだ各種の拳法を再編整理して、理論の裏付けを行い、さらには戦中・戦後を通しての貴重な白兵戦の体験と創案を加えて、宗門の行としての形を整えた。こうして少林寺拳法が開創されて、その拳法の修行の合間、合間に口が酸っぱくなるほど、釈尊の教えを中心に祖国愛や日本民族への愛等の人生観・世界観を、当時の青少年達に説き続けたという。そして、1980年(昭和55年)に宗道臣が心不全で69歳で死去するまで、この金剛禅運動と名付けられた運動は続けられて、娘の宗由貴を経て孫の宗昂馬に引き継がれている。

◎ 年譜

・1947年(昭和22年) - 日本の香川県仲多度郡多度津町にて、本部道院開設。 金剛禅では、「自己確立」「自他共楽」「理想境建設」をその目的としてあげている。リーダー育成により日本の社会に影響ある若者を育てることを目指す。以下、代表的な教義を示す(特に脚注がない場合は『少林寺拳法副読本』に拠る)
・自己確立 - 少林寺拳法を通じて、肉体的にも精神的にも健全な頼りになる自分を作ること。
・自他共楽 - 自分の成長を通じて、他者や社会がよりよい方向へ変化するように働きかけ、自分だけでなく他者とともに成長して幸せになること。

◎ 現況
開祖遷化により、急な承継による自身の苦労を踏まえ、責任をもって引継ぎたいという意思の下、2019年12月31日をもって、第2世師家宗由貴が退任(最高顧問、相談役として組織に残る)、2020年1月1日より第3世師家宗昂馬が新たに着任した。よって、2020年現在、少林寺拳法グループ代表は、開祖の孫にあたる宗昂馬(そう こうま)。昨今の超高齢化社会に対応した「少林寺拳法健康プログラム」「少林寺拳法介護技術」を新たに注力している。また、性犯罪の増加から有効な護身術として注目され女性の入門者が増えている。金剛禅総本山少林寺、少林寺拳法連盟本部は香川県仲多度郡多度津町に、東京研修センターが東京都豊島区にある。日本を含む40カ国に普及しており、4年に1度、世界大会も開かれている。金剛禅総本山少林寺として「禅」と「精神修養」の一環を法話や規範を説きながら行としての拳法を修練する場所を「道院」、財団法人少林寺拳法連盟の管轄では、スポーツ少年団、高校、大学、企業、官公庁、各種団体(警察・自衛隊など)の少林寺拳法部、サークルにおいて拳法の技を通じた人づくり、仲間づくりの活動する団体を「支部」と称している。

◎ 資格・武階と法階
少林寺拳法の有段者資格は、拳の修行の進捗の度合いを示す武階と、これに精神面での成長度を加えた拳禅一如の修養の段階を示す法階の2種類がある。また、財団法人のみに加入の中学・高校・大学等(袖章が青)の拳士は、本山講習会受講もしくは武専入学するまでは、法階を与えられない。 有段者は一般的に下記のように呼称される。下記の例では「准拳士」が法階で、「初段」が武階を指している。
・例:准拳士初段 法階・武階は下記のように昇格していく。
・准拳士 初段 → 少拳士 二段 → 中拳士 三段 → 正拳士 四段 → 正拳士 五段 → 大拳士 五段 → 大拳士 六段 → 准範士 六段 → 准範士 七段 → 正範士 七段 → 正範士 八段 → 大範士 八段 → 大範士 九段 師家 ※現在は「師範」という法階は使われていない。なお、「師家」とは少林寺拳法グループの総裁のみの役職である。 道院・支部の役職は、道院長・支部長の組織長とこれらを補助する副道院(支部)長・道場長・助教・助士がある。支部長になるには五段以上の武階、道院長になるには大拳士五段以上の武階および法階の資格と、宗教法人金剛禅総本山少林寺の僧階である大導師以上の資格が必要となっている。助士は准拳士以上、副道院長・道場長・助教は中拳士三段以上で、その他の条件を満たす者の中から指導者としてふさわしい者が任命される。

◎ 昇格考試について
級拳士の昇格考試は、1~3の市町村単位で構成されている小教区単位で実施されている。三段以下の昇格考試は、各都道府県連盟で各々の地域で実施されている。正拳士四段以上の昇格考試は、指導者として位置づけられているため、原則香川県多度津町の総本部でのみ実施される。 少林寺拳法の修練時は道衣(どうい)と帯を締める。2005年4月以降は統一ロゴ・マークが制定され、道衣の胸には統一マークの道衣を付けて修練する(2008年4月1日より刺繍入り道衣、許諾ラベル付き帯に完全移行)。また、袖に所属を表す袖章を表記するようになった。
・袖章の色
 ・赤 金剛禅総本山少林寺管轄(一般の道院)
 ・青 一般財団法人少林寺拳法連盟の支部(学校クラブや支部)
 ・緑 学校法人 禅林学園
 ・紫 少林寺拳法世界連合(WSKO) さらに、道院・支部関係の所属長は金、五段以下の所属長(道院の場合は僧階が権大導師以下の道院長心得の者)は銀、助教等の役職で中拳士参段以上は赤の刺繍があわせて施される。

◎ 資格・僧階
僧階とは、金剛禅総本山少林寺のいわゆる僧侶としての資格で自分自身の修行に精進することに加えて、この道の布教者になることを志して金剛禅総本山少林寺の僧籍に編入された者に対して与えられる。
・少導師 → 権中導師 → 中導師 → 権大導師 → 大導師 → 権少法師 → 少法師 → 権中法師 → 中法師 → 権大法師 → 大法師 ※僧階の補任(昇任)には各僧階ごとに要件がある(例:少導師は金剛禅総本山少林寺の道院に所属し、『金剛禅読本』を学習した少拳士弐段以上の拳士《17歳以上》)。

◎ 学校法人 禅林学園(旧日本少林寺武道専門学校)
禅林学園は「日本少林寺武芸専門学校」を前身とする、少林寺拳法の指導者育成機関として設立された。全日制の専門部「武道学科」「経営創造学科」「高等師範コース」「公務員対策講座」、高等部「武道系」「第2武道系」「進学系」も開講されている。卒業生は地方へ帰ると指導幹部として期待され後進の指導に当たる。本校の生徒の多くは高校生(高等課程)から20代の少林寺拳法の指導者を志す若者が多数在籍している。 また、全国各地に「武道専門コース」があり、全日制に比べて修了までの期間は長くかかるが、社会の場に出て全日制に通えない社会人などで指導者を志す者が多く在籍している。各地での指導に当たるのは地元に在籍する修了した高段者や禅林学園からの派遣教師が指導にあたる。武道専門コースは、ほぼ各都道府県で月に1度日曜日に開講されている。

◎ 少林寺拳法本部
場所は香川県仲多度郡多度津町の桃陵公園の近く。宗教法人金剛禅総本山少林寺、財団法人少林寺拳法連盟、少林寺拳法世界連合(WSKO)からなる。これらの施設は同一の敷地内にある。 本部は、本堂、講堂、錬成道場、食堂、大雁塔、禅林会館(旧:禅林学園校舎)からなる。少林寺拳法師家 宗道臣(開祖)の墓(霊廟)もある。敷地内には各少林寺拳法グループの事務局も存在する。
○ 大雁塔
敷地より山の上部にそびえる白い六重の塔。内部は少林寺拳法の資料館となっており開祖の遺品や少林寺拳法の歴史を知ることができる。最上階の一角には開祖の遺骨が分骨で祀られている。また多度津の町並みや讃岐の山々、瀬戸大橋と瀬戸内海を見渡せる。宗道臣が若い頃訪れて感動したという西安の大慈恩寺・大雁塔をモデルに建立された。

● その他


◎ 盾卍から双円へ
盾卍(たてまんじ)は、「卍」の四方が盾で守られているマークで、50年以上に渡って少林寺拳法グループで使用されてきたものである。 少林寺拳法の「教え」、「技法」、「教育システム」が統一された『世界で一つの少林寺拳法』実現のために卍から双円へとマークを変更した。また、一部の国ではナチスのハーケンクロイツを想起させ、場合によっては当該国にて刑事罰の対象にもなりかねないため使用することができず、世界で統一したマークを採用するために、2005年4月に双円(ソーエン)という新マークが作成され、盾卍はその座を譲った(一般社団法人SHORINJI KEMPO UNITYによるシンボルマークの説明)。 開祖は、盾卍のロゴマークの生産を特定の一社に任せ、その売り上げの数%を前妻及びその家族に渡るようにしていたとされる。一部の国でナチスを想定させると思われている、との意見もあったことから、WSKOでこれまで使われていた「拳とこぶし」のマークを使うのが自然の成り行きであったが、意匠権を統一するという経営上の観点から、現在のロゴに統一されたとも一般拳士からは思われている。この結果、盾卍をつかうことで自動的に前妻及びその家族へ流れていた資金はなくなり、完全に少林寺拳法ユニティが少林寺の意匠・ロゴからあがる資金を掌握できるようになった。

◎ WSKOからの脱退
英国少林寺拳法連盟、イタリア少林寺拳法連盟はWSKOから相次いで脱退しており、連盟本部との関係悪化が指摘されている。

◎ 映画
『少林寺拳法』
・ 主演 : 千葉真一、監督 : 鈴木則文、製作 : 東映で、1975年の日本映画。主人公の宗道臣を千葉が演じている。 『女必殺拳シリーズ』
・ 主演 : 志穂美悦子、製作 : 東映で、1974年から始まった日本映画のシリーズ。志穂美演じる主人公は少林寺拳法の達人という設定である。

◎ テーマソング

・ 少林寺拳法の歌(春日八郎)
・ DEEP WITHIN EACH MAN(フィル・ペリー&デヴィッド・ガーフィールド)
・ ひとりひとりの心に深く(黒住憲五、松崎しげる)

◎ 修行経験のある著名人

「少林寺拳法」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年3月29日17時(日本時間)現在での最新版を取得

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