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遠野物語


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『遠野物語』(とおのものがたり)は、柳田国男が明治43年(1910年)に発表した、岩手県遠野地方に伝わる逸話、伝承などを記した説話集である。 遠野地方の土淵村出身の民話蒐集家であり小説家でもあった佐々木喜善より語られた、遠野地方に伝わる伝承を柳田が筆記・編纂する形で出版され、『後狩詞記』(1909年)、『石神問答』(1910年)とならぶ柳田の初期三部作の一作。日本の民俗学の先駆けとも称される作品である。

● 概要
遠野物語における遠野、あるいは遠野郷とは、狭義には藩政時代の旧村が明治の町村制によって編制された遠野、松崎、綾織、土淵、附馬牛、上郷、を指すが、広義には上閉伊郡宮守村、釜石市橋野町、上閉伊郡大槌町、下閉伊郡川井村などの隣接地域も含まれ、その地で起きたとされる出来事も取り上げられている。内容は天狗、河童、座敷童子など妖怪に纏わるものから山人、マヨヒガ、神隠し、臨死体験、あるいは祀られる神とそれを奉る行事や風習に関するものなど多岐に渡る。 作成過程で3つの原稿が存在し、佐々木の話を都度書き記すかたちで作られた草稿にあたる毛筆本、実際に遠野に赴き、自ら得た見聞を加えて人名、地名、数字などの事実関係を補完して作られた清書本。毛筆本の段階では107話であったが清書本の段階で12話が追加され119話となった。そして清書本をもとに初稿が印刷され、初稿を再考し、一部伏字となっていた固有名詞などに手を加えられ完成本となった。これら3つの原稿は、長野県の元衆議院議員池上隆祐が1932年に『石神問答』の刊行に対する記念として『石』の特集号を発行した際、折口信夫、金田一京助らの署名を入れた特装本を柳田へ贈った事に対する謝礼として柳田より池上へ贈られた。池上の没後の1991年に遺族より遠野市へ寄贈され、それ以降は遠野市立博物館が保管している。 『遠野物語』の反響により、昭和10年(1935年)には各地から寄せられた拾遺299話を追加した『遠野物語増補版』が発表された。

● 執筆への経緯
『遠野物語下染め』および『佐々木喜善先生とその業績』によると、柳田が水野葉舟の仲立ちで佐々木喜善と初めて会ったのは明治41年(1908年)11月4日。学校から帰宅した佐々木の所に水野が訪れ、連れ立って柳田を訪ね、遠野物語に関する話をして帰ったと佐々木の日記に記録されている。25日付けの佐々木へ宛てられた柳田の手紙には12月以降も2日に会いたいという内容が記載されていることから、佐々木が翌年1月から3月まで遠野へ帰郷した期間はあるが、初夏までの間に月に1度程度の頻度で数回行われたであろうことは、明治42年4月28日に柳田邸で行われた「お化け会」の記事からも推測される。 序文の日時と事実に相違があるが、これは記憶違いではなく、詳細は不明であるが同時に進行していた『後狩詞記』の刊行の後に位置づけたかったとの柳田の考えがあったのではなかろうかと考えられている。

● 柳田の遠野探訪
柳田國男が初めて遠野を訪れたのは明治42年(1909年)8月23日の夜のこと。8月22日(日曜日)午後11時、上野発海岸回り青森行きの列車に乗った柳田は、翌23日に到着した花巻駅で下車。人力車に乗り換え、矢沢村、土沢、宮守、と経て鱒沢の沢田橋のたもとにあった木造三階建ての宿屋で食事と人力車を乗り継ぎ、遠野に到着したのは夜の8時であった。 柳田は遠野では高善旅館に宿をとり、主人の高橋善次郎から馬を借りて伊納嘉矩や佐々木喜善を訪ね、南部家所縁の地などを回ったが、これらの日程には諸説存在しており、定説があるわけではない。ここでは便宜上、岩崎敏夫による説を主として解説を行う。 24日の朝、鍋倉神社近くにあった上閉伊郡役所を訪ね、郡内の説明を地図を貰いうけ、まず土淵村山口の佐々木喜善宅を目指した。あいにく喜善は東京にいたため不在で、家には養母のイチと叔母のフクヨがおり、柳田は来意を伝えると、二人から土淵村で助役を務めていた北川清を紹介された。来た道を1kmほど戻り、訪れた北川家で清より話を聞き、翌日、清の代わりに附馬牛小学校で教員を務めていた息子の真澄が附馬牛まで柳田の案内をすることになった。その日の晩には新屋敷まで伊能嘉矩を訪ねているが伊納は不在であった。 25日、北川真澄の案内で早池峰山道を通り附馬牛に辿り着いた柳田は上柳の附馬牛役場を訪れ、役場書記の末崎子太郎と附馬牛小学校から呼び寄せられた福田恵次郎の二人より附馬牛村の成り立ちや歴史について聞き、附馬牛の源流のひとつである東禅寺跡へと案内された。帰りは石羽根から大袋を通り、その道すがら菅原神社で鹿踊りが行われているのを目撃し、また掲げられたムカイトロゲに旅情を感じ、忍峠へと入っていった。宿に戻ると伊能が訪ねてきたという事であったが、附馬牛を発った時点で黄昏時であったので宿に着いたのは夜の8頃と推測され、既に遅い時間であった事からこの日はそのまま休む事にした。 26日には先日宿を訪ねてきた新屋敷の伊能の家を訪問し、伊能の台湾研究に関する研究資料、および『阿曾沼興廃記』や『旧事記』といった遠野に関する資料、オシラサマや雨風祭の藁人形、あるいは遠野周辺に伝わる妖怪に関する伝承や住人達の生活の在り方を聞いた。 27日に伊能は高善旅館まで再び出向き、柳田を南部男爵邸へ案内し、屋敷の保守にあたっていた及川忠兵、郷土資料家の鈴木吉十郎の案内で男爵家に伝わる古文書や受け継がれてきた宝物を見た。その後、昼過ぎに人力車に乗り、来たときとは異なり下組町から愛宕橋を渡り、綾織村の小峠を越えて日詰街道を盛岡へ向かった。あるいは遠野を離れたのは26日であったとする説などが存在する。

● 作品の評価
1910年6月、350部が印刷者は今井甚太郎、印刷所は杏林舎で、発行所は無く自費出版として刊行された。これらは『後狩詞記』と同じであるが、売捌所として聚精堂(田中増蔵)が挙げられ販売されている。 柳田の前著である『石神問答』は、難解だったためかあまり売れ行きが芳しくなかったのに対し、『遠野物語』は僅か半年ほどで印刷費用をほぼ回収できた。200部は柳田が買い取り知人らに寄贈し、寄贈者では島崎藤村や田山花袋、泉鏡花が積極的な書評を書いた。『遠野物語』を購読した人たちには作家に芥川龍之介や南方熊楠、水野葉舟らがおり、ニコライ・ネフスキー、柴田常恵、小田内通敏など学者にも購読者がいる。これまでの考えを否定するかのような都市部に生活する一部の「平地人」に対する警告とも。
◇ 物語の舞台(1話) : : 遠野の地理的情報、あるいは地名、歴史に関する解説。陸中国、上閉伊郡の西の半分、山に囲まれて盆地となった地域であり、明治22年(1889年)から明治30年(1897年)の間に旧村が再編され、遠野、土淵、附馬牛、松崎、青笹、上郷、小友、綾織、鱒沢、宮守、達曾部の1町10村となった。近代までは西閉伊郡とも称され、さらに遡れば遠野保とも呼ばれた。役所の存在する遠野町は、鍋倉山にある横田城とも称される要害屋敷を中心に小さくも城下町としての外観を有し、山奥としては珍しい繁華の地として賑わいをみせていた。伝説では太古遠野の地は一円の湖であったとされており、またアイヌ語の「To(湖)」+「Nup(丘原)」に遠野の語源があるという由来譚も存在している。 :
◇ 神の始(2話) : 遠野の町は南北の川の落合にあり、以前は七七十里として、月に6度開かれる市には7つの渓谷、70里(およそ28km)の距離から売買のために商人1000人、馬1000頭が集まる賑わいをみせていた。周囲には遠野三山と呼ばれる山々があり、早池峰山、六角牛山、石上山(石神山)、これらには成り立ちに関する神話が存在する。大昔に女神とその3人の娘が遠野を訪れ、来内村の伊豆権現のある所に宿った際、女神は娘達に最も良い夢を見た娘に対して良い山を与えると伝えた。その夜深く天から霊華が舞い降り、姉の胸の上にこれが降りるも、末の娘が目を覚まし、これを自分の胸の上に移すことで最も美しいとされる早池峰山を手に入れた。そして姉達はそれぞれ六角牛山と石上山を得た。 : 草稿版には夢の中でそれぞれの娘にそれぞれの山が宛がわれたという記載は無く、姉から奪うことで利益を得たという妹の行為に対して柳田の手が加えられたと考えられている。早池峰山はその経緯より、盗みを働いた者がその発覚を免れるよう願掛けをする、といったことでも霊験を得られると考えられ、早地峰信仰の普及に一役買ったとされている。また、これら3つの山は女神が住まう山であるため、遠野の人たちは神罰を恐れ、戦前までこの山には女性が入ることが禁じられていた。かつて神職であるため差支えがないと石上山に入った巫女はその琴線にふれ、大雨風が起こり、姥石と牛石になってしまったという逸話も残されている。 : :
◇ 山人 I(3話、4話、5話、6話、7話) :
◇ 神隠し(8話) : 黄昏時に子女が生活の痕跡そのままに忽然とその姿を消すという、各地にも類似の話がある神隠しに関する説話。遠野物語では寒戸という場所で梨の木の下に草履を残したまま娘が姿をくらました。その30年後、親類縁者が家に集まっているところ、突然姿をくらました娘が皆に会いたいからと再び姿を現した。かと思うと、また何処かへ去っていったとされている。 : 里での生活から突然居なくなるということは、その者と死別するということか、あるいは発狂して山野を彷徨うか、異質な存在や遠国の者にかどわかされるなど、さまざまな理由が考えられる。残された者達の悲しみや、諦め切れない苦しみに折り合いをつけるためにこういった話が残され、この事象が山人によるものであると「6話」や「7話」では説かれている。
◇ 乙爺(12話、13話) : 土淵村山口に新田乙蔵という老人が居り、村の者からは乙爺と呼ばれていた。歳は90近くで体を病み、いつ死んでもおかしくない状態であった。この老人は、遠野郷に点在する館の主に関する話、村の家々の盛衰、伝承されてきた歌に関する話、山に伝わる伝説やその奥に住むという人の事などを村で最も知っていたが、あまりに臭いため近寄って耳を傾けようとするものは居なかった。(12話) : 乙爺は生まれは良い家柄であったが、若い頃に財産を失い家を傾けたため、世間との繋がりを絶ち、山に小屋を建てて数十年一人で生活していた。甘酒を作り、界木峠を通る人々に売りに行くことで収入を得ており、通る駄賃付けの者たちからは父親のように慕われていた。時折収入に余裕のあるときには町へ降りてきて酒を飲み、赤毛布で設えた半纏を着て、赤い頭巾を被り、町中で踊りながら帰っていったものだが、警察にもこれを咎める者はいなかった。年老いてからは村へ戻り、子供たちは皆北海道へ移住してしまったため、独り残されて12話のような生活をおくり、明治42年(1909年)の夏頃に亡くなった。(13話) :
◇ オシラサマ I(14話、15話) : : 部落に1軒は旧家があり、この家は大同と呼ばれ、オクナイサマという神を祀っている。この神の像は桑の木を削って顔を型取り、真ん中に穴の開いた四角い布を上から被せて衣装としている。正月の15日には小字中の村人達が集まってこれを祭っている。また、オシラサマという神もいて、同様に桑の木から造られ、正月の15日には白粉を塗って祭られることがある。大同の家には必ず畳一帖の部屋があり、この部屋で寝ると枕を蹴飛ばされる、体の上に乗られる、何者かに抱き起こされる、部屋から突き飛ばされるなどされ、静かに眠る事ができない。(14話) : オクナイサマを祀る家には幸せが多いという。土淵村大字柏崎の長者、阿部氏が田植えを行っていた時のこと。空模様が怪しいことから早々に田植えを行ってしまいたいと考えていたが、人手が足りず翌日に少し持ち越してしまいそうだと危惧していると、どこからとも無く背丈の低い男の子が現れ、田植えを手伝うと申し出た。昼飯時に差し掛かったので、食事をとらせようと辺りを見回すが姿が見えなくなっていた。しばらくするとどこからか再び現れ、サセ取りを手伝ってくれたこともあって無事、その日のうちに田植えを終える事ができた。主人は感謝し、夕食をご馳走すると男の子を誘ったものの、日が暮れても現れることは無かった。家に帰ってみると縁側に小さな泥の足跡が点々と残されていて、家の中を通ってオクナイサマの神棚の前で途切れていた。主人がゆっくりと神棚の扉を開けてみると、オクナイサマの像の腰から下は田圃の泥にまみれていてという。(15話) :
◇ コンセサマ(16話) : コンセサマを祀る家も少なくない。この神の神体はオコマサマとよく似ており、石や木で男性器を模ってこれを祀るのだが、オコマサマの社は里に多く見られるが最近ではその数も少なくなった。 : コンセサマとは金勢様、あるいは金精様の漢字が充てられる男性器を模った精神で、生命力の象徴に悪霊や邪気を祓う力、あるいは縁結び、子宝、安産祈願などの加護が得られると考えられ信仰されてきた。オコマサマは東北地方から関東にかけて馬の守り神として信仰されてきたが、祀られた当初は他の神を祀ったものとする考え方もある。多数の駒形神社や馬頭観音の石塔などが存在する遠野で名高い駒形神社は附馬牛の駒形神社であるが、これは中世阿曾沼時代に蒼前駒形明神を祀ったのが初まりとされている。この「そうぜん」という言葉はやまとことばには存在せず、駒形神社の宗社である水沢の駒形神社は延喜式神名帳にも記載されている式内社で、原初山の神である水分神を祀ったものであったという。
◇ ザシキワラシ(17話) : 旧家にはザシキワラシという神様が住む事が少なくない。多くは12~13歳ほどの童子で、時折人に姿を見せることもある。先日も土淵村の大字飯豊の今淵勘十郎という家で、高等女学校で学ぶ娘が帰宅していた時のこと、廊下で男のザシキワラシに遭遇して驚いた事があったという。同じ村の山口に住む佐々木氏の家では、妻が独りで縫い物をしている時に、隣の部屋からなにやらガサガサと物音がするものだから板戸を開いてみるも人影は無く、しばらくは縫い物を続けていたが、しばらくすると今度は鼻を鳴らす音が聞こえてきたという。ザシキワラシが住む家は名誉も財産も思うがままだという。 :
◇ 孫左衛門家の盛衰(18話、19話、20話、21話) : ザシキワラシは女の子供の場合もあるという。土淵村山口の、山口孫左衛門の家には童女のザシキワラシが2人いると伝えられていたが、ある日、同じ村に住む男が街へ出て、その帰り道に橋を渡ろうとしていると、向かいから見知らぬ童女が2人歩いてくるのに出くわした。2人はなにやら考え事をしているようで、男はどこから来たのか尋ねてみると、山口の孫左衛門の家から来たとの事であった。行き先も尋ねてみると、ある村の豪農の家の名を答え、男はこれはおそらくザシキワラシであろう、孫左衛門の家もそう永くは無いだろうな、と思った。ほどなくして、孫左衛門の家では主従20数名が茸の毒にあたり死亡し、その間に出かけていた7歳の娘だけが生き残ったという。(18話) : 孫左衛門の家である日、梨の木の周囲に見たことのない綺麗な茸が生えているのに気づき、これを食べるか否かで男たちが相談していた。孫左衛門はあまりに綺麗な茸には毒があるものだ、と食べるのを止めるよう忠告したが、一人の下男がどんなきのこであっても、水を張った桶にいれ、苧殻(アサの茎)でもってよく廻してから食べればあたることはないものだ、と言うのでこれを信じて皆は食べることにした。命の助かった娘はその日、遊びに夢中で昼飯を食べに家に戻らず、難を逃れたという。残された者たちが突然の主人の死に動転している間、生前に主人に貸しがあった、あるいは約束をしていたなどと言う者が次々に現れ、孫左衛門の家からは味噌の類まで持ち出されてしまい、この村はじまっての長者であったが瞬く間に滅んでしまったという。(19話) : これらの悲劇が起こる前にはさまざまな異変があったという。下男たちが刈っていた秣を取り出そうと鍬で掻き出していると、その中から大きな蛇が出てきた。主人の孫左衛門は蛇を殺さないよう下男たちに命じたが、下男たちはそれを聞かず勝手に殺してしまった。すると、秣の下からは小さな蛇たちが次々と出てきたので、下男たちは面白半分にそれも皆殺しにしてしまった。それだけの数の蛇ともなると捨てる場所も無いので、下男たちは屋敷の外に蛇塚を作り、そこに蛇を埋めたというが、埋めた蛇の数は竹籠で何杯もの数になったという。(20話) : 孫左衛門とは村に珍しい学者で、京都より和漢の書を取り寄せては読みふけるような者であった。狐と親しくなることで家に富をもたらそうと考え、庭に祠を設置し、自ら京都に出向いて正一位の神階を得て日々油揚げを供えることを欠かさないなど、少し変人とも言われていた。そうして孫左衛門には狐も慣れ、近づいても逃げたりせず、時には首を掴ませる事も許すほどに気を許すようになったというが、それを聞いた薬師の堂守は、うちの仏様は何も供物を捧げずとも、孫左衛門の狐よりご利益があると度々笑いものにしたという。(21話)
◇ 丸い炭取り(22話、23話) : : 佐々木氏の曾祖母が年をとって亡くなった時のこと。納棺も済ませ、わけあって気が触れたことで離縁になった娘もその日は家に集まり、親族一同が座敷で眠っていた。喪に服す間は火の気を絶やさずにいるのが慣わしのため、その夜は祖母と母が常居の囲炉裏の前で夜通し火の番を務めていた。母が炭取りを使って炭を継ぎ足していると、裏口の方からこちらへ近づいてくる足音が聞こえてきたため、そちらの方へ目を向けると、入ってきたのは亡くなったはずの曾祖母であった。身に着けた着物も生前からの特徴そのままで、皆が眠る座敷の方へ向かって二人の座る囲炉裏の脇を通ると、二人は声もあげられず、曾祖母の裾に触れた丸い炭取りだけが、ただくるくると回っていた。母は気の強い人だったので、通り過ぎた曾祖母を目で追いかけると、その先の座敷から、離縁になった娘の「おばあさんが来た」とけたたましく叫ぶ声が聞こえた。寝ていた者は皆、その声に目を覚ましたが、ただオロオロと驚くばかりであった。(22話) : その曾祖母の27日の逮夜のこと、夜更けまで知り合いや縁者が集まって皆で念仏をあげていた。用も済んで皆が帰り始めた頃、門口の石にまたしても亡くなった曾祖母の姿があった。後姿が曾祖母の特徴そのままだったので、見た者は誰もその存在を疑いはしなかったが、なぜそこに居たのかはついに誰にも解らなかった。(23話) :
◇ 大同の家(24話、25話) : 村の旧家を大同と呼ぶのは、大同元年(806年)に甲斐の国から移り住んだことに由来しているという。大同は坂上田村麻呂の蝦夷征討の時代であり、甲斐国は南部家の本国である。これらの伝説が合わさってこのようないわれになたのではなかろうか。(24話) : 大同の祖先たちがこの地に辿り着いたのは年の暮れであった。急いで門松をこしらえたが、片方の門松を立て終わる前に年が明けてしまった。そのため、この家々では片方の門松を伏せたまま、注連縄を渡すことを吉例としているとの事である。(25話)
◇ 田中円吉(26話) : 柏崎の田圃のうちと呼ばれる阿倍氏は遠野有数の旧家であり、この家の先代は彫刻の巧みな者で、遠野一帯の神仏の像にはこの者の作であるものが多い。 : 田中家の当主は代々円吉を襲名し、二代目円吉も彫刻に長けていた。題目の円吉は文化十年(1813年)頃の生まれで明治26年(1893年)に亡くなった八代目で、土淵村本宿の石田家からの養子と考えられている。明治以前に常堅寺が京都から仏師を招いて十六羅漢や延命地蔵を作らせた際に仏像彫刻の技術を会得したという。この地には「縫」を祀ったとも、殺めた「畜霊」を祀ったとも云われる畑屋観音堂があり、その棟札には延宝六年(1678年)に機屋村高橋縫之介から頼まれ、中沢村の工藤氏藤九郎が参拝に行った京都で仏師から買い求め、この年の5月14日に購入し、同月29日に届けたものと記されている。この時高橋縫之介は31歳であったという。また、釜石市甲子町には千晩神社があり、その由緒によると勧請されたのは文禄二年(1593年)頃で、次のような伝承がある。 : : 中世の遠野は阿曾沼氏に代わって南部氏が南下して支配する一方、北上する仙台の伊達氏との間で境界にあった。旧領主であった阿曾沼広長や新支配者の鱒沢左馬之助などと伊達藩の間には三度の戦闘があり(平田・赤羽根峠・樺坂峠の戦い)、さらにその後、小友の赤坂金山の支配権を巡り南部と伊達との境は緊張状態が続いた。 : 仙磐山は鉱物の標本とも言われるほどの鉱産地であり、その開山譚の背景には六角牛山、片羽山、権現山、五葉山らに深い関わりを持った「畑屋の縫」がいたのではなかろうかとも考えられている。この峠には仙人が住むと伝えられ、昭和に入ってからも団体写真を撮れば1人多く写ると云われてきた。 :
◇ 石塔(98話) : 遠野郷では旧道の分岐点や村境に山の神、田の神、寒の神の名を彫った石塔を多く見かける。早池峰山や六角牛山の名を刻んだ石塔も見かけるが、むしろこれは浜の方で多く見かける。 : 近世の村はおよそ10戸程度の集落からなり、これらが集まって庚申や念仏などの講中を行っていた。村の結界を護り、安全祈願のために石塔は建てられたと考えられ、遠野市内で1900、宮守村を加えるとその数は3000近くに及ぶ。なお、浜に多いと書かれている早池峰山や六角牛山の名を刻んだ石塔は遠野と宮守で合わせて22基であるのに対して、岩手県沿岸部で60基が確認されている。
◇ 大津波(99話) : 土淵村の助役を務めた北川清という男が字火石に住んでおり、家は代々山伏で祖父は正福院といい、この祖父は著作の多い学者で村に貢献した男であった。清の弟である福二は海岸の田の浜へ婿へ行ったが、明治24年(1891年)の大津波で妻と子供を失い、その事があってからも生き残った2人の子供と家のあった場所に小屋を建てて1年ばかりそこで生活していた。ある夏のはじめの晩に用をたそうと、小屋から離れた便所に立って波の打ち寄せる渚を歩いていると、霧の立ち込める中から男女の2人連れが近づいてくるのに気がついた。女は津波で失った妻であることに気づき、福二は思わずその後をつけ、船越村へ行く岬の洞穴があるところまで追っていった。妻の名を呼ぶと女はこちらを見て笑い、男を見やると、男の方も同じく津波で亡くなった、聞くところによると自分が婿に入る前、心通わせていたと聞き及んでいた同じ里の男であった。「今はこの人と一緒になっている」と妻が言うものだから、「子供がかわいくないのか」と問いかけると妻は顔色を変え、泣き出してしまった。死んだ者と話しているようには思えず、ただ足元に目を落として立ち尽くしていると、再び男女は足早にその場を立ち去り、小浦へ続く道の山陰を廻ると姿が見えなくなってしまった。少し追いかけてはみたものの、相手は死んだ人間なのだと考え直し、それ以上後を追うことは止めた。しかし、夜明けまで道に立っていろいろと考え、その事があってからも福二はしばらくは悩み、苦しんだという。 :
◇ 海岸通りの話 狐(100話、101話) : ある日の夜遅く、船越の漁師の男が仲間の者と吉里吉里から帰る道中、四十八坂のあたりの小川の側で妻に出くわした。しかし、こんな夜中にこんな場所に妻が来るはずはない、化物に誑かされているのだと男はマギリ(小刀)を持って、背中から女を刺した。女は悲しい声をあげて死んでしまったが、一行に本性を現さないので男は狼狽し、仲間にその場を任せて家路を急いだ。家では妻が何事も無く夫を待っていたが、あまりに帰りが遅かったからか、途中まで迎えにいく夢を見たのだが、山道で何者かに刺されそうになったところで目が覚めた、と言う。この話に合点がいった男は四十八坂へ戻ると、刺し殺した女は皆の見ている前で古狐になったという。(100話) : ある旅人が豊間根村を過ぎた辺りで、夜も更けたため休む場所を探していた時のこと。幸いにも通りかかった知人の家にはまだ灯が点いていたので、泊めてもらおうと頼むと、主人は「夕方に亡くなった者がいるのだが、留守番を頼めるものがいなくて困っていた、しばらく頼む」と言って人を呼びに行ってしまった。旅人は迷惑に思いながらも致し方ない、と囲炉裏に腰掛けて煙草を吸おうとしたが、その時、亡くなった者と思われる老婆が突然起き上がったので大変驚いた。肝を冷やしたが心を鎮めて辺りを見回すと、台所の水口の穴から狐のようなものが頭を入れて老婆を見つめているのに気がついた。旅人は静かに外に出て、背戸の方へ回りこんでみるとやはり狐だったので、その場にあった棒でもってこの狐を打ち殺した。(101話)
◇ 小正月行事(102話、103話、104話、105話) : 正月15日の晩は小正月と呼ばれ、この日の宵には子供達が4~5人で組を作り、家々を回っては「明の方から福の神が舞い込んだ」と叫んで餅を貰う慣わしがあり、これを福の神と呼んだ。しかし、宵を過ぎれば山の神が里に降りてくると伝えられており、村の者は皆家から出ることはなかった。山口の字丸古立に住むおまさという35~36歳の女が12~13歳だった頃、なぜだか一人で福の神に出かけ、家々を回って遅くなってしまった事があったという。淋しい道を一人歩いていると、向かいから顔は赤く、目の輝く男がやってくるので、貰った餅も捨てて逃げ帰ったが、以後しばらく悩み、苦しんだという。(102話) : 小正月の夜、あるいは小正月でなくとも冬の満月の夜には雪女が童をたくさん連れてやって来ると云われている。冬になると、里の子供達は近くの丘へ行ってはソリ遊びに興じ、つい夢中になって夜まで遊んでしまう事がよくあるため、15日の夜には雪女が出るから早く帰れと窘められるものだが、実際に雪女に遭遇したという話は少ない。(103話) : 小正月の晩には行事がとても多い。そのひとつに、胡桃を用いてその年の天候を占う「月見」という行事がある。6つの胡桃を12個に割り、それらを同時に炉の中へ焚べ、取り出し、一列に並べる。満月の夜に晴れる月は胡桃はいつまでも赤く、曇る月はすぐに黒くなり、風の強い月はふーふー音をたてて火が揺れているという。何度繰り返しても、村のどの家で同じ結果が得られるといい、稲の刈り入れの日に天候が悪化するといった結果になればその年の刈り入れを早めるなどといった事を決めていた。(104話) : 同様に小正月の夜に行う行事に「夜中見」という行事がある。まず、数種類の米でもって鏡餅を作り、それらの米を膳の上に平らに敷く。米の上に鏡餅を置いてその上から鍋を被せる。翌朝になって、鏡餅に付いている米粒の多いものほど豊作になるとされ、付着している状況から早生、中手、晩生の作付け銘柄を選ぶというものである。(105話)
◇ 蜃気楼(106話) : 太平洋に面した山田町では蜃気楼が見える事があり、その景色はいつも外国の風景だという。見たこともないような都会で、道路はたくさんの馬車が行き交い、見える建物の形状も毎年変わる事がないという。
◇ 山の神の占術(107話、108話) : 上郷村の早瀬川の岸に河ぷちの家という家があり、ここの若い娘が川で石を拾っていると、背の高く、顔の赤い見慣れない男が現れ、木の葉などを渡していった。娘はそれ以来占いの術が出来るようになり、その男は山の神で、山の神の子になったためだと伝わっている。(107話) : 山の神が乗り移ったなどとして占いを行う者は様々な場所におり、附馬牛で木挽をする者もその内の一人で、柏崎の孫太郎もそうであった。孫太郎は以前は発狂して喪心したとされていたが、ある日、山に入って山の神から術を得たと言われるようになってから、不思議に人の心を読む事が出来るようになったという。その方法は他の者とは異なり、書物などは何も見ず、尋ねた者と世間話をしていると突然立ち上がり、常居を歩き回ったかと思うと、相手の顔も見ることなく心に浮かんだ事を告げるというった方法であるが、不思議なことに当たらない事がないという。家の常居の下に鏡か折れた刀が埋まっているので、それを取り出さなければ、死人が出るか家が焼ける、といった具合に告げられたので、帰って指定された場所を掘ってみると言われたた通りの物が出てくるということである。(108話)
◇ 雨風祭(109話) : : 盆の頃には刈り入れが無事終えられるよう、雨風祭といって、藁で作られた人の背丈より大きい人形を道の分岐点に立てる風習がある。紙に描かれた顔を貼り付けたり、瓜で男女の性器を表したりすることもある。虫祭りという行事でも同様に人形を作るが、こちらは藁だけの簡素で小さな人形である。雨風祭の際にはひとつの部落から頭屋を選び、皆が集まって酒を飲んだ後、太鼓や笛を鳴らし、あるいは歌を歌いながら人形を置きに行く。歌詞は「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」という内容である。 :
◇ ゴンゲサマ(110話) : : ゴンゲサマとは、神楽舞の組にひとつづつ備わる獅子頭に似た木彫りの像で、とてもご利益のあるものとされている。新張にある八幡社のゴンゲサマと土淵字五日市のゴンゲサマはかつて、火伏の途中で争った事があるといい、新張のゴンゲサマは負けて方耳を失い、それ以来、方耳は失われたままである。ゴンゲサマはとりわけ火伏にご利益があるとされ、次のような話が残されている。ある年、八幡の神楽組は附馬牛村に出かけ、夜になって宿を探していると、ある貧しい家の者が快くこれを引き受けた。ゴンゲサマは五升枡を伏せてこの上に安置し、皆が休むと、夜中にがつがつと何かを噛む音が聞こえる。皆が驚いて起き上がると、軒先に燃え移った火をゴンゲサマが飛び上がり、食い消していたという。頭を病む子供などはゴンゲサマに病を噛んでもらうよう頼むこともある。 :
◇ ダンノハナ・デンデラノ・ジャウヅカ森(111話、112話、113話、114話) : 山口、飯豊、附馬牛の字荒川、東禅寺火渡、青笹の字中沢、土淵村の字土淵にはダンノハナという地名があり、これの傍には向かい合うようにデンデラノという場所がある。昔は60歳を過ぎた老人は全てこのデンデラノへ追いやる習わしがあったという。老人もただただ死ぬわけにはいかず、日中は里に下りて農作業に従事して生活していた。そのため、山口、土淵の辺りでは、朝に田畑へ働きにでることをハカダチと呼び、夕方に帰っていくことをハカアガリと呼ぶと云われている。(111話) : ダンノハナは昔、山口館のあった時代に囚人を斬った場所と云われている。山口も飯豊もほぼ同じで、村境の丘の上にあり、仙台にも同様の地名がある。山口のダンノハナは大洞に至る丘の上にあり、山口館の跡と続いている。デンデラノの周囲は沢になっていて、東の低地はダンノハナと繋がっていて、南は星谷と呼ばれ、ここは蝦夷屋敷という四角にへこんだ所が多く、石器や土器が沢山見つかっています。山口にはもう一ヶ所、石器や土器の出土する場所があり、そこはホウリョウと呼ばれている。星谷から出土されるものは模様は単純で用いられる原料も安定していないが、ホウリョウから掘り出されるものは精緻で模様も巧み、材質も均一で、埴輪なども見つかっている。(112話) : 和野にジョウヅカ森という所がある。象を埋めた場所と伝えられているが、正しくは人を埋めた墓のようです。この辺りは「地震があったときにはジョウヅカ森へ逃げろ」と言い伝えられているように、地震の影響が少ない場所と知られており、また、掘れば祟りのある場所のひとつとされている。この塚の周りには掘りがあり、塚の上には大きな石が乗っている。(113話) : 山口のダンノハナは今は共同墓地になっていて、丘の頂上にうつ木を廻らしてあって入り口は東を向いて門のようになっている。敷地内には青い大きな石があり、かつてその石の下を掘った者がいたが、何も見つからなかった。しかし、後に改めて掘った時には大きな瓶が見つかった。しかし、村の老人達はそれは館の主を納めた棺であると非常に怒り、元に戻させた。この近くにはボンシャサの館というのがあり、山から水を引いて三重四重に堀が張り巡らされている。寺屋敷、砥石森という地名もあり、井戸の跡とされる立派な石垣も残っている。なお、18話から21話に登場した山口孫左衛門の祖先がここに住んでいたということは遠野古事記に詳しい。(114話) :
◇ 昔々(115話、116話、117話、118話) :
◇ しし踊り歌(119話) :

● 登場人物
『遠野物語』には匿名の人物だけでなく、実名の人物が多く登場する。佐々木喜善周辺の人物を中心に、実家がある山口村や、近隣の大字の人々の逸話が多い。 『遠野物語』関連系図

◎ 山口の人々
旧土淵村大字山口、現遠野市土淵町山口。
◇ 吉兵衛 : 根子立で幼児を抱く山女に遭遇した(4話)。佐々木喜善「縁女綺聞」には同じ話が大下万次郎の話として掲載されているが、両人とも詳細不明。
◇ 菊池弥之助 : 毛筆本で孫之丞とあるのを刊本で誤っている。大谷地で人の声を聞いた(9話)。遠隔地で茸刈り中、妹がその息子に殺される時の叫び声を聞いた(10話)。
◇ 新田乙蔵(? - 明治42年(1909年)) : 通称乙爺。第3地割字南沢の人。佐々木喜善の祖父万蔵の妻ノヨの弟。
◇ 佐々木イチ : 佐々木喜善の母。家で針仕事中、ザシキワラシの物音を聞いた(17話)。
◇ 佐々木ミチ(文化7年(1810年) - 明治9年(1876年)2月6日) : 佐々木喜善の養祖父万蔵の母。納棺の夜と七二日の逮夜に姿を現した(22話、23話)。幼少時河童を見た(59話)。
◇ 山口孫左衛門 : 第3地割にあった旧家。稲荷社を建てて狐を祭った(21話)。ザシキワラシが同家を離れるのを村人が目撃した(18話)後、一家が茸中毒で壊滅し、7歳の女児が残された(19話)。女児はミナといい、大洞家から養子を迎えて家は存続した。現在屋敷跡に墓と井戸が残る。
◇ ハネトの主人 : 菊池角之丞のこと。佐々木喜善実家の上隣の人で、祖父万蔵と竹馬の友だった。
◇ 大洞ひで : 大洞万之丞の養母。佐々木喜善の祖母の姉。魔術に通じ、また村で起こった馬娘婚姻譚を語る(69話)。隠し念仏を行った(71話)。
◇ 辷石(はねいし)たにえ(安政5年(1858年) - 昭和2年(1927年)) : 本名はたに、丸古立の人。オクナイサマの掛軸を持つ(70話)。
◇ 田尻長三郎 : 大洞家上隣の富豪。おひでの息子の葬式の夜、軒下の雨落の石に死んでいるような男を見た(77話)。
◇ 長蔵 : 田尻家の奉公人。新張村の何某の霊を見た(78話)。その父も長蔵といい、同じく幽霊に遭遇した(79話)。
◇ 田尻丸吉 : 夜便所に行くと幽霊に遭遇した(82話)。
◇ 内川口まさ : 丸古立の人。福の神からの帰路、山の神に遭遇した(102話)。

◎ 栃内の人々
旧土淵村大字栃内、現遠野市土淵町栃内。
◇ 佐々木嘉兵衛(文化12年(1815年)3月3日 - 明治29年(1896年)6月9日) : 字和野56番地(土淵町栃内23地割2番地)の人。山で山女、山男に遭遇した(1話)。
◇ 佐々木由太郎(弘化4年(1847年)7月7日 - 大正10年(1921年)) : 嘉兵衛の子。本文では父と混同されている : 本文では「松崎なる某かゝがの家」。婿が金沢村の実家へ帰る途中、マヨイガに行き当たった(64話)。
◇ 前川万吉 : 字野崎の人。雲壁に青ざめた顔の男を見た(81話)。
◇ 菊池菊蔵 : 和野の人。野崎神楽の吹き手。子供が病に罹ったので、妻を呼び戻しに行く途中、山の神に子供の死を告げられた(93話)。友人の象坪藤七に化けた狐に遭遇した(94話)。

◎ 柏崎の人々
旧土淵村大字柏崎、現遠野市土淵町柏崎。
◇ 安部長九郎 : 柏崎の長者。オシラサマに田植えを手伝われた(15話)。本文では田圃の家とするが、実際は柏崎の田中家の屋号である。
◇ 田中円吉 (8代目)。力士滝ノ上源右衛門を先祖とする柏崎の旧家で、8代目円吉は土淵本宿の石田家から養子に入った。高等女学校から帰省中の娘が家の廊下でザシキワラシに遭遇した(17話)。
◇ 鉄 : 力自慢の人。狼狩中に雌狼に襲われ、返討にしたが自らも死亡した(42話)。
◇ 菊池松之丞 : 傷寒を患い、臨死体験をした(97話)。

◎ 土淵の人々
旧土淵村大字土淵、現遠野市土淵町土淵。
◇ 阿倍与右衛門 : 昔栄えた家で、安倍貞任末裔という(68話)。
◇ 政 : 土淵村字本宿の豆腐屋。父が病没日に字下栃内に幽霊として現れた(86話)。なお、本宿はほとんどが専業農家で、年中行事に自家製の豆腐を作っていた。

◎ 遠野町の人々
旧遠野町、現遠野市中心部。
◇ 池端氏 : 遠野市中央通りの精米屋。原台の淵で若い女に手紙を託された(27話)。
◇ 鳥御前 : 南部男爵家に仕えた鷹匠。山男に谷底へ蹴飛ばされ、3日後病没した(91話)。新屋敷丁の沖館勝志のことと見られる。
◇ 芳公馬鹿(? - 明治41年(1908年)) : 遠野町の白痴。家々に石を打ち付けて「火事だ」と叫び、その家は実際に火事となった(96話)。

◎ 上郷村の人々
旧上郷村、現遠野市上郷町。
◇ 畑屋の縫 : 本文中では「何の隼人と云ふ猟師」。白鹿を撃ち留めた(32話)。
◇ 畑屋松次郎 : 通称は熊。六角牛で熊に襲われたが、一命を取り留めた(43話)。『遠野新聞』第13号(明治39年11月20日)に記事がある。
◇ 河ぷちのうち : 娘が河原で山の神に木の葉を貰い、占術を得た(107話)。

◎ 松崎村の人々
旧松崎村、現遠野市松崎町。
◇ 川端の家 : 2代続けて河童を産んだ(55話)。
◇ 菊池某 : 庭造りが趣味で、山で不思議な石に遭遇した(95話)。

◎ 遠野郷外の人々

◇ 三浦某 : 宮古市小国第6地割87番地の人。妻がマヨイガに行き当たった(63話)。なお、現在三浦家では家中の出来事ではなく、村での噂話として伝えられている。
◇ 北川福二(万延元年(1860年) - 昭和4年(1929年)) : 佐々木喜善の父方祖母チエの弟。山田町田ノ浜へ婿に行ったが、明治三陸津波で妻子を失い、1年後亡き妻に遭遇した(99話)。福二は大槌町から後妻を迎え、子孫は田ノ浜で漁業を営んだ。

● 登場する地名

◇ 根子立(ねっこだち) : 山口村の吉兵衛が山女に遭遇した(4話)。
◇ 笛吹峠 : 遠野市青笹町と釜石市橋野町の境。山男、山女が出没するため、堺木(さかいげ)峠に迂回するようになったという(5話)。実際は界木峠の方が距離が近い。
◇ 糠前(ぬかのまえ) : 青笹村の大字。長者の娘が神隠しに遭った(6話)。
◇ 五葉山 : 上郷村で神隠しに遭った娘が山の腰で発見された(7話)。
◇ 寒戸(さむと) : 寒戸の婆の舞台(8話)。実際は松崎村内にそのような地名はなく、松崎町興福寺字登戸(のぼと)のことではないかとも言われる。
◇ 大谷地 : 界木峠頂上付近の谷間。菊池弥之助が谷底から自分を呼ぶ声を聞いた(9話)。佐々木嘉兵衛が狼の群れに遭遇した(41話)。
◇ 留場の橋 : 山口村の橋。山口孫左衛門家を離れるザシキワラシが目撃された(18話)。
◇ 原台の淵 : 宮古市腹帯にある閉伊川の淵。池端氏が若い女に手紙を託された(27話)。
◇ 早池峰山 : 附馬牛村の猟師が道を拓いていた時、坊主に遭遇した(28話)。小国村の何某は大男に遭遇した(30話)。
◇ 鶏頭山 : 前薬師ともいい、天狗が住むとされた(29話)。
◇ 千晩(せんば)ヶ嶽 : 釜石市の仙磐山。畑屋の縫が白鹿を追い千晩籠った(32話)。
◇ 片羽山 : 白鹿が畑屋の縫に撃たれ、片脚を折った場所(32話)。
◇ 死助 : 白鹿が死んだ山(32話)。その後白鹿は死助権現として祀られ、現在山は単に権現山という。5月の閑古鳥が鳴く頃、カッコ花(アツモリソウ)が咲いた(50話)。
◇ 白望(しろみ)山 : 遠野市、大槌町、川井村の境。深夜薄明るくなることがあった(33話)。佐々木喜善の祖父の弟が女を目撃した(35話)。
◇ 離森の長者屋敷 : 土淵町栃内7地割琴畑1番。人里離れた地で、女が度々目撃された(34話)。燐寸の軸木の工場があったが、女が出るとして山口に移された(75話)。
◇ 二ツ石山 : 小学生が山の上に御犬を見た(36話)。
◇ ヲバヤ、板小屋 : 板小屋は現在の笛吹牧場、ヲバヤはその前の森林で、姥屋の意。飯豊衆による狼狩が行われた(42話)。
◇ 六角牛山 : 上郷村の熊という男が熊に襲われ、一命を取り留めた(43話)。栃内村林崎の何某が猿の経立に遭遇した(46話)。
◇ 六黒見金山 : 炭焼が猿の経立に遭遇した(44話)。
◇ 仙人峠 : 仙人像を祀る堂があり、旅人が山中で遭った怪異を壁に書き記した(49話)。トンネルの開通で廃れ、堂は上郷町佐生田に遷された。
◇ 機織淵 : 小国川の閉伊川への合流地点の淵。川井村の長者の奉公人が、主人の亡き娘に遭遇した(54話)。
◇ 姥子淵 : 小烏瀬川の淵。河童駒引譚が伝えられる(58話)。
◇ 阿倍ヶ城 : 高橧山と早池峰の中間にある岩。安倍貞任の母が今も住むと伝えられる(65話)。
◇ 阿倍屋敷 : 附馬牛からの登山口にある岩窟(66話)。場所不明。
◇ 貞任 : 土淵と橋野の境となる山。安倍貞任が馬を冷やした場所とも、陣屋跡ともいう(69話)。
◇ 八幡沢(はちまんざ)の館 : 源義家(八幡太郎)の館跡という(68話)。
◇ 似田貝 : 八幡太郎がここに粥が置いてあるのを見て、「煮た粥か」といったという(68話)。
◇ 足洗川(あしらが)村 : 八幡太郎が鳴川で足を洗ったことに因むという(68話)。
◇ 琴畑 : 栃内村の字。カクラサマの祠があった(72話)。
◇ 下栃内 : 土淵本宿の政の父が、死亡する時刻に普請を手伝いに現れた(86話)。
◇ 愛宕山 : 山口と柏崎の間の山。和野の何某が山の神に遭遇した(89話)。
◇ 天狗森 : 松崎村の山。村の何某が山の神に突き飛ばされた(90話)。
◇ 早池峰山 : 約15人の土淵村の村人が山の神に遭遇した(92話)。
◇ 四十八坂 : 吉里吉里から船越までの海岸一帯。船越の漁夫が妻に化けた狐に遭遇した(100話)。
◇ 山田 : 山田町。毎年蜃気楼が見えるという(106話)。
◇ ダンノハナ : 山口、飯豊、附馬牛字荒川、字東禅寺、字火渡、青笹字中沢、土淵字土淵にある地名(111話)。昔囚人を斬った場所という(112話)。現在は共同墓地(114話)。
◇ 蓮台野 : ダンノハナの近辺に必ずある地名という。老人がここに棄てられた(111話)。
◇ 星谷 : 細谷か。石器が多く出土する(112話)。
◇ ホウリヤウ : 山口の内。石器、土器、丸玉、管玉が出土する(112話)。
◇ ジヤウヅカ森 : 和野の内。象を埋めた場所で、地震でも揺れないという(113話)。

「遠野物語」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月20日0時(日本時間)現在での最新版を取得

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