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新幹線大爆破


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『新幹線大爆破』(しんかんせんだいばくは、', ')は、1975年の日本映画。オールスターキャストによるパニック映画で、日本よりも海外での評価が高く、1994年公開のアメリカ映画『スピード』の設定のモチーフにもなった作品である。

● 概要
「新幹線が走行速度80km/hを下回ると爆発する」という状況下で繰り広げられる、犯人と国家との攻防劇である。新幹線に爆弾を仕掛けた犯人、危機の回避に全力を尽くす日本国有鉄道(国鉄)サイド、わずかな糸口を頼りにその正体を追いかけ、徐々に犯人グループを追い詰めていく警察、パニックを起こす乗客の姿で主に構成されている。 犯人側の人生背景にも大きくスポットが当てられており、町の零細工場の経営に失敗した男・過激派くずれ・集団就職で都会に来た沖縄出身の青年がなぜ犯行に至ったのか、日本の高度経済成長時代への批判を暗示しつつ明らかにされていく。犯人側にもドラマを与え感情移入を狙った演出も相まって、単なるパニックムービーとして括れないことが高評価に繋がっている。

● ストーリー
ある朝、国鉄本社に東京発博多行きの「ひかり109号」に爆弾を仕掛けたという脅迫電話がかかってくる。犯人は速度が80キロ以下になった場合に自動的に爆発すること、嘘ではない証拠として北海道の貨物列車に時速15キロ以下になると爆発する同種の爆弾を仕掛けたと伝える。間もなく犯人が指定した貨物列車が伝達通りに爆発し、国鉄と警察は脅迫が本当だと知る。ひかりは新横浜駅を通過したところであり、国鉄の倉持運転指令長は運転士の青木に爆弾の存在を伝え、運行速度を120キロに抑えることを命じる。解決のリミットは博多駅に到着するまで約9時間であった。 犯人は潰れた町工場の社長・沖田哲夫と、その元社員で集団就職で沖縄から来た青年・大城浩、過激派崩れの古賀勝の3人であった。沖田は追加の電話で500万米ドル(当時約15億円)を要求し、代わりに爆弾の解除方法を教えると伝える。警察は北海道の爆弾から古賀を把握するも、それ以上の手掛かりはなく、ひとまず要求を飲むことを決める。沖田は捜査を撹乱するため矢継ぎ早に電話やトランシーバーで受け渡し方法を伝え、荒川上流の長瀞渓谷にて大城が運び役の刑事から現金を受け取ろうとする。警察を上手く出し抜いたものの、偶然、大学柔道部の集団が通りかかったことから、張り込んでいた対岸の刑事は大学生らに犯人を捕まえてくれと頼む。大城は金を諦めて逃亡するも警察に追跡され、その逃亡中に交通事故で死亡する。遺体には身元を示す持ち物はなく、警察は手掛かりを失う。 新幹線車内では折からの遅延連絡に加えて停車駅である名古屋を素通りしたことで乗客たちが騒ぎ出す。名古屋で降りる予定であった妊婦・平尾はパニック状態となって産気付く。無理やりにでも列車を止めようとする客まで現れたことにより、乗員である鉄道公安官の菊池はやむを得ず、車内放送で乗客たちに爆弾のことを伝え、協力を頼む。 警察は古賀の実家に送られた請求書の住所から板橋区志村に捜査官を派遣していたところ、偶然、アジトである沖田の家に向かう途中の古賀を発見する。古賀を逮捕しようとするも逃してしまうが、その際の発砲によって足に怪我を負わせていた。大城の死と古賀の負傷で計画を悔やむ沖田であったが、古賀の説得で再開することを決め、警察に再び身代金の受け渡し方法を伝える。警察を完全に出し抜き今度こそ500万米ドルを手に入れた沖田は、捜査当局に喫茶店に爆弾の解除に必要な設計図を預けたと連絡する。警察と国鉄の技術職員がその喫茶店に急行するも、偶然の火事によって設計図ごと焼失していた。一方で警察は北海道の爆弾にあった速度計測装置の線から沖田を特定する。警察に包囲される中、沖田の家にいた古賀はダイナマイトで自爆死する。 警察は沖田の行方を探そうとするも顔写真すら手に入れられない。その代わりに倉持が沖田に火事のことと解除方法を教えて欲しいと呼びかけるテレビ放送を流させる。また、ことごとく失敗しているニュースは新幹線の乗客たちにも伝わっており、恐慌状態に陥りかけている。平尾は処置も虚しく流産に終わり、このままでは母体にも危険があった。 度重なる警察の無能さに倉持ら国鉄職員は激怒し、独自に動き始める。広島付近の鉄橋において高速度撮影機を使って列車下部を撮影し、仕掛けられた爆弾の場所を特定する。他方で政府は解除が間に合わなかった場合に備えて、被害が大きくなる北九州工場地帯や博多ではなく、山口県の田園地帯で列車を停止させて爆破するように国鉄総裁に命令する。一方、現場では救援車を並走させて酸素溶接機一式を新幹線に送り込むと、爆弾上部の床を開け、コードを切って爆弾を解除することに成功する。先の写真分析からもう1ヶ所爆弾がある可能性があったものの、倉持の決断によって山口県内で列車の停止が命じられる。結局、時速80kmを下回ったが爆発する事は無く、乗員・乗客は助かる。 乗客たちの無事に安堵した倉持であったが、警察が沖田を捕まえるために、未だに爆弾解除成功のニュースをテレビに流さず、自身が沖田に呼びかける放送をさせていることを知る。倉持は警察を批判し、特に山口での停車の決断について乗客の命を守ることに疲れたとして辞職することを告げる。 一方、警察は沖田が国外逃亡を企てていることを掴み、羽田空港に張り込んでいた。未だ顔がバレていない沖田は別人名義のパスポートで警察の目を出し抜くも、警察は出国ゲートに彼の別れた妻子を同行させていた。それを見て沖田は動揺したため、警察に気づかれる。沖田は空港内で逃亡を図るも追い込まれ、最期は夜空に飛び立つ飛行機の下で狙撃隊に撃たれるショットで物語は終わる。

● 出演者


◎ 主要人物

・ 高倉健:沖田哲男
・ 千葉真一:青木運転士(ひかり109号)
・ 宇津井健:倉持運転指令長

◎ その他

・ 山本圭:古賀勝
・ 郷鍈治:藤尾信次
・ 織田あきら:大城浩
・ 竜雷太:菊池(鉄道公安官)
・ 宇津宮雅代:富田靖子(沖田の元妻)
・ 藤田弓子:秋山(女医)
・ 多岐川裕美:スカンジナビア航空係員
・ 志穂美悦子:国鉄本社電話交換係
・ 渡辺文雄:宮下義典国鉄公安本部長
・ 福田豊土:田代車掌長(ひかり109号)
・ 藤浩子:事務員
・ 松平純子:喫茶店「サンプラザ」ウェイトレス
・ 久富惟晴:広田警視庁特捜係長
・ 青木義朗:千田刑事
・ 千葉治郎:救援列車の運転士
・ 原田清人:三宅新幹線技師長
・ 浜田晃:長田刑事
・ 中井啓輔:哲ちゃん(マネージャー)
・ 山本清:高沢運転車輌部長
・ 矢野宣:南(商社マン)
・ 近藤宏:松原刑事
・ 田中浩:堤刑事
・ 中田博久:新幹線東京運転所係員
・ 林ゆたか:中やん(録音技師)
・ 横山あきお:アパートあかね荘管理人
・ 浅若芳太郎:乗客
・ 植田峻:平尾修一(和子の夫)
・ 松野健一:小宮運転指令
・ 田島義文:佐々木刑事
・ 田坂都:平尾和子(妊婦)
・ 十勝花子:乗客
・ 片山由美子:バー「スナックファミリー」のホステス
・ 渡辺耐子:古賀の兄嫁
・ 津奈美里ん:アパートあかね荘の住人
・ 森みつる:田口洋子(バー「スナックファミリー」のホステス)
・ 風見章子:靖子の母
・ 荘司肇:乗客
・ 阪脩:磯村記者
・ 佐伯赫哉:野口運転指令
・ 福岡正剛:杉村(会社員)
・ 岩城滉一:東郷あきら(ロックミュージシャン)
・ 小林稔侍:森本運転士(ひかり109号)
・ 片岡五郎:佐原刑事
・ 仲野力永:大阪商人
・ 日尾孝司:機動隊長
・ 伊達三郎:商人風の男
・ 藤山浩二:広岡記者
・ 滝沢双:河村専務車掌(ひかり109号)
・ 佐藤晟也:乗客
・ 仲原新二:警視庁公安一課長
・ 森祐介:畑電気指令
・ 佐藤和男:小野運転指令
・ 岡本八郎:山ちゃん(カメラマン)
・ 阿久津元:警視庁刑事
・ 黒部進:後藤刑事
・ 河合絃司:部長刑事
・ 土山登士幸:岩上刑事
・ 相川圭子:ウェイトレス
・ 小甲登枝恵:清掃係の小母さん
・ 山下則夫:清水専務車掌(ひかり109号)
・ 須賀良:男
・ 山本相時:電話局係員
・ 松沢勇:電話局係員
・ 山本緑:乗客
・ 久地明:消防士
・ 相馬剛三:刑事
・ 山田光一:乗客
・ 木村修:記者
・ 五野上力:上野刑事
・ 高月忠:浜松駅係員
・ 城春樹:食堂車コック
・ 畑中猛重:貨物5790列車機関士
・ 浜田勇:テレビの歌手
・ 清水照夫:救援車作業員
・ 亀山達也:救援車作業員
・ 山浦栄:食堂車コック
・ 田辺進三:閉所恐怖症の男
・ 青木卓司 :乗客
・ 佐川二郎:野上駅荷物扱所係員
・ 中条文秋:乗客
・ 菅原靖人:賢一(沖田の息子)
・ 秋山幸輝
・ 河口真佐幸
・ 岡久子
・ 伊藤慶子:乗客
・ 美原亮三:乗客
・ 宮地謙吾:貨物5790列車機関助士
・ 長岡義隆:若者
・ 打越久員:志村駅長
・ 祝真一:武田伸夫
・ 渡辺義文:ナベちゃん
・ 泉水直子
・ 新倉文男
・ 前田美智子
・ 篠ゆたか
・ 藤木あけみ
・ 菊地正孝:刑事
・ 横山繁:航空会社係員
・ 大泉公孝:埼玉県警刑事
・ 高鳥志敏:空港の刑事
・ 宇野静代
・ 藤井秀之
・ 志村喬:国鉄総裁
・ 山内明:内閣官房長官
・ 永井智雄:国鉄新幹線総局長
・ 鈴木瑞穂:花村警察庁捜査第一課長
◇ 特別出演
◇ ノンクレジット

● スタッフ

・ 監督:佐藤純弥

● 製作


◎ 企画
1974年5月、岡田茂東映社長は、天尾完次東映東京撮影所企画部長との打ち合わせで実録路線に替わる新たな(映画の)素材を探し始めた。「アメリカでヒットしているものは日本でもウケるから、常にアメリカの動向を観察していなければならない」「洋画で流行っているものは、必ず邦画にもその流れが来るはずだ企画部に新たな企画を出すよう指示。アメリカではパニック映画の人気がピークを迎えていた。 東京撮影所全体に本作品製作の指示を出したのは、社長宅にデモをかけ逮捕者を出すなど、同撮影所が組合運動ばかり熱心で、当たる映画を一本も作れていなかったからで、天尾完次は(鈴木則文も 東京撮影所の徹底的なテコ入れのため『燃える三十六階』などの企画も新聞報道されたが、そんな中、6人いた東京撮影所企画部のプロデューサーの一人、「何か問題があれば必ず止まる“安全神話”を誇る新幹線が、もし止まらなくなったら?。「『日本にしかない題材の新幹線を選び、それを乗っ取る・爆発させる』というストーリーは日本だけでしか出来ず、外国に持っていっても遜色ないものが出来る。当時は三菱重工爆破事件など、大企業の爆破騒ぎ(連続企業爆破事件)が相次いでいた時代で、警察関係者は神経をとがらせていた、企業爆破事件を映画にするという情報も流れ、警察当局も「東映は好ましくない映画ばかり企画する」と渋い顔をしていたといわれる、「岡田社長は他社にない東映の良さは、時代の流れを見て何でもやる、変幻自在なところだと話していた」と述べている。このような実績と蜜月で、全面的な協力を期待。東映は特撮があまり得意でなく、「実写をふんだんに使い、迫力のあるパニック物を作ろう」と構想していた、岡田は「新幹線大爆破!」と変更。「半期に一本のスーパーアクション」、「実録ものの一バリエーションとして、企画の幅を広げる意味でも是非実現し成功させたい」、東映系の映画館主や関係者からも「これは当たる」「東映カラーを打ち破る手がかりになる」などと評判が良く、マスメディアからの反響も大きく「本作品が成功すれば路線変更」という声も上がった。佐藤へのオファーが1974年初夏、佐藤と小野は二人で当地に1か月以上籠り。走行速度80km/hで爆発する設定を考案したのは佐藤である。佐藤は後年のインタビューで「ああいう爆弾を素人が作ることは難しいでしょうけど、あのころは東京駅の階段の横から新幹線内部に潜入することも出来ましたし、当時は計画を実行することはそれなりに可能だったと思います。だから国鉄は映画が公開されたら、真似されることを恐れたんだと思います」と述べている。町山智浩と春日太一は、全体のプロットは、黒澤明脚本『暴走機関車』と黒澤監督の『天国と地獄』、スタンリー・キューブリック監督の『現金に体を張れ』を参考にしているのではないか、と指摘しているが、パニック映画はリスクが大きいため、古今東西を問わず、たいてい売れている原作の映画化が多い。しかし本作は完全に東映のオリジナル大作で、社の方針として「菅原文太・梅宮辰夫・千葉真一でやっていく」と東映は決めていた、。和田誠は「これは門外不出のエピソードでしょうけど、高倉さんが『新幹線大爆破』は僕が運転手で宇津井健さんが犯人をやるというキャスティングだったんだけど、僕が犯人をやるから宇津井さんに役を替えてくれって言って役が交替したんですと聞いた」と話している。しかし菅原は「この映画の主役は新幹線で、演技者は付け足しだ」「国鉄の協力が無くてできるわけがない(⇒ 撮影)」と断ってきた。しかし高倉の出演により。全編ほぼ運転席に座っていた青木だが、ゴーグルを着けて客車の床を焼き切り、ヤケドをするシーンは千葉のアイデアによるものだった、新東宝出身の宇津井は東映初出演となった。坂上は犯人と対峙する花村警察庁捜査第一課長に丹波哲郎を配役し、『網走番外地』で高倉と対峙するイメージを描いていたが、丹波に「4日しか空かない」と言われ、鈴木瑞穂に変更。脚本では丹波と鈴木の役は1人だったが、分けたことで丹波の役は重要度が下がることとなる、ミスター"左翼"山本圭がキャスティングされた。ゲゲゲの鬼太郎のように前髪を垂らし、唇を震わせながら果たせなかった革命の夢を語り続ける左翼崩れ、山本は左翼青年かナイーブな青年を演じることが多い役者で。制作費の高騰により、俳優へ協力を頼み、通常より低めのギャラで出演してもらった。正に「新幹線より地球救った方がいいだろ」みたいな目も眩むキャスティング。 この他、『小川宏ショー』に出演していたフジテレビの人気アナウンサー・露木茂にテレビの報道記者の役で、1975年5月16日に正式に出演オファーを出した。露木がよど号ハイジャック事件やあさま山荘事件のリポートで知られていたことから。製作当時の東映東京撮影所所長・幸田清は「ふんだんに岡田社長に金を使わせてもらっているので、これが当たらなかったらオレはクビだと思う。俳優、スタッフとものりにのっており、東撮始まって以来の熱気だ」などと話していた。

◎ 撮影

○ 準備まで
国鉄に、実物の新幹線0系電車の撮影協力を交渉したところ、安全を謳い文句にしていた国鉄は、刺激的な映画のタイトルに難色を示し。1974年12月、国鉄が「現在、新幹線に爆弾を仕掛けたという電話は週に1本の割合でかかって来て、その度にいたずら電話かも知れないが、必ず最寄の駅に停車させて検査するような状態である。このような映画は、さらに類似の犯罪を惹起する恐れがあるから製作を中止されたい」と、本作品の企画に断固反対の姿勢を打ち出した、同年4月にいっさいの撮影協力を断られた。1975年3月~4月の間、表立った製作はストップしたが。製作態勢がほぼ整ったのは1975年4月半ば。特撮カメラを担当した清水政郎は「時期が時期だけに中止だろう」と思っていたため、製作決行にビックリしたという。
○ 製作会見
撮影中の1975年5月12日(月曜日)、東京有楽町交通会館15階スカイラウンジにて製作発表会見が行われ、登石雋一企画製作部長、佐藤監督、高倉健、宇津井健、山本圭らが出席した。ここから東京駅の新幹線ホームがよく見え、「本当に作るのか?」という質問まで出た。他に登石より「作品は二部構成で二部の結末にはアイデアを募集。詳細は何れ新聞で発表する」との説明があった、東京駅全景のカットは盗み撮り、実質、撮影に充てられる期間は5週間程度だった、東映が200万円で北海道炭礦汽船真谷地炭鉱専用鉄道から購入、大学の誘致に失敗して"学園"という名前を使用する駅名と町名が残った、過激派や学生運動の闘士が多く住んでいたため。線路は全長50メートル、109号が爆破されるイメージカットは東映の特撮ドラマなどにも流用されている。爆破場面以外でも『大鉄人17』で新幹線ロボットの登場する前後編(第18話・第19話)などで流用された。背景の都市はミニチュアではなく、ビルのモノクロ写真を引き伸ばしてパネルに貼り付け、着色したものである。これは成田の発案で、限られた予算内で撮るためのアイデアの1つだった。この特撮のため、1日のレンタル料が100万円だった当時最新鋭のシュノーケル・カメラを借りている、1975年5月23日に東映、5月27日に東宝がバスをチャーターし、それぞれマスメディアを集めて、本社前集合から大泉、砧へ撮影見学会が行われた、アマ・セミプロのカメラマン2000人が参加した。リハーサルなしのぶっつけ本番とあって慎重に慎重を重ねて準備し、予定を2時間オーバーした。 東京(9:48発/17番線発)→名古屋(11:49着/11:51発)→京都(12:41発)→新大阪(12:58着/13:00発)→新神戸(13:17発)→姫路(13:45発)→岡山(14:15着/14:17発)→新倉敷(14:31発)→福山(14:46発)→三原(15:01発)→広島(15:27着/15:29発)→新岩国(15:48発)→徳山(16:08発)→小郡((現:新山口)16:28発)→新下関(16:51発)→小倉(17:02着/17:04発)→博多(17:36着/11(現:13)番線着)   
○ クライマックスシーン
羽田空港でのクライマックスシーンは、最終発着の終わる夜の10時から朝の5時前まで、同空港を貸し切り撮影が行われた。なお、劇中に流れる青山八郎の音楽は、1977年(昭和52年)の東映実録ヤクザ映画『日本の仁義』に転用されている。

● 興行


◎ 日本

○ 上映中止要請
前年の『あゝ決戦航空隊』以来2度目の社長を本部長とする特別動員対策本部が設置され。また「乗客の救出シーンのアイデアを一般から募集します」、小中高校生などに標的を合わせた大宣伝キャンペーンがなされた。国鉄vs東映が少し前までお互いプロ野球チームを持っていたことにかけて「珍オープン戦」などと当時の週刊誌に盛んに取り上げられ、宣伝効果は相当で。国鉄はたぶん映画は出来ないだろうとタカをくくっていたが。これは1974年の映画『直撃 地獄拳』のワンシーンの流用である。しかし、「タイトルを理由として新聞への広告も拒否された」と佐藤純彌は述べているが、佐藤は宣伝をあまり知らないようで新聞広告は相当数あった。 本作品のみの1本立て興行ではなく、「ずうとるび」のドキュメンタリー風中編映画『ずうとるび 前進前進大前進』との2本立て興行だった。『ずうとるび-』との併映は10代の映画ファンの興行への影響力が大きくなったのを見た岡田が、この年からメインの併映は「青春路線」で行くと発表していたからである。製作費を注ぎ込んで第一級のサスペンス映画に仕上げながら、任侠路線が色濃く残る東映のイメージもあいまって、国内興行は成功を収められなかった、当時全国に40万人いた国鉄職員とその家族が観てくれるのでは、と東映は期待していた、『新幹線大爆破』3億円と。都心ではまずまずの入りだったが、大阪などでは途中打ち切りに遭い、山陽新幹線の通る西日本地域においても「サッパリだった」という、観た人は面白さを評価し、マスメディアで様々な敗因の考察がなされた「題材がリアル過ぎた」などと分析。客層はいつもと違いホワイトカラーと女性客が圧倒的で、東映本来の客は来ず」「アイドル映画とくっつけないで、一本立てにしていたら結果は違った。アメリカのパニック映画の国内進出を受けて立つという製作意図で、『タワーリング・インフェルノ』と同時期に封切りをぶつけ、真っ向勝負を挑んだが、『タワーリング・インフェルノ』は、それまでの『エクソシスト』27億円の2倍以上に当たる。 『新幹線大爆破』は興収10億円を目標としていたが、「大金を投じて開発した新路線の第一弾が大脱線」などと揶揄された。公開初日に新宿東映で立ち合いをしていた坂上順プロデューサーに全国から届くのは不入り情報ばかりで「本来の東映ファンを大事にしないと駄目だ」などと、敷いたばかりの大作路線からの撤退を表明した。本作品公開の後、『実録三億円事件 時効成立』の打ち合わせで。 1975年度キネマ旬報ベストテン第7位、読者選出第1位。1975年は和製パニック映画『新幹線大爆破』『東京湾炎上』『動脈列島』が封切られ、キネマ旬報は、他2作は惨敗、唯一『新幹線大爆破』が及第点だったと評価している。1978年4月24日に『月曜ロードショー』(TBS系)で最初のテレビ放映があり「輸出映画を作って稼いでいかなければならない」と東映国際部に東映作品の海外セールスを積極的に行うよう指示を出していた。『新幹線大爆破』の海外での売約を成立させたのは、本作品日本公開前の1975年6月12~15日にインドネシア・ジャカルタで開かれた第21回アジア映画祭で、団長として連れて行った志穂美悦子の当地での異様な人気の勢いで『新幹線大爆破』も売れた、日本の新幹線が世界的に有名なことから、世界各国から注文が入り、1975年9月初めの時点で15万ドル以上の輸出契約が結ばれた、第4回タシケント国際映画祭(1976年5月19日~5月29日)、第22回アジア映画祭(韓国釜山、1976年6月1日~17日) マニラ日本映画見本市(映画祭)(フィリピンケソン、1977年3月21日~24日)など海外市場に積極的に売り込みを図った、劇映画はほとんど売れていなかった。 アラブ諸国では空手映画がヒットした実績があり、アレクサンドロフ一行が1974年11月に来日して交渉を持ったことから、ソ連は東映のカラテ映画を欲しがり。日本のスターが集結した超大作というよりも、アクションスターである千葉主演のパニック映画として封切りされていった、フランスで『Super Express 109 』もしくは『' 』にて100分でそれぞれ公開されている。 特にフランスではそれまで日本映画をマイナー扱いし、8週間のロングランヒットを記録、この年夏にパリで公開された84本の映画のうち、第4位の興行成績で。ヒットの理由は「フランスにも日本の新幹線に触発されて開発中だった高速鉄道のTGVがあったから」との声もあり、南アフリカ共和国では日本映画初の大ヒットとなり、他にスペインで『' 』。1975年のロンドン映画祭のみ、日本版が英語字幕で上映され、「ベスト・アウトスタンディング・フィルム・オブ・ザ・イヤー(特別賞)」を受賞している。これは当時日本でイギリス映画の『オリエント急行殺人事件』がヒットしていた影響があった。

● テレビ放映
地上波での初めてのテレビ放送は、1978年4月24日月曜日にTBSの『月曜ロードショー』で、カットされた2時間バージョンだった。最初は1977年10月10日にTBS系でテレビ初放映予定だったが、この直前の9月28日に発生したダッカ日航機ハイジャック事件を受け「飛行機と新幹線の違いはあれども、社会的影響を考え(TBS編成部・談)」ということで延期となっていた。その後、1980年4月4日金曜日に『ゴールデン洋画劇場』(フジテレビ)で、放送枠を21:00-23:55まで拡大して放送された。後にテレビ朝日などでも、年末特番として3時間枠でほぼ全長版で放送された。日本テレビでは1990年代に深夜番組として海外版にシーンを追加したバージョンがCM無しで放送された。2010年代に入るとしばしば民放BS局にて放送されている。 有料放送では2009年(平成21年)1月3日にWOWOWで全長版が放送された。 東映チャンネルでは2016年2月5日-2月28日に、『佐藤純彌監督特集』として、『新幹線大爆破』ほかに5作品が放送された。 同チャンネルにて、2019年2月18日に佐藤純彌監督の追悼放送として、『新幹線大爆破 4Kレストア版』が放送された。 同チャンネルにて、2020年2月に一周忌メモリアル【佐藤純彌監督特集】として『新幹線大爆破』『男たちの大和/YAMATO』など超大作が放送された。 BS日テレにて、2022年3月11日に「高倉健名作選」として放送、他2作品も放送された。

● 映像ソフト
ビデオソフト黎明期からソフト化が行われており、1981年には東映芸能ビデオから2巻組の全長版VHSが8万5000円で、60分に短縮されたバージョンが2万4800円で発売されていた。1983年8月16日にシネスコ版のビデオが発売され、その後1998年5月21日に再発売された。 1999年(平成11年)7月21日に東映ビデオより2枚組レーザーディスクが発売された。東映プロデューサーの坂上順が、本作品と1999年(平成11年)公開の『鉄道員』のプロデューサーであり、本作品を機に東映を退社した高倉の事実上の復帰作でもあることから発売が企画された。佐藤監督と坂上プロデューサーのショートインタビューと公開当時の資料が見開きの内ジャケットに掲載され、インナージャケットには『ガメラ3 邪神覚醒』を制作していた庵野秀明と樋口真嗣による1998年(平成10年)の時点から作品を視聴した対談(現代との相違点・リメイクの話題など)が掲載されている。樋口はジャケットのデザインも行っている。 2001年(平成13年)、東映50周年記念を機にDVDソフト化希望の映画タイトルを投票により募集したところ、3位にランキングされ、2002年4月12日にレンタル開始、7月21日にセルDVDが発売された。 2017年10月25日、Blu-ray版発売。

● サウンドトラック

・ J-CINE サントラコレクション 『新幹線大爆破』(1996年10月2日、バップ)
・ 『新幹線大爆破』(THE BULLET TRAIN,SUPER EXPRESS 109)※7インチ、TAVA TAVA RARE(イタリアレーベル)

● 評価と影響


◎ 初公開時
佐藤監督は完成の遅れで試写会が開催できなかったと話していたが。荻昌弘は「『新幹線大爆破』は、いまの邦画水準で、よく作られた娯楽作品だと認めていい。乗客が烏合の衆にさせられている類型描写とか、衝けば弱点は指摘できるが、国鉄不協力のなか、これだけ周密に一つのメカニズムの機構と機能にアプローチして劇の濃度を高めるとは、作り手の気力と根性の密度以外のものではない。ここにはあの『警視庁物語』の東映の伝統、以上に一編に賭ける誠意がある。脚本と演出は、管理体制から疎外された犯人像の設定に無声時代劇以来の暗い日本映画の心性が生きており、これが終盤に大写しにされる政府・国鉄の冷血なエゴイズムと対応して、作品を重く沈ませたのが一家言である。『東京湾炎上』はせっかくの発想を映像に活かしたとはいいかねる...後味いいとはいいかねる力作二本ながら、後味の悪さの質は違う二本であった」などと評している。 こんな凄い映画をたった5週間で撮り終えた実績から、佐藤監督に預ければ、ちゃんと予算と時間内に収めてくれると評価され、徳間康快や角川春樹が大作を佐藤に任せるようになり、佐藤は日本で唯一と言っていいアクション大作の専門監督になっていった。 『キネマ旬報』は2002年7月の本作品DVD発売にあたり、『新幹線大爆破』を「和製パニック映画の最高峰」と紹介し。 関根勤が本作品の大ファンで、管制室の倉持(宇津井健)「青木君、車を停めるんだっ!」、運転席の青木(千葉真一)「何を言ってるんですかぁっ!」などの熱いやり取りを関根が一人二役で演じるものまねは。 『星の金貨』などの脚本家・龍居由佳里は1975年、高校在学時に父が東映で美術の仕事をしていた友人と新宿東映で封切時に観て大興奮し、「私、東映に入って映画作る仕事がしたい!どうすれば入れるかお父さんに聞いて!」とその友人に迫った。友人がちゃんと父親に聞いてくれて、その人から「東映は女性の現場スタッフを採らない」などと聞き、東映への就職は諦めた。結局、スタッフを募集していたにっかつ撮影所に就職したが、今も「『新幹線大爆破』を観て感動し、映像の仕事に就きたいと思いました」と言うと、龍居の作風のイメージと合致せず、たいてい驚かれるという。 2015年の映画『天空の蜂』の脚本家・楠野一郎は、『天空の蜂』脚本化にあたり、エンターテイメントとメッセージ性の両立を目指して、本作品を目標の一本として脚色した」と述べている。 西川美和は「コンプライアンスなどどこ吹く風の大傑作」と評している。「『七人の侍』や『太陽を盗んだ男』や『仁義なき戦い』や『新幹線大爆破』みたいな、めちゃめちゃなことをして作った、めちゃめちゃな迫力の映画を観て打ちのめされて、映画の世界に入って来たスタッフは、もう二度とそのような興奮には出会えないことを覚悟してもらわなければなりません」などと述べている。『新幹線大爆破』については「今の時代では実現が難しいスケール感が圧巻。こんな作品に出てみたい」などと話している。 押井守は「日本映画が日本の戦後にケンカを売った最後の映画」と評している。

● 類似作

◇ 暴走機関車 : 黒澤明原案、アンドレイ・コンチャロフスキー監督作品。佐藤純弥は「実は『暴走列車』は黒澤さんがやることになって、B班が実は僕がやることになっていたんです。ところがアメリカのプロデューサーと黒澤さんが対立して、結局流れちゃったんですけれども。だからあの『暴走列車』そのものの台本というのはたぶん僕が最初に日本で読んでたんだと思うんです。話は知っていました」と語っている。
◇ スピード : 1994年公開のヤン・デ・ボン監督作品。脚本を書いたグレアム・ヨストは、映画『暴走機関車』の原案である黒澤明が書いたオリジナル脚本を読んで思いついたと公表している。マイル表示の爆発設定速度をキロ表示に変換するとほぼ「時速80キロメートル」であり、東映も『新幹線大爆破』が原典と公表している。原案権を主張して訴訟を起こすべきという声が上がり。同作品のプロデューサーである宇都宮孝明は同作品が列車を舞台としていることから、本作品のパロディをやることとなり、監督の加藤は関根が出演する番組や舞台を見ていたため、宇津井健や千葉真一のモノマネでやってほしいという注文があったという。
◇ ニンジャスレイヤー : ブラッドレー・ボンド (Bradley Bond) とフィリップ・ニンジャ・モーゼズ (Philip Ninj@ Morzez) のアメリカ人コンビによるとされるSF小説。2014年に公開されたエピソード「マグロ・サンダーボルト」で、主人公のニンジャスレイヤーは速度を落とすと爆発する爆弾を人違いで身体に取り付けられる。

● 同時上映
『ずうとるび 前進前進大前進』
・ 主演:ずうとるび / 監督:三堀篤。 32分のドキュメンタリー。

● リブート版
2024年2月、Netflix映画として監督を樋口真嗣、主演を草彅剛が務めるリブート版が製作されることが発表された。

「新幹線大爆破」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』(https://ja.wikipedia.org/
2024年4月20日13時(日本時間)現在での最新版を取得

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